男は脱出できるのか15

かごめごめ

男は脱出できるのか15話

 頬に鋭い痛みを感じて、俺は目を開けた。


「ユウ? 私が見える?」

「……? あ、あぁ……」


 誰だ……この女……?


「なんとか、間に合ったみたいね。……本当、無事でよかったわ」


 ……?

 うまく頭が働かない。

 俺はいったい、なにをしていた?

 なぜこの女は、俺の名前を知っている?


「どうして自分が倒れていたか、思い出せる?」


 言われて、俺はようやく自分が地面に横たわっていることに気づいた。

 俺は身体を起こそうと、地面に手をつき……


「っ……! つ、冷てぇ……!!」


 慌てて手を離す。

 よく見れば、地面は凍っていた。いや、地面そのものが氷だった。


 俺は周囲に目を向ける。

 ――だだっ広い、鍾乳洞のような場所だった。

 床が氷なら、壁面も氷。ゴツゴツとした氷の塊がいたるところに鎮座していて、空を仰ぐと、巨大な氷柱が俺に狙いを定めているかのように垂れ下がっている。


 どこか幻想的な、青色の世界。

 けれど同時に、死の気配が満ちている。――そんな場所だった。


「ここは氷の部屋。氷の扉があったでしょう? あなたは、その扉を開いてここに来たのよ」

「…………氷の、扉」


 そうか……俺は氷の扉を開いて……。


 だんだんと、記憶が蘇ってくる。

 俺はこの世界を、長い時間さまよっていたような気がする。

 けれど、出口はいっこうに見つからず……

 力尽きた俺は氷の床に倒れこみ、そのまま眠ってしまった――。


「恩に着せるつもりはないけれど、あと一歩遅ければ、危なかったと思うわ」


 そうだったのか……。


「誰だか知らないが、助かった。ありがとう。この恩は一生忘れない」

「ふふ、大げさよ」


 女は微笑んだ。

 よくよく見てみると、女は美しい顔立ちをしていた。ミディアムボブのブロンドヘアがよく似合っている。


「で、何者なんだ、あんた。この部屋の住人か?」

「いいえ、違うわ」

「だったら……」

「私は――ユウ、あなたを救い出すために、ここに来た」


 澄んだ瞳でまっすぐに俺を見ながら、女は言った。


 

 それは、この部屋のことを言っているのか?

 それとも……。


「立てる?」


 女が手を差し伸べてくる。

 俺はその手を掴み、身体を起こした。

 手に温度はなかった。もはや感覚が麻痺しているのだろう。


 ふいに、思い出す。


 温もりを。


 柔らかな、その手のひらを。


 そうだ……俺は、なにかとても幸せな夢を見ていて…………



「――――ッッ!! アユッ!!!」



 なぜ、忘れていた。

 アユ。

 アユ!

 アユは、どこだ!?


「……アユ?」


 女は少しだけ驚いたような顔で俺を見た。


「あんた、アユのことも知ってるのか? なぁ、アユが今どこにいるか知らないか!? 俺たち、絶対に一緒に脱出しようって約束してて……!!」

「……そう。やっぱり、あの子も……」

「なぁ!! どうなんだ!?」

「いいえ。残念ながら、私は見てないわ。それより、少し落ち着いて、ユウ」

「でも、アユがっ……!」

「いいから。はい、深呼吸」

「っ……!」


 真剣な眼差しでじっと見つめられ、俺は言われたとおりに深呼吸をした。


「どう? 少しは落ち着いた?」

「あ、あぁ……悪い、取り乱した」

「こんな状況だもの、仕方のないことだわ」


 なんだろう。この女と話していると、妙に心が安らぐというか……。

 俺の名前を知っていることといい、やはり俺は、この女と以前どこかで会ったことがある……?


「なぁ。あんた、名前はなんていうんだ?」


 軽い気持ちで、俺は訊いた。


「名前……そうね。今は『モモンガ』とでも、名乗っておきましょうか」


「…………」


 ――ももんが?


