第10話

「和樹、お前のお客さんだ」

 マスターの声で振り向くと、そこにはリクルートスーツ姿で、長い髪をポニーテールにまとめている彼女が気恥ずかしそうに立っていた。戸惑いが表情になる。この手のドッキリは苦手だった。思わぬ展開に単発的な怒りが現れそうになり、思わず彼女ではなく誠治たちを睨んだ。美沙がさっき言っていた言葉の真意をようやく理解した。

「和樹、悪いな」

 ドッキリを画策した代表者として、誠治は謝罪の言葉を口にした。

「カズ君、ゴメンね。美沙の話を聞いていたら、私もお願いしたくなっちゃったんだ。許して」

 ジーターの写真を撮っている時、美沙は電話するために外に出ていったことを思い出した。僕が全員の将来を占う写真を撮っている間に、誠治たちは別の作戦を実行していた。食えない友人たちだ。

「いいよ、別に。ここは写真を撮ってもらいたい人が来る場所だから」

「ありがとう」

 彼女はとびきりの笑顔で言った。この笑顔を写真に収めたい純粋な衝動が、僕の中を駆け巡る。

「和樹、このお嬢さんと一緒にお得さんが来ちゃったから、ここ任せていいよな」

 この時もやはり僕の意見など一切聞かずにマスターは、写真室からそそくさと立ち去った。まるで誠治たちから事前に情報を聞いていたかのようだった。

 目を瞑り一つため息を吐いてから、覚悟を決めた。

「じゃあ、そこに座ってくれ」

 さっきまで翔平が座っていた椅子に彼女は腰かける。翔平の座高に合わせていた椅子の高さを彼女の座高に合わせるよう指示をしながら、ファインダーを覗き込んだ。彼女はまっすぐカメラを見つめている。

 試し撮りの感覚で何度かシャッターを切った。しかし、普段の表情に比べ、今の彼女の表情からは緊張が、これでもかと伝わってくる。シャッターは切り続けたが、証明写真として使い物にならない写真ばかりがパソコンに蓄積されていく。

「みんなに見られてると緊張しちゃうね」

 三分くらい、カメラマンがよく使うおざなりのアドバイスを繰り返したが、彼女の表情に改善は見られず、むしろどんどん表情が固くなってった。誠治たちが被写体になっていた時は、残りの三人でうるさいほど騒いでいたのに、彼女の緊張が移ったのか、テスト中の教室のように写真室は静かになっている。

「ちょっと休憩しよう。今までの写真はパソコンで見れるから確認しててくれ」

 僕はそう言い残して写真室を出た。後方から美沙の「大丈夫だよ」という掛け声が虚しく聞こえた。

 そう言う問題じゃない、と毒づきながらバックルームにあるロッカーへと向かった。そしてロッカーからシャッターケーブルを取り出して写真室に戻った。すると彼女の顔は緊張が薄まり普段に近い表情へと戻りつつあった。そのことに安堵しながら、どんな言葉を掛けて写真を撮るかを思索し始めていた。

「もうさ、この写真でいいかな」

 彼女は申し訳なさそうな表情で言った。彼女が良くても僕が良くない。彼女たちを一番よく撮れるカメラマンは、この世界で僕しかしないなんていう自惚れに似た根拠のない自信が僕にはあった。もっと言ってしまえば、彼女が見せる最高の表情を写真に収めるのが、僕の役割だという痛々しい自負があったからこそ、彼女の優しさ先行した言葉に納得ができず、むしろ腹が立った。

「悪い、茜ちゃん以外全員外に出てろ」

 普段出さない強気な口調で言葉がこぼれた。誠治たちは一瞬驚いた表情を見せ、和気藹々だった雰囲気が悪くなっていくのを感じる。ちょっとだけ申し訳ない気がしたけれど、カメラマンを担っている今の僕には関係なかった。

「なんだよ、いいじゃん」

 翔平は平常運転の軽口だ。反射的に翔平の顔を軽く睨んでしまう。

「分かったよ。オレら近くの喫茶店にいるから、茜ちゃんの撮影が終わったら連絡くれ」

 僕の心中を悟ったのか誠治は、美沙たち三人を外へと誘導し始める。誠治たちがなくなった写真室に、彼女と二人きりになった。さっきよりも重たい雰囲気が漂い始めていた。

「ゴメン。なんか驚かせちゃって」

 僕はそう言った後、写真を撮るために準備を始める。

「別に良かったよ。さっきまで撮ってくれた写真でも……」

 僕が怒ったと思ったのか、彼女は困惑しつつ、さっきよりも申し訳ない顔になっている。その顔を見ながら、カメラにシャッターケーブルを接続する作業をしながらかぶりを振り、言葉を紡ぐ。

