第14話 王面の腕と四刀

ディールは只々眺めていた。


不安定なランタンの光が隠しては暴く化け物のその顔を信じられなかったからだ。


気まぐれに影を落とし、また照らされるそれは、もしかすれば自分の見間違えで、次に照らされた時にはそうじゃ無くなっている筈だと。


いつか来るはずのその時を待っていたのだ。




カミナの問いかけに答えずに硬直しているその間にも頬張られるアッシュは段々と短くなっている。


枯葉を踏んだ時の様な乾いた音や、濡れた布を握った時の様な湿った音だけが洞窟に響かせながらだ。


王の顔をしたその猿は、何故かディールの方をじぃと見たまま手元のアッシュを齧っては咀嚼し、齧っては咀嚼しを続けていた。




哀れそうな、どこか申し訳ないと言った顔でカミナは話し始める。


「…彼は、いえコレは貴方の思うその人。国王よ。とは言っても人で無い何かになったコレを誰も王とは認めないでしょうけど。あの夜、死すべき王子が生まれたあの日。彼はその代償を一手に引き受けた。本当であれば民に向かうはずだったそれを。流石と言うべきね。一向に自分の目を信じようとしない貴方を見ても彼がどれ程の器だったのか推し量れるわ。そして文字通り、彼はその王としての器を以って民を守った。その結果がこれよ」




アッシュはもう、半分を残す程に短くなっている。




「…死すべき王子?」




どんどん短くなるそれを眺めながら独り言の様にディールが呟く。


呆然と、まるでそれが無くなるのをどこか待っているかの様に。


そうでもしないと何かが保てない気がしたのだ。


何もかもが信じられないその場で、確かに段々と短くなっていくそれは皮肉にもディールの心をどこか落ち着かせてくれた。




「…分かる筈もないわね。でも聞いて。理解する必要はないわ、知るだけで良い。まず、王子は死産の筈だったの。それなのに幸か不幸か、その日偶然にも城に居合わせた私にはそれを救う術があった。しかしそれは痛みを伴う方法。もしかすれば王子一人と引き換えに多くの民を失うかもしれない様な、そんな悍ましいもの。…こんな風に」




そう言うと、カミナは洞窟の中にぶら下がっているコウモリを指差した。




「照らせ、ヌースの侍女。影を刈り、影を恐れる臆病者よ。白きその手は地平へ、白きその手は公平に。例え『獣』が爆ぜようとも。『漂白ウェアネス』」




カミナがそう唱えると、コウモリは光り始めた。


まるで星の様に白く瞬き、薄暗いその場所を照らした。でこぼことしていたその岩肌は邪魔だと言わんばかりに真っ直ぐに伸びる光によって削られる。


歪だったその空間は真白で真四角な、どこまでも続く広大な部屋へと瞬く間にその姿を変えたのだ。そして、爆ぜた。




その光はディールの心にさえ影を認めなかった。


さっきまで彼の心に影を落としていた疑問や落胆さえもが除かれる。例えるならば寝ぼけ眼に差し込む朝日の様に、ディールの朦朧とした意識をはっきりと気つけたのだ。


そして、やはりその化け物の顔をも鮮明に照らした。




その醜い体と貴い顔を今度こそしっかりと確認すると、唇を噛み締めてディールが呟いた。




「…妖術か」




平静を取り戻したディールのその言葉にカミナは驚くと同時に安心した。


この国の王を以ってしても驚嘆した彼女の魔術に全く動揺しない。


知っている。呼称こそ違うが、この男は『魔術』を知っている。その本質を。


これは彼女にとって嬉しい誤算であった。この男になら全てを話し、託せるとそう確信した。




「今、あなたの素性を聞く気はないわ。でも知っているなら話が早い。王はこの力によって王子を救う事を望んだ」




「…外で豚の妖を切った。まさかとは思ったがな…。この様な外道、王が歩む筈がないと」




「いいえ。貴方の君主は確かにそれを選んだわ。民をも犠牲にした王子の誕生。でも、その選択は親としてのものではなかった。本人さえ気づいていたかどうか…。それはどこまでも王としてのものだったの。民が迷わない様にという純粋な王としての願いは私にとっても意外な代償を求めた。『民を導く王子の誕生』は民にその代償を求めなかったのよ。その代償は『王本人』と王が民として意識していなかった『獣』そして…」




そこまで言うと、カミナはその黒いローブを脱ぎ捨てた。




「術の執行者である私」




カミナの白く滑らかな腹は大きく膨らんでいる。彼女の細く青い血管が浮き出てしまう程に、まるで妊婦の様に。




「『国を導く王子の誕生』の代償は『国を滅ぼす者の誕生』だった。王も私も獣も、そしてこの子も。この国を滅ぼす為の存在となった」




カミナは優しく、それでいて悲しそうに腹を撫でながら涙をこぼした。


その大粒の雫は彼女の大きく膨らんだ腹を無神経に這い回った。




「もしそれに背こうなら、王子が…『ジン』が私たちの代わりにそうなってしまう、術者の私には分かるわ…。お願い!止めて!これから私たちがする事全てを止めて!『ジン』を救って!」




