EMON

新成 成之

感情の数値化

 何処ぞの国の科学科者が、要らぬ研究論文を発表した。すると、世界は瞬く間にその研究の業績を讃え、その研究を礎に、あらゆる分野に応用される実験が行われることとなった。そして、ここ日本でも偉大な研究として流布している“成果”がやって来た。


 その研究の内容とは、「人体における感情の決定物質の発見と感情の決定定義について」である。


 簡単に言ってしまえば、人間の感情に関する最小単位が発見されたという研究論文である。



*****



「───はい、じゃ今日の授業はここまで。続きは明日やりますね」


 小学校の授業はとても短く、たった45分と大学の講義の半分になっている。そんな限られた時間内で、教科書1ページ分も進めなくてならないのは、正直無理な話である。


「先生!今日のニュースでやってた新しい学校の“せいど”って何ですか?」


 一人の男子児童が僕にそう尋ねた。




 ご覧の通り、僕は小学校の教員をやっている。


 高校の頃に教員になろうと決意すると、僕は、地元の教育学部のある国立大学に進学することを決めた。そこで何不自由無く4年間過ごし、無事教員採用試験も現役で合格することが出来た。そして、今では教員3年目。言ってしまえば、順風満帆の人生を送れている。




 そんな僕に男子児童が聞いてきたのは、今朝のニュース、つまり、あの研究が教育現場に応用されるかもしれないというものだ。


「ごめんね。僕もそれについては分からないことばかりなんだ。だから、分かったらちゃんと教えるね」


 そう言っては、男子児童に説明をする。すると、男子児童は分かってくれたのか嬉しそうに返事をし頷くと、自分の席に戻って行った。


「新しい制度ね・・・」




 世紀の大発見とまで謳われているその研究論文は、ネットで簡単に閲覧することが出来た。科学者も余っ程の自信があったのだろう。その論文に目を通すと、その研究が本当ならば、確かに革新的な発見が書かれていた。


 これまで、「感情」は脳や神経が関連する“気持ち”などとして扱われてきた。そのため、感情に対する絶対的な定義が無かった。その事に疑問を抱いた科学者は、感情の絶対的定義を提示するが為に、感情の構成物質、いわば原因物質に目をつけた。


 彼の仮説はこうだ。感情が何かしらの物質から成るものであるならば、その物質を発見し、解明することで、感情の明確且つ絶対的な定義が出来る。というのものだ。


 そして、彼はその物質を発見した。それが「EMON」である。


 彼の研究論文には、その物質が何であるかをこと細やかに書かれていたのだが、流石に自分の専門分野外のことでよくは分からなかった。だが、その物質が原因で感情が変化するのだと分かった。また、その論文には、感情はその原因物質の量によって決定されるとされていた。そのため、原因物質の量を測定することでその人の感情が特定できるというのだ。


 これが今世間で話題になっている「EMON」だ。


 この「EMON」は感情の最小単位とされ、原因物質を測定する時の単位量あたりの大きさとされている。なので、この「EMON」の数値によって感情が特定出来てしまうのだ。


 この論文を初めて読んだ時、僕は鳥肌が立った。けれど、それは感動のそれではなく、むしろその逆だった。


「一体・・・何を考えているんだ・・・」


 思わずそう呟いてしまったことを、今でも覚えている。何故なら、何かこう良くないことが起きそうなそんな予感がしたからだ。




 そして、その予感は「新しい“せいど”」と共に具体化されてしまった。



*****



「これは・・・、何ですか?校長」


 ある日、毎朝恒例の職員会議で校長が見たことの無い機械を取り出したのだ。それは、病院でよく見る、指に挟んで血中の酸素量を測る装置に似ていた。


「これ?これはだな、政府から前々から通知されていた感情の測定が出来る機械だよ」


 校長がそう言って全職員に見せてくれたそれは、僕が何よりも恐れていたものだった。


「校長・・・、まさか・・・本当にやるんですかで?」


 僕は恐る恐る校長に尋ねる。きっと、校長だって反対してくれるはずだ、そう思っていた。


「何を言っているんだい鈴木先生。前に渡した資料を読んでいないのかい?これは、今後の教育現場に更なる発展を齎してくれる物なんだぞ?やらない理由がどこにあるんだい?」


 そう言った校長の目は真剣で、見れば他の教員も同じような目をしていた。




 「新しい制度」として、半年前から検討されていたものがあった。それは、「児童・生徒の「EMON」測定を利用した教育への活用」と呼ばれているものだ。内容は至って単純で、子供たちの感情を測定し、それを判断材料として学習に活用するというのだ。どうやら、我が国では時代の最先端の研究を、教育の現場で活用したいという思いが強く、急ピッチで準備が行われていたのだ。


