第24話 適性

 長瀬さんや斯波さんの人事の話を聞かされてからも相変わらず忙しく過ごしていると、あっという間にその日がやってくることとなった。


 斯波さんには良い印象を持てなかったのは否めないが、一方で今になって考えてみると彼は常に私たちアイドルを子供のようには扱わず、対等なビジネスパートナーとして認識していてくれた気がする。そうでなければ、あんなに難しい単語とか使ってわざわざ話したりしないだろうし。それはそれで、私たちの将来のことを考えていたというのもあるのかな。


 実際に私の考え方とかに影響を与えているし。


 そうはいっても、わざわざ私が斯波さんに挨拶に行くのは変に感じていたところ、偶然にも事務所の廊下で本人に会ってしまう私。こういうところだけ、私って何かあるんだよな。


「お疲れさまです。ご栄転おめでとうございます。短い間でしたが、ありがとうございました」


 会社員の世界のことはよくわからないけど、異動される方に向けた挨拶ってこんな感じで良いのかな。


「キミたちにとっても、私が居なくなるのは喜ばしいことだろう。五月蠅うるさいのがいなくなって。売り上げがどうのとか言われることもなくなるしな」


 やっぱり、最後までこんな感じか。なんか挨拶して損した気分。


「それに、特にキミは私が代表でなくなるのはラッキーかもしれないな。まだまだアイドルを続けるつもりなんだろう?」


 それはどういう意味だ。まさか私のことやめさせようとでも思ってたの?


「もちろんアイドルを続けさせていただきますけど、それって斯波さんがこのままウチにいらっしゃったら私をクビにするつもりだったってことですか?」


 斯波さんが笑った。ただそれはいつもの少し呆れているような感じではなく、本当に笑ってしまったような感じに見える。


「今、キミに卒業されたらせっかく持ち直してきたグループがまた危機に陥ってしまうだろう。ただでさえ成瀬くんの卒業だって決まってるのに」


 そうだ。私たちのグループをずっと支えてきてくれた一期生の結菜さんも先日、この秋に卒業することを発表したんだ。


「実際にキミがどうするかは別にして、私がここの社長を続けていたら、そう遠くないうちにキミにウチの運営側に入るように勧めていたと思っていてね。アイドルと二足の草鞋になるのか、アイドルを卒業してなのか、そこまで深くは考えていなかったけどな」


 運営側?それって柏木さんたちみたいな感じかな。


「自分で気付いているかはわからないが、キミはアイドルをやるより、アイドルがどうやったら輝くか、どうすればファンから愛されるかということを考える方が好きなんじゃないか。それに発想力や行動力もあるし、人脈も持っている。そして何より、周りの人を動かす情熱と、それに裏打ちされた説得力を持っているじゃないか。私なら、キミに企画や経営の仕事をお願いしただろうっていうことだ」


 斯波さんがそんな風に、いや、そもそも私とか一人一人のことをそんなに考えていたことが意外だ。この人、私たちに興味が無いように見えていたけど実はよく見ていたんだな。


「まぁ、後任の社長がそんなことをキミに提案するとも思えないから、引き続きアイドルとして頑張ってくれたまえ。陰ながら応援させてもらうよ。一度は関わった世界だ、これからもどんな状況かは気に掛けていくことになるだろうしね」


 最後だからかもしれないけど、今まで思っていたような人じゃないのかなって思えてきた。本当に今さらなんだけど。


 言い方だけなんとかしてくれていれば、もっと私たちと一緒に夢を見ることもできたのかもしれない。でも、やっぱり言い方だけはなんとかして欲しいんだけどさ。


「あの、斯波さんって、ご家族はどんな方がいらっしゃるんですか?お子さんとか」


 そういえば、こういう普通の会話をしたことってなかったな。初めの印象が悪かったから、特に知ろうとも思わなかったし。


「子供は二人、高校生と中学生の娘がいるよ。どうした、急に」


 そうなんだ。お嬢さんたちにもきっと、同じようなことを思われているんだろうな。一応、お世話になったお礼に、最後に良いことを教えてあげちゃおう。


「斯波さんって、勘違いされそうなタイプだと思うので、お嬢さんに何か言う時とかも言い方には気をつけた方がいいですよ!年頃の女の子は、言い方一つで全然態度が変わるんですから」


 斯波さんが少し驚いたような顔をしている。私、何か変なことを言ったかな。


「キミが私に、そんな風に言葉を掛けてくることがあるなんて思ってもいなかったな。せっかく言ってくれたことだ、肝に免じておくよ。麹町ファンの娘たちに今回の異動のことを伝えたら残念がられて困っていたところだったから、しばらくは気をつけないといけないしな」


 お嬢さんたちはウチのファンだったんだ。そんなこと全然言わなかったし、役得みたいなことも一切要求してこなかったな。やっぱりこの人は経営のプロで、公私混同とかは有り得なかったんだ。私が娘だったら、応援しているメンバーの写真とかサインとか、場合によっては会わせてとかお願いしちゃいそうなものなのに。


 逆に少しくらい、役得があったっていいよね。ウチのために尽力してくれていたのは事実なんだし。


「お仕事ではなくなったのだから、これからは気軽にコンサートにも来れますよね。この夏の全国ツアーは、是非お嬢さんと一緒に観に来てください。せっかくだから、終わった後にはお嬢さんを連れて楽屋も訪ねていただければ嬉しいです!」


