敗れ蛇、狂う虹

葦元狐雪

敗れ蛇、狂う虹

この手を引きちぎってしまおう。まだ掌の温みが消えぬうちに、僕は板金屋を訪ねた。巨大な裁断機の前に立つ男がいる。

「そいつで僕の手首から先を切り落としてくれ」

「できねえ」

男は親指で示して言う。

「ここはそういう場所じゃあないんだ」

あ。

僕は恥ずかしさのあまり飛び出してしまった。鼻腔に纏綿する甘ったるい香りは、またたく間に外気に替えられた。硫黄の匂いだ。息も忘れて走る。

気がつくと地獄に来ている。ごぼりごぼりと茹だる温泉がそちこちに見られ、その隙間を縫う石畳の道を行く。やがて上背のある女に会う。琥珀の角を額に備える鬼である。

「何してるの?」

「手首を切り落としてくれ。あなたなら簡単だろう」

「もちろん。でも、あたしの気に入らないから斬ってあげない」

そう言って鬼は手を振り去っていった。

しばし進んだ。途中から丘を登る形になり、頂点にそびえる木を目指した。枯木らしい。が、幹の亀裂より乳白色の液体が滴っている。

舐めようとしたところ、肩を掴まれた。

鬼が言う。

「やめとき。飲めば鬼になるか、四肢が腐る」

「どうしてそれを早く言わない」

腐り落ちればいい。

赤子のごとく幹にむしゃぶりついた。喉が焼かれて喋れなくなった。だのに手足は無事である。胸部にシャツを割いて角が生えている。

「ふつうそこから生えるかね」

腹を抱えて笑う鬼女。

「もう誰も抱けないね」

地面が崩れた。下はまったくの闇だ。ながれに身を委ねようと思ったから、ことさら抗おうとはしなかった。

しかし落ちない。宙吊りになる。鬼女が手首を掴んでいるせいだ。

「堕としてほしい? だめ、もう遅い」



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敗れ蛇、狂う虹 葦元狐雪 @ashimotokoyuki

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