天使
リエミ
天使
あるところに、ひとりのおじいさんがいました。
おじいさんは、どこにでもいる普通のおじいさんです。
そのおじいさんは、そこに住んでいたのではありません。
ただ、そこにいただけでした。
どこにでもいるそのおじいさんに、白羽の矢が立ったのは、単なる偶然でした。
天の国で天使を務めているビーちゃんは、「次の天国人を決めなさい」と、大天使様に言われ、地上に降りて、そのおじいさんに狙いをつけたのでした。
おじいさんは散歩中に、ビーちゃんに“次の天国人”として選ばれたのです。
ビーちゃんも一緒に散歩しながら、そのおじいさんに言いました。
「天国人ってね、いうのはね、いっかい死ななきゃだめなのさ」
するとおじいさんは散歩しながら、
「じゃあきみも、一度死んだんだね?」
とビーちゃんに言いました。
「そうだよ。ビーちゃんはもうずっと前から、死んで天国にいるんだよ」
ビーちゃんはおしゃべりさんだったので、おじいさんに、たくさんお話しし始めました。
「ビーちゃんのおうちは、大きな風車のあるところだったのさ。でもビーちゃんは、ちょっと風車に登ってみたかったんだよ。ぼくんちのおじいちゃんは、登ったぼくを助けようとして、足を骨折したんだ。ちょうど、今のおじいちゃんみたいなツエをつくようになったよ」
ビーちゃんは、おじいさんの松葉杖を見ました。
そして続けました。
「ぼくは、風車から落ちたショックで寝たきりになったけど、大天使様が迎えに来たから、行ったんだ、天国に。ほんとは、おじいちゃんと一緒にいたかったけど、でもしょうがなかったのさ」
おじいさんは、ビーちゃんの明るく笑う顔を、まじまじと見つめました。
そして、ずいぶん前に亡くした孫のことを、思い出しました。
孫は、風車から落ちて亡くなったのでした。
「ビーちゃん、と言ったかね?」
おじいさんの問いに、ビーちゃんは、
「天国人になると、名前も変わるんだよ。顔も声も変わるんだよ」
と、喋り続けました。
「おじいちゃん、ぼくのおじいちゃんなんじゃないの? もうしわくちゃで気づかなかったけど、そうでしょ?」
「そうとも!」
おじいさんははっきり答えました。
「わしはお前のじいちゃんじゃ! ビーちゃん、お前がいなくなって、どれだけ悲しかったか……」
おじいさんの両方の目から、涙が落ちました。
ビーちゃんは悲しそうに言います。
「やっぱりね。ねぇおじいちゃん、天国人になってよ。一緒にぼくと暮らそうよ。また前みたいにさ」
「いいとも。もうこれで思い残すことはない。ビーちゃん、あの時、助けてあげられんで、すまんかったのう」
「いいよ、ぼく、今の生活気に入ってるもん」
ビーちゃんは、どこからともなくファイルを取り出し、おじいさんに見せました。
「こっちの用紙に手をのせてね。契約するんだ」
不意に、おじいさんの脳裏に“なりすまし詐欺”という言葉が、浮かび上がりました。
おじいさんは急に渋い顔になり、用紙を奪うと、ビリビリに破いてしまいました。
「あー、なんてことするのさ!」
ビーちゃんはわめきましたが、おじいさんは言いました。
「お年寄りを騙す犯罪は、天国にまで被害を広めておるのか! 許さんぞ、わしはまだ死ぬに死ねん!」
ビーちゃんはケラケラ笑いながら、空へ姿を消しました。
「しっぱいしちゃったなぁ」
天の国の中で、ビーちゃんはひとり言いました。
「年々、お年寄りのガードが固くなって、やりづらいよ。でも、天国に早く人を上げなくちゃ、人口増加で、地球は大変なことになるし、大天使様に叱られちゃうよ。ちぇっ」
ビーちゃんはもう一度、地上に降り立ちました。
そこには、ひとりのおばあさんがいました。
どこにでもいるおばあさんのひとりでした。
スーパーの店先で、たこ焼きを食べているところでした。
ビーちゃんは天使ですから、人間の生い立ちなど丸見えです。
そっと近づいて言いました。
「ねぇ、おばあちゃん。あのね、ぼく……」
と、その時でした。
おばあさんはたこ焼きを食べる手を止め、言いました。
「悪いわね、ぼうや。もう私は、命を売ったのよ。三日後に取りに来るわ。残りの人生、楽しませてね」
そしてまた、たこ焼きを食べ始めました。
「だれなの、ねぇ」
ビーちゃんが尋ねて聞き出したのは、別の競争相手でした。
「ちぇっ。悪魔に先越されちゃったよ……」
ビーちゃんは呟くと、また次の“天国人”を探しに、飛んで行きました。
今、天国と地獄は、人間勧誘の強化中なのです。
自分に限ってそんなことは……と思っているあなた。
もう狙われているかもしれません。
気をつけてくださいね。
◆ E N D
天使 リエミ @riemi
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