第23話 難しい話
まだ少し先の話だが、当たり前のように今年もまた夏がやってくる。
私たちのようなアイドルグループにとっては、それはその開放的な雰囲気にぴったりの明るい曲調の楽曲を発表したり、全国を回ってツアーをしたりといった季節なのだが、その前の六月は企業にとっては特別な時期だというのをニュース番組で聞いた覚えがある。
詳しいことは私にはわからないが、一般的な企業に多い三月を一年の節目、決算の月としている株式会社においては、六月にその経営成績を株主に報告し承認してもらう株主総会なるものを開催するとかしないとか。いや、するみたいなんだけど。
その場で経営者、それは社長という意味ではなく社長を含めた役員とよばれるお偉いさんという意味なのだが、その人たちの交代も行われるようで、そのなかでも取締役とよばれる役員は株主総会における投票で決まるみたいだ。
もっとも実際にはその投票で決まるというわけではなく、事前に社長などの意向で決まっているものを信任するためだけの投票で、否決されることはほとんど無いのが実情らしい。それどころか取締役という役職ではない執行役員という役員の人たちについては、その信任投票すらもなく決まってしまうとか。
なんだか難しい話だが、私がそんなことを調べてみたのには理由がある。
私がアイドルになった当初からお世話になっていて、直接は関わらなくなったはずの今でさえ、密かに私たちのアイドル活動を支えてくれていた長瀬さんが、昨年のこのタイミングで就任した親会社にあたるレコード会社の役員を退任されるという話を耳にしたのだ。
僅か一年での退任。もちろん、そういうことも珍しくはないらしいのだが、それにしても短い。何か失敗をしてしまったのだろうか。
こんな話、メンバーの誰にきいてもわかりっこないと思った私は、柏木さんにその疑問をぶつけてみることにした。
「長瀬さんの話って本当なんですか?難しいことはわからないですけど、役員ってそうそう成れるものじゃないんですよね。せっかくウチで頑張ってくれたことが評価されたのに・・・」
柏木さんも同じように残念に思っていたようだが、彼はこの話については私以上に感じていることがあるらしい。その表情は暗いどころか、熱血漢とよばれる彼と同じ人とは思えないくらいに覇気がない。
「その話な・・・。長瀬さんの人柄を考えれば本人は本望だって言いそうなんだが、俺は申し訳なくて仕方がないよ・・・」
あれ、柏木さんが長瀬さんの人事に関係しているのか。何があったのさ。
「何かあったんですか?」
なんか胸騒ぎがする。良い話ではないんだろうな。
「隠していてもいずれ伝わるだろうから言ってしまうけど、長瀬さんの件は俺のせいなんだ。俺が余計なことをしなければ・・・。俺なんかではどうしようもないんだろうけど、いっそ俺を降格でも左遷にでもしてくれればいいのに・・・」
何だ何だ、どうしたんだ。
「この間、大きなコンサートをやっただろ。あの時、美咲に出てもらうために長瀬さんが動いてくれたのを覚えているか。もちろん、何か無茶をしたわけではなくて、長瀬さんは正攻法でスポンサーさんと話してくれて承諾をいただいて、美咲の出演を勝ち取ってくれた。それは間違いがないんだ」
えっ、あのコンサートが長瀬さんの人事に関係してるの?それって私にとっても他人事ではないじゃん。
「ただ長瀬さん自身、ああいうやり方で業界の不文律を犯したことについては責任を感じていたみたいで。やはり同じ商材を扱う企業のイメージキャラクターを務めるタレント同士を、一緒に売るっていうのは難しいことだから、そこには慣例的なルールがあって然るべきだ。それをどんなに正攻法であっても何のお咎めもなしで破るという実績を作ってしまうと、今後の悪しき前例になってしまうって言うんだ」
言うって、長瀬さんがって意味だよね。自分から退任を申し出たってこと?
