手無しと銀の腕

豚ドン

第1話

 

 これはある田舎の寒村で、ある一家の話。

 父親と母親は健在、上の兄は町へと移り住み、真ん中は家で家事手伝いをする女の子、下は双子の年端も行かぬ男の子と女の子。


 清貧をむねとし細々暮らしていた……干魃かんばつの年、あの日までは……



「クソ! 干魃かんばつで作物が全滅だ! このままだと切り詰めても冬が越せない!」


 乾ききり、ひび割れした地面へとくわを投げ捨て、頭を抱えてしゃがみ込む父親。


「あなた……いざとなれば私が町でカラダを」


「言うな! そんな事をしなくても物を売りや!」


 終わらずに続く言い合い、その最中に二人の背後から声がかけられる。


「もし、良ければアレを売ってくれませぬか?」


 二人の背後には小汚いフードを被り、杖をつき、しわがれ声の老人が立っていた。

 その老人を見て、怪訝な顔をしながらも聞き返す父親。


「ジイさんよ、アレとは一体何のことですかい?」


 老人はその言葉に対して、無言で枯れ細った小枝の様な指を家の近くに植えてある林檎りんごの木へと向ける。


……幾らだ、幾らで買おうと思っているんだ」


 老人は無言のままに懐へと手をやり、小袋を取り出し渡す。

 渡された父親はその小袋を紐解き、恐る恐る中を覗き込み、思わず息を呑む。


「こ……こんなにか?」


 小袋いっぱいに詰め込まれた金貨を手に取り本物かどうかを確認する。


「それは前金、アレを三日後に売って契約を完遂すれば金貨を幾らでもあげよう」


 二人は顔を見合わせる。


「売った!」



 その日の夕飯はいつになく豪勢で、ふかふかの白パンに具沢山なスープ。


「普段は堅いパンと豆のスープだけなのに一体どうしたの?」


  喜んで食べている双子を見ながら娘は疑問を両親へと投げかける。


「さる御方おんかたが、家の横に立っている林檎の木を売ってくれと頼んできてな、売った」


 スープをすすりながら簡潔に起こった事を娘に伝える父親。


「あの林檎の木を売ったの? 今度から弟と妹に本を読んであげる場所を変えなきゃいけないね」


 少し残念そうな顔をしながら、手でパンをちぎる。


「金は沢山貰ったから、新しい部屋を増やすのも良いかもしれないな」


 笑い声が木霊しながら夜が更け、刻一刻と時は刻まれる。

 翌日より林檎の木の周りを掘り、いつでも移植出来るように父親は準備をする。


 売られた……売られた、売られた、金貨と引き換えに。



 約束の日に老人はやって来る。

 父親と母親は老人を歓迎し、林檎の木へと向かう。


「私が欲しいのはコレではない」


 その言葉に対して、あからさまに嫌な顔をする父親。


「貴方様はあの時にこの林檎の木を指差したではありませんか……いったい何を売ってくれと」


 老人はまたもや無言で指差す、その先には――


「また三日後に来る……今度、約束を違えば……」


 老人が小汚いフードを脱ぎ払えば、あまりの恐ろしさに母親は失神し、父親は膝から崩れ震える。


 その日の夜中、子供達が寝静まってから父親と母親は頭を抱え相談する。


「いったい……どうすれば……従うしかないのか」


「下の子達はこちらに居させておいて……あの御方には納屋の方で……」


 夜が明けるまで相談は続く。

 そうこうしているうちに真ん中の娘が起きて来る。


「おはよう、お父さんにお母さん、今日はいつもより早いのね」


 目の下に隈を作る両親は顔を見合わせ、口を開きはじめる。


「実はな……娘よ、お前に縁談が来たんだ。その為にどうしようかと相談していてね、町に服も買いに行こうか」


 突然の話に唖然あぜんとする娘。話についていけない娘を置いてきぼりにしながら、両親はあれよこれよと準備を進めていく。




 約束の日。

 新しい純白の服を着せられ、頭には花飾りを添え、納屋で椅子に座り、ソワソワと縁談の相手を待つ娘。


「どんな御方なのでしょうか……顔も知らない御方、きっと優しい御方に違いないわ。私達、家族を飢えと渇きから救って下さったのだから」


 軽く飛び跳ねる様に椅子から降り、両手を組み祈りを捧げはじめる。


「主よ、我らに慈悲深き恵みを、お与えくださり感謝します……家族の危機を、お救い頂き感謝します」


 目を瞑り一心に祈りを捧げる。

 そんな折に納屋の戸が開く音がする。

 胸の高鳴りを抑えながら、ゆっくりと目を開ける娘。


「主よ……っづ!」


 眼前に広がるモノに対し、娘の体は硬直し、祈りの言葉も出てこなくなる。