カミナがそう叫んだ瞬間、王の顔をした化け物が奇声をあげる。


そして、カミナの腹が内側で何かが暴れているとはっきりと分かる程に凹凸を作った。




「いけない…!これでさえ…!」




カミナが必死に腹を抑えるのを見て、ディールが咄嗟に腰の刀に手を添えた。




「御免!」




ディールが、咄嗟にカミナの腹に向かって刀を抜く。


豚の化け物を切り捨てた時よりもより速く、より力強く。




「また腕を上げたな。ディール」




カミナの腹にめがけた筈のそれは、そこに辿り着くことは無かった。


王が、化け物がその獣の様な毛深い左腕で受け止めたのだ。


刀はその腕に少し減り込んではいるものの、どう力を入れてもそれ以上動かない。


何度か試したのちにディールが諦め、手放された刀は化け物の腕に刺さったままとなった。




「…自我がお有りなのですか」




「半々…と言ったところか。この顔には頭には、未だ誇りはあるのだよ。しかしな?問題はこの醜き体よ。余


の頭とは裏腹に滾り、騒ぎよるのよ…我が民を、我が国を壊せと!」




暴れまわる腹の中の子を左手で押さえ込みながらカミナはすがる様に右手を前に出す。




「ダメ…」




カミナが消え入りそうな声でそう呻いた時には、王は既にディールに向かって飛びかかっていた。




「すまんなあ!ディール!すまああああああん!」




謝りながら飛びかかる王のその顔をディールは見逃さなかった。


笑顔と呼ぶにはあまりに悍ましい下卑たその笑み。


いくら王の顔で、声で、口調で話そうと。自分に飛びかかるそれはディールにとってもう只の狒々だった。




「『沙追無さおいな』」




ディールが右の腰に差した『無な』に左手を添えた。




「それは余には通らん!」




「承知!」




次の瞬間、王の左腕が飛ぶ。


大きく体勢を崩した王は飛びかかった勢いのままに顔から地面に落ち、顔をごしごしと拭いながら立ち上がった。




「…何故だ?先ほどの一刀は手を抜いたとでも?」




無くなった自分の左腕を不思議そうに眺める王に、ディールは何かを拾いながら飄々と応えた。




「斬ったのは、いえ正確には叩いたんですがね。これです」




そう言って拾い上げたのはさっきまで王の腕に減り込んでいた刀だった。ディールが『沙さ』と呼ぶ刀。




「王国騎士団としての私は剣で戦い、刀を振るいませんからなぁ。王がご存じないのも無理はない。あの時、あの扉を微塵に斬ったのも部屋の内に居た王には見えていなかっでしょうし。いや…もう王と呼ぶのも辞めにしましょうか。王の面…そう、貴様は『王面オウメン』」




ディールは拾い上げた刀をまた腰に差し直す。




「左の腰に二振り、右の腰に二振り。世にも珍しき四刀流。王面よ、冥土の土産に篤とご覧あれ」




ディールは両腕をクロスさせ両腰の刀に両手を添えた。




「『飛沙無とびさな』」




左右の腰から一本ずつ、二本の刀が王面に向けて発射される。


ディールの高速の抜刀術を以ってして投げられた内の一本『無』を王面は容易く残る右手で掴む。


そして遅れて飛んでくるもう一本『沙』を自身に届く一歩手前で踏みつけ、いなして見せた。




「不届き」




ため息交じりに、退屈そうに王面が刀の飛んできた方向を見るも、そこにディールはいない。




「『咫追無たおいな』」


突然、右側面から聞こえたディールのその声に王面が反応しようとすると、右掌が熱くなる。


掴んでいた刀の背がディールの腰から抜刀された別の刀に打ち付けられ、王面の指と供に宙に舞ったのだ。




「刀身を、そう強く握っては危ないですぞ。おや?その踏んづけている刀も随分危なそうですな」




ひび割れ、アッシュの血に濡れた王面の醜い指と供に弧を描き宙を舞う無を眺めながら、ディールが王面の足元にある沙を指差した。


ついさっき無を打ち付ける為に抜かれた咫はいつの間にか、また腰の鞘に戻っている。




「…ッ!」




王面が咄嗟に沙から足を退けると、それを今度はディールが蹴り上げた。




「『咫打沙無たうちさな』」




蹴り上げられた沙と宙を舞う無が空中で交差するその瞬間にディールはまた腰の咫を抜き、その二本の背を打ちつける。


空中で強く打ち付けられた二振りは、振り下ろされた爪の様に王面の両肩に食い込んだ。




「『華追沙無かおいさな』」




二本を打ち付けた咫をすぐさま納刀すると、他の刀より一回り程大きい刀を王面の両肩にめり込む沙と無に打ち付ける。


すると、食い込んでいた二本は易々と王面の両肩から先を切り離したのだ。




「…嘘」




暴れる腹を抑えるカミナは、目に映る王面の劣勢が信じられなかった。




「…私にとっては余程の方が余程嘘の様だがな」




ディールは両腕が削がれ、悲鳴もなく震える王面を見下しながら呟く。




「王よ、王面の者よ。貴様にどれ程のものが未だ残っている。突然に流れ着いた私を迎えてくれたあの暖かさは未だその身に流れるのか。ここ一番の戦には自ら戦場へと赴いたあの激しさは、不義理とあらば同盟国の将であろうと斬って捨てたその冷たさは」




ブルブルと震えながら必死に切り離された腕を咥えようとする王面の口からは、もはや人のそれではなく獣の怯えた声がかすかに漏れていた。




「割って、確かめようか」




ディールのその一刀が振り下ろされ様と言うその瞬間。


カミナが小さく呻くと、膝から崩れ落ちた。


その足元には黒く赤い血があの時の様に、王子の生まれたあの夜の様にカミナの股から流れ出ていた。


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終転 画穴 @simsim

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