22話

 三ヶ月後――。

 都市近郊にある安アパートの一室で、永見川徳栄は朝日の眩しさに瞬いた。付近ではそこそこ貴重なコンビニエンスストアの、夜勤明けであった。

 窓にかけたカーテンは遮光するはずなのだが、まったくと言っていいほど役に立ってくれない。他に頼るものもなく、ペラペラの毛布を頭からかぶって瞼を落とす。


 徳栄は、ヴェルテュとの再試合を終えたその日に失踪した。

 正直なところ、三日と経たない内に捜索願が出され、警察にはみつかってしまうものだと思いこんでいた。が、残念ながらというべきか、何もなかった。


 まさか捜索願すら出されないとはと寂しさこそ覚えたものの、成徳の申し出を受けたのも自分なら、柳川緋登美に全てを任せたのも自分だ。言い訳はできない。

 あれから、徳栄は人目につかない場所とバイトを転々として、いまに至っている。


「……いかん。眠れん」


 一人寂しく呟き、毛布から顔をだす。枕元にある二台のスマホのうち、黄金色に輝く方を覗き込む。尋常ではない数のメッセージ、メール、着信履歴が残っている。

 未だ捨てられずにいるとは、と自らを嘆いてため息をつく。

 譲渡契約には携帯電話も含むため、緋登美は止めようと思えば止められるのだ。にも関わらず、そうしないでいるということは、再会を望んでくれているのだろうか。


 が、しかし。

 まだ、なにひとつ成し得ていないのにそれはどうなのか。

 スマホを放り出した徳栄は眠るのを諦め、古ぼけたちゃぶ台に向かった。


 ちゃぶ台の上には雑多な電子工作物と小さなビッグマネー二体が置かれている。新たに開発――と言うのもおこがましいが、改造をし始めていた。

 図書館で印刷してきた資料を眺めて、続きを再開する。


「まったく、上手くいかんものだな」


 独り言が増えつつある自分に失笑する。

 父、と呼ぶべきか、祖父と呼ぶべきか、徳栄の先々代にあたる永和重工創業者・永見川徳治は、身ひとつで会社を興して、永和グループの礎をつくりあげたという。


 徳栄は精密ハンダごてを操る手を止めて、首を左右に振った。

 本当にたった一人で成したのかと思う。そしてまた、やはり自分が色濃く受け継いでいる血は徳治のものだと自覚する。


 永見川成徳であれば、たった一人で成したなどとは、決して言わないだろう。

 そこを自分がやったと喧伝するが、永見川の、中でも徳治の血なのではないか。

 なればこそ、自分もと思う。


 黙々と作業し続けていた徳栄は、一応の完成をみてハンダゴテを置いた。ちゃぶ台に置かれていた安っぽいインカムを取り、充電を確認したうえで耳にかける。

 徳栄はビッグマネーの一体を机に立たせて、マイクに囁きかけた。


「ビッグマネー、起動」


 小さな黄金色のロボットが、その双眸を光らせた。ごく微かではあるが、モーター音も鳴りだしている。基本的な部分は問題なく機能しているようだ。

 口元を綻ばせた徳栄は、声のトーンを一定にして命令した。


「構えろ。パンチ」


 小さなビッグマネーが足を前後に開いてファイティングポーズを取り、弱々しく腰を回す。そして、ふらりと拳を振った。

 今度は少し大きな声で「パンチ」と言う。

 命令を受けたビッグマネーが、先程より少しだけ素早くパンチを打った。

 気を良くした徳栄は、さらに大きな声を飛ばす。


「パンチだ!」


 早く、鋭いと評してもいいパンチが飛びだした。さすがに残像を残すには遠く及ばないが、幼児向けの玩具としては充分に思える。

 と、壁を叩く強烈な打音があった。続いて「うるせぇよ!」という怒声。

 薄壁一枚を隔てた隣人である。帰っていたらしい。


「すまん!!」徳栄は声を張った。

「だからうるせぇんだよ! 土曜だぞ!?」


 その壁越の返答を聞き、徳栄は我に返った。

 緋登美に渡しそびれてしまった腕時計に目を落とす。昼を少し回ったところだった。


「ちょうどいいか」


 徳栄はビッグマネーを二体とインカムふたつをバッグにしまい込み、腹を擦りながらアパートの外に出た。人気のない穏やかな住宅街を歩いて、つい数時間前まで働いていたコンビニに今度は客として入店する。

 身元も怪しい徳栄になにか察した様子で雇ってくれた店長の、「店で食べていけば」との提案を丁重に断り、カップラーメンを片手にすぐ裏手にある公園へと入っていく。


 敷地はそれほど大きくなく、置かれている遊具も、鉄棒と、滑り台と、なぜかわからないが子供のころ見ているのが好きだったグルグル回すパイプ製のあれグローブジャングルくらいしかないが、さすがに土曜日である。