 それがこれである。ただ、これには重大な問題が内在している。


「あの、校長・・・それをどう使うつもりなのですか・・・?」


「鈴木先生、本当に何も知らないんですね。あれほど読んでおいてくださいと言ったのに・・・。一体今まで、何をしていたんですか?いいですか?そんな鈴木先生にも分かりやすく教えるとですね。この機械を使って児童の「EMON」を測ります。そこまでは分かりますね?そして、その数値を成績の判断材料にするんですよ。評価項目「関心・意欲・態度」がありますよね?今まで児童の関心や意欲なんてものは、目に見えないものでしたよね?何せ、児童の内側のものですから。ですが、この機械を使えばそれが分かるんですよ!鈴木先生でも、「EMON」測定が何かは知ってますよね?その測定で明らかになった数値を基準に、児童の関心や意欲を点数化出来るんですよ!何せ「EMON」測定をすれば、児童の感情、心の中が分かるのですからね!どうです!凄いでしょ?!この機械はね、そういう今後の教育を支えてくれる重要な機械なんですよ!時代は変わって来るんですよ!鈴木先生!!」


 顔に唾が飛ぶくらいの距離で長々と説明をしてくれた校長。その姿はまるで、悪魔に取り憑かれた様だった。


「そうでしたか・・・」


 そう言ったものの、そんなことは既に資料を読んでいるので知っている。僕は、これを本当に使うのかと訴えているのだ。


「しかし校長、そんなことをしなくても、机間指導や児童同士の話し合いの中で“見る”ことも出来ますよね?」


 僕が訴えているのは、そんな「EMON」測定などで児童の感情を数値化し、優劣を付けるということがそもそも間違いだってことだ。


 そうだろ。感情の原因物質だが何だか知らないが、そんな物を測って数値化するなんて間違ってる。その人が何を感じ、何を思うのかなんて自由であるべきはずだ。それなのに、その自由な部分を可視化して比較するなんて、自由の侵害に値する。


 僕はこれまでそう訴えてきたのに、この学校の先生をはじめ、僕の周りの人は誰も耳を傾けてくれなかった。皆、上辺の利便性に気を取られ、本質が欠如してしまっているのだ。それか、校長と同じように悪魔に取り憑かれているんだ。


「鈴木先生。時代は変わっているんですよ?いつまでも古いやり方に拘っていては、時代に取り残されてしまいますよ?」


 どれだけ僕が抗おうとしたところで、所詮は一教師。学校という閉ざされた社会の中で、僕の声は何の効力も持たない。


 僕は一体なんの為に教師になったのだろう。



*****



「先生。この装置何?」


 授業を始める前に、一人一台ずつあの機械を配っていく。そんなことを突然すれば、児童だって困惑する。


 僕にそう聞いてきたのは、あの時の男子児童だ。


「これはね、これから授業で使うものなんだよ。こうやって、利き手じゃない方の指に挟んで使ってね」


 出来ることなら、今すぐにでも壊してしまいたい。けれど、この機械にどれだけの国家予算や、導入までの時間が費やされたのかを鑑みると、そんな軽率な行為は出来なかった。


「───はい。それじゃ授業を始めます」


 教卓には一台のパソコンが置かれている。その画面には、株の為替レートを見るかのように、毎秒更新される児童一人一人の「EMON」量が表示されている。画面いっぱいに広がる数値とグラフ。そんな無機質な物が、僕の目の前にいる子供たちの心を表しているんだ。


 僕は、こんなことをするために教師なったんじゃない。



*****



 感情の原因物質である「EMON」が発見され、あらゆる分野の研究が前進した。その中でも大いに発展を見せたのが、人工知能、そう「AI」の分野における研究だ。


 世界中の科学者は、「AI」をより人間らしくさせようと研究を続けていた。そこで重要なポイントになっていたのが、人間特有の感情だった。


 「ロボットには感情が無い」。そう言ったこれまでの常識を払拭させることが出来たのが、この「EMON」である。


 「EMON」はその量によって感情が決定される。それは即ち、「EMON」さえあれば感情を“植え付ける”ことができるというにもなる。特定の量の「EMON」があれば、感情をコントロールすることが出来るのだ。それは、人間は勿論、機械AIも同じだ。


 しかし、「EMON」は人間の体内から発見された物質。それを機械に組み込むなんて無謀な話。僕も最初はそう思っていた。けれど、何処ぞの国の科学者が発見してしまったのだ。


 「EMON」が及ぼす神経系への効果と、その仕組みを。


 そしてそれは、他の科学者が機械工学の理論に落とし込まれていった。


 


 こうして、僕の住む世界に人間と機械の境界線が消え去った。


 

 

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