4 魔法でも使ったらなんとかならないかなぁ

「せんせー」


 男が目を覚ますと窓から橙色の光が差していた。

 眼鏡をかけたまま、机に突っ伏して寝てしまったようだ。眼鏡を外し、圧迫されていた鼻筋を軽く摘む。どうやら魔女の家から戻ってきたらしい。声をかけられた方向に視線を動かすと、開いた扉を背に少年と少女が手を繋いで立っていた。


 十歳になる金髪の少年が、深い緑のつり目に呆れと怒りを混ぜて男を睨んでいた。本人に自覚はないが育ち盛りの少年の身長は伸びている。成人する頃には、男を超えるかもしれない。嬉しい反面、寂しさがあった。


 七歳になる銀髪の少女は、澄み渡った空の瞳に涙を溜めていた。今にも溢れだしてしまいそうな感情を堪えている。初めて出会ったときは、自分の感情を抑えるような素振りがあった。実の両親の抑圧からそうなってしまったのだろう。ここで暮らし始めてから感情表現ができるようになったのは喜ばしいが、どう向き合うべきか男は悩んでいた。


 二人は似ていない。髪や目の色はもちろん、顔つきも似ていない。関心が違えば好みも異なる。それでも、ふと、二人が似ていると思うときがある。例えば二人で絵本を読んでいるとき、洗濯物を取り込んでいるとき、食事をしているとき、喧嘩をしたとき、仲直りをしたとき。並んだ二人は顔は似ていなくても、確かに似ていた。

 この二人は兄妹だ。


「ずぶ濡れだね」


 男は魔女に渡された学園都市からの手紙を掌で隠した。さりげなく帳面の下に移動させてから、立ち上がる。


 二人は頭から爪先までびっしょりと濡れていた。湿った匂いを漂わせて、扉を閉めずに裸足で突っ立っている。少年が持っているバケツには魚が二匹泳いでいた。この様子だと、川に落ちた少女を少年が助けたのだろう。


「ご、ごめんなさい。川に落ちて」


 溜まっていた涙がこぼれ落ちた。顔をくしゃりと歪めて鼻をすする少女に、男は白衣を脱いで頭から被せた。


「いいんだ、カナラ。君が無事なら。でも、危ないことはしてはいけないよ」

 白衣の下で頷くのを確認してから、少女の頭を撫でた。

「先生、どうして約束を守らなかったんですか」

「それは、その、ごめん」


 少年の顔がさらに険しくなった。

「カナラは先生の分の魚を捕ろうとして、川に落ちたんです」

 男としては二人に食べてもらえればいいが、それでは少女は納得しない。


「ありがとう、カナラ」

「……先生のお魚、ないよ」


 少女がバケツに悔しそうな視線を注いでも、二匹の魚は増えたりはしない。

 男は思案してから、よしと声を上げた。


「それじゃあ、今から捕りに行こう!」

 目を丸くした二人にへにゃりと笑うと、少年がすかさず抗議した。

「なに言っているんですか! 夜になりますよ!」


 夜の森は危険だと主張する少年の意見はもっともだ。男はとっておきの案があると返して、二人の背中を押した。


「ほら、早く着替えて準備しておいで。魚を捕ったらすぐに夕飯だ」

「わかった!」


 少女は目を輝かせて家へ駆けた。傾いていく夕日を浴びた懐かしい色の銀髪に、男は目を和ませる。


「カナラが期待したじゃないですか。すぐに捕まえられるんですよね」

 案の定、少年に疑いの眼差しを向けられた。

「行きたくないなら、シスイは留守番してる?」

 意地悪な質問に、少年は「行きますよ」と不満げに答える。


「しー兄、早くー!」

「わかってる!」


 少女に呼ばれ、少年も後を追う。二人の子どもが家に入ったのを見届けてから、男は大きく伸びをした。


「うーん、魔法でも使ったらなんとかならないかなぁ」


 精霊樹の森に魔物は滅多にでないはずだが、念のために精霊の家を持っていったほうがいいだろう。男は小屋を出て鍵を閉めた。


 黒の眼で空を仰ぐ。赤く燃えた空に細長い雲がゆっくりと風に流されていく。やがて、昼間は大人しくしていた月が主張を始め、星がかしましく輝き、空を占領するだろう。夜が囁き落ちてくる。黒の姫君が愛した、生きとし生けるものの夢見る眠りの時間がやってくる。


 クオンが愛した世界が、男にどのような結末をもたらすのかは知らない。


 ただ、ひとつだけ知っているとしたら。

 この世界が美しいということだけだ。

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嘘つきな青 椎乃みやこ @sy_toko

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