図書館暮らし。

白雪花房

番地444

 朝、教室に入ると周りが騒がしかった。


「なにかあったの?」


 本を読みながら席につく。スカートを整えてから、机にカバンを置いた。


「ハガキだよ、例の」

「ハガキ?」


 一瞬眉をひそめてから、例のハガキのことかと思い出す。


「あー、あれね。友達の家に届いてたの、勝手に持ってきちゃった」


 カバンを開けて、中から一枚のカードを取り出す。ペラっとめくると、裏面の冒頭に『図書館暮らし。』と書いてあった。内容は「従業員を募集しています」とある。夏休みのバイトにはうってつけで、読書好きにとっては天国のような環境だ。静かな場所で本を好きなだけ読める。さらには仕事も楽ときた。


「でもさ、あんなところ、誰が行くのかな?」

「ん? どういうことなの? 確かに本を読む人って減ってきてるけれど」

「そうじゃなくて。なんか、怪しいところなんだよ」


 首をかしげると、クラスメートが身を乗り出して、ハガキを表にめくる。


「番地、444」

「ほんとだわ。なにこれ、ウワサの霊界に繋がる番地じゃない」

「でも都市伝説でしょ―」


 横からほかの友達も寄ってくる。


「怖いものは怖いんだよ」

「ナオコさー、行ってみたら? あんたって、本好きでしょー?」

「えー、私が?」


 顔をしかめながら机に分厚い辞書を出す。


「うん、ちょうどいいからウワサがほんとかどうか、確かめにきてよ」

「しかしあんたってほんと、勉強熱心だねー」


 感心したように相手がつぶやく。

 なお、別に勉強熱心でも読書好きではない。


 強いていうなら、本は好き――だと思う。文字だからできる表現なんかはとてもきれいだし、雅やかだ。文章を読んでいるだけで空想の世界にトリップできるものだから、それは暇つぶしにはうってつけだと考える。


 それとは別で、私は文字を目に入れないと死ぬ体質なのだ。ギャグだと思われるかもしれないけど、実はシャレになっていない。寝ているとき以外は常に文章を読んでいないと危ないのだ。本当は一時間くらいなら大丈夫だけど、気が気でないから常に本を持ち歩いている。家でも読めるように本棚にはぎっしりと物語を詰め込んであった。


 しかし、先日、一人暮らしをしている家が火事で全焼した身だ。インスタントラーメンを茹でるために水を湧かせたのを忘れて、コンロの火をつけっぱなしのまま、放置した。あげく外出までしたものだから、帰ってきたときには家が炭と化していた。要するに自業自得だが、跡形もなく燃え尽きてしまったせいで、暮らせない。幸い泊めてくれる友達がいたけれど、いつまでも頼るわけにはいかない。新たなアパートを探すまでに、仮の宿が必要だ。


 そんなわけで、指定された場所に向かう。住所は山奥だ。いったい誰がなんの趣味でこんな場所に指定したのだろう。「仕事も楽」と書くはずだ。客なんてろくに着やしない。斜面もゴツゴツとしていて、本ばかりに視線を向けていると、危険だ。募集するのならせめて立地条件のよい場所を選べなかったのだろうか。ブツブツと口の中で文句を言いながら進む。


 三〇分後、ようやく平地が見えてきた。そこからさらに五分ほど進むと、建物が見えてくる。パッと見た印象では博物館に似た雰囲気の施設だ。とにかく、ゴールは目前。あー、いい運動になったと思いながら、伸びをする。


 図書館に近づいて、古びたドアに触れる。ドアノブはこころなしか湿っていた。緊張しつつも開く。そして、すぐ閉める。視界の端を半透明のふよふよとした物体がかすめていった。


 もう一度開けてみる。薄暗い空間に、無数の影がうごめいているのが分かった。それが幽霊だと分かった瞬間、私はヒュッと悲鳴を上げる。やっぱりここ、霊界につながってるじゃない。あやうく腰を抜かすところだった。

