第12話 アメ横で
おかしい。絶対におかしい。ここは石畳なんかじゃなかったし、こんな所に英字看板の店は無い。
曲がりなりにもこのアメ横に店を出しているのだ、あれこれがそんな訳無いことは良く分かっていた。
「なんなんだよ…誰なんだよ…なんなんだよ誰なんだよどこなんだよ」
うわ言の様に息も切れ切れにそう呟きながら桐崎は走った。
さっきまでは見えていなかった筈なのに、いつの間にか自分の少し後に着けている真黒な追っ手からだ。
本来なら、いつものアメ横なら逃げるも追うも桐崎に叶う者はそうはいないなのだが今夜は違った。
あの女を持ち帰ってからだ。あの女を持ち帰って、あの男が出てきてからどうもおかしい。
今考えれば人魚だからなんだって言うんだ。俺は元々女の綺麗な髪が好きで、好きで好きでたまらない。
それだけだった筈じゃ無いか。
でもそれじゃあ、なんと言うか格好がつかないから。
俺みたいなのに無償で髪の毛触らせてくれる女なんていないから。くれないなら奪うしか無いから。
魚屋だし、それらしいコンプレックスを抱えている感じで、それらしい殺し方すれば俺の自尊心みたいなものが守られるから。
只の自分への言い訳だったのに、なんで。
ぐるぐると頭の中を思惑とも戸惑いとも反省とも呼べない紫色の何かが渦を巻く。
「ねえ、ここはどこ?あなたがやったの?」
走ると言うよりは早歩きで、ツカツカとワザとらしい靴音を響かせる星谷にマキナが後ろから呼びかけた。
「なんだ、マキナも来たの。ダメだよ、マキナが許しても俺はあいつを許さない。嘘のために死んで良い人なんかいない」
星谷は息を荒げることもなく、マキナの方を振り返ることもなく一定のリズムで靴音を鳴らす。
「そう、聞いている事と答えている事がすれ違っているけど。まあ良いわ、ちょっと素敵だから三歩後ろを付いて行ってあげる」
マキナは後ろ手を組み、星谷に合わせて少し小走りでトコトコとしている。
(気づいてないのかしら?星谷くんがあの人を追いかければ追いかける程。あの人に追いつけば追いつく程に街が様変わりしていく)
「どこなんだよここはあああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
桐崎はついに悲鳴の様な叫び声を上げる。
その道を入れば一つ隣の通りに出る筈だったのだ。しかし、もうここまで来れば案の定ではあるものの、そこは桐崎の知らない路地裏だった。見たこともないゴミ箱に見たこともない食べ物や雑誌が捨てられている。
「なんだよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!」
桐崎は突然そのゴミ箱を蹴り倒し、そこから溢れたゴミを震える足ですりつぶし始めた。
まるで、そんな物があるから悪いのだと言う様に、何度も執拗にぐりぐりと踏みつける。
「物に当るなよ」
肩で息をしながら桐崎が足元のそれを踏んでいると、いつのまにか路地の入口に星谷は立っていた。その少し後ろからマキナがひらひらと手を振っている。
「なあ!どこなんだここは!なんなんだこれは!」
脅す様にその手に持つ柳刃包丁を星谷に突きつけながらそう叫ぶが、誰がどう見てもそれは脅しなんかではなく、むしろ嘆願。
お願いだから教えて欲しいとそう願う男の精一杯の強がりだった。
「路地裏だよ。俺が人を殺す時はそこに決まってるんだ」
「俺は!俺はこの街で、アメ横でそれなりに仕事も悪事もして来た!それなりに走り回ったしそれなりに追いかけ回した!こんな場所はない筈なんだ!絶対に無い!」
そう言い切ると桐崎は手に持っている柳刃包丁を降りかかり、星谷目掛けて走り出す。
特別に長いその包丁はガリガリと、見知らぬ細い路地裏の壁をこすりながら星谷に迫る。
刃先から飛び散る火花は暗く黒い路地裏を頼りなく照らし、淡く星谷の瞳の中で踊る。
勢いそのままに振り下ろされた柳刃包丁は、その火花で一筋の赤い線を描き星谷の目と鼻の先でピタリと止まった。
