最終話 どこまでも

―翌春


「ついにこの日が来ちゃったね・・・」


「うん。あっという間だった」


 コンサートが始まる直前の舞台裏、私は和泉が名残惜しそうに掛けてきた言葉に短く返す。


 この日を最後に、私は大好きな麹町A9を卒業する。それだけではない。今日を境に私は、テレビやラジオなどの表舞台からも卒業するのだ。


「なんか信じられないな。明日から、かなちゃんと一緒に仕事の愚痴を言い合ったり、笑い合ったり、励まし合ったりできなくなるんだね・・・。あっ、ごめん・・・」


 和泉は言いながら涙が出てきてしまったらしく、慌ててそれを拭った。


「ほら和泉、始まるよ!それに、別に会えなくなっちゃうわけじゃないんだから」


 そう言いつつも、私だってそんなことを言われると泣いてしまいそうだ。もう、涙は最後まで取っておこうと思ってるんだから、まだ泣かさないでよね。


 私の卒業コンサートの会場は奇しくも一年前、私が自分の進路を決意するきっかけとなったコンサートと同じ場所だった。


 あの時は自分が一年後、ここで卒業するなんて思いもしていなかったな。人生、何が起こるかわからないものだ。


 長瀬さんと柏木さんに卒業を決めたことを伝えてから今日まで、本当に時間が過ぎるのが早かった。その間には結菜さんの卒業や私自身の卒業発表、初めての大学受験なんてこともあったのに、その一つ一つを噛みしめる余裕がないほど、一瞬でその時は過ぎて行った。


 そして今、私は最後のステージに立っている。


 しかし大学受験は本当に大変だった。久しぶりに勉強というものに触れて、あらためて私はそれが生半可なものではないことを知った。さすがに何教科も勉強することができるとは思っていなかったため二教科に絞ったのだが、それでも今の私には困難の連続で今でも志望校に合格できたことが奇跡のように感じている。


 何はともあれ、私は無事に四月から大学生になる。アイドルは今日で卒業するんだ。


 私はこの日のコンサートでは冒頭から出ずっぱりで、色々なメンバーと一緒に色々な曲を歌い、踊った。そこには先輩たちと一緒だった懐かしい曲もあれば、同期だけで歌った曲、楓子と一緒にセンターを務めた去年の春曲もある。ユニット曲のなかには、親友の和泉とのデュエットもあった。


 それも全部、今日が最後なんだな。本当に。


 私の頭のなかには、アイドルを目指してから今日に至るまでの道のりで起きた様々な出来事が走馬灯のように駆け巡る。


 オーディションで死ぬほど緊張したこと。最終審査の合格発表に驚きながら喜んだこと。心が折れそうだった長いアンダーでの活動のことや、選抜に入ってからの楽しかったことや辛かったこと。そして初めてセンターになった時に大きな壁が立ちはだかったことも、今となっては良い思い出のように思うことができた。


 その道中では色々な人たちと出会った。一緒に夢を追い掛けた同期はもちろん、尊敬する先輩たちや可愛い後輩たち。最後までお世話になり通しだった柏木さんをはじめとしたマネージャーさんたち。長瀬さんや斯波さんのような偉い人たちとも運良く関わらせてもらうことができた。グループの外でも、結衣さんや加古さん、西条先生みたいな、この仕事をやっていたからこそ知り合えた素敵な人たちがたくさんいた。


 そして私の一生の憧れである美咲さん。私の大好きな人。美咲さんにここで出会えたことは、私のアイドル人生にとって何より大きな出来事だった。


 でもね、和泉。私が一番喜んでいるのは、和泉と出会えたことなんだよ。


 私より歳は少し下だけど、しっかりしていて、真面目で、それでも時には歳相応に可愛らしいところがあって。いつだって誰にでも優しくできるし、相手のためを思えば厳しく接することも厭わない。そんな和泉のことを私は本当に親友だと思ってるんだから。


 これからもそれは変わらないよ。


 私は和泉とのデュエット曲を歌いながら、顔を見合わせる度に目でそんなことを伝えていたつもりだ。


 この日ばかりは自分勝手に、好きなように私はその時を楽しませてもらっていたのだが、そんな時間が過ぎるのは本当に早く気付いたらもう最後の曲になっていた。


 静まり返る会場は、誰かがどこかで操作しているのかと思うくらい一面、私を応援する色に染まっている。ファンの人たちが一人一人、手元で操作してペンライトの色を統一してくれているのだが、それは信じられないくらいに完璧な光景だった。


「今日は皆さん、私の卒業コンサートにお越しくださって本当にありがとうございます。ここから見える景色は、信じられないくらいキレイです。こんな景色を見させていただけて私は本当に幸せ者です」


