悼み

帳 華乃

 灯篭の灯りがぽつぽつと浮かび上がる旅館の一室。いつもより明るい月夜だが、光が入らぬ室内だ。暖色の間接照明が、二つの人影を浮かび上がらせていた。

「何故、その女性が命を絶ったのか。私は疑問でならんのだ」

 一人の男が言った。彼は白のYシャツの袖を捲り、顎に手をやっている。ある程度人生経験を積んだのだろう、皺の寄った眉間をしていた。胡座をかいたその背は丸まっており、大柄な身体を小さく見せる。

「何かしら、思い詰めるものがあったのでしょう。全ては想像でしかありませんが、我々はそれを語り合う必要があるのかもしれません」

 もう片方の若い男が、相手の目を真っ直ぐに見つめながら応えた。細身で、濃いグレーのカーディガンを着ていた。縁無しの眼鏡が照明に照らされ反射している。

 二人は向き合い、真剣な面持ちで討論をしていた。主に死について。


 その話題が挙がった切っ掛けは、眼鏡の男の親戚-父方の叔母-にあたる人物が、遺書も無く首を吊ったという電報が入ったからだった。

 二人は地方出張の最終日であったから、疲れの滲む表情をしていた。そしてその疲労感は、死という議題に重みを持たせた。疲労の末に、死が訪れる場合もあるからだろうか。

「彼女は結婚していたのだろう?夫とは上手くいっていたのかね」

「それは私の知るところではありません。何せ、交流がほぼありませんでしたから」

 歳上の男が、こう提案した。

「では仮に、これといった理由がなかった、もしくはあまりに多くの理由が重なっていた、という前提で話をしようじゃないか」

「私は一向に構わないですが、死者の意志を踏みにじることになるのでは、と少し考えてしまいます」

 眼鏡の男は、俯き気味に言った。深く思案しているようだ。

「我々が身近に死を感じることは、ほぼないだろう。悼むという行為は、同調にもよく似ている。少なくとも、自分はそう考えている」


 夜も更けてきたが、話はこれからが本題となるのだろう。二人は、何故自死を選んだのかに焦点を合わせた。

「向かってくる死に耐えかねて、己の寿命を自らの意思で決めたとすると、どうだろう」

「立ち向かうと言えば勇敢ですが、恐怖に打ち負けたとも言えるのでは」

「自らを殺すと書いて自殺と言う。その死とは、虚無なのか終わりなのか。または輪廻転生という思想を持っていた可能性もある。生物の行く先に、希望を見たのだろうか。絶望を見たのだろうか。」

 眼鏡の男は、歳上の男にこう問うた。

「死に希望という考えには、違和感を感じます。彼女は何故命を絶ったのでしょうか。楽に生きた末に導き出されたものではない気がするのです」

 歳上の男は少し考えながら、

「死に快楽を見出し殺人を犯す者も、世にはいるのだ。何を苦というのか、何を希望と見るのかは、人によりけりだろう」

 と述べた。

 ここで、眼鏡の男はスマートフォンを取り出す。

「辞書に、死や命の定義を聞いて見ましょう。大衆的な意見が聞けるのではないでしょうか」

 歳上の男は頷いた。


 辞書によると、死とは死ぬことであった。また、活動しなくなること、命に関わる危険な状態のことでもあった。彼らの問いの答えとしては、不服なものである。

 次に、命を辞書で引いてみた。死とともに消滅するもの。唯一の拠り所となる、大切なものとあった。また、命は限りあると示すものでもあるようだ。

「彼女は唯一の拠り所を、自らの手で壊したのでしょうか」

「もしくは、既に誰かに壊されていた可能性もあるだろう」

 話の中で、眼鏡の男は言葉の定義に疑問を抱いた。

「少し話が変わりますが、服が汚れた程度のことに、軽々しく死にたいと口にする若者もいます。死の定義は、日々変わっているのではないでしょうか」

 歳上の男は苦い表情を浮かべる。

「現代では、言葉の意味を大袈裟に解釈する場合が多い。また、その解釈の意味を弱める人も増えている。その典型的なケースといえよう」

 眼鏡の男は、「意味を弱める」と復唱した

「誰かに死にたいと言われたとしましょう。その時、意味を弱めた死にたいであるとこちらが判断した。その結果SOSを見逃したとすれば、何故自死を選んだのかわからない、という状況になり得るのではないでしょうか」


 少し話が打開されてきた。少なくとも、二人にとっては。

「自死がSOSであった場合を見逃さない為には、何が必要だと思うか」

 歳上の男が言った。それに対し眼鏡の男は、

「言葉の真意を、冷静に見極めることではないでしょうか。共感も必要かもしれませんが、動揺は不安を煽ります。勿論、冷静でいることは、容易なことではないですが」

 二人は少しだけ、納得した。

 夜明けがもうじきやってくる。この仮定の話は、「彼女の救難信号を見逃した結果の自死であった」として終わりを告げた。

 そして彼女の死を悼むように黙祷すると、二人は短い睡眠をとった。

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