23話

 夢中になって遊ぶ子どもたちの姿に、かつての自分と加奈子の面影を重ねる。

 自分のアイディアもいけるのではないか、と手応えを感じつつ瞼を――閉じようとしたとき、焚かれたフラッシュの明るさに目を瞬く。

 見れば、いつの間にやら大人の男が傍に来ていた。服装からすると子どもらの親の一人なのかもしれない。手に握るスマホのカメラが、徳栄を見つめていた。


「あ、ダメだ」


 男はそう呟いて、再びシャッターを切った。ようやく現れた顔はニヤけていた。

 徳栄は眉を寄せて訊ねた。


「この俺になにか用でもあるのか?」

「や、用とかっていうんじゃなくて、あのアレですよね? 永和の」


 その言葉だけで充分だった。


「……子どもらよ。もういいか? ちょっとそれらの調整をしたいから」


 と徳栄が席を立とうとすると、その腕を男が掴んだ。


「……なんだ? もう写真は撮っただろう?」

「いや、ちょっと友だちも呼んだんで、写真撮ってもらってもいいですか? ほら、もう終わっちゃった……I&Sでしたっけ? あれ、僕もウチの子も好きだったんですよ」


 男の奇妙な馴れ馴れしさに辟易として、徳栄は腕を振り払った。


「断る。いまの俺は忙しいのでな。」

「うわぁ、ネットで見てたのと同じだ。マジでそんな感じなんですね。いや、もうちょっとだけ待っててくださいよ。社長がクビになったってニュースで見ましたけど、ほんとなんですか?」

「……答えたら行かせてくれるか?」

「うーわ。マジか。すげぇ」


 男はスマホを操作し、画面をこちらに見せた。『永和の徳栄発見かも』と題された、ベンチに座る徳栄の写真。ただそれだけの写真をすでに数百人が閲覧し、また広めているらしい。三ヶ月前にはI&S:で徳栄も顔を晒していたのだから、拡散させてもいいと思ったのだろう。

 徳栄は思わず舌打ちしていた。

 男は耳ざとくそれを聞きつけて、再びカメラを徳栄に向ける。


「いま、動画にしました。せっかくですし、コメントもらってもいいですか?」

「ノーコメントだ」


 言って徳栄は子どもたちの前にしゃがみ、ゴーレムを手に取った。中の一人が、「もう少しだけ」と声を上げた。すぐに他の子どもも追従する。

 徳栄は舌先を湿らせた。できるなら言いたくはないが、仕方がない。


「ダメだ」


 と、バッグを開いて、ゴーレムとインカムを出すように促す。途端、子どもらがケチだなんだと騒ぎ始めた。カメラを向け続けていた男は、動画にナレーションでも入れるつもりなのか「あー、だめでしょ社長。子どもをいじめたりしちゃあ」と笑った。


 男が冗談半分に言っているのはわかる。だが、その裏に狡猾な考えも透けて見えた。子どもが周りにいるから暴力的な行動には出ないはずという予想、それに最悪暴力的な行動に出られたとしても動画自体が金の成る木に変わるという判断だろう。


 耐えろ。


 徳栄は口の中で呟いた。

 永和から離れたいま騒ぎを起こすわけにはいかなかった。この三ヶ月で手持ちの金も心もとなくなっており、住む土地を変えるのも難しい。


「思ってたよりリアクション悪いですね。なんかつまんないじゃないですか。というか昼飯がカップラって、なんかすごい落ちぶれ感高いですね」


 徳栄は歯を食いしばり、考えを改めようとした。どんな形であれ、ほんの数分で数百人の目に触れるのなら、広告として機能するのではないかと思う。

 けれど同時に迷いも生じる。

 広告として機能しているのは徳栄ではなく、永和の血を引いているという事実なのではないか。もしそうだとすれば、永和を離れたとは言えなくなるのではないか。

 徳栄は重い息をつき、バッグを下ろした。


「もう少しだけだぞ。じき、充電も切れるからな」


 やった、と遊びだす子どもらと対照的に、男はつまらなさそうに言った。


「え、なんですかそれ、雰囲気変わりすぎだし。もしかして、子どもだまくらかして――」


 徳栄は瞼を閉じて、子どもらの遊ぶ声にだけ集中した。傾き始めたばかりの陽光を浴びながら、遠い昔を思い返す。やがて記憶は、初めて友だちができたあの日まで遡る。

 子どもの声に、幸せ者めと思う。

 かつて、それを一人でいじっていた少年がいたのだぞ、と心中でつぶやく。

 太陽にちぎれ雲でもかぶさったのか、瞼の裏から赤味が失せた。


「もしもーし」


 そう訊ねてくる声には、不思議と煩わしさを感じなかった。


「もしもーし。とくはるー? 寝ちゃってるー?」


 理由はすぐにわかった。聞き慣れた少しハスキーな声は、加奈子だ。


「……なにぃ!?」


 ありえん、と徳栄は飛び起きた。

 目の前で、うわ、と仙波加奈子が仰け反っていた。ひさしぶりに再会を果たした加奈子はフード付きのミリタリージャケットで、その下はいつもの青いツナギで、髪が少し伸びていた。