「主よ、何故? 何故、なのでしょうか、敬虔けいけんに主へと一心に祈りを捧げ、誓いを破らず、よく働き、清らかに生きてきたのに……」


 やっとの思いで口から溢れる言葉。

 湿り気を帯びた鼻息が顔に吹きかかる。

 糞便や腐敗物をごた混ぜにしたかの様な臭いが鼻をつき、嗚咽感と共に喉元まで出てきた吐瀉物――口から出る、すんでのところで胃に戻す。

 胃酸により、ひりつく喉の痛みに耐え、涙目になりながらも、祈るために組んでいた手を離さまいと力が一層込められる。


「主よ、何故……私の目の前に悪魔がいるのでしょうか……黒巻き角の山羊の頭、蝙蝠こうもりの羽が生えた、けむくじゃらの悪魔が……」


 ぬうっと指が三本しかない手が娘へと伸び迫り……

 破裂音と共に三本指が弾ける。


『祈ル、テガジャマダ……キリオトセ』


 悪魔の後ろに侍っていたのか、闇の中から娘の父親と母親は青白い顔で薪割り斧と腕を縛る縄を手に持ち娘へと近寄る。


「すまない、娘よ、ジネヴラよ……私達はこの御方と契約してしまった……反故にすれば私達の魂をも喰らうと脅されて」


 この時の為に研いでいたのか、斧の刃は覗き込めば顔が映るほど磨かれている。


「赦して、ジネヴラ……売って欲しいと言われたのが貴女の事だと分かっていたら、契約などしなかったわ……赦して」


 さめざめと泣き、赦しを乞いながら母親がジネヴラの両腕を押さえ縄で一纏めにする。


「お父さん、お母さん……貴方達の事を私は赦します、その浅ましい金銭欲も、口減らしの為のいい口実という考えも全て赦します」


 怯えも恐れも震えも消え、ジネヴラの瞳は決意に満ちていた。


「さあ……腕を斬り落として、お父さん」


 そう言いながら腕を斬り落としやすいように椅子の上に乗せる。

 ジネヴラの瞳と態度に気圧されながらも、父親は斧を振り上げる。


「すまない」


 鮮血と共に肘から先の前腕が宙を飛ぶ。切り口からはワインを零したかのように血が溢れ、白い骨が覗く。

 飛んだ腕を空中で掴んだ悪魔は腕を食べはじめる。


『実ニ美味ナ腕デアル』


 納屋にジネヴラの腕を咀嚼そしゃくする音が鳴り響く。

 ジネヴラは傷の痛みに耐えながらも大粒の涙を流し、その清らかな涙に浄められたのか、徐々に腕の出血は止まり始めていた。


「グッゥ……主よ、貴方様の敵である、悪辣な悪魔を滅せよというなら何でもします! お力をお貸しください!」


 悲痛な祈り、その祈りは天へと届き、天から返事が落ちて来る。

 飛翔音と共に納屋の屋根を突き破り、地響きを立て、両親を吹き飛ばし、ジネヴラの目の前へと突き刺さる煤汚れた二本のモノ。


「ああ、主よ……私が戦うために」


 血を流しすぎて朦朧もうろうとしていたが直感的に理解した、すす汚れた二本のモノは戦う力だと――戦うための腕だと。


『拾ワセルモノカ!』


 悪魔もまた直感していた、あれが悪魔に対して災いなすモノである事を。

 三叉槍さんさそうを取り出し、ジネヴラの頭部を突き刺そうとする。


 金属がうち合わされた特有の甲高い音が響く――三叉槍の穂先はジネヴラの頭部に届かず、煤汚れたモノが止めている。


「戦いの記憶が……戦いの記録が頭に流れ込んでくる」


 ジネヴラの斬り落とされた肘から先に、それはあった。

 元から、そこにあったかのように煤汚れたモノが繋ぎ目なく、繋がっていた。


「コレは異世界・・・の神の腕……私が信仰する神とは違う――けど、それは些細なこと」


 キリキリと音を立てながら三叉槍の穂先を握る力が強くなっていく。


「神は応えてくださった……悪魔を滅する力をお貸しくださった!」


 音を立てて、三叉槍の穂先が砕ける。


『地獄ノ火デ鍛エタ槍ガ!』


 悪魔の驚きの声――すかさず、ジネヴラは砕けた三叉槍の先端を左腕で持ち、悪魔を引き寄せる。


「主よ、感謝します!」


 悪魔の顔面を目掛け、渾身の力を込めて右の拳で殴りかかる。


『コムスメノ分際デ!』


 悪魔は空いている左掌でジネヴラの攻撃を受け止めようとする。

 だが――ジネヴラの拳は止まらず、悪魔の左手を肉片へと変えながら肘辺りまで進んでいく。

 その過程でジネヴラの腕は煤がとれ、目も開けれないほどに光輝く銀の腕が露わになる。


『ゴガァッ! コレハ魔法ノ!』


 堪らず悪魔はジネヴラの拳を受け止めるのを止め、三叉槍を捨て、安全な距離まで引く。

 傷口からは青い血が滴り落ち、床に溜まっていたジネヴラの血と混ざり合い、黒となっていく。

