第五回 第一章_3
夕暮れの空に、光の粒が目立ちはじめた。大空を遮るものはない。巨大な黒い影を落とす山脈が構えるだけで、クレンバレス第七区の三番街は静けさを帯びていた。
リシュアが住むジュノー家の屋敷は、大きさしか取り柄のない、古びた二階建ての建物だ。現在はリシュアと父親のレオナルドとジュリアスの三人で暮らしている。それぞれ家事をこなせるため使用人を雇う必要もなく、部屋の多くが物置と化していた。
玄関に着いたリシュアは、小さく息を吐いてからドアノブに触れる。
「ただいま」
声をかけると、金髪をすきあげたレオナルドが出迎えてくれる。
「おかえりリシュア」
彼は娘を包みこむように抱きしめる。いつもより腕の力が強いのは気のせいではない。
「遅くなってごめんなさい」
「話は聞いているよ。騎士でもないお前がまた無茶をしたんだって?」
口調はおっとりしているが、声色が低くなった。凪いだ海のような静けさに、リシュアの表情がこわばる。
「これは褒められることではないんだからね」
普段温厚な分、優しい怪物を怒らせるとその怖さは倍になる。
「……はい」
小さな声で返事をすると、レオナルドはリシュアの背中に回した腕を解く。
「無事でよかった。とりあえず着替えておいで。まずは美味しいご飯を食べよう」
そして愛おしそうに娘の頭を撫でた。
リシュアが廊下を歩きはじめると、香草のピリッとした匂いと共に、厨房のほうからジュッと肉の焼ける音が聞こえた。
(もう帰ってきているの?)
厨房を覗きに行くと、私服姿のジュリアスがいた。慣れた手つきでフライパンを扱い、香草が効いた肉団子を炒めていた。
彼はリシュアの気配に気づいて、顔だけで振り返る。
「遅い。どこをほっつき歩いていた」
「ジュリアスには内緒」
そっけなく答えると、彼は不機嫌そうに声を低くする。
「あーそうかよ」
ジュリアスはフォークで肉団子を刺すと、息を吹きかけて冷ます。そしてリシュアの口につっこんだ。肉汁と甘辛いタレが絶妙だ。もごもごと咀嚼をして「美味しい」と唸る。
騎士団の駐屯所にいたときよりもジュリアスに棘がないのは、リシュアの騎士に対する発言だけに過剰に反応するからだ。それ以外を見れば彼なりに普通に接してくれる。
リシュアは二階の自室に向かい、ドレスから普段着に着替える。太もものベルトから短剣を取り外し、食事の手伝いをするために一階へ向かう。
肉団子やスープに野菜のつけあわせ、それにバゲットがテーブルに並ぶ。料理はレオナルドとジュリアスが主に作る。リシュアは食材を切ることは得意でも、味付けが苦手だった。
それぞれの定位置に座り、レオナルドが声をかける。
「では、いただこうか」
ジュリアスの料理は香辛料が効いていて、どれも食欲をそそられる。リシュアは黙々と口に運んでいく。肉団子のタレをバゲットですくって食べるのなんて最高だ。
「相変わらず美味しいね。また腕をあげたかい?」
「これ団長の奥さんから教えてもらったレシピなんだ。今度お礼をしよう」
「いいね。それなら庭の薔薇なんてどうかな?」
「いや花はやめておいたほうがいいな。団長って愛妻家だろう? いくら部下からのお礼だとしても、花をあげたら嫉妬するだろう」
「あはは、確かに。あの猛獣に目をつけられたくはないね!」
リシュアをよそに二人の会話は盛りあがる。家と職場が同じということもあり、年の離れた兄弟のように仲がよかった。そして厄介なことに、会話の矛先はいまジュノー家で一番の難題と言えるリシュアに向く。
「師匠が亡くなってから無茶をすることが増えて」
ジュリアスは食後に用意した紅茶をすする。湯気が立っているのによく飲めるわね、とリシュアは息を吹きかけて冷ます。
「レオさんからもなにか言ってくれ」
レオナルドはいままで中立的な立場を取ってきた。どう答えるのだろうか。リシュアは固唾を呑んで見守る。
「私だって、リシュアの頑張りは認めているよ。だけど令嬢として幸せになってもらいたいという願いは捨てきれない」
一瞬褒めてくれたと思いきや、やっぱり反対か。リシュアががっくりと肩を落とすと、レオナルドは苦しそうに眉を寄せる。
「私はね、お前を失いたくないだけなんだ。亡くなったお前のお母さまのように、戦争に巻きこまれてほしくない」
切実な親心に、リシュアは瞼を伏せる。
彼らはただ騎士になることを否定しているわけではない。その背景にはなにかがある。
(私だけが知らない。もう子どもじゃないのに)
リシュアが飲んでいた紅茶はすっかり冷めていた。
「それで、どこをほっつき歩いていたんだ?」
リシュアが自室に向かおうとすると、ジュリアスに呼び止められた。どうも「内緒」という返答がお気に召さなかったらしい。
「気分転換に噴水広場に寄っていたの」
「本当にそれだけか?」
