2巻発売御礼 書き下ろしSS

「ヴィルヘルム博士の飽くなき挑戦」



 ヒトというものは、とても不思議な生き物だ。求愛行動のパターンが多く複雑すぎて、とてもじゃないが把握しきれない。

 ヒトがヒトの求愛を受け入れるポイントは、羽の色が美しいとか、メスの争奪戦に勝ったとか、動物のように単純ではない。ヒトの美醜は個人で実にさまざまだし、暴力ひとつとってみてもそれを脅威と感じるか甲斐性と感じるかは、受け取り手により変化する。


 もっとも、私の伴侶はティナ以外にいないので、私に関係があるのはティナが何を好むかという点に限られる。彼女が私のことを受け入れてくれるのであれば、彼女が望むまま悪魔に魂を売ってもいい。そんな危ういことすら考えているところである。

 しかしながら幸いなことに、ティナは餌で釣……訂正、大好物の甘いものを目の前にチラつかせれ……いや、訂正。その……ティナは動物でいうところの「給餌行動」にグラッと来てしまう性質のようで、好物を用意しておくだけで、ティナの好感度を高めることができるのだと判明した。


 ケーキを頬張っている時の、ティナのあの幸せそうな顔。「は、ああ……」などという言葉にならない感嘆のため息をつきながら、斜め上あたりを恍惚と見つめ、味覚と嗅覚に全身全霊を集中させているさま。

 全裸のごとく無防備なので、もしかしたら唇くらいは簡単に奪えたかもしれないが、見ているこちらまで幸せにしそうな蕩ける顔が、私は好きでたまらない。


 以前にティナは「給餌行為は人間にとって求愛行動とはならない」と主張していたが、きっとあれは一種の照れ隠しだったのだろう。単なるデートの誘いは断るのに、彼女の好きな食べ物の話題を出したとたん、釣り針に喰らいついて……訂正、デートの同意が得られるあたり、もしかしたら「結婚するなら菓子をくれ」というのが彼女の求めるところなのかもしれない。すぐにその真意を読み取ることができなかったのは私の至らぬところだが、全てを把握した今の私は向かうところ敵なしである。


 さらに駄目押しとばかりに、私は菓子づくりにも挑戦してみることにした。これまではケーキやクッキーを菓子店で購入していたが、私さえ作れるようになってしまえば、おそらくティナは私から離れられなくなるだろう。

 思い立ったが吉日だ。私は小麦粉バター卵等々、菓子作りに必要な材料を実験室に持ち込んで、夜な夜なケーキを試作することにしたのだが。


「砂糖の半量を卵白に入れ、ツノが立つまで泡立てる……? ……孵化して成長するということか?」


 菓子のレシピ本を買ってきたものの、書いてある意味がわからない。何度読みこんでも同じ。本当にこれが初心者向けの内容か? と目を疑いたくなる内容だ。

 なぜ卵白にツノが生える話になるのだろうか。有精卵だったとしても、まず卵を割って卵黄と卵白に分けた時点で孵化することはなくなるはずなのに。


「そもそもウシかヤギか、偶蹄類の動物の卵を使用する必要があった? ……いや、哺乳類はほぼ全てが胎盤胎生だ。ウシが卵を産むわけがない。……はは、私は一体何を言っているんだ」


 今回私が挑戦しているのは、スポンジケーキ作りである。工程数はレシピを見るに全八工程で、私は現在二つ目で途方にくれているところだ。ちなみに、一つ目の型を用意する工程は難なくクリアできた。

 肩を落として椅子に腰掛けビーカーに入った卵白を眺めながら、私は大きなため息をつく。


 おかしい。私は不老不死の竜だ。長く生きているぶん知識も豊富で、ヒトと比べたらはるかに博識のはずなのに、ヒトの食べ物の一つすら作れずにいるなど信じられない。

 ……しかし、すべてはティナの愛を得るため。このくらいで挫けてなどいられない。


「弱気になるな、ヴィルヘルム。やるぞ、……そうだ、私なら必ずできる!」


 自分で自分を励まして、再び私は立ち上がった。気合いを入れ直し、ガラス棒で卵白をかき混ぜる。

 ビーカーにガラス棒が当たる音が響く実験室。一時間程度混ぜただろうか、砂糖は溶けて見えなくなったが、卵白からツノが生える気配はない。生物の成長過程を数時間で見ようとするなど、さすがに無理があるのかもしれない。そして菓子作りは、相当な根気が必要なのかもしれない。