 ジネヴラの渾身の力を込めた攻撃は悪魔を滅するに至らず、息も絶え絶えになりながら腕を構え直す。


「片腕だけですが、お揃いですね」


 ジネヴラは辛い顔を悪魔に見せまいと、とびっきりの笑顔を作ってみせる。


『コノアタリデ諦メヨウ……代ワリニ双子ヲ貰ッテユク!』


 不利を悟った悪魔は笑いながら、煙のように納屋から消えていく。


「な! 待ちなさい! ぐっ足が……」


 出血多量の影響か、思うように動かず倒れ込んでしまう。

 両腕を使い、這いずるように母屋を目指す。

 ジネヴラは玄関先で何とか掴まり立ちながら双子の部屋を目指す。


「エマ! アレッサ!」


 勢いよく双子の部屋のドアを殴り開ける、しかし、そこには双子の姿形はなく……悪魔の腐臭だけが残っていた。


「あぁ……これも私への試練なのでしょうか……エマ、アレッサ……無事で居て」


 哀しみに包まれながらも、ジネヴラの瞳には新たなる決意が込められていた。




 翌朝、打ちひしがれる両親を横目に見ながら、ジネヴラは手際よく旅の準備を整える。

 銀の腕は昨夜の悪魔との戦い時のように、目も開けれないほどには光輝いてはいないが、太陽に照らされ銀光を放っていた。


「では、お父さん、お母さん……エマとアレッサを探しに旅に出ます」


 銀の腕を隠すように長い袖の服を着用し、皮手袋をはめる。


「ジネヴラ……あなたが最後の希望なのよ、行かないでおくれ」


 母親が泣きながらにジネヴラの足に縋る。


「いいえ、お母さん。これは試練なのです、主がお与えになった試練。遍く全ての悪魔を滅して、エマとアレッサを救うという試練」


 固い決意の瞳とジネヴラの有無を言わさない雰囲気にたじろぎ、母親は手を離す。


「俺は聞いたぞ、ジネヴラ! 我らの主だけではなく、異世界の神にも祈りを捧げていただろう! その腕を授けてくれたのも異世界の神なんだろ。異端者が!」


 父親は怒りを露わにしながら罵りはじめる。


「異端? 違いますよ、異世界の神は我らが主の友人……いや、友神・・なのでしょう。そんな友神に祈りを捧げるのを主は阻むはずがありません」


 ジネヴラは屈託の無い笑顔を父親へと向ける。

 笑顔なはずなのに、ジネヴラの顔を見た瞬間に父親はガタガタと震えが止まらなくなり、口を噤む。


「では、行ってきますね」


 ジネヴラは歩きはじめる、手がかりは脳裏に焼きつく悪魔の顔と双子の顔だけ、試練の旅路を行く。






 ある酒場――

 男たちの喧騒の最中、カウンターで特大ジョッキのミルクを飲み干す赤いフードを被った身長の低い女。


「よう、レッドフードの嬢ちゃん! 狩りまくってるう?」


 軽いノリでレッドフードと呼んだ女の横に座りながら話しかける、片目が抉れた男。


「うっさいぞ、オッサン! ミルクを飲んでる時に話しかけんな!」


 レッドフードは裏拳を男の顔面に叩き込もうとする――が、軽く避けられる。


「いや〜怒るなよ、嬢ちゃん。本題だ……風の噂で聞いた、新しく生まれた称号保持者ホルダーの話なんだわ」


 緩んでいた顔を締め、神妙に話しを始める男。


「あん? ただの商売敵……て、訳じゃなさそうだな、その顔を見ると」


 男に向き直り話を聞き始めるレッドフード。


「曰く、歩く厄災。曰く、悪魔の天敵。曰く、輝く銀の腕。曰く、屠殺の聖女。曰く、奇跡の医術者。曰く、神の使徒ーーいったいどんな称号を持ってるのか……もしかしたら複合型なのかもしれんが……詳細は分からん」


 酒場のマスターに出してもらった酒を呷る男。


「相反する二つ名持ちすぎだろ? 天使と悪魔が合体したのか?」


 茶化しながら話を聞くレッドフード。


「白と黒が混ざったら黒にしかならないだろうが……で、だ……そんな物騒な二つ名が満載な称号保持者ホルダーは悪魔を追ってるらしい。嬢ちゃんの右腕……悪魔憑きと勘違いされるかもな」


 包帯を隙間無く巻いたレッドフードの右腕を指差しながら男は笑う。


「そんな称号保持者ホルダーとバッタリ道端で合わないように、クソッタレな神様にお祈りしておくよ……情報サンキューな」


 ジョッキを打ち鳴らし乾杯して酒とミルクを飲み干す。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

手無しと銀の腕 豚ドン @coolesthiro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る