事件の一年前である事、それだけの日。
このサイズ―――――縦に1メートル、横に1.2メートルはあるだろうか。
私はそこに左手を入れて、そこから頭と左足、右手と右足という順番でモニターの中へと入っていく。
その先に広がっていたのは、青白くて
先程までいたのが昼とするなら、こちらはほとんど夜に近い。
「あの先が……一年前の体?」
光以外は真っ黒な中で私には左右が分かるはずがないので、とりあえず光を
魂なので当然とも言えるが、浮遊できるのが本当に便利だ、と感じるくらいには長い道のり。
道中には障害物などなく、ただただ前進していくだけ。
そうしていると、光は眩しくなっていく。
その先にあったのは、大きな懐中電灯のようなものだった。
よく見ると、それの真下にはサムターンを大きくしたようなものも。
「これまた……何だろう?」
その横の何もない所を、扉をノックするようにして少し叩いてみると、音が聞こえてきた。
行けるのはここまで、という事か。
どうしてこのような空間になっているか、なども分かっていない中。
私は目の前にあった金具をつまみ、右に回してみた。
真っ暗だった空間に映し出されたのは、見覚えのある、かなりしっかりしたレンガの花壇。
おそらく、住んでいた家のものだ。
赤いチューリップが三輪、黄色のパンジーが二輪ほどと、少し寂しい感じはするが、水やりをする事に楽しみを覚えていたのかもしれない。
手前に現れた、角の丸い二つの白色の取っ手を、両手で一つずつ掴む。
その次に出てきたのは、飛び込む先の時刻と確認ウインドウ。
ウインドウには、英語で「過去の体の中に行きますか?」と書かれている―――――はずのメッセージと、アルファベットのYとNのマーク。
おそらく、「Yes」と「No」の頭文字から来ているだろう。
これの仕組みは最初はよくわからなかったが、しばらくして視線がカーソルのようになっている事が分かった。
そして視線を「Y」に向け、
私は、一年前の私の体の中へと飛び込んでいく。
白と青の眩しい光の点灯を繰り返すうちに、徐々に私の体の表示が大きくなっていき―――――。
*
一年前の六月九日、午前七時十四分。
体を乗っ取って最初に広がってきたのは、リビングで家族が食事をしている様子だった。
父と妹はハムを乗せた食パン、母は青と赤の茶碗に入れられたご飯と納豆、そして私の前には目玉焼きと二枚の焼きベーコン―――――。
手の横には、お茶の入った百円均一の店で買ってきた、青いプラスチック製のコップ。
出来たばかりなのか、ご飯や目玉焼きは湯気も立っていて美味しそうだ。
テレビからは、朝の情報番組が流れている。
そういえば私は、目玉焼きには何をかけていたか。
テーブルに置かれてあるのは、塩と醤油。
この中でかけていたのは確か―――――醤油?
とりあえず、数滴ほどを目玉焼きに垂らす。
三滴ほどがかかったところで、右手を醤油差しから赤い箸に持ち替える。
「いただきます」
まずは目玉焼きの白身から。
箸で黄身の周り以外の白身を切って、それを掴んで口へ運ぶ。
醤油や、焼くのに使われたマーガリンの風味が、口の中で広がっていく。
白身の食感も十分。
しばらくそれを噛みしめ、少しのお茶を口に含んだあと、次に箸で掴んだのは焼きベーコン。
固すぎず、柔らかすぎない感じが良い。
そして脂の旨味がたまらない。
「ごちそうさまでした」
すぐ食べ終わり、その後に学校に行く準備に入る。
服をパジャマから学校の制服に着替え、様々な教科書を
ここまで詳しくは覚えていないが、意識していないうちに、動きが当時と同じようになっている気がする。
「当時と異なる動き」―――――。
私には、この朝に極端に変わった動きをするのは難しいかもしれない。
なら、通学途中はどうだろうか。
私は準備を終えて靴を履き、家のドアを開け、外へと出た。
徒歩で二十分程度の距離なので、下手に道草を食わない限りは間に合うだろう。
しかし、なかなか変わった行動をする気にはなれない。
いきなりやる気にはなれない、と思っている事もある。
途中から合流した友人と、何気ない会話をしながら歩く道。
