第13話 絵の具を辿る事の恐ろしさ

歩きながら『華』の刀身をまじまじと見ているガランが苦い顔をする。






「三回斬っただけで、ここまで刃こぼれするなんて。打ち直さないとだなぁ…」






不満そうにちらちらと目配せするガランにディールは立ち止まった。






「仕方ないだろ、とんでもなく硬かったんだあの豚。…それに三回じゃない…四回だ。最初、横に両断しようとした時は力加減分からなくてな。左からの初太刀が骨かなんかで止められて、もう一度右側から斬ってる…」






ディールは恥ずかしそうに無精髭を何度かさすってみせる。




「へえ、珍しい。ディールさんが斬り直すなんて、それも一番重く太い『華』で」






打って変わってなんだか嬉しそうなガランがその手に持つ刀をわざとらしく掲げて見せた。




「まあ、その文切れ味はそれ程じゃあ無いからな。案外『沙さ』と『無な』の二刀の方がすんなりイったかもしれん」




ディールはきまりが悪そうにそうぼやいてまた歩き始める。




アッシュが何かに連れ去られた道筋を辿るのはそう難しくなかった。アッシュがいつも大事に持ち歩いている様々な色の絵の具が、虹の様に森の奥に向かって伸びていたからだ。




元宮廷芸術家だったアッシュは誰が疑うでもなく剣術や武術から遠いものだと思われていた。アッシュ自身を以ってしてもだ。




ある日、武勲を挙げたディールの肖像画を描いてくれと王に頼まれたアッシュはそこで初めてディールと出会う。




広く冷たいアトリエでディールは、刀を構えるポーズをとる様に頼まれるがこれが思っているよりも辛い。




一連の動作の起点であるその構えをとり続けると言うのは修練の基本でもあり、言い換えればそのポージングは修練と同じ程には疲れると言う事である。




「あ、一回休憩しますか」




ディールの全身が限界を迎えようと言う少し前にアッシュが筆を置き、休憩を提案した。




「あ、あぁ。そうだな!」




助かったと思う反面、ディールは少し不審に思ったのだ。丁度、限界を迎えようと言うその瞬間に休憩を切り出したアッシュを。




そして少しの休憩を挟み、また同じポーズをとる。




当たり前といえば当たり前だが、次の限界は前回よりも早く訪れた。そろそろかと言うその時。まただった。






「ディールさん、休憩しましょ」




またしてもディールからではなく、アッシュから休憩の提案が行われたのだ。ここでディールの疑念は確信に変わる。




「アッシュ殿、なぜ分かるのだ?」




筆を置き、描きかけのそれを眺めるアッシュにディールは尋ねた。






「分かる、と申しますと?」






「俺の限界をだ。正直、先ほども。そして今回も限界一歩手前でアッシュ殿が止めてくださって大変助かったのだ、危うく恥をかくところだった!」




手にした刀を壁に立て掛け、ディールはアッシュに近づこうとしたがアッシュが慌ててそれを止める。




「待って!待ってください!描き終わるまで見ないでください!ダメになる!ディールさんのその疑問もこの肖像画が完成すれば分かると思います!」








両手を前にだし、左右に振るその仕草はディールの目にはまるで子供の様に映ったが、アッシュのその言葉の真意を楽しみにそれ以降ディールは口を紡いだ。




そして、完成したその絵を見て愕然としたのだ。








「…アッシュ殿、何故これを知っている」








そこには刀を振り抜き、右上方を斬り上げるディールの抜刀が描かれていた。




その言葉を聞いたアッッシュは胸をなで下ろし安心した様子で答える。








「良かったー…合ってましたか?親衛隊長の時の何倍も難しかった…。僕、兵士の方々の肖像画描く時には武器を振るうその瞬間を描く様にしてるんですよ!だってそうでしょう?波を描きたいのに凪いだ海を描く人がいます?やはり兵士たるもの、武器を振るうその姿こそが肖像!きっと最高に美しいのです!でも波がそうである様に、美しい動きのピークと言うものは刹那。いや、刹那だからこそ美しい。だから、想像するんです」