「あぁ!?」
急に止まった自分の包丁が信じられずに、桐崎はその刃先を凝視する。
暗いせいで気づかなかったと言うのは言い訳になるだろう。多分自分が散らかしたあのゴミを一生懸命踏みつけている間に、その時に仕込まれていたのだ。
星谷に向けて振り下ろした包丁は、何本かの黒いナイフの柄に阻まれていた。
狭い路地の両側に突き刺された何本かの黒いナイフはまるでそこに振り下ろされると知っていたかの様に、その柄で星谷の顔のあたりを守っている。
「勘違いするなよ、お前は俺の被害者じゃない。お前はそこに散らばるソレ。お前が踏みつけていたソレ。道端のソレ」
星谷が、いつものあの古ぼけたナイフで桐崎の腹を射す。
「ゔんっ」
とっさに出たその声は痛みと言うよりも悲しみを表した様に諦めた響きがした。
その声を出す事20数回、倒れようとしても壁から突き出たいくつものナイフの柄が彼の体を支えてしまい、そうはさせてくれない。
「本当はな、友達になれるかなって思ってた。もしも俺と一緒でどうしてもな奴なら、これから一緒に頑張ろうって。拘りを言い訳にする嘘つきを懲らしめようって。でもお前がそっち側じゃダメだ」
星谷は突き刺しながら、聞こえやすい様に間をしっかり持って桐崎に話しかける。
「なんで嘘つくんだよ!誰かにどうなってもらいたいとか、誰かがそう言ってたからとか。そういう事じゃないだろう!お前はそれが好きで、そうしないと自分じゃ居られなくて。でもそれは運悪く、他の人からしたら悪い事だから。いっぱい、いっぱい我慢する。その末の後悔と背徳の中で人は殺される。そうじゃないと浮かばれないだろ!誰のせいでもなく、何かのせいでもなく!お前のせいでお前の被害者は死ぬんだよ!」
何度も同じ部分を刺していたせいで、段々と星谷のナイフを持つ手は桐崎のふくよかな腹の中へと沈んでいき、ついには背中から飛び出す。
暖かいお腹を背中から吹く風が通り抜けるのを感じながら、桐崎はぼうっと思い出していた。
小学校の頃、前に座っている女子の髪が本当に綺麗で、出来る事ならいつか工作キットのハサミで切ってみたいと思っていた。
教室の大きな窓から吹く風にそよぐそれが好きだった。プリントを渡そうと振り向いた時になびくそれが好きだった。
何度、美容師になりたいと頼んだ事か。しかし、親は自分の店を継いで欲しいの一点張り。仕方なしに親の言う通りにするも、蓋で閉じられた欲求は日に日にその重い蓋を下から突き上げるばかりだった。
そして、あの日爆発した。
人気の無い夜の道に置かれたその艶かしい髪は自分へのご褒美にしか見えなかった。
あぁ、そうだった。やっちゃいけないって分かってやった事だったんだ。そうしたくて我慢できなくてやった事だったんだ。なのに、その責任からも逃げようとして訳の分からない拘りを作り上げたんだった。
目に涙を浮かべながら自分を睨みつける星谷に桐崎はにっこりと微笑み、震える手をどうにか持ち上げ優しく星谷の頬を撫でた。
「ありがとうなぁ…好きなものも忘れちゃうところだった…」
そう呟くと力なく項垂れ、息を絶った。
その瞬間に何かが広まる感覚が彼らの周りに広まる。真っ白な紙に黒いインクを垂らした様な。
いや、真っ黒な紙に真っ白なインクを垂らした様なそれが確かに広がっていく。
街はそれまでのアメ横に戻っていく。見慣れない英字の看板も消え、カタカナや漢字で埋め尽くされている。石畳の地面も滑らかなコンクリートに。
マキナはそれを不信に思うでもなく、不思議で素敵な夜に起きた何かと感じるに止まった。
自分の関わった出来事なのだから、この位の天変地異は許されるであろうし自分も許容しなくてはならないのだと。
自分を置いて行こうとする星谷の血まみれの顔に、涙で洗い流された綺麗な一筋を見つけ彼女は星谷の今夜を許そうと決めた。
そして、どこかに電話するのだ。伊達の時にそうした様に。
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