やはりというべきか、ここまではほとんど当時と変わらない。
テレビで流れていたニュースやコマーシャルの内容も、身に着けているものも、道を通る車も、友人の話の内容や発言する時間も、何もかもが変わらない。
強いて言うなら、自分の歩調くらいか。
そうこうしている内に、学校へと辿り着いた。
授業なら、当時と違うところを見せられるはずだ。
*
「やるじゃん、ナミ! 昨日と全然違う!」
「そうかな?」
やはり体は同じでも、中身は当時とは一年先。
問題を
このあとの昼休みでも、当時との違いを作れるだろう。
「あのさぁ」
「何?」
私は、席の近かった一人のクラスメイトに話しかけた。
「もしここに1年先の未来から私が来て、『1年後、この学校に人殺しが襲ってくる!』なんて言ったらどうすると思う?」
限りなく未来予知に近い話ではどうか。
当然、これは本当だ。
「えっ!? どうしようかな……」
だが、相手は思っていたより真面目に考えている。
ここは―――――笑いながら、冗談だとして流す事にした。
「あはは、冗談に決まってるじゃん!」
「えっ? ああ、やっぱり?」
相手は若干呆れ気味になっていたが、これもまた「違い」を生み出すための事だ。
とにかく、当時と違う事がしたい―――――。
魂となってこの体の中にいる以上は、これもまた思う事の一つかもしれない。
*
その一方で、現実世界。
日付は六月
「こちらは昨日、銃乱射事件があった―――――」
中には中継という事で、マイクを持って喋っている者も。
授業前の教室では、亡くなった教員や生徒を弔う行事が行われた。
死者は十三人、負傷者は十七人。
合わせて三十人を致死傷に追い込んだ犯人の動機は、「平和や人権を不必要なまでに押し付け、表現や言論の自由等を制限する左翼的教育の必要性が問われるような事件を作りたかった」。
後に、「少数者の排除を煽動している団体に入っていた」、「SNSでも過激な発言を繰り返していた」などといった犯人に関する情報が、次々と拡散されていった。
*
話は、私が当時の私の体を乗っ取った、一年前の六月九日に戻り―――――。
午後六時。
学校が終わり、ある程度の準備も済ませた私は、「暇つぶし」として近所の道を散歩していた。
家以外はほとんど何もないと言っていい、静かな住宅街の道。
「
その道をしばらく通っていると、知らないスーパーへと辿り着いた。
白地に緑と赤の線で「仙」と書かれた看板が特徴的。
店の駐車場は、すでに一杯だった。
しかし、この時の私は財布を持ってきていなかったので、諦めた。
このあと何事もなく家に帰り、夕飯を食べ、しばらくして、無言で風呂へ。
やはり、シャンプーなどの配置も一年前と一緒だった―――――。
しばらくシャワーを浴びて浴槽へ。
その時の鼻歌も、一年先で話題となっていた曲だ。
ダンスが特徴的な女性アイドルグループの曲で、生前の学校ではちょっとしたブームになっていた。
二十五分ほどで風呂を上がると、しばらく歯を磨いた後に寝室へ。
「うん、もう寝よう」
一度、部屋の灯りを全て消す。
午後十一時―――――。
体はベッドの上、服は当時と同じ柄のパジャマ。
おそらく、当時もその辺りの時間で寝ていたはずだ。
きっと、二度と戻る事はできない―――――。
喜怒哀楽の詰まった一日も、ただただやることをやっただけの一日も、死んでしまうともう過ごす事はできない。
生まれてから死ぬまで、私の過ごしてきた約五千日以上の「日々」のうちの一日が、このような形で「消化された」と思うと、若干こみ上げてくるものもあって、複雑な心情になる。
「……おやすみ」
もしかすると私は、その事を知らないまま生きていたのだろうか―――――。
一日の終わりを告げるように微かに声を発し、そのまま眠った。
死んで身に入るこの魂 TNネイント @TomonariNakama
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。死んで身に入るこの魂の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます