第25話 未来へ

 この日は珍しく、私の方が会議室で待たされることとなった。


 正確に言えば柏木さんは既に居たのだが、ウチの運営会社の代表がまだ現れていないため呼びにいってくれたのだ。


 そして会議室の扉が開き、待ちわびたその人物が部屋に入ってくる。


「こうして話すのは久しぶりだね。活躍のほどは耳に入っているよ。これからまたヨロシク頼む」


 先日の人事異動を経て私たちのグループを運営している会社の社長に就いた人物が、以前と少しも変わらない穏やかな口調で話し始める。


「お疲れさまです。長瀬さんが戻ってくるって聞いて、いけないことかもしれないですけど嬉しかったです」


 そう、新しい代表は長瀬さんだ。親会社の役員を退任した彼が転出先に選んだのは、なんと古巣の私たちのところだったのだ。


 ウチが親会社やそのまた親の会社にとって重要な会社になっているとは聞いていたが、まさか役員だった長瀬さんが戻ってくることになるとは夢にも思っていなかった。言うまでもなく、これは私たちにとって喜ばしい出来事だ。


「いけないことなんてないさ、私にとっては自ら望んでいた異動でもあるんだからな」


 私はコンサートの件のお礼を言おうと、謝ろうと一瞬だけ思ったが、すぐにその考えを捨て去った。それを言って、いやいや気にするなとか言わせるなんて蛇足だ。あの件はあのまま終わっているからこそ、長瀬さんの美学は際立つのだ。関係した人たちからのお礼や謝罪と、それを制するやり取りなんてない方がいい。


「それで、そんな長瀬さんにも聞いて欲しい話っていうのは何だ?」


 さっそく柏木さんが本題を促してくる。


 私は息を整えて想いの丈を述べ始めた。


「結論から言います。私、卒業させてもらいます。自分のやりたいこと、進むべき道が見つかりました。そのためには時間があまりないこともわかったので、できれば年内、遅くても来年の三月までには卒業させてください」


 二人ともある程度は予想していたのか、内容の割に衝撃を受けているという感じではなかった。


 少し間を空けて長瀬さんが口を開く。


「あの思っていることを口に出すのも苦手だった奏が、自分で先々のことを考えて言いに来たっていうんだ。個人的には感慨深いものがあるよ。ただ、だからといって私とキミの立場上『はい、そうですか』と即答するわけにもいかない。運営の責任者とエースなんだからな。まずはその心を聞かせてくれ」


 さすが長瀬さん。物腰の柔らかさは相変わらずで、本当に話しやすい人だ。


「有難いことに、最近はずっと選抜に選んでもらっているし、センターも何回もやらせてもらいました。グループの枠を越えたテレビやラジオのお仕事もたくさんいただいていますし、私にはもったいない環境に今は居させていただいていると自覚しています」


 そこまで話したところで、柏木さんが口を挟まずにいられなかったようだ。


「たしかに今の奏なら、ウチの看板がなくてもそういった仕事にはありつけるだろうけど、それについてはもう少しウチに居ても同じだぞ。もしかしたら、もっといいタイミングだってあるかもしれない。今にこだわる必要はないだろう」


 私が表舞台に残るのであれば、柏木さんの言う通りだ。


「その通りだと思います。私が卒業してもメディアに出るような仕事を選ぶなら、もう少し麹町に居た方が良いのは間違いないです」


 ここまでで長瀬さんは私の言いたいことがわかったようだ。


「テレビの中の人ではなくなる、ということだな。何をするつもりなんだ?まさかOLになりますなんて言わないのだろう」


 自分たちにとっては困った話だろうに、こうして冗談を言ってくれるのは本当に有難い。長瀬さんが代表に戻ったということが、私の後ろ髪を引いているのは紛れもない事実だ。


 それでも、今の私に後戻りはない。本気で考えて決めたんだ。


「私、春のコンサートの準備をしている時、本当に楽しかったんです。もちろん大変なことばかりで苦労も多かったんですけど、それがどうでもよくなるくらい充実感があって。それで気付いたんです。自分がステージの上で輝くだけではなくて、ステージを照らす方にも興味を持っているってことに」


 柏木さんには私の決断は信じられなかったようだ。


「裏方になるっていうのか。アイドルも大変だとは思うが、裏方の大変さは種類が全然違うぞ。報われるのなんてほんの一瞬だけで、上手くいかないことの方が圧倒的に多いし。それに今はアイドルだからみんな気を遣ってくれてるだろうけど、逆側に来るってことは気を遣うばかりなんだからな」


 そんなに気を遣わせていたのか、なんか申し訳ないな・・・。これからはもっと気を付けよう。


「奏が目指しているのは、マネージャーのような現場にべったりの仕事じゃなくて、もっと大局的な視点からのプロデュースなんだろう。それこそ現場だけではなくて、経営面にも目を配るような。なるほど、トップアイドルが自らアイドルグループの経営に乗り出すってことか。面白いじゃないか」


 長瀬さんは私の話を好意的に受け止めてくれたみたいだ。この人の器は本当に大きい。いつまで経っても掌の上の孫悟空のような気分だ。


「長瀬さん・・・。成瀬も居なくなるのに、奏も居なくなったらウチはどうするんですか・・・」


 柏木さんは泣けるものなら泣きたいといった感じだ。本当に申し訳ない。


「いつかは奏だって居なくなるんだし、そのために三期生を育ててきて、秋には四期生が入ってくるんだ。奏にも、今話したような方向に進むためには、今やめなくてはならない理由があるってことだろう」