 私ってお人良しかな。でも本当にそう思ってるんだ。


 斯波さんが少し戸惑っているように見える。ひょっとして照れているのだろうか。


「キミは面白い人だな。普段はどちらかと言えば大人しいのに、ステージの上では誰よりもアイドルらしくて。それでいて下手な一流大学卒の若手なんかよりも鋭いことを言うかと思えば、こんな風に情に厚いところもある。不思議な人だよ」


 なんか褒めてくれているみたい。素直に嬉しいかも。


「斯波さんには私に足りなかったビジネスとしての視点というものを教えていただいたと思っています。アイドルでも何でも、経済活動であるからには数字は必ず意識しなくてはいけない。当たり前のことなんですけど、夢や理想という言葉に逃げてしまいがちな私たちが、つい目を背けてしまっていることだと思うので。本当に勉強になりました」


 しっかり頭を下げて言うと、斯波さんが少し笑って短く言葉を掛ける。そしてそのまま、私の肩を叩きながら横を通ってその場を立ち去っていった。


「何かの役に立っていれば光栄だよ。まぁ、頑張ってくれ。それじゃあ行くよ」


 出会いと別れ。何度も繰り返してきたが、相手の本質を見極めるというのは本当に難しい。こればかりは経験を積むしかないのだろう。


 それにしても、アイドルの企画の、経営のお仕事か。言われて思ったけど、私ってアイドルの先には何をするのが一番向いているんだろう。何をしたいと本当は思っているのだろう。


 私は家に帰ってからも、そのことばかりを考えていた。


 今や美咲さんの本業は女優、藍子さんはアナウンサー、葵さんはモデルだ。これから卒業していくメンバーも同じようにそういった世界で活躍していくだろうし、後輩たちだって楓子や最上みたいにそういう明確な夢を描いている子が多い。


 私にとっては何だ。そして、そのためには何をするべきなんだ。


 年齢的にも、そろそろ自分が先々どうするかというのを考えなくてはならない時期に差し掛かっている。それは間違いない。


 どんな選択肢があるんだろう。


 センターを何回か務めたりして、幸運にも少しばかり世間に名前を売ることができたことで、私にもテレビやラジオなどメディアの世界で生きていく道があることはわかっている。当面の間は、だが。


 そこで生き残れれば、ひょっとするとその世界の住人となることができるのかもしれない。


 でもそれって本当に私がやりたいことなのかな。


 元々、歌や演技、テレビの中の世界や雑誌の誌面の裏側に興味があってアイドルになったわけではないし。


 私は、アイドルになれば何か変わるかもしれない、見たことのない景色を見ることができるかもしれない。そんなことを思って何気なく応募しただけで、アイドルの先なんて考えてもいなかった。


 そんな夢を叶えた今だからこそ、私が一番望んでいることに自分自身、正直になってみよう。自分は何がしたいと思ってるんだ。


 これまでにあった色々なことに思いを巡らせていると、ある一つの出来事が思い浮かんできた。


 春のコンサートは本当に楽しかったな。


 それも大成功に終わった瞬間だけでなく、事前に色々と動き回ったことや当日の数々の演出に対する客席の反応、翌日のスポーツ新聞の記事に、合わせてリリースしたシングルの売り上げなど、関連すること全てが鮮明に私のなかに甦ってきた。


 悔しいけど、斯波さんの言う通りだ。私、舞台に立つ側である以上に、舞台を作る側の方に惹かれ始めている。


 これが私の本音だ。


 それがわかってしまった以上、この欲求に勝てるだろうか。


 気付いたら私は、どうすればあっち側の人間になれるのかを真剣に考え出していた。


 考えれば考えるほど、そんなにルートがあるわけではないことを思い知らされる。そしてそれらには、いくつも越えなければならない壁があった。


 さて、どう越えようか。


 私のなかでは、ある一つの結論が出始めていた。それと同時に、時間があまり残されてはいないことにも気付かされる。


 それから数日、何度となく考え直してはみたがその結論が変わることはなく、むしろ私のなかで確固たるものとなっていく一方だった。


 私は意を決して、柏木さんに連絡をしてみることにした。


 本当は誰かに相談してからの方がいいのかもしれないが、時間を掛けていては色んな人に迷惑を掛けるばかりだ。


 自分のことは自分で決める。その代わりリスクは自分で取るし、結果の責任も自分で負う。


 これは昨日、今日で思い付いたことではなく、ずっと自分のなかに眠っていたことで、本当はとっくに目覚めの時は来ていたのに寝たふりをしていただけのものだ。


 この結論に後悔はない。


「柏木さん、お疲れさまです。突然すみません。近いうちにご相談させていただきたいことがあるのですが、お時間をいただける日ってありますか?」


 最近はよく話をしているのもあり、驚いた様子はない。


「明日だと・・・難しいか。明後日なら夕方以降は大丈夫だと思うが、何の件だ?俺だけでいいのか?」


 とりあえず柏木さんと思ったけど、込み入った話を何度もするのも大変だし一度で終わらせてしまおう。


「できれば決定権のある方にも同席していただきたいです」


 それでも明後日で大丈夫なのかな。


「なんだ、深刻な話は勘弁してくれよ。着任早々、そんな話をされる人の身にもなってくれよな」


 そんなことを言われても、先延ばしにしたって結論は変わらないのだから早い方が良いに決まってる。


「それでは明後日、よろしくお願いします」


 電話を切ってから私は、話す内容や順序をじっくり考えることにした。


 大事な話だ。準備は念入りにしておかないと。

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