 幸せだよね。こんな景色、一生見ないまま終わる人がほとんどなんだから。


「私は今日で麹町A9を卒業します。そして表舞台に立つお仕事をするのも今日が最後となるので、皆さんとこうしてお会いすることもこれからは無くなってしまうと思います。今まで私を応援してくれていて、これからもテレビやラジオ、雑誌なんかで見たいと思ってくださっていた方がいらっしゃったら、本当に申し訳ありません」


 私は深く頭を下げた。涙はもう、これ以上どこにも水分は残っていないだろうというくらい流れ続けている。


「それでも、私は表舞台からは去ることになりますが、決して夢を追うのを諦めるわけではありません。新たな夢を見つけることができたので、その夢に向かうため前向きに考えた結果としての今日の卒業です。この結論について、私のなかには一点の曇りもありません。ファンの皆さんにも、そんな私の背中を押していただけると嬉しいです」


 私の挨拶を聞いているメンバーも頷きながら涙を流してくれている。ほとんど一緒に活動することのなかった四期生まで。まだ初々しさの残るアイドル一年生のこの子たちに何もしてあげられなかったことは、本当に申し訳なく思っている。でも、ここで一瞬でも私と人生が交わったことが、彼女たちにとって何かの意味を持ってくれればいいな。これも一つの出会いなんだから。


 卒業することに後悔はないが、ここで出会い、苦楽をともにした大好きなメンバーたちと別れるのは辛くてたまらない。それを思うとまた涙が止まらなくなる。


「私のアイドル人生はアンダーから始まって、途中からは選抜に入れていただき、恵まれたことにセンターも何回か経験させていただきました。色々なことがあったのですが、その全てが今では良い思い出になっています。一つだけ印象的だった出来事を挙げろと言われると、一つには絞れないのですが、強いて言うならば三年前の春に卒業された由良美咲さんと二人でセンターを務めさせていただいたことです」


 私がこの出来事を挙げたことを意外に思ったファンも多いだろう。たしかに普通なら初選抜や初センターなどを挙げるのだと思うが、アイドルとしての意識を変えてくれたという意味で、美咲さんの卒業や一緒にセンターを務めたことは私にとって大きな出来事だったのだ。


「その曲のミュージックビデオの中で私は美咲さんからバトンを受け取ったのですが、それは演技としてだけではなかったと自分では思ってきました。このグループに全てを捧げて盛り上げていくという、美咲さんが果たされていた役割をこんな自分に託してくれた。そんな風に感じていました。皆さんがお気付きかはわかりませんが私はそれ以降、いつだってそんなことを意識しながら頑張ってきたつもりです」


 口だけではない。本当に私は美咲さんが卒業されてから、このグループのためだけを考えてアイドル人生を送ってきたという自負がある。


「そんな私も今日で卒業してしまいますが、私の大好きなこの麹町A9にはこんなにたくさんの素敵なメンバーがいます。最高のグループだって、自信を持って言うことができます。これからもこのグループを、このメンバーを応援してください!今日まで約八年間、本当に本当に、ありがとうございました!」


 私の挨拶が終わるとともに会場に最後の曲のイントロが流れ始め、それに合わせて私は歩いてステージ上を回り始める。


 本当にこれが最後なんだな。本当に幸せなアイドル人生だった。何のやり残しも後悔も無いや。みんな、ありがとう。


 こうして私の卒業コンサートは幕を閉じた。


 アイドルとしての最後の仕事を終えた私は、楽屋であらためてメンバーたちを前にお別れの挨拶をする。


「今日は私の卒業ということで、色々と配慮してもらったりしてありがとうございました。高校一年生の終わりに麹町に二期生として加入してから、今まで頑張ってこられたのは、ここにいない方々も含めメンバーやスタッフの皆さんに支えられてきたからだと思っています。これからは別の道を歩むことになりますが、ここで学んだこと、培ったこと、与えてもらったものは、私にとってかけがえのない財産です」


 そう言う私の目からは、さっき枯れたはずの涙が再び溢れてくる。


「本当にありがとうございました!」


 言い終わった私は、一人一人と熱い抱擁を交わしていった。


 明日から私はアイドルではなく一人の人間、大人、女性としての人生を歩み出すんだ。私の物語はまだまだ終わることはない。これからの方が長いくらいだ。


 帰りに桜並木の下を歩いていると、はらはらと落ちてきた花びらが一つ、私の肩に乗った。私は立ち止まってそれを手に取り、強く息を吹いて空に飛ばしてみる。


 その花びらが上昇気流に乗ってフワッと舞い上がるのを見上げながら、私は再び歩を進め出した。


 どこまでも飛んでいけ。絶対に落ちてくるなよ。


 そんな都合の良いことを思いながら、私はどこまでも続く花道の上を一人歩き続けていく。


 いつまでも、どこまでも。

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華を散らすは風に非ず くま蔵 @bearstorage

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