 モモンガ。

 動物だ。

 また、動物。

 また?


「っっ……!!」


 また……! 動物……!!


「……ユウ? ちょっとどうしたの、ユウ!」


 思い出した!

 思い出した!

 思い出した!


 そうだ…………思い出した。


「俺はっ……アユをっ。アユを見捨てた……アユを、見殺しにしたんだ……」


 なぜ、俺はそんなことをしたのか。

 だって、アユは壊れていたから。

 それに、アユの瞳は――



 最初はウサギ。次にカラス。そして今度は――――ネコ。



「うあぁぁぁぁあああっ!!」


 頭に鈍い痛みが走る。

 動悸が激しくなって、目の前がチカチカと明滅する。


 思い出せ。

 向き合え。

 ――償え。


 もうひとりの俺が、現実から目をそむけ続ける俺に語りかける。


「お、俺はっ……!!」


 俺がなにかを言いかけた、そのとき。

 全身が、温もりに包まれる。

 感覚なんてとうに失っているはずなのに、それを温かいと俺は感じた。


 モモンガと名乗った女は、俺の身体をきつく抱きしめながら、耳元で囁く。


「大丈夫よ、ユウ……大丈夫。私は、あなたの味方よ」


 壊れたアユ。最初から壊れていたアユ。

 逃げるように、扉を開いた。


「ほかの誰に恨まれていても、私だけは、あなたの味方でいてあげる」


 氷漬けにされたアユの頭。

 アユの悲鳴が、最期の声が、脳内で生々しく蘇る。


「――だから、安心して」


 身体の震えが、徐々に収まっていく。

 安心感に包まれる。


「今はまだ、なにも思い出さなくていいわ」




 ――――ふと気がつくと、目の前にモモンガの顔があった。


「おはよう、ユウ」


 モモンガの背後には、巨大な氷柱の先端が見える。

 ……どうやら俺は、モモンガに膝枕されているみたいだった。


「俺、また寝てたのか……?」


 上体を起こす。

 なんだか、妙に身体が軽い。

 グーパー、と手を動かす。……感覚が戻っている。


「眠っているあいだに、必要な処置はしておいたわ。もう普通に動けるはずよ」


 言ってモモンガは、空のペットボトルを俺に見せた。ラベルには、『いのちの水』と書かれている。


「……?」


 俺が首を傾げていると、モモンガは立ちあがり、ひときわ大きな氷の塊に歩み寄った。

 手になにか細長いものを持っている。


「……鍵?」

「『まほうの鍵』よ。ユウにも分けてあげたいけれど、これで最後なの」


 モモンガは鍵の先端を氷の塊に押しこむような動作をした。

 突き刺さるはずがない、そんなことを思う間もなく、鍵は氷の中に吸いこまれていった。

 カチャリ、と音がした。


「開いたわ。出口よ」

「どうなってんだ……」


 わけがわからないが、こんなことでいちいち驚くのも馬鹿らしい気がしてきた。


「残念だけど、ここで一旦お別れよ。私には、まだやることがあるから」

「……そうか」

「ユウ。必ず、生きて帰りましょう」

「そっちもな。絶対、死ぬなよ」

「ふふ。私のこと、心配してくれるの?」

「ま、モモは命の恩人だからな」

「……モモ?」

「『モモンガ』より、そっちのほうが可愛いだろ?」


 俺は改めて、モモの顔をまじまじと見つめた。


「うん、やっぱりピッタリだ」

「…………なによ、それっ」


 寒さのせいだろう、モモの耳は真っ赤に染まっていた。

 俺は開いた扉の前に立った。


「じゃあな。いろいろ、世話になった」

「そういうところ、相変わらずなんだから……」


 モモはぼそぼそとなにか言っていたが、すでに次の部屋に足を踏み入れていた俺には、よく聞き取れなかった。

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