「長瀬さんは自分が退くことで、今回の件は自分のクビと引き換えに実現したことで、決して簡単に、誰かが少し動けばできることではないっていうのを業界に示す必要があると思っているらしい。そうしないと今後、同じような事態に直面した時に間に入っている事務所や広告代理店が『あそこはできたのに』とか『あの時はやったはずだ』とか言われるだろうって。それはそうだけどさ・・・」
長瀬さんって本当に人格者だな。聖職者みたいだ。
「長瀬さんのところの社長も、その上の親会社の役員もそこまでしなくてもって慰留したらしいんだけど、長瀬さんの意志は固いらしくてな。この六月で退任されて、また子会社に社長として移るって聞いてる。まぁ、前にウチに来た時と違って今度は役員を退任してって話だから、あの時みたいに創られたばかりの小さな会社ではなくて、もっと大きな、重要な会社の社長になるとは思うがな」
そうか。いずれにしても子会社に移るのには変わりがないんだ。なんか申し訳ないな。
私たちのことに巻き込んでしまったことで、長瀬さんの人生にも影響を与えてしまうなんて・・・。もちろん長瀬さんの意志でやったことだし、もし柏木さんが相談していなくてコンサートが失敗していたら長瀬さんのことだ、きっと自分を頼ってきてくれなかったことを残念に、悲しく思っただろう。柏木さんには何の責任もない。
責任があるとすれば、そんな事態を招いてしまった私たちの方だ。長瀬さんが去って、安心して見ていられるようなグループで居られなかったのだから。
「奏がそんな顔をする必要はないぞ。俺だって、申し訳ないとは思っているけど下を向くつもりはない。そういうのは長瀬さんが一番嫌がることだからな」
そうだ。頑張ることで恩返しをすることしか、私たちにはできないんだから。
「そうですよね。偉い人の人事の話なんて、私たちにどうすることもできないですし。私たちは、その長瀬さんの行動を無駄にしないように頑張るだけですよね」
柏木さんの顔に少し明るさが戻ってきた。やはりこの人に暗いのは似合わない。
「そういうことだ。ところで、ついでと言ってはナンだが、ウチの方も人事異動があるのは知ってるのか?奏は忙しくてまだ聞いてないかもしれないが」
えっ、そうなの?私が知らないところでそんな話が。
「奏が苦手にしていた斯波さんも、この六月末で親会社に戻るらしいぞ。たった一年だったけど、まぁ、あの人の場合は本人も戻るのを希望していただろうしな。長瀬さんみたいに役員でってわけではないらしいが、重要な部署の部長だっていうから栄転であるのは間違いないだろう。一応、ウチに居た期間に汚点を残すことはなかったわけだし。そういう意味では、奏は斯波さんに感謝してもらわないとな」
そうか。斯波さんもいなくなるんだ。好きにはなれなかったけど、一年というのは短いな。
「そしたら、代わりの人が来るってことですよね?」
今度はどんな人なんだ。長瀬さんみたいな人だといいんだけど・・・。
「もちろん、また親会社から来るらしい。噂では、本人たっての希望でウチの社長への就任を望んだとか。それもあって斯波さんは親会社に戻れたのかもな」
なんか経営とか会社とかって大変だな。責任を取ったり望んでいないところに異動させられたり。
でも、そういう経済活動の一部として私たちアイドルグループも存在しているのは、目を背けるのことの出来ない紛れもない事実だ。私は以前に比べてそのことを意識するようになっているように思う。これって斯波さんに色々言われたからなのかもしれない。
アイドル活動や、アイドルという存在を見る目が少し変わってきたな。それが私の今後をどういう風に変えていくのかはわからないが、今までみたいに我武者羅に頑張ることが全てとは思わなくなっている気がする。
だから何、というわけではないけど。
私は自分の仕事や生活そのものを何か変えることはないと思っていた偉い人たちの人事の話が、自らの先々にも影響を及ぼすことになろうとは、この時はまだ全く予想をしていなかった。
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