 今回は試作なのだから、最初から完璧に作り上げることもないだろう。上部が少しだけ泡立ってきたから、ひとまずはこれで上出来とする。

「次は……卵黄に残りの砂糖を加え、白っぽくもったりするまで……混ぜる?」


 目の前にある卵黄は橙色で、粘性のある状態だ。すでに現状が「もったり」と言える気がするが、問題は「白っぽくなるまで」の文言である。

「なぜこの色が白くなるんだ? 何か化学反応が……? 石灰水に二酸化炭素を加えると炭酸カルシウムの沈殿が生じるが……卵だぞ?」


 もしかしたら近年発表された新たな発見なのだろうか。化学系の学会には所属していないからわからない。世のパティシエたちは、もしかしたら私が想像した以上に幅広い知識を持っているのかもしれない。

 砂糖の粒の手応えを感じなくなくまで混ぜたが、やはり色は橙色を示していた。どうしようもないので、私は次の工程へと進む。


 バターを湯煎する、混ぜる。粉を加える、バターを加える、型に流す。

 全て完璧にこなすことができたのは、やはり私の能力の高さゆえだろう。ケーキ作りなど初めてだったため最初こそ悩むこともあったが、最終的にはそれなりの形となった。


 だが、全ての材料を正確な分量で混ぜ合わせたにもかかわらず、不思議なことに型をいっぱいに満たすことはできなかった。

 菓子店で見かけたケーキと比べると生地の厚みがまるで違っていたが、熱することにより膨らむようにできているのだろう。これであとは綺麗に焼ければティナの「愛してる」も聞き放題だ。

 そして、あとは焼くだけという場面で、私はまたしても壁にぶち当たった。


「オ、オーブンが……ない……」


 レシピには、「百七十度のオーブンで三十五分焼く」と書いてあるが、そもそもここは調理室ではなく実験室のため、オーブンの設備がなかったのだ。

「とにかく、火を通せばいいはずだ」


 私はガスバーナーを用意した。三脚の上に金網を重ね、生地の入った型――正確には実験用の耐熱性の平皿――をそっと置くと、三脚の下からガスバーナーを当てた。

 実験の時よりも火力は強めに設定した。平皿が大きいから、底面全てに火があたるようにしたかったのだ。

 ただし、さすがにこの火力で三十五分も放置したらまる焦げになってしまうだろうから、ここは目視で色を確認しつつ、頃合いを見て火を止めることにする。


 だが、十分経ち二十分経ち、いくら熱しても生地には膨らむ様子がない。それど

ころか、焦げる匂いが漂ってくる始末である。

 もう限界だと私はガスバーナーを止め、型から取り出し確認する。


「く、黒い……」


 明らかに焦げている。

 真っ黒ではない箇所を、刮いで一口食べてみた。


「まずい……」


 甘いものは受け付けないが、それ以前の問題だった。

 焦げ臭さが鼻を突き抜け、不快な弾力が歯を拒絶し、私の頭が「これは食べ物ではない」と、必死に警告を発している。

 ティナはこんなにまずいものを、美味しい美味しいと食べていたのだろうか?

 ……いや、違う。断じて違うはずだ。

 そもそも店で売られていたケーキは、気泡が全体にたくさん入り、柔らかそうで色ももっと乳白色に近かった。


 ケーキ。たかがケーキ。ヒトに作れるものを、私に作れないはずがない。どこを間違えた? ツノを生やすことができなかったからか? なんなら本当にウシに卵を産ませる必要があったのか?

 窓の外には気づかぬうちに太陽が昇り、気持ちのいい朝日が降り注いでいた。


 ――そうか。


 天啓を受けたかのように、私の頭に最適の答えがひらめいた。


「やっぱりケーキは買うに限る」


 諦めが肝心なこともある、と学べたことが、今回の一番の収穫だった。

 さて、評判のケーキ店でも調べるとするか……。

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竜王サマ、この結婚はなかったことにしてください! 葛城阿高/ビーズログ文庫 @bslog

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