 さすがは長瀬さん。私の計画を察しているようだ。


「そうですね。裏方といっても、私は世の中のことを全然知らないので、やめてすぐに役に立てるとは思っていません。必要なものを身に付けるために一度、進学しようと考えています」


 入試に合格すれば、だけどね。


「進学って、大学か。それで年内とか三月とかなのか。そういえば高校に入ってすぐにウチに加入して転校しちゃったから忘れられがちだけど、奏は元々、高校は進学校に通ってたんだよな。それも超一流大学に何十人も進学するような難関校に」


 そうなんだよね、実は。苦労して入ったのに芸能活動が認められていないからって転校しちゃって、お母さんには随分と文句を言われたものだ。私が進学という選択肢を選ぼうとしているのも、そんな親の気持ちに報いたいというのもある気がする。


「そしたら、大学を卒業したらウチみたいな会社に就職しようって腹か。しかし、その頃には二十代も後半になっているだろう。働いていた経歴があるから年齢が必ずしもマイナスになるとは思わないが、厳しいこともあるかもしれないぞ。それも覚悟のうえなのか?」


 柏木さんは、なんとか思い留まらせようとしてくれているんだろうな。その気持ち自体は本当に有難いし、嬉しく感じる。


「はい。普通に新卒採用を受けに行くことは出来ないと思うので、大変だということは理解しています。それでも仰る通りここまで麹町で頑張ってきたキャリアも無駄にはならないでしょうし、それなりに人脈も作ってきたつもりなので何とかできると前向きに考えています」


 長瀬さんがそんな私たちのやり取りを見て笑う。


「柏木くんもどうにかして諦めさせようと必死なんだろうけど、そんなことばかりを言っていると本当にその時が来た時に、元麹町のエースを別のところに取られてしまうぞ。元トップアイドルがアイドルの運営会社の経営に一枚噛むなんて話、興味を持つ会社はいくらでもあるだろう。場合によっては、一緒に組ませてくれって引く手数多になるんじゃないか」


 そう言われて柏木さんは何も言えなくなってしまった。


「ところでどうだ、奏。大学に通っている間だってアルバイトくらいはする時間もあるだろう。ウチの親会社で働きながら大学生をやるっていうのは考えられないか。その気があれば紹介するぞ。別に務めていたからって将来、何かをする時は絶対にウチを選ばなければならないなんてことを言う気はない。ただせっかくここまで繋いできた縁だ。信頼関係もあるし、お互いにとって悪い話ではないだろう」


 私も大学で勉強しながら、できればメディアに関わるアルバイトなんかをして経験を積んだり、人脈を増やそうとしたりしようと思っていたところだった。長瀬さんの提案はまさに渡りに船というやつだ。この人、私の心を読めるのかな。


「それは私にとっても嬉しいご提案です。さすがに麹町の運営のアルバイトとは思っていなかったですけど、どこかしらテレビとかイベント、出版業界に関わるような仕事を探そうと思っていたので。でも、本当にいいんですか?」


 よく考えてみれば、そんな都合の良い話が許されるのだろうか。


「その代わり、本当に幾ばくも無い時給しか払われないぞ。それに雑用もあるだろうし、それでも良ければという話だ。もちろん、奏が興味を持っているイベントの企画なんかに関わる仕事のお手伝いもあるだろうし、時には経験を活かして意見してもらうこともあるだろうけどな。ウチのイベントなんかのことも、みんなには内緒でお願いするかもしれないし」


 アルバイトだ、お金の話はどうでもいい。雑用だって、私にとっては何でも初めての仕事なんだから全てが勉強だ。学生時代からそれを経験できるっていうなら、そんな有難い話はないじゃないか。


「ありがとうございます。大学に入ったら是非、お願いします」


 やっぱり私は出会いに恵まれているな。自分の都合で卒業させてくれって言いに来た私を快く送り出してくれるだけでなく、その先のことまで心配してもらえるなんて・・・。この人たちには感謝しかない。


「それにはまず、大学に受からなければならないだろう。そのためには活動はいつまでなら続けられるんだ?」


 やっと柏木さんも諦めがついたみたいだ。


「できれば年内一杯でお願いできると有難いです。ただ年明けの二ヶ月くらいをお休みさせてもらえれば、三月に卒業でも大丈夫です」


「それなら三月でどうだ。秋に成瀬が卒業するから、さすがに年内というのはファンにとっても衝撃が大きいだろうし。主だった仕事は年内で降りる方向で調整するから、それで構わないか?」


 私は黙って頷いた。三月に卒業なんて、学生みたいでちょっといいな。これから学生に戻るんだけど。


「そしたら、三月には盛大に卒業コンサートをやらないといけないな。受験が終わったらリハーサルとか忙しくなるぞ。二ヶ月とはいえブランクが空くんだ、しっかり追い付けるよう頑張ってもらうからな!」


 柏木さんの口調が少し力強くなってきた。


 卒業コンサートか。そう言われると少し寂しい気分になるな。しかし、その前に受験だ。これで受かりませんでした、卒業しませんなんて恥ずかしすぎるし。頑張らないと。


 私は南風が運んできた夏の空気を肺いっぱいに吸い込み、大きく息を一つ吐いて一世一代の勝負に向けた覚悟を決める。


 やってやるぞ。失敗することなんて考えない。


 この日、私の卒業の段取りが決まるとともに、私の半年強に及ぶ受験勉強の火蓋が切って落とされた。

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