 徳栄は、なぜここにいるのかと叫ぼうとしたのだが、息が詰まって声がでなかった。

 加奈子が困ったように笑い、瞳を泳がせる。


「SPEのデモンストレーション、というか、営業かな?」

「え、エスッ、エスピッ」


 強化外骨格が商品になりつつあるのか、と言おうとした結果である。あまりにも突然の再会に言語中枢がバカにでもなってしまったのか、まるで音声に変換できない。

 加奈子は苦笑しながらむにょりと徳栄の両頬を手のひらで包んだ。


「どうした徳栄。らしくないぞぉ? ……少し痩せた?」


 言って加奈子は徳栄の顔を横に向けた。


「緋登美さんはあっち」


 たしかに、懐しいスーツの上にコートを着込んだ柳川緋登美がいた。先程までごちゃごちゃと挑発的なことを喋っていた男を相手に、なにやらすごい剣幕で捲し立てている。

 徳栄はその様子を指差し、加奈子に向き直った。


「ん? ああ。あれだよ。訴訟」

「そ、そしょう?」

「あー、大変だったんだよ。徳栄がいなくなっちゃって。記者会見の準備でイライラ。取峰さんだっけ? あの人が新社長って形で緊急会議でイライラ。警察に連絡してみたら身内じゃないから捜索願は無理って言われてイライラ。嗅ぎつけたマスコミにイライラ。それから徳栄のお父さんのところに顔出して、知らんぷりされて、イライラ。それから訴訟祭り」


 イライラだらけの加奈子のザックリとした説明に、徳栄の眉が派手に歪んだ。

 ゆっくりと順を追って、頭の理解が追いついていく。記者会見というのは永和ロボティクスの話だろうし、緊急会議もそれに準ずる。警察はそういうことだったのかと少し安堵で、マスコミというのはなんだ。なぜ成徳のところに行って、緋登美が苛立つのかは分からない。


「というか、訴訟祭りというのはなんだ?」

「お。再起動したね。思ったより時間かかったなぁ」


 コロコロと笑った加奈子は、徳栄の隣に飛び込むようにして腰を下ろした。


「徳栄がいなくなってからすぐ、ネットで有ること無いこと出まくってね? いきなり渡された譲渡契約書の管理も含めてストレスだらけでしょ? とうとう爆発しちゃったみたいで、片っ端からガチで訴え始めちゃったんだよね。すごかったんだよ? 『冗談で済む話かどうなのか、その身で分からせてやる!』って。まるで徳栄みたいだったよ」

「それは……ストレス解消になっていたのか?」


 険しい顔をして男と交渉を続ける緋登美に、徳栄はジト目を向けた。


「というか、なぜ退職金代わりの譲渡契約がストレスになる?」

「……まともに譲渡を受けたら、税金含めて無駄が多すぎるんだとかなんだとか……まぁ簡単に言うと、徳栄が選んだのはベストどころか最悪に近い選択肢だったってことだよ」

「それは悪いことを……待て。なぜ柳川緋登美が仙波加奈子と一緒にいる?」


 加奈子は小さく肩を竦めた。


「緋登美さん、徳栄のお父さんからの再就職の話、蹴っちゃってね。当面、ウチで再雇用って形にしたの。緋登美さん、すごい優秀。正直、徳栄に返すのが惜しくなってきてるよ」