 鼓動が高まり、鳥肌が立つ。寒気にぶるっと震えて、後ずさる。


「あの、落ち着いてください」


 中から上品な女性がやってきた。彼女の足も透けている。一気に体が冷えて、全身の毛が逆立つ。心臓の音がバクバクとうるさく鳴った。そうした中でもついつい癖で本に視線を落としてしまうのは、冷静なのか、逆に冷静じゃないからなのか。


「取って食べたりなど、しませんよ」


 女性は困り眉でこちらを見る。無害そうな幽霊だが、果たして信じてもいいのだろうか。いったんは気を落ち着かせるとして、建物の中に視線を移す。壁際にはずらっと本棚が並んでいた。


 冷たい風が吹き込んで、背中を押す。ぞわーとした感覚が全身をおおう中、私はつい扉の向こうに入ってしまった。


「どうです、いいでしょう?」


 確かに本の穏やかな匂いを嗅いでいると気持ちが落ち着くし、リラックスできそうだ。照明の光も読書には最適なレベルで調節してある。しかし、堂々と本を読み漁っている妖たちはいったいなんなのか。壁に背をもたれつつ、彼らの様子を見守る。


 帰りたいけど、帰りたくない。歩きたくもない。家がないのだから仕方がない。

 複雑な心境に至る中、すぅっと一人の幽霊が床から浮き上がってくる。思わず「わー」と叫んで、腕を顔の前にかざした。


「ま、待ってくれ。俺の話を聞いてくれ」


 相手はオドオドと目を泳がせてから、落ち着いた口調で口火を切る。


「どうか、あの女性の願いを聞き入れてくれないか?」

「彼女のことね。名前はなんというの?」

「ユカリだ」


 ぽつりぽつり、彼はゆっくりと昔の話を語りだす。


「彼女はあわれな方なのだ。小説家を志して何十年もペンを握った。しかし、誰にも理解はされない。挙げ句の果てに『お前は自分に酔っているだけだ』『まさか自分の才能が他人には伝わらないから評価されないと、言ってほしかったのか?』かと、恋人にバカにされる始末。彼女は絶望して相手を殺した」

「それで、彼女は?」

「恋人を殺めた罪を背負って、自ら死を選んだ」


 語りを終えて、男性は床へ視線を落とす。


「なんてむごい。彼女をけなした人は恋人失格だわ。今はどの霊界にいるの? こらしめなきゃ」

「私だ」


 身をかがめて尋ねると、驚きの答えが返ってくる。

 たちまち私はのけぞって、バックステップを踏んだ。


「あなただったのね!?」


 なんの面目があって目の前に現れたのだろう。

 衝撃と一緒に苛立ちが胸の底から湧いてきた。


「私なんて所詮しょせんはそんなもの。死してなお、底辺をさまようことしかできないのです」


 そこへ音も立てずに女性が忍び寄る。


「帰って。本棚にあるのは私の作品のみです。それを読んだところでつまらないでしょう。だって、私の物語を読んで、出る感想と言ったらそれだけですもの。だから、お願い」

「なら、どうして私にハガキをよこしたのよ」


 言っていることが矛盾していないだろうか。


「それは、読んでほしい気持ちと読まないでほしいという気持ちがぶつかり合って、矛盾と葛藤していたからではないか?」


 男性が推察を述べると、女性は目をそらす。


「頼む。どうか、彼女を勇気づけてやってくれ」

「そんなことを言われても……」

「ほら、他人の本を読みながら口にしているということは、つまらないと言うのでしょう。こんな場所、燃やし尽くしてしまいたいと!」

「読みます読みます。分かりました」


 相手が暴走をはじめそうだったので、あわてて持ってきた本から目をそらす。


 かくして私は女性を勇気づけることになった。

 とはいえ、いったいなにをするべきなのだろう。雑に褒めたところで、相手もむなしさを覚えるだけだ。ペラペラと本をめくりながら、ぼんやりと思う。またペラペラとページをめくった。その内、なにやら引き込まれるものを感じた。本の持つ魔力に取り憑かれてしまったような雰囲気だ。熱い思いが文章からも伝わってくる。