 未就学児から、就学していても低学年ほどであろう小さき者どもが、山ほどいた。


 片頬を吊った徳栄はベンチに腰掛け、その笑い興じる声に耳を傾けながら、ラーメンを啜った。伸びかけている。我慢して啜りつづけた。

 と、徳栄の存在に気づいた品の良さそうな奥様方が、汚らしいものを見るような目をして、ひそひそと噂話を始めた。


 当然である。事実、徳栄の格好は薄汚れているといっても過言ではない。

 ボサボサの髪に、首周りが微妙にダルくなったTシャツに、ヨレヨレの色落ちしたジーンズである。さらにその上に羽織るは色もくすんだ枯草色のジャンパーである。


 もちろん好んで着ているわけではない。単に好みに合う服は金額的に手を伸ばせそうになく、だったらどんな服でも変わらないという判断である。

 徳栄はつるりと麺を飲みんだ。


「ボロは着てても心は錦!」


 言ってから、ザワつく奥様方に気づいて、しまったと思った。内心にとどめておくつもりが、気が緩んでいたらしい。

 コンビニのアルバイトで学んだように、会釈より深く礼よりは浅いくらいの高さで頭を下げて、徳栄は身を縮こまらせた。


 まずは食事を終わらせてから、ゆっくりとデモンストレーションに入ればいいのだ。

 そう決めて、慣れ親しんだ味になりつつあるラーメンスープを飲み干した。

 ゴミを片付けた徳栄は、満を持してバッグを開き、ビッグマネーのうち一体を取りだした。倒れないように慎重に地面に立たせて、メインスイッチを入れる。


 インカムをつける手が、震えていた。ガラにもなく、緊張している。

 公園を訪れたのは初めてではないし、事前にどの時間帯に子どもが集まっているのか大まかに把握してもいる。けれど、奇妙なものを見るような奥様方の視線と、気になるものを見つけた子どもの視線がないまぜになっているのは、初めての経験であった。


 つい数ヶ月前まで横浜バトルアリーナを満杯にするほどの客から視線を浴びていたというのに、ほんの十数人のまるで質の異なる視線が恐ろしい。いまから遡ること五十年ほど前、永見川徳治も同じような恐怖を感じたのだろうか。


「臆するな、徳栄」


 群れからはぐれ、飢えた躰に、言い聞かせる。

 そして、意を決して吼えた。


「ビッグマネー、起動!」


 自分でも驚くほど小さな咆哮だった。

 一応は起動したビッグマネーであるが、その目の光は弱々しい。突き刺さる奇異の視線はむしろ強まる一方で、そこが徳栄にとって完全にアウェーな闘場だと思い知らされる。


 だが、しかし。

 アウェーな環境など、慣れきっているではないか。

 徳栄は席を立ち、豪快に腕を振った。


「パンチだ! ビッグマネー!」


 声に合わせて、ビッグマネーが足を動かし、拳を振った。

 徳栄と小さなゴーレムに注がれる視線がさらに強まる。が、その奇異と興味の入り交じる眼差しの主成分は、子どもの目である。


 徳栄は軽快に命令を飛ばして、子どもたちの前でゴーレムを動かしてみせた。

 もちろん、遠ざけようとする親もいたが、一人、あるいは友だち数人と遊びに来ていたであろう子どもが近寄ってきた。

 声をかけるべきか迷っている子どもらに、徳栄は接客で学んだ以上の笑顔を見せた。


「動かしてみたいか?」


 ビクリ、と子どもたちに緊張が走る。

 徳栄は怖がらせないようにと膝をつき、バッグからもう一体のビッグマネーとインカムを取りだす。興味と不安の混ざる子どもたちを見回し、俯きがちの視線を探す。とりわけ気の小さそうな、背の低い少年でなくてはいけない。


 ――いた。


 もっとよく見たいのだろうが背が足らず、ぴょんぴょんと飛び跳ねている目があった。一言、ちょっと見せてと言えばいいのに、それすら口に出せない気の弱さ。

 徳栄はかつての自分を見ているような少年に照準を合わせ、インカムを握る手を差し伸べた。左右に小さく振って、上背のある子どもふたりの壁を割く。


「少年よ。やってみたまえ」


 おそらく一人で公園にきたものの誰も友だちがいなかったのだろう。他の子どもの不思議そうな視線は、少年に集まっている。

 徳栄が小さく頷いてやると、少年はおずおずと前に出て、インカムを取った。


「ど、どうやるんですか?」


 たどたどしく、弱々しい声だ。しかし、純粋な興味は恐怖になど決して負けない。


「そいつを耳に掛けて、起動、という。あとはゴーレムと一緒になって、声を出すだけでいい。やってみるがいい、少年」


 少年は受け取ったインカムを耳にかけ、ビッグマネーと徳栄を交互に見て、言った。


「起動!」


 うわ、と光った双眸に後退る。

 徳栄は頷いてみせ、少年によく見えるように、自らの拳でもってパンチを打った。

 少年が期待に目を輝かせて、恐る恐る、「パンチ」と命令した。

 ビッグマネーがゆったりと拳を振った。徳栄の操作するゴーレムとの違いに、少年が小首を傾げる。

 すかさず徳栄は胸を張った。


「声だ! もっと強く、大きな声で言うのだ! 腕を振り、魂を込め、パンチと叫べ!」


 頷いた少年がビッグマネーを見下ろし、拳を突いた。


「パンチだ!」


 さっきよりもずっと早い拳が、空を切った。にわかに盛り上がり始めた空気を敏感に察知した徳栄は、自らのインカムを外し、別の子どもに差し出した。


「せっかくだ。対戦してみるといい」

「対戦!?」


 戦うという言葉に色めき立つ子どもたちと対照的に、先の少年が微妙な顔つきになった。

 徳栄は微笑みながら少年の前にしゃがみ込む。


「安心したまえ少年。このゴーレムはな、ちょっとやそっとでは壊れん。それに対戦を通じて、君らと遊びたがっている。少しでいい、このゴーレムと遊んでやってくれるか?」 

「え、えと……わかった!」


 少年が頷くのを見て、徳栄はベンチに座り直した。そして、今度は口元を隠すようにして獰猛に笑んだ。さすがに何箇所もバイトを転々としただけあり、自分の笑みが小さき者ども怖がらせることは学んでいた。

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