共犯者の微笑

フカイ

掌編(読み切り)




 ふたりがけのちいさなテーブルは、本当に小さくてちょっとびっくりしてしまう。

 テーブルの天板の下に申し訳程度の荷物置き場があるのだけれど、それだって、彼の鞄をいれたら、あたしのクラッチバッグなど、椅子のお尻に挟むほかない。


「―――大丈夫、美味いから」


 ちょっと薄汚れた怪しいのれんにあたしが微かにひるんだのを、彼は見逃さなかった。

 優しい声でそう言って、腰に手が置かれ、小さな力で押されるように、その焼き鳥屋さんの引き戸をくぐった。スカートのお尻のちょっと上の、平たくなったトコに自分の手のひらを置くのが大好きな彼。あたしがそんなささいなタッチでも、ちょびっと感じちゃうのだって知ってるくせに。馬鹿。


 騒がしい店。

 オジ様たちが真っ赤な顔で、大きな笑い声を立てながら、瓶ビールを次々空にしてる。

 焼き場の中では、威勢のいい声が聞こえ、割烹着姿の若い板前さんが、狭い店内を器用に歩いては、黒いにいれた焼き串を配ってる。

 焼き場と煙草の煙が、天井でうっすらと渦を巻くような。ちょっと女の子を作れてくるのはどうよ、って感じなんですけど…?


 最初の突き出しはとりわさ。

 ささみの切り口は、熱の通った白い表面に、レアなピンクの身。そこにグリーンの浅葱あさつきと、薫り高い海苔。そしてキリリとした摺りたてのワサビ。頬張ると、お口の中でしっとりの部分とむっちりの部分が溶け合って、とてもいい噛み応え。そして浅葱と海苔と、鼻をつくワサビのツーンが追っかけてくる。

 ムム。

 確かに、この店、美味しいかも。

 しかしお皿に盛られてる、このグレイのパテ状のものはなぁに?


「食べてみれば判るよ」


 お箸で取ったとりわさを、それにチョビットだけつけて。お口に入れてみる。深い香り。ん? なんだっけ、この味。もしかして、レバー?


「ご明察」


 といって。レバーのパテ。うわぁ、すごい。言っちゃ悪いけどこんな店で、そんな気の利いたものがでてくるなんて!

 彼はにっこり笑う。してやったり、のいつもの小憎らしい顔だ。

 参ったなぁ。美味しいなぁ。突き出しからこれでは、結構キケンだなぁ。あんまり美味しいと、品を失っちゃいそうだなぁ。


 そう思う間もなく、次のお皿。

 お皿に盛られた生のキャベツ。白い芯に近いところみたい。塩も、マヨネーズもないのね。

 あら、と思いながらビールの合間に口にすると、これが、びっくりするほどやわらかくて甘い。キャベツだから、程よい噛み応えはあるものの、とても優しい硬さ。お口の中でキャベツどおしが触れ合ってキュキュってなるのも、たまらなくいい。


 それから始まる焼き鳥のコース。

 最初は砂肝。むっちむちのグレイの表面は、まだ焼き場から上がってきたばかりで、振られた塩とにじみ出た鳥の脂がシュワシュワと泡立ってる。小さな席に、鳥の香ばしい匂いが深くだたよう。


「砂肝ってさ」割烹着のヒトがテーブルを離れてから、こちらを見ずに彼が言う。

「ちょっとオトコのアレに似てない?」


 アレ?、と顔で聞くと、彼は声を立てず、クチビルだけで答えた。


 き・と・お。


 もう。どうしようもない馬鹿だ。口惜しいからあたしだって、その答えを聞いたら、彼のこと見つめたまま、舌を伸ばして、熱い砂肝に舌先をチロチロ触れさせる。誘惑してやるんだから。馬鹿メ。

 プリッとした身の上で塩と脂がキュンキュン粒だってる。彼の目線を十分に意識したまま、あむっ。最初の“きとお”をお口に。大ぶりにカットされた身が、お口の中でムチムチと動きながら、じゃくり、じゃくりと噛み下される。見事な食感。そして鼻に抜ける豊かな香り。あぁ、なんて美味しいんだろう。


 それから、「ネギ巻きでございます」といってサーブされる串。白ネギを鳥の薄切り肉で巻いてある。何かの薄いタレがかかっているのだろうか、とてもジューシーで香ばしい。鼻をヒクヒクさせながら(いけない、そんなお下品な)、でも我慢できずにその串にしゃぶりついてしまう。分厚いネギと肉の巻物だから、おちょぼぐちでは入らない。