 そしてついに読み終わる。心は満ち足りた感情であふれていた。


 面白かったわけではない。感想したわけでもない。ただ純粋に、印象に残った。文章から伝わってくる熱量に、おののいたのだ。


 引き込まれた理由を考える。


 本の中身は『本が嫌いな者に、物語のよさを伝える内容』だ。物語というより、エッセイに近い。そこには著者の芯なる魂が入り込んでいた。


 最初はくだらないと切り捨てていた私も、主人公の熱弁を聞くと「確かに」と納得してしまう。相手の話をもっと聞きたいと思ううちに、ページをどんどんめくっていった。

 読み進めているうちに本の楽しさにも目覚める、優れた構成だとも感じる。

 だから、惹かれたのではないか。


 そこで、感想を言ってみる。彼女はウソウソと言いつつ、口元はにやけていた。ほおはバラ色に染まっている。


 今ので実感した。才能の有無とは関係なく、彼女の小説へ対する愛と熱は本物だと。そんな彼女だからこそ私は信頼できると感じた。


「私のための物語を作ってください。好みはきちんと伝えます」


 小説を書いたことがあるから知っている。自らペンを取るときはおのれの好みをつめこむため、たとえ稚拙な内容であろうと、面白いと感じるのだ。


「傑作が生まれるまで、待つから」

「はい、はい。分かりました」


 女性は何度もうなずいて、すばやく執筆場へと向かっていった。

 ときに執筆とはいかにして行うのだろう。気になってのぞいて見ると、なにやら半透明のペンを動かしていた。ペン先は紙からやや浮いているけれど、字はしっかりと刻まれていく。


 それにしてもなんて速さだろう。キーボードを高速で打っているかのようだ。手の動きを目で追えない。


 ここでいったん、ドアを閉じる。鶴の恩返しみたく「見たな」と言ってギロリと睨まれても困るからだ。

 とにもかくにも、バイト自体は夏休みが終わるまでの期間だが、それまでは本を読みながら、待つとしよう。


 幸い、寝床やお風呂場、食事などは向こうが出してくれるらしい。食事に関しては、霊界の食べ物を使っていそうだけど、深いことは考えないことにした。


 棚の中身を消化するうちに、彼女の人となりが分かってくる。彼女の悩みや苦しみに共感しつつ、その想いになんとしても答えたいという気持ちが強くなっていく。


 そして夏休みも終わりに近づいたところで、私のための本が完成する。

 読んでみると、すいすいと目が左右に動く。すばやくページをめくって、物語を飲み込む。

 内容は冒険談。私の好きな要素を詰め込んだ話だ。笑いあり涙ありのファンタジーものでもある。燃えたりしんみりしたりと、テンションは忙しい。ときには重たい雰囲気や危機的状況も訪れたけれど、最後には爽やかな読後感が待ち受ける。


「面白かったわ」


 素直な気持ちを伝えると、女性は胸の上で両手を重ねて、何度もうなずいた。


「よかった、本当によかったです。私、やっと、誰かの心に響く話を書けたんですね」


 彼女の声は震えていた。


「これで、よかったんです。最初から誰かのために、書けたら、それで」


 唇がほろこぶ。その姿が同性ながら見惚れてしまうほどに、美しかった。


「ありがとう、ございます」


 感謝の気持ちを伝えると、女性は花びらのように細かな粒子となって、消えてしまった。彼女に引寄されるような形で、本棚をウロウロとしていた霊も泡と化す。


 急に図書館の雰囲気が明るくなった。上のほうに溜まっていた薄暗い空気も、どこへやら。最後に男性が深々と頭を下げる。その姿はみるみるうちに薄れていった。


 最後に残った私はザッと図書館の中を見渡す。まだ、彼女の残した作品はある。どれどれ、残りも読んでいこうかなと。前向きな気持ちで本棚を見上げた。

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図書館暮らし。 白雪花房 @snowhite

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