祝福

とみ岡

祝福

 

 ルガンバーダは幼くして盲目の呪いをかけられた。とっておきのものをくれてやろう、と怒り狂う魔女めは彼の美しい瞳から、光を削ぎ落とした。醜悪な笑みを浮かべた魔女は、ルガンバーダの母の美しさに嫉妬していた。わたしが領主の妻としてあるべきだと信じて疑わぬ女は、正妻の子であるルガンバーダにいらぬ贈り物をした。

これに怒りを隠せないのが母、シトゥナである。母の愛は魔女を地の果てまで追い詰めた。息子の呪いを解くことはできなかったものの、邪悪な魔女めはひっそりとその生を終わらせた。

 嗚呼我が息子よ、お前の光を取り戻すことはこの母にも難しい。さすればこの命と引き換えにお前の呪いを、憂いを取り払ってみせよう。ルガンバーダの否の声を聞くことなく、シトゥナは息を止めた。母よ、それではこの呪いは消えまい、と嘆く息子と父。ルガンバーダが一四の話である。

 悲しみの淵にいた領主は、二年目に新しい妻を迎えた。若く美しい女である。だがこの女、どこか様子がおかしい。盲目であるルガンバーダを気遣う素振りを見せるものの、その表情は義母のものではない。瞳の奥にちらつくものは、果たして何であっただろうか。

 新しい女が家族に加わると、領主もどこか変わっていった。前のみを見つめる凛々しい瞳は蛇のように細くなり、健康な肌は薄黒くなっていった。兄妹たちも同じように、美しいはずの形が崩れていく。ただ一人、盲目の息子を除いて、みな変容していった。代わりに女は美しくなる。愛らしい光をともす瞳、白い肌に輝く歯。盲目であるルガンバーダにはその変化に気づくことはなかったが、家の中に広がる異様な空気を感じていた。

 女はいつの日か彼に呪いを与えた魔女であった。冥界へと向かう旅路の中で、シトゥナの力と美しさを根こそぎ奪い戻ってきたのだ。領主がこの女を迎え入れたのは、どこかに妻の面影を感じたからであった。面影も何も、それはシトゥナのものである。こうして生前の望みを叶えた魔女であるが、邪魔になるものがあった。盲目になれば使い物にならないと踏んでいた、ルガンバーダである。

 女神ホクーシの祝福を受けたルガンバーダは、強い身体と力を持っていた。それは盲目になっても変わりはなく、むしろそれは感覚が研ぎ澄まされ、より力を得たのであった。彼が力を持っても、女には邪魔である。いつしかこの地を奪うのだと抱いていた野望は、この息子によって阻止されてしまうのだ。誰よりも家族を愛し、領民を愛するルガンバーダが次の領主であると、みな信じて疑わぬ。

 ならばと魔女が縋ったのは、女神ホクーシを誰よりも嫌う女神ギブであった。

――麗しき我が女神ギブよ、貴女のその美しさと力は何よりも誇らしく、わたくしはその恩恵に日々感謝をしております。しかし、ギブ、貴女を敬い慕うこの心を、あのルガンバーダは嗤うのです。ええ、ええ、女神と呼ぶのも烏滸がましい、あのホクーシの祝福を受けた者です。あの、光さえまともに浮かべないまなこで、嗤うのです!

 女神ギブは己を軽んじたと、ルガンバーダに罰を与えた。

――お前のその身に宿るのは、我が妹ホクーシの祝福。そしてこのギブを軽んじたお前は、我が祝福を与えるには値しない。お前は今まで生きてきた繋がりを捨ててもらおう。罪を償え。

 夢の中にてそう吐き捨てた美しい女神に、盲目のルガンバーダは時間をくれと叫んだ。美しき女神よ、貴女を軽んじるなど誰がするものか。私は常に人のためを尽くし、貴女方の祝福を感謝こそすれどいらぬと無礼な行いをしたことはない。それなのに何故、私から奪おうとするのか。

 ギブはお前の言葉なぞを聞く耳があると思うのか、と彼の夢から立ち去った。残されたのは途方に暮れる青年が一人。目覚めた彼を待っていたのは、お前は誰だという声だった。家族や親しい者たちに告げられた言葉に、ルガンバーダは身を震わせた。それを見て女は歓喜した。かわいそうなルガンバーダ。お前の居場所はどこにもない。さあ早くこの地を去るがいい!

 いつか必ず帰ると誓いを立て、ルガンバーダは逃げるように故郷を飛び出した。一九の頃であった。


 季節がいくつも巡り、ルガンバーダは二四になった。旅をしながら人を助け歩くルガンバーダは、いつしか遠い地の言葉で祝福を意味するアトゥールと呼ばれていた。女神ホクーシはアトゥールに新たな祝福を与えた。もう祝福は十分いただいた、そのご慈悲はみなに分け与えてほしいというアトゥールを無視して、祝福はその身に宿る。

――愛する家族を失った貴方には、人を愛する術を与えましょう。

 望む相手に己を愛させる力。愛を謳う女神はその名に相応しい力を、アトゥールに授けた。女神があるべきところに戻ると、アトゥールは何が祝福だと吐き捨てた。己の今の名でさえ祝福である。故郷で受けたギブのあれも、祝福なのだという。新たな旅路を迎え逞しく成長するように、などと嘯く女神め。女神ホクーシに感謝することは多かったが、もう祝福はこりごりだった。しかもこの祝福は、あのギブが再生した魔女に与えたものと同じである。忌々しい魔女と同じ力なぞ、使う気は毛頭なかった。ただ平穏に暮らすことはできぬのだろうか。アトゥールは何も見えぬ視界を、そっと右手で覆った。

