その2
あれ以上、何も話すことなく、新田百恵は検察さんがドナドナと引き取っていった。
その後、俺たちは別の事件の捜査に当たる事となり、別の所轄署から、一日中車を走らせては関係者に話を聞いて、証拠を集める日々を送っていた。
新田百恵は父、佐倉誠二と母、佳恵との間に生まれた。この時の彼女の名は佐倉百恵であった。
両親とも初めて生まれた自分の分身だった。父の誠二も、この時は新田百恵のことを我が子として可愛がり、ピアノ指導にも熱心で、周りにも百恵のことを嬉しそうに話していたという。
だが、百恵が6歳の頃に転機が訪れた。
佐倉誠二がトランス手術を受け、性を女にする決意をした。
トランス手術で性を変えることが簡単になったことで、芸術家などの間では、今までと違った視点で引き出しを広げる意味でトランス手術を受ける人が増え始めた。
それからの佐倉誠二の音は聞く人が聞くとはっきりと変化が起きたという。俺たち世間の有象無象が彼を知った時にはすでに女になっていた彼だった。
そして6歳の新田百恵の家の中にも変化が生まれた。
法律上、トランス手術で夫婦のどちらかが性別を変えた場合、もう一方も性を変えることが義務付けられていた。
妻、佳恵は男性になる手術を受けた。が、家の中の家事など分担は今までと変わらない。
だが、それまで活発で明る子だった百恵はこの頃から、自分の殻に閉じこもるようになったという。
そして、誠二は「子供を産みたい」と周囲に漏らすようになったという。子供を産むということは、男には一生経験することができない事であった。
昔気質には「自分で子供を産んでみたかった」と漏らす野郎も少なくない。
そして、佐倉誠二は新田百恵が八歳の時に、佐倉千里を産んだ。
新田百恵にとっては、同じ両親の遺伝子を持っているが産まれてきた腹が違う妹だ。世間で『血の繋がった他人』と呼ばれている家族関係の妹になる。
それからだったという。新田百恵が一人でピアノの練習する姿をよく見るようになり、送り迎えは佳恵がするようになったそうだ。
そして、その練習量は日に日に増えていき、大人ですら近寄れない鬼気迫るものがあったという。
誰が褒めても笑わず、トロフィーを掲げても、拍手を浴びても彼女はいつも俯いて、指は絶えずどこかを弾いていた。
誠二は産休で一年間、演奏活動を休止していた。佐倉千里の身の回りの世話はほぼ誠二一人でこなし、佳恵には指一本触れさせなかったという。
新田百恵はショックだったはずだ。愛が絶対でなくなる瞬間を目の当たりにしたのだから。
そして、佐倉家の家庭内は二つに隔てられ、その溝は日に日に深まっていった。
「子供を産んだことで、今まで知らなかった自分の感情に気付いた」
佐倉誠二は復帰後に弾いた曲を専門家は『暖かな愛に満ちている』とコメントしていたが……。
移動中の車内でその曲を聞くと、確かに穏やかで暖かい雰囲気がするのは俺でもなんとなく理解できた。
その後、取調室での新田百恵の姿を、足元で止まっていた木漏れ日、それを思い出した後に耳から入ってくると、なんとも寂しい曲だ。
そして、新田百恵が17のとき、佐倉誠二と佳恵は離婚する。
その原因は、千里がコンクールに落ちたことだった。それは、新田百恵が千里と同じ年の頃に優勝したものであったそうだ。
生物学的には同じ遺伝子を持つはずの姉妹の間にあった溝は、この時決定的な亀裂になり、地割れとなった。
佳恵に引き取られた新田百恵、男性に転換しているが、今まで社会に出ていなかった佳恵には、新田百恵を音大に入れてやる金を工面することどころか、まともな生活を送れる仕事を見つけることすら難しかった。
そして、新田百恵は佐倉千里の姿を遠くから眺めていることしか出来なかった。
取調室のボサボサの髪をしていた新田百恵を見れば、その後の人生の不幸は想像がつく。
「そういえばニュートンって生涯童貞だったらしいですよ」
相澤もすでにアインシュタインへの愛は冷め、また別のドキュメンタリーを見たことを話し始めた。今度はニュートンかよ。
「なぁ、相澤」
「なんすか?」
ニュートンうんちくを止められて少しムッとした声で返事してきた。
「お前、自分のガキを愛してるか?」
相澤は「んー」と考え始め、
「てか、愛ってなんなんですかね?」
と、だけ返してきた。一週間前のあの講釈はなんだったんだ? 聞いてた俺だけが損をした気分だ。
「着きましたよ」
相澤が車を停止させ、俺たちは被害者が働いていたという弁当工場に向かった。
殺されたのは新田佳恵。新田百恵の父親である。そして、殺したのは、新田百恵の母親、佐倉誠二。
佐倉誠二は犯行をすぐに認めた。そして、動機について
「アイツが産んだガキが、私の産んだ子供を殺したのが許せなかった」
と、濁りのない目で答えたそうだ。
血の繋がった他人 ポテろんぐ @gahatan
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