 なぜ、蹴ったのだ。

 いやそれよりも。


「……俺は戻らんぞ?」

「じゃあ、どうする気なの?」


 加奈子は急に真面目な顔になって、徳栄の顔を覗き込んだ。

 徳栄は話題をそらすべきか迷い、話すべきか迷い、諦めて子どもらの足元を指差した。

 と、ちょうど最初に声をかけた少年が、不安そうな顔でゴーレムを抱えあげた。


「お兄ちゃん。これ、動かなくなっちゃったんだけど……」

「どれ。見せてみろ」


 ゴーレムの背中を見ると、通電を示すメインランプが消えていた。

 徳栄は笑みを浮かべて、少年の頭を撫でた。


「問題ない。ただの電池切れ――ようするに、遊び疲れただけだ」

「治る?」

「休ませてやれば、また遊べる。人間とそれほど変わらんさ」


 徳栄は、無意識の内に、横から伸びてきた加奈子の手にゴーレムを渡し、少年に訊ねた。


「楽しかったか?」


 少年は満面の笑みを浮かべて、力強く頷いた。


「うん! 楽しかった」

「なら何よりだ。もう一体のも持ってきてくれ」

「うん!」


 言って、少年が駆けだしていく。

 それを見ていた加奈子が、意地悪く口の端を吊った。


「ふーん?」


 徳栄は、なにが『ふーん?』だと思いつつ、少年からバッグとゴーレムを回収した。

 きちんと頭を下げて走り去った少年は、新しくできたであろう友だちの輪に加わって、徳栄に手を振っていた。

 良かったな、と心中で呟き、手を振り返す。


「これ、徳栄が改造したの?」加奈子が手元のゴーレムを眺め回しながら言った。

「……見ただけでわかるのか」

「そりゃ、私はプロだもん。おっかなびっくりいじった跡くらい、すぐにわかるよ」

「下手で悪かったな。全部独学でやったんだ。しかたないだろう?」


 加奈子が腹を抱えて笑いだした。


「電子工作なんて、最初は誰でも独学だよ! 相変わらず世の中からズレてるなぁ徳栄は!」

「笑いたければ笑え。これでも、自分でやろうとしただけ進歩だ。きっとな」

「たしかにそうかもね。それで? どんな改造したの?」

「……気になるか?」


 加奈子はビッグマネーに挙手させ、声色を高くした。


「知りたいであります!」

「……からかうのを止めたら、教えてやらんでもない」

「ごめんごめん。なんか懐かしくって。教えてよ。どんな改造?」

「……音声入力の際の音量で、出力を変えるようにした」


 加奈子が意味がわからないとでも言いたげに眉を寄せる。


「そのこころは?」

「あの子らには、感情で動かすんだと嘘を教えた」

「感情で動かす?」

「仙波加奈子が言ったのだろう。『ゴーレムにも人権を』。バカバカしいが一理ある。だから俺なりに考えてみたのだ。どうすればロボットと、あるいはAIと心を通わせ、ともに遊ぶという状況が作れるのか。その答えのひとつが感情だと思った」


 徳栄は加奈子の手からゴーレムを奪い返し、説明し始めた。

 ゴーレムは対戦格闘用につくられたロボットである。対戦しないのであれば、格闘しないのであれば、その機能を発揮できない。つまり、存在意義を否定してしまう。


 しかし、いまの技術競争型の戦い方では、必ずどちらかが壊れる。

 そこでゴーレムの最大出力を抑え、装甲を抜けないようにしたのだ。そのうえで、感情値――といっても、いまはまだ単純な声量でしかないが、それを出力調整用のボリュームに変更した。


「――つまり、より思いの強い方が勝てるようにしようと思ってな。ゴーレムが本気を出すためには、指示を出す人間の側も本気を出さなくてはならない。しかし全力でぶつかっていっても相手を破壊するには至らない。元より、そのように作っているからな」

「あー……あれだ。ボクシングのやつ」

「なに?」

「知らない? 玩具のグローブつけて、腕を振って遊ぶ玩具。グローブを振ったときの空気圧を利用して、ボクサーがパンチを出すっていう……どしたの?」


 徳栄は、この世の終わりのような顔で、うなだれていた。


「……新しい玩具ができたと思っていたのだ。すでにあったのか……」

「えっ、あ、いや、まったく同じってわけじゃないし、こっちはロボットだしさ! そんなへこむこと無いって! 新しいアイデアだよ!」


 加奈子の必死のフォローも、どこか虚しい。

 が、まだ諦めるにも早い。

 徳栄はゴーレムをじっと見つめて、バッグにしまいこんだ。


「感情値というのが重要なのだ。きっとな。それこそ、いつぞやのヴェルテュ・ルロワではないが、鋼に意志を、というのなら、ロボットの感じるであろう感情も、人が理解してやらねばならん。そうでなければフェアとはいえない。違うか?」

「……凄いじゃん、ソレ。ちょっと私には、そこまでSFチックな発想はなかったよ」


 そう言って、瞬かれた加奈子の目は、輝きを増していた。

 徳栄は敏感に嫌な気配を察知した。彼女の子供のような目には既視感がある。得体の知れない改造を施した仙波マンパワーをもってきた、あのころの目だ。

 その視線がするりと徳栄の背後に向いた。


「探しましたよ、社長。熱心に、加奈子さんとなんの話をなさっていたんですか?」


 懐かしき緋登美の声だ。

 どう答えるべきかと迷う間すらなく、


「緋登美さん! 徳栄、もう新しい玩具を作ろうとしてたよ! やっぱり、大事なとこだけは全然変わってなかった!」


 加奈子が答えてしまった。

 緋登美は呆れたように言った。


「それで社長。まずは、なにをなさるおつもりですか?」

「……わからん。わからんが……まずは柳川緋登美と、仙波加奈子に謝らんといかんな」


 徳栄は一息ついて空を見上げた。

 いつの間にやら、夕暮れ時になっていた。

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鋼に意志を λμ @ramdomyu

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