 ええい、ままよ。


 お口を大きく開けて、その串を味わう。香ばしく、とてもやわらかい肉ととろける甘みの白ネギのマリアージュ。塩タレが効いて、シンプルだけどすごく深い味わい。

 彼を見ると、ニコニコしながら夢中で食べてる。まるで子どもみたい。

 このオトコは、饒舌になるべきときと、寡黙になるべきときを良くわきまえている。


 ぼんじりねぎま。

 余計な脂の抜け落ちた、トロトロのぼんじりと、白ネギの交互に刺された串。

 自分で案内した店。多くの男は、アレがうまいコレがうまいなどと余計な講釈を垂れたがる。しかし彼はそういうのは全然ない。おそらく、興味がないのだと思う。あるいはあたし自身が、この店へくるための「ダシ」なのかも、って思う。


 脂っこいぼんじりを、お口の中でハフハフ言いながら、むしろダシでいい、って、あたしはそう思う。食べる時は食べることに限りなく集中し。セックスの時はセックスにどっぷりつかり。

 あたしはこの男のそういう、子どもじみた集中が大好きだ。


 もも肉。

 挟まれたしし唐の角っこだけが薄っすら焦げて、それがまた食指をさそう。


「相変わらず、すごいボリューム」


 と、まだまだ全然満足していない彼が言う。この5倍ぐらい食べられるクセに。そんな普通のヒトじみたこと言っちゃって。


「でもどれももの凄く美味しいよ」

 って言うと、彼ったら、心の底からニッコリと笑う。四十男ができる笑顔じゃない、って思う。その屈託のなさ。その邪気のなさ。まったく子どもだ。きっと一緒に暮らしてる奥様は、そこに惚れたんだろうなって思う。

 しし唐が、すっごく香りがよくって、そのことを伝えると、彼は自分の串からしし唐を外し、お箸であたしの口にそれを入れようとする。


 あなたもたべてよ。それで美味しいねって、言い合おうよ、って言うのだけど、彼はその場で割烹着のヒトにもう一本もも肉をオーダーし、


「あとで食うから、たべて、コレ」


 って、箸を勧める。

 まったく、仕方のないひと。あたしは口に、彼の箸ごとしし唐をいれる。肉汁と、青くさい香り、そしてポリポリしたしし唐独特の食感。こってりした焼き鳥の中の、貴重なオアシスみたいに思える。


 そして、つくね。

 大ぶりの団子が串に3本。「絶対美味いから」って言われて食べてみると、確かに。ミンチにした鳥と、芥子の実が混じってると、テーブルの小さなパンフレットに書かれてる。その芥子の実のポリポリの食感。口の中でホロホロくずれるジューシーな肉汁と、そのポリポリの調和がなんともいえない。塩だけの調味料がとっても見事に肉の甘みを引き出してる。なんたるつくね。店の名物なんだって。


 彼を見ると、唇をテカらせ、夢中でこの見事な肉の芸術をほおばってる。

 てことはあたしも、もう口紅も取れてすごいことになっちゃってる?

 あらいやだ。

 まわってきたビールと、たくさんの美味しいものはあたしをハイにして、羞恥心を失わせる。

 ねぇ、まるでセックスしてる時みたいだと思わない?

 おまんこがトロトロになって、身体中が火照って、腰の奥が爆発しそうになって。彼の背中にしがみついて、はしたないこと、たくさん言って。。

 あぁ。なんて素敵。


 最後の手羽。

 ふたりして、骨付き肉にしゃぶりつく。

 きっとね、焼き鳥屋さんでのマナーって、中座してお手洗いの鏡で紅を引き直さないことだと思うの。

 鳥の脂にまみれて。店中に立ち込める煙と、お酒のにおいにまみれて。そこでふたりして、素の顔をさらけ出して夢中で串にかぶりつく。


 こんな官能的な食事って、そう、ない。


 骨に歯を立てて、手羽先の微かな肉片もこそぎとる。

 彼の愛を、ひとっつもこぼさず全部吸い取っちゃうみたいに。

 同じように最後の骨に名残惜しそうにかぶりついている人を、黙って見つめる。舌先を、わずかにカーブした手羽の骨に沿わせながら。


 ほら、こうしてチロチロしてあげるね。

 あとでいっぱい、愛してあげる。


 何にも言わなくても、あの人は、それに気づき、微苦笑する。

 それからつけ合せのきゅうりのお新香を指にとり、あたしのお口の前にかざす。

 あたしは骨をお皿に戻し、彼の指ごと、きゅうりを口の中に入れる。指と、きゅうりをいっしょに、お口の中で舌でもてあそび、脂にまみれた彼の指の味と、さっぱりした冷たいきゅうりを同時に味わう。


 彼がニヤリと笑う。

 あたしも微笑を返す。


 もの凄くうるさい店の中で、あたしたちの席だけ、言葉もなく、官能の霧に包まれちゃったみたい。あたしたちは、まるで共犯者のように、イケナイ笑顔を交し合った。


 きっと今日も、素敵なセックスができるに違いない、とその時あたしは思った。

 ずっとなんていわない。いまだけでいいから。

 あたしの心からの恋人でいて。


 ダーリン。

 大好き。



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共犯者の微笑 フカイ @fukai

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