「あの写真じゃダメだよ。緊張感丸出しで見てるほうが恥ずかしい」

「そんなこと言わなく……」

 彼女の言葉を遮り静かに語りかける。普段ならあり得ないが、今は理性よりも感情が優位に立っている。

「茜ちゃんは、本当はそういうとこ妥協しない人でしょ? 誠治たちが待ってるからって無理に妥協することはないよ。それに今からオレが一番いい表情の茜ちゃんを撮るから。こんなこと言うと恥ずかしんだけどさ、アイツらの写真を一番よく撮れるのはオレだと思ってるんだ。でもね、それ以上に茜ちゃんを良く撮れる自信がある。今、世界中にいるカメラマンの中で茜ちゃんのことを綺麗に撮れるのはオレだから」

 驚いたような表情になった彼女の頬は少しだけ赤く染まっている。

 僕が自負している本心、告白まがいの小恥ずかしいセリフをスラスラ言ったことに僕自身が一番驚いた。反面、僕の顔は真っ赤だろうなとか、なんで一人称オレになっているのだろうか、など色々なことが浮かんだ。本当は、自分の失敗談を話そうと思っていたのに、と自嘲しながらも腹を決めた。

全てを誤魔化すように「なんてね」と言った僕は最大限の笑顔を彼女に見せる。すると彼女は緊張の糸が切れたかのように表情が緩んだ。その瞬間、右手に忍ばしていたシャッターケーブルのボタンを親指で押した。カシャ、とシャッター音と同時にフラッシュが光る。

「えっ……今、撮るのは反則だよ」

「ゴメン、ちょっと恥ずかしくなって、つい」

 彼女はくすりと笑った。普段通りの可愛らしい彼女の表情に戻っていた。僕は何も言わずシャッターを切った。

「今みたいな表情が一番茜ちゃんらしいよ」

「そうかなぁ?」

「うん、オレが保証する」

「ありがとう」

 彼女の表情には、さっきまで表情を支配していた緊張が消えていた。それを確認した僕は何度か頷き「それじゃ、撮るよ」と言ってファインダーの中に映る彼女を何度も切り取った。同時に頭の中にあるアルバムの中に彼女の顔を刻み込んだ。  

 絶対に忘れない、とどうしょうもなく青いことを抱きながら。

 二十分もしないうちにかなりの写真を撮った。

「顔に疲れが出始めてるから、この辺にしとこうか」

 僕はそう宣言して、彼女の撮影を終了する。彼女は真面目な表情を崩して、ニコリと笑った。

「ちょっと見てみる?」

 彼女は頷いてから立ち上がり、三脚の横に置かれたテーブルの上にあるパソコンへと近づいた。僕は画面に映し出される写真をマウスで次々に表示させていく。

「どれがいいかなぁ?」

 楽しそうに彼女は呟いた。その声は今まで聞いた彼女の声で一番可愛らしい声だった。

 その声を聞いた途端、僕はカメラマンではない素の自分に戻っていくような感覚が駆け抜けた。写真室とはいえ、個室に二人きり。しかも五十センチも満たない距離に彼女がいる。一気に心拍数が上がっていく。不整脈でも起こしてしまいそうなほどだった。

「ねぇ、カズ君」

 彼女は僕に呼び掛ける。僕はパソコン画面を見ていた目線を彼女に移す。彼女は、まっすぐ僕を見つめていた。

「なに?」

 優しい口調で問い掛けた。ただ心臓は弾けてしまいそうなくらいに脈を打っている。この時、再び抱いたものを隠すことを決めた。

「ありがとうね。さっきカズ君が言ってくれた言葉、本当に嬉しいよ。それに言葉だけじゃない写真を撮ってくれてありがとう。こんなことを言っていいのか分からないけど……私が今まで写った写真の中で一番いい表情してるんだ。この写真なら内定貰える気がする。……気がするって撮ってくれたカズ君に失礼だね。カズ君が撮ってくれた写真に見合うように、いっぱい内定取ってくるね」

 彼女が急に決意表明をし始めたので、内定の報告楽しみにしてるよ、と答えた。

「それにね。カズ君が撮ってくれた写真はこれからの就活で、力になってくれると思うんだ。だから本当にありがとう」

 弾けるような笑顔の彼女に見惚れてしまった。

「それとね、さっきのカズ君、カッコ良かったよ」

 最高の褒め言葉だった。この日の事を僕は忘れないと思う。それくらい印象深い時間へと彩られた。お礼しないといけないかな、と僕は思った。そして、大事な友人たちが企てたサプライズに純粋な感謝の意を静かに口にした。

 ありがとう。忘れられない思い出ができたよ。

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