死せるネコどものエレジー

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ネーコンによろしく。

航海の途中で寄港することになった極東の未開の島で、駆け出しの博物学者エル女史は意外な発見に出会った。


島の独特な生態系は彼女の知的好奇心を誘ったが、その中でもひと際興味を引いたのはネコであった。


彼らがイエネコから再び野生化したものであることがまず分かった。その一方で、彼らの習性は既知のネコのものとは大きく異なっていた。これは生物学的に極めて貴重なサンプルである。これまでに知られているネコのDNAを辿っても、DNAや遺伝子的な差異は千年以上ほぼ同質のままであることが分かっている。この島のネコとこれらを比較研究することで、ネコ科の分化プロセスについて新たな知見を得られることが期待された。


問題は、航海の日程上エル女史がこの島に滞在することはできず、個体数の極めて少ないネコたちを船に乗せて飼う設備も無いということだった。


「残念ね…。せめてこの島にもう少し交通の便があれば…」


海辺の一角にある岩の上でひなたぼっこしているネコの一匹をなでながら、彼女はそう言った。


「ダイジョウブですよ。エルさん。またワタシたちの島に来てください」


案内役の原住民の男がそう言った。素朴な手縫いの服には、独特の細密な文様が施されている。このあたりの人間は文明的ではないが、器用さには目を見張るものがある。普段は研究一筋なエル女史も、島民の市場で見つけたきらびやかな宝飾品の類はいくつか個人的に買い求めておいたほどだ。


「…そうね、ありがとう。次があるなら何年後かしら。それまでこの島がずっと今のままならいいのだけれど」


近代化の波が、この未開の海にも押し寄せていた。新たな市場(ブルーオーシャン)を求め、飢えた名だたる超国家企業の尖兵の手が、千年前から変わらぬ島民の暮らしに入り込みつつある。ある商会などは、既に島の一角を租借地として入手しようとしているらしい。プランテーションや工場でも建てようものなら、島の生態系は一変するだろう。環境保全を訴える人々の声も、この地の果てまでは届かないようだった。


「ワタシたちの暮らしは変わるかもしれませんが、守っていくべきモノはわかってますよ。みんなこの島を愛しているんですから」


「そう信じておくわ。…もう行かなきゃ。また会いましょうね、ネコちゃんたち」


エル女史は微笑みながら名残惜しげにヤマネコたちを一瞥すると、出航を控えた調査船の待つ港へと戻っていった。




**************************************




三年の月日が経った。極東の海に張り巡らされた商船のネットワークを乗り継いで、エル女史は再びあのヤマネコの島に降り立とうとしていた。


研究費や支援金は一切無かった。だが学者としてのカンが、あのヤマネコたちに二度と会えないかもしれないという悪い虫の知らせを彼女の胸中に渦巻かせていた。


海岸線の輪郭がはっきりしてくるにつれ、彼女は望みが薄いことを感じつつあった。文明から遠く隔たれ穏やかな時を経ていたあの島も、今や国際市場の一員である。整備された港には世界中から大小様々な商船が行き来している。観光客向けに整備された海外資本のホテルが立ち並び、港町は先進国の大都市にも負けないほど人込みでごった返していた。プランテーションや工場は言うまでもない。


島へ着いたエル女史は真っ先にあの海岸へ向かった。以前よりひどく歩きやすく整備された道の先に待っていたのは、造成され岩一つ無くなった人気の海水浴場であった。ヤマネコは影も形もなかった。




「エルさんじゃないですか!連絡して頂いたらいくらでも迎えを寄こしましたのに!」


かつての海岸からの帰り道、通りがかったリムジンから顔を出したのは、かつてのあの案内役の男だった。思いがけない再会に互いの健勝を喜びながら、彼女は男の身なりがずいぶん景気のよさそうなものに変わっていることに驚いていた。


「大切なのは、どれだけチャンスに素早く飛び乗れるかです。三年間、この島の誰よりもたくさんの新しいビジネスをスタートさせていきました。街の一番大きなホテルも、ワタシが仲介したおかげで建てられたんですよ」


誇らしげな男の話に相槌を打ちつつ、エル女史はヤマネコたちの行方を恐る恐る尋ねてみた。


「ヤマネコ、ですか…ああ!思い出しました。心配には及びません。今から向かいましょうか?」

「まだいるんですね!?」


男が運転手に何やら指示を飛ばすと、真面目な顔で彼女の方に向き直った。


「エルさん、ワタシはただ成功するだけで満足していたワケじゃありません。文化事業ですよ。あの海水浴場を作るときも、ちゃんと考えておいたんです。彼らを一匹残らずそのままの姿で残そうと」


島の官庁街の一角で、リムジンが停まった。文化資料館と名付けられたその建物の中には、三年前はありふれていた島民の暮らしが、写真やガラス張りの展示物によって「保存」されていた。


「こちらです」


従業員向けの通路を通り抜け、保管庫の中へ入ると、ヤマネコたちの姿がそこにあった。


「壮観でしょう。全頭集めるのは大変でしたよ。加工するのにも同じくらい手間はかかりましたが、ね」


数百匹のヤマネコが、それぞれ生き生きとした躍動感あるポーズのまま固定され、在りし日の姿そのままの剥製となって、ずらりと陳列されていた。


「お好きなものをいくつでも持って帰ってください。文明人の一人として科学の発展の役に立てるのは、ワタシ達にとっても名誉でしょうから」




男の勧めで泊めてもらったホテルの最上階の客室で、エルは複雑な思いで天井を眺めていた。


(せめて一匹でも生きていたら)


無理な相談だった。剥製でもDNAくらいは解析できるかもしれない。だが彼らの生態や行動様式を知るすべは永遠に失われた。


いつの間にか、彼女は夢を見ていた。


無限の暗黒で覆われた空間。ヤマネコたちの目だけが無数に光っている。彼女をじっと見ている。


(ああ、復讐に来たんだね)


異様ではあったが、恐怖は感じなかった。彼女だけが原因ではないにせよ、ネコたちの憎しみを受けて当然だという気持ちが、彼女の中にもあった。呪い殺される運命を彼女はごく自然に受け止めた。


予想に反して、ネコたちが襲いかかってくることはなかった。エルが最後に撫でたヤマネコの一匹が、彼女のひざ元にすり寄っていた。


(ごめんね)


ヤマネコは一度だけ小さく鳴くと、名残惜しげに彼女から去っていった。遠くで虹の橋が待っている。ゆっくりと最後のヤマネコが渡っていく。


(わたしなんかに何ができるかなあ)


夢の終わりを感じながら、彼女はつぶやく。


(がんばりたいなあ)




**************************************




語るべきことは多くは無い。


その後、ある若き博物学者が歴史的な業績を上げたことと、彼女が無類のネコ好きで、ネコに好かれる性質(たち)であったことを記して、この物語はここに終わる。




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