第2話 世界の入り口

 ある晴れた日曜の午後。俺はいつものように例の船着き場にいた。

 隣には幼なじみの霧島泉真きりしませんしんと俺の妹である夕羽ゆうはがいる。泉真とは生まれたときから一緒で、高校でもクラスメイトとしてずっと仲良くやっているいわば親友である。夕羽は俺の一つ違いの妹で、同じ詠鳳高校に通っている。何か最近イメチェンしたとかで、短かった黒髪を伸ばしてポニーテールにしている。

 この二人とはよく船着き場に来ている。何気なくこの船着き場がお気に入りだと言ったところ、二人もどうやら気に入ってくれたみたいで、それ以降三人でよく来るようになったのだ。といっても目的などあってないようなものである。ただ水平線に沈む夕日を眺めるだけ。そこに磯の香りが混じる。それだけで心が洗われる。

 夕方5時。この時間帯が一番夕日が綺麗に見える時間帯である。俺たちは今日もこの時間に船着き場に来ていた。

「そういえば来週テストだよね、泉真くん勉強教えてくれない?」

 夕羽が泉真に問いかけた。すかさず俺が答える。

「自分でやれよ。大体学年が違うんだから意味ないだろ。こっちはこっちで自分たちの勉強しなきゃいけないんだから」

 夕羽がむっとして答えた。

「自分たちって、それって兄貴は泉真くんと一緒にやるってこと? ずるい! 泉真くん頭いいからあたしも教えてもらいたい!」

「おい妹よ、誰が教えてもらうだって? 俺は泉真に教えてもらう必要などない!」

「そんなこと言ってるけど兄貴の前回のテストの順位知ってるよ。お世辞にも賢いって言えるような順位じゃなかったけどなぁ」

 夕羽は「ふんふーん」と鼻を鳴らしてしたり顔でこちらを見てきた。

「くっ、泉真、後は頼んだ……」

 やられ役の捨て台詞のような言葉で、俺は泉真に助けを求める。

「俺に言われてもなぁ? 夕後は本気出せば頭いいんだから。真面目に勉強やればいいだろ?」

「お前まで俺を……」

 俺が大げさに膝をつくと、夕羽は「やーい、兄貴のばかー!」と言って前へ走り出していった。

「……あれ?」

 突然足を止めた夕羽は、じっと何かを見ているようだった。不思議に思った俺と真泉はその視線の先を追ってみる。

 するとそこには、何やら得体の知れない動物がいた。見た目はイタチなのだが、背中から何やら翼のようなものが生えている。そんな動物は今まで見たことがない。図鑑にも載っていないだろうし、載っていたとすれば誰もが知るメジャーな動物になっているはず。ただそんな覚えがないのは、目の前の動物が未知の生物だということを示していた。

「……おい、あれ何だ?」

 俺は隣にいる泉真に問いかけた。すると泉真は、視線を未知の生物から逸らさずに答えた。

「さあ、俺も分からん。あんなの今まで見たことないぞ」

「……だよな。何だあいつは?」

 するとその瞬間、翼の生えたイタチは踵を返して森へと逃げ込んだ。この船着き場にはすぐ裏手に森があり、度々本物のイタチが目撃されることがある。ただ今回のは話が違う。いわゆる「よくあること」ではない。俺たち3人の興味は既にその未知の生物へと向けられていた。