リシュアはつい顔をそらしてしまう。するとジュリアスはぴくりと眉をあげる。
「『お目付け役』の俺にも言えないのか?」
(……うっ)
わざと不本意な噂を持ち出してくるところが意地悪だ。
ジュリアスに叱られる姿を市民によく目撃されるため、いつの間にか「ジュリアスはリシュアのお目付け役」とささやかれるようになった。
(むかしだったら、私のお目付け役なんて嫌がったのに)
ジュノー家に来たばかりの頃のジュリアスは、いま以上にリシュアとぎくしゃくしていた。彼の表情筋は石のように固まっていて、なんとかほぐしてみようと話しかけるも、こっちに来るなと突き放されたこともあった。
(どんなに強く言われても、放っておけるわけがなかった)
あるとき、ジュリアスはうずくまるように膝を抱えていた。彼はもともと地方出身で身寄りがなく、遠征中のモーガンと出会ったことがきっかけで弟子入りしたらしい。きっと慣れない土地へ来て、緊張や寂しさに襲われていたのだろう。
『心なんていらない』
吐き出された本音に、寄り添いたいと思った。
だから『心をかして』と言ったのだ。
(だってお祖父さまが読み聞かせの中で教えてくれたもの。誰かに心を貸したり預けたりすることは、騎士の誓いのひとつで、信頼の証だって)
それが功を奏したのか、少しずつジュリアスはいろんな表情を見せるようになった。
いつか、彼の心からの笑顔が見られると信じていたのに。
リシュアが騎士を志した日を境に、なにかが変わってしまった。
「私が男だったら違ったの……?」
ぽつりと呟いた声に、彼は怪訝な表情を浮かべる。
「……なんだって?」
「私が男だったら、騎士になる夢を応援してくれた?」
性別が違えば、こじれることはなかったかもしれない。
リシュアはじっとジュリアスを見つめ、静かに答えを待つ。彼は考えるように腕を組むと、おもむろに口を開く。
「たとえ君が男だろうと、俺は騎士になる夢を反対したな」
放たれた言葉に、せき止めていた思いが溢れ出す。
「──どうして、納得できないわ! 技術や性別も関係なく否定する理由はなに!?」
リシュアはジュリアスに詰め寄り、叫んだ。
胸が焼けるように熱くなる。苦しくて痛くて、壊れそうだ。
涙目でにらみつけると、彼は淡々と語る。
「強い想いほど視野を狭くする」
まるで誰かの経験談を話すような言い方だった。
「騎士に憧れを抱くのはわかる。師匠もオーガスタス団長も手本にするべき騎士だ。でもな、憧れだけでは騎士になれないんだよ」
「……」
厳しい物言いに普段なら反抗したが、いまは違う。
幼い頃から駐屯所に入り浸っているため、憧れる騎士はたくさんいる。口には出さないが、ジュリアスのことも少しだけすごいと思っていた。
でも、リシュアにとって英雄はただ一人、剣影の騎士しかいない。彼のようになりたいという想いだけでは駄目なのか。
「じゃあ、他になにが必要なの?」
「…………」
ジュリアスは決して明かしてはくれない。
頭ごなしに否定をされ続けて、思考が疲弊する。
(ただ夢を叶えたいだけなのに)
リシュアは泣きたい気持ちを押し殺し、喉から声を絞り出す。
「……ジュリアスこそ、言えないことがあるじゃない」
「なに?」
「ときどき、夜になると屋敷を抜け出すのはなぜ?」
彼の前髪から覗く青い瞳が揺れた。
「なにか危ないことでもしているの?」
「それは……」
「ほら、なにも言えない」
ジュリアスは気まずそうに顔をそらした。
一年ほど前から、夜な夜な屋敷を抜け出しては明け方に帰ってくることが増えた。彼に限って夜遊びはない。もしかしたら、クレンバレス第七区騎士団以外の任務に就いているのかもしれない。
答えるつもりがないのか再び沈黙するジュリアスに、リシュアはしびれを切らす。
「この話は終わりにしましょう。早く寝ないと起きられなくなるわ」
ただでさえジュリアスは低血圧のため、寝起きが最悪だ。上半身を起こしても不機嫌そうに目を細め、体を揺すっても微動だにしない。そのくせ寝起きの記憶が残らないので、目が覚めればきょとんとしている。
依然として浮かない顔をしているジュリアスに「おやすみなさい」と声をかけ、リシュアは自室に向かう。扉を閉めると、そのままズルズルと床に座りこんだ。
リシュアは胸元に手を当てる。
いまもここにジュリアスの心がある。子どもの頃の話だから、彼のほうはとっくに信じていないかもしれないが。
(……ジュリアスの心の声までわかればいいのに)
リシュアの胸元は温かいどころか、冷えきっているように感じて、しばらくその場にうずくまっていた。
剣影に誓う未熟な革命 令嬢だって騎士になりたい!/夏樹りょう 角川ビーンズ文庫 @beans
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