余程の腕がない限り、経験と目がない限りその目にする事すら叶わないディールの一閃。




それをアッシュは想像で見出した。あの起点だけで読んで見せたのである。








「…剣を握った事は?」








ディールはさっき立て掛けた刀をとりながらアッシュに聞く。








「滅相もない!彫刻を掘る際にノミを持つくらいで!」








さっき絵を見られることを嫌がった時の様な身振りで否定するアッシュ。




その横でディールは自身の肖像画に向かって構え始めた。








「それならば、明日からは筆の代わりに剣を握ると良い」








そう言い終わった瞬間、肖像画は真っ二つに斬られていた。






「この冷たい部屋の中で焦がれるその刹那。俺のもので良ければ幾度となく魅せようぞ!熱風吹き荒ぶ戦場でな!」




それから、アッシュが宮廷芸術家を辞退すると言うまでそうかからなかった。




その発端がディールにあると知った王は、戦さの度に城下まで聞こえるのではないかと言う程大声を荒げてディールを叱り続けたが戦場に出る度に手柄を増やし、傷を減らして帰ってくるアッシュを見るに連れその声も次第と小さくなり、アッシュが五人組に入る頃には完全に黙認していた。




とにかく、目と想像力が常軌を逸していたアッシュの戦い方はディールや五人組の者達でさえ一目を置くものがあった。




経験不足ゆえ、身のこなしや武器の扱いには不慣れなものの対峙した相手の次の動作が想像出来ると言う事はあらゆる場面で彼を優位に立たせるに十分なものだったからだ。




斬りかかる者は勿論、仲間を呼ぼうとする者。逃走を図る者。延いては寝返ろうとするものまでを見抜き、対決と言う狭い視野でなく戦さそのものさえも動かす事があったのだ。




そんなアッシュが只悲鳴をあげ連れ去られた。




これをディールは只事ではないと考えていたのだ。




もしかすればその一方的な拉致はアッシュ本人が望んだものなのではないかと。




そんな事を考えながらアッシュの残した絵の具の道を辿っていると、そこでその道は途切れていた。




いや、正確には待ち構えていた様にその大きな口を開けている洞窟の中へと続いており、これ以上の追跡を続けるのであればその洞窟に入る必要があるのだ。






「組長、どうしますか。一度引き返して…」






ガランが心配そうにディールを見る。






「『華か』『沙さ』『咫た』『無な』よこせ」






ディールのその命令をガランは沈黙で返した。




「どうした、早くしないか」




少し語気を強めるも、ガランは俯いたままだ。






「組長、ダメだ。デパもアラスも死んじまった。アッシュだってきっと無事じゃない。組長までいなくなったら俺は…」






ディールは鼻で笑ってみせるとガランの背中をバシッと叩いた。






「デパもアラスも戦って死んだんだ。いっつもやってる事が今日はたまたまやられる側だったって事さ。殺す日もあれば殺される日もあるわな。それだけさ。『亞あ』はお前が使え。死ぬ、その瞬間まで戦え。お前も五人組なんだからな」






そう言ってガランの背負っている三振りとさっきまで見ていた『沙』をディールは取り上げると左右の腰に二本ずつ差した。






「…ならば、せめて少しお時間を。五人組、ガランとしての仕事。果たさせてください」






ガランはさっきまで手に持っていた『華』をディールから奪い返すと腰に携えていた皮の 袋から鍛治道具を引っ張り出す。






「…火も起こせないし、炉も無いですからね。正直、応急処置です。それでも刃こぼれしている部分を整えたりはしておきまから突然折れるという様な事は無いです。斬れるはずだったのに斬れないなんて事も」






鮮やかな手つきで刀に処置を施すガランを誇らしそうにディールは見つめる。






「ガラン、お前は五人組の中でも一番若い。それに本当は鍛治見習いだったお前を戦場に連れて行ったのは俺のワガママだ。なにせ俺の刀を手入れ出来るのはお前しかいなかったからな。この国の鍛治は少しガサツなのか、俺の刀を折りそうな勢いで打ちやがる。それに比べ、お前のその手つきのなんと繊細で、美しい事よ」






「やめてください。気持ち悪い…それよりほら、出来ましたよ」






ガランは気恥ずかしい面持ちでその刀を鞘にしまうと、ぶっきらぼうに投げつけた。






「いつも済まんな」






受け取った『華』を差し直し、ディールは洞窟へと消えていった。






「御武運を」






暗闇に消えゆくディールの背中にそう声をかけたガランは何か嫌な予感がし、足元に延びている色とりどりな絵の具をその指ですくってみた。




「…なんだ、これ」




ガランが指についた何かにそう呟いた頃、ディールもまた洞窟の奥で戦慄していた。








「……王?」




ランタンの暖光の中、アッシュを貪るその化け物。




先ほどの豚の化け物よりも一回り小さく、体はまるで猿の様に見窄らしい。




長い腕に短い足、体中を覆う黒い毛は横に座る女の長い髪によく似ていた。しかし、その顔はディールのよく知るあの顔だったのだ。




そう、王のその顔。




「あら、初めまして。私はカミナ。こちらは元国王。貴方は?」

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