 祝福はいらぬと思っていても、勝手に与えていくホクーシにアトゥールは辟易していた。何がここまでこの女神を駆り立てるのだろう、と考えることもあった。夢の中で笑う女神に問いかけると、頬を染め貴方を愛しているのだと告げられた。子を思うよう母の気持ちなのだと、ホクーシは彼の重い瞼を撫でた。それはとても喜ばしいことだとアトゥールは伝えたが、心の奥では女神たちを軽蔑するようになっていた。

――この女神は、母の気持ちだと言っておれに様々な祝福を与えている。しかし本当は、そうやって祝福を与え人間のおれを慈しむ自分自身を、心底愛しているのだ。なんと身勝手なのだろう。

 ある時、彼は盲目であるその身で、街を襲う大きな獣を倒した。街の者に感謝をされ、長に謝礼を与えたいと一番大きな建物に案内された。その建物の奥で惜しむことなく美しさをさらけだしていたのは、女神ギブであった。彼女は驚くアトゥールを見てせせら笑った。

――ようこそ、ルガンバーダ。我が街フトへ。此度はこの者たちを守ったこと、礼を言おう。

 目が見えなくとも、この女神が愉快そうにしているのがわかった。続けてギブは、いつかホクーシがしたように、瞳を覆う薄い皮膚を撫ぜた。

――礼と言うが、お前には欲しいものなどあるまい。ならばお前がもっと生きやすくなるよう、美しい光を与えよう。

 一瞬の後、ルガンバーダの瞳は再び光を取り戻した。

――何という事を。

 狼狽える彼の瞳は、ギブの輝く眼を映す。ぎらぎらと光るそれは、浴に塗れた強者のものであった。

――その祝福を、内に宿すがいい。

 何という事か! また祝福である! 怒りに震えるアトゥールを歓喜によるものだと勘違いをした街の者はさすがアトゥール(祝福)であると感心し、彼を祝った。心苦しさから、アトゥールは行かねばならぬ所があるのだ、と嘯きフトを後にした。

――おれのこの身に宿るものは何なのだろうか! 望まぬものだと何故わからぬ! 神として天に迎えられたときに、心というものまで失くしてしまったというのか!

 かつてないほどの感情の爆発が、アトゥールの中で何度も起こった。いくら爆発しようと、彼は冷静なままでいられた。これも長く生き抜くためと与えられた祝福である。疲れ切った心を持って、アトゥールは知らない場所へと向かった。遥か遠くの森の中にいたのは、それは美しい女であった。その身の潔白が滲み出ている、同じ年頃の女だった。

 女は疲れ切ったアトゥールを、自分が生活する小屋へと案内した。名をパメルという女は、平穏の女神ジートを信仰していた。日に一度、森の奥の泉でジートへの祈りを捧げているという。平穏を愛するジートは、女に細やかな祝福を与えていた。規則正しい生活が送れるようになること、森の中でも食料に困らないこと。それを聞いたアトゥールは、これこそが自分の求めるものなのではないかと考えた。しばらくここに置いてはくれまいか、と尋ねるとパメルは男手があるとありがたいと了承した。

 パメルと小さな小屋で過ごすことは、アトゥールにとってかけがえのないものになった。彼女と同じように泉へ行きジートへ挨拶と祈りを捧げると、女神は貴方に平穏が訪れますように、と言葉を与えた。それ以外は干渉することもなかった。この女神はなんと素晴らしい方なのだろうと思うようになるまで、時間はかからなかった。季節の移ろいを愛し、人を愛するが必要以上に関わろうとしない。与える祝福はほんの細やかなものであり、過ぎたものは与えない。

 いつしかアトゥールは貴女と話をしたいのだと、祈りの中に思いを込めていた。話さなければならぬ、と心の奥が訴えている。そう願うようになって半年、ようやくジートとの対面が許された。パメルが眠った後、泉に呼び出されたアトゥールが目にしたのは、線の細い盲目の女神であった。

――アトゥールよ、貴方の呼びかけに応えるのが遅くなったこと、申し訳なく思います。ですが許しなさい、本来は人と会わぬと決めている私なのですから、とても悩んでいたのです。

――いいえ、女神ジート。こうして応えていただいたこと、それだけでおれは嬉しいのです。貴女に感謝を。

 かつての盲目の己を見ているような、不思議な気分であった。

――ここの生活は、貴方が望む平穏があったでしょうか。

 微かに浮かべた笑みが、静かな月の光に照らされる。目を伏せたその横顔が一等美しいものに見えて、アトゥールはこの女神が欲しいと思った。

――ええ。おれが望んだものはここにある。今も。

 一歩ジートへと近づくと、女神は不思議そうにこちらに顔を向けた。アトゥールは手を伸ばし、彼女の肩に触れた。

――待ちなさい。貴方の望むものは私ではない。

――いいや、いいや。おれは今確かにお前を望んだのだ、ジート。

 震える手を押さえつけ、アトゥールは女神を己の物にした。

――嗚呼、何という事を。

 熱が引いた女神の頬を捕らえる。必死に身をよじり逃げようとする己の女神に、アトゥールはなぜおれを拒むと怒りを覚えた。そして衝動のままに、ホクーシの愛の祝福を行使した。途端に大人しくなったジートに、己がしたことを認識したアトゥールは、愕然とした。使うまいと決めていた忌々しい力を、おれは欲望のために使ったのだ。これまた祝福で冷静となったアトゥールが見たのは、かつて己の瞼の下にあった光なき眼であった。嫌な汗をかいたアトゥールの頬を、ジートが柔い手で優しく撫でた。

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