「あっ! 待って!」

 第一発見者の夕羽がそれを追いかける。

「おい、待てよ!」

 俺と泉真は夕羽に続いて森へと入った。ろくに整備されていない獣道を進む。前方微か、例の不思議な動物が見える。どうやらまだ見失ってはいないようだ。

「それにしてもあの動物は一体何なんだろうな?」

 泉真が俺に問いかけてきた。もはやこの一点しか俺たちの頭に無かった。

「さっぱり分からん。突然変異とかかな」

 俺が淡い推測を述べると、隣にいた夕羽が、

「もしかしてあたしたち新種発見しちゃった?」

 とおどけてみせた。夕羽の言葉に淡い希望を抱く。

 新種か……。

「だとしたら俺たちが名前を付けるのか。何にする?」

 俺は特にターゲットを決めるわけでもなく、二人のうちのどちらかに答えを求めた。

「センシンユウゴイタチだな」

 泉真が何の捻りもないネーミングセンスを発揮した。やっぱり夕羽に聞いた方が良かったかもしれない。するとその夕羽がすかさず嘆く。

「ちょっと、あたしの名前は!? あたしが一番初めに見つけたんだよ?」

「まあまあそう言うなって。夕羽の名前はみんなの心の中にあるんだから」

「何それ意味わかんない」

 夕羽をなだめたつもりだったが、その返答が俺にクリーンヒットする。確かに自分でも意味が分からない。

「正直俺も意味が分からなかった」

 ここで泉真による二撃目を食らってしまった。正確に言えば自分自身によるものも含めて三撃目か。

 ますます意味が分からなくなる自分の思考にストップを掛けるかのように、今度は目の前に長い階段が現れた。400段ほどあるだろうその坂の先は、その急峻な角度と多くの段差によって見えなくなっている。

「うぇぇ……。こんなとこ本当に行くのか?」

 俺は夕羽に半ば諦めてほしいという思いを込めて聞いてみる。しかしその思いは脆くも崩れ去ってしまった。

「当たり前じゃん。ご丁寧に手摺りが設置してあるし。ほら」

 夕羽が指差した方を見ると、なるほど階段の左右を分けるように中央を一本の長い手摺りが貫いている。この階段のあまりの大きさに圧倒されて気付かなかった。改めて周りを見渡してみると、階段の左右には石灯籠が等間隔で設置されている。明らかに人が通るために作られたものである。いや、もしくは神様の通る道だろうか。いずれにせよ、この先に何かしらの人工物、それも寺社仏閣といった宗教的なものがあるのかもしれない。しかし自分が知る限りでは、ここにそんなものがあるとは聞いたことがない。この先に何があるのだろうか。いつの間にか俺自身も、あの動物の向かう場所が気になってしまっていた。

 先を見ると、あのイタチもどきが階段の上に引っ込んでいくのが見えた。すると俺の横にいた泉真が、

「おい、見ろよこれ」

 そう言って階段の上り口、向かって左側を指差す。言われた方向を見ると、そこには木で出来た古めかしい立て札があった。

「何だこれ。えいほう……学園?」

 偶然にも俺たちの通う高校名と同じ名前が、その立て札に刻まれていた。

 この先には学校があるのか?

 神社やお寺ではないのか?

 そんなことを考えていると、泉真が右手で作った握りこぶしを顎に付けながら言った。泉真が考え事をするときの癖だ。

「もしかしたら、かげみね学園かもな」

 確かに立て札に書かれている文字は「影峰学園」である。しかし町内にはおろか、全国でもこんな名前の高校は聞いたことがない。もしかしたら自分が知らないだけでどこかにはあるのかもしれないが、少なくともこの周辺でそういった高校があるということは知らなかった。そもそも未だに、この神秘的な階段の上に学校があるらしいことが信じられない。

「まあ何だっていいじゃん! それよりさ、気にならない? この崖の上。こんな立て札があったらなおさらだよ」

 夕羽が好奇心に満ちた眼差しで言った。

「確かに、気にはなるな」

 すっかり興味を惹かれた俺の心は、既に階段の先へと向かっていた。

「よし、そうと決まったらしゅっぱーーつ!!」

 夕羽が右手を天に突き上げて高らかに宣言する。その夕羽の後ろ姿を見ながら、俺と泉真は肩をすくめた。

「仕方ない、行くか」

 そう言った泉真の表情はどこか楽しそうで、俺も全く同じ表情をしていたように思う。

 


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発式世界の式闇師 谷遣航 @kt_cosmos

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