太宰失格

オニキ ヨウ

太宰失格


 目下のところ太宰の悩みはただ一つ、件の小説家と同名なことである。苗字だけならともかく名前も彼の人の通り。父親の悪ノリが原因である。

 太宰は激怒した。激怒したが、どうにもならない。

 少なくとも生まれて十年方は、名前の由来を知るはずもなかったし、級友らも彼の名においてさしたる疑問を持たなかった。小学国語の教科書に文豪の作品が含まれていなかった為である。

 彼の不幸が始まったのは中学一年生の夏だった。

 その日は朝から嫌な予感がしていた。五限目の就寝時間にあてがわれていた国語が突如一限目に繰り上がったのだ。昨日、クラス担任からそのような連絡を聞いた瞬間、太宰は背筋に毛虫の這うようなゾクゾクとした寒気を覚えた。

 太宰は国語が苦手だった。国語の、正確さを要する性質が好きではなかった。中でも大変なのは「て、に、を、は」。


 太宰は男の子だ。

 太宰が男の子だ。

 太宰を男の子だ。

 太宰て男の子だ。


 しゃべり言葉では、助詞の一字程度間違っていてもニュアンスが伝わる。

 この文章はつまり、太宰=男の子という内容を言い表したいのだが、書き言葉に直すと「太宰は男の子だ」という一文しか正解はなく、ほんの少しの言い間違いで失格となってしまう。その大まかに捨て置かない妙な完全性がどうしても性に合わなかった。

 運命の国語の時間、教科書やノートを抱えて教室にやってきた教師はいやにそわそわしていた。それから覚悟を決めたように大きく息を吐き出すと、ゆっくりと話し始めた。

「今日は太宰治の〝走れメロス〟を読みます」

 教室中がざわめいた。四十の顔と八十の瞳が一斉に太宰を振り返った。太宰は肩を震わせて思わず叫んだ。

「僕、そんなもの知りません!」



 それからというもの、国語の時間のたびに太宰はクラス中のからかいの的となった。

 性悪の男子生徒などはわざわざ国語の教科書を太宰の前に広げて見せて、「君、小説家だったんだね」「写真だと年増に見えるな」「此処にサインしてくれたまえよ」などと心ない言葉を萎縮した彼の肩先に容赦なくぶつけてくるのであった。

 それだけならまだしも、図書委員や読書クラブなどに所属する熱心な生徒からは湿り気を帯びた陰気な苦情文を送りつけられること度々だった。


 太宰は嫌いだ。

 太宰が嫌いだ。

 太宰を嫌いだ。

 太宰て嫌いだ。


 憎き敵の弱点でも見つけてやろうと太宰は国語便覧を開いて仰天した。

 小説家の「太宰治」は本名ではなかったのである!

 ページを見渡すと、文豪のほとんどがペンネームを用いている。夏目漱石も森鴎外も三島由紀夫もみんな偽名だ。ということは、戸籍にも登録されている、真にオリジナルの「太宰治」は自分なのだ!

  ……そんな理屈をこねたところで現状が打破されるわけではない。

 ああ太宰、どうして君は太宰なんだ。

 眉間に深く皺を刻んで、太宰はその他の文豪たちの名前を見つめた。


 夏目も森も三島もごく一般にありがちな名字だ。夏目なんて現代では文豪の名前よりも、ニュースやバラエティ番組の司会をつとめる美人女子アナや、美人薄命を体現した大物女優の顔を連想する人が多いだろう。

 森も三島も、一聞しただけでは小説家の名前にたどり着く人の方が少ない(否、そんなことはない森といえば政治家より森鴎外だし三島といえば伊豆半島でなく三島由紀夫だと主張する人間は間違いなく文学オタクのマイノリティなので一般的ではない)。

 それなのに、太宰……! 太宰だけは何年経っても変わらない。

 名字をネット検索に掛けると、根の暗い、神経薄弱の、大酒飲みの、デカダンスの、玉川に入って死んでしまったダサイおじさんの顔しか出てこない。代替がきかない。流行が移り変わらない。少年・太宰は泣きそうになった。否、実際に大粒の涙が国語便覧の上にぽろりと落ちた。


 その一粒が或る作家の上にこぼれなければ、私と太宰の出会いはなかったと言っても過言ではない。


 太宰と同様にその作家もネット検索の上位に位置し、誰が聞いてもいの一番に小説家を思い浮かべるはずの男だった。

 亡き母から受け継がれたペンダントのようにその名前を胸に刻み込むと、太宰は今日までずっとその作家と同姓の男を――つまり私を、捜し求めていたという。


 偶然、私たちは大学で邂逅した。喫煙所で隣り合わせたときは、まだ互いの名前を知らなかった。

 それどころか私は、隣でマルボローを吸っている間も忙しなく通りすがりの女子を軟派する、アシンメトリーな金髪の、人工的に日焼けしたこの男の名前が「太宰治」だということを想像だにしなかった。

 彼と親交を深めるまでの経緯は割愛するが、きっかけとなったのは私が吸っていたゴールデンバットの箱を見るや、「うがあああああ!」と奇声をあげて反射的に地面に叩き落とした事だろう。

 私が頭のてっぺんからつま先までどっぷり浸かった作家志望の文学青年であると知ると、行きつけのクラブへ呼び出して、太宰はこんな頼みごとをした。



「君を呼び出したのは他でもない、僕の半生を自伝として書き残してもらうためだ。著名人と同じ名を冠した子供がどのような末路をたどるか、これから親になる世代の人間に命名の大切さを身を持って訴えたいと思う。僕は文章の方はからっきしだ。ここは一つ、手のうまい人に代筆してもらおうと思っていたところ、君の名を思い出した。ぜひ、胸を打つような巧みな筆で、皆を驚かせてくれたまえよ」



 そういうわけで私は今、原稿を書いている。

 頭上のミラーボールが眩しく、爆音のクラブミュージックに心臓が潰される思いだ。友人の太宰治はホールで踊る韓国アイドル風の美女を必死で口説いている。原稿料の代わりに受け取ったのは、ゴールデンバット一箱だけ。それも一時間で吸い尽くしてしまった。


 私は太宰治がうらやましい。

 韓国アイドル風美女と良い雰囲気になっていることがうらやましいのではない。

 彼の同姓同名がうらやましいのだ。

 私の父と母は近代文学の研究者で、父は現在の文学研究の最高権威をほしいままにしている。母は冗談めかして言ったものだ。「この名字が欲しかったから、お父様と結婚したのよ。」

 小さい頃から本を与えられて育ち、私自身は小説家を志しているけれど、江戸の戯作から現代の純文学まで研究者なみにほとんどの作品を読破していると自負している。

 中でも愛してやまないのは、私の誇りでもあるこの名前とほぼ同名の作家だ。


 私は彼のような人になりたい。彼のような作品を書きたい。

 いっそのこと彼になってしまいたい。


 しかし、両親は良識溢れる大人だった。太宰治の父親ほどの思い切りはなかった。

 我が子の将来を案ずる気持ちや世間の目や道徳観念が彼らの野望を押しとどめた。

 言うなれば、突き抜けることができなかったのである。



 私の名前は芥川蛇之介という。

 もっと煙草が吸いたい。

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