7 知り得ない、有り得ない、終わらない
やあ。ようやくおうちは落ち着きそうかな。
白い残骸の前に項垂れる少年は、こうも色白痩躯の美男であっただろうか。私と同じ漆黒の色は、もうそこにはない。実に残念だ。
私の言葉にピクリと脈打つその様に、笑みが零れる。
彼はまともに果たすことができなかった。いくらひとを、母を、祖母を、その手にかけようとも、自らには手を伸ばせなかったのだ。彼はあの男に似て、肝心なところで気が弱い。そうだから彼女もきみに、何も遺さなかったんじゃあないかな。
「ちがう」
ランジアは聡明な子だった。家族の変化、その心に、醜いほどに敏感で、些細なことに気をとめてはそれを掘り起こす。聡明だが、賢くはなかったんだ。なにせ十二の少女だったからね。物事の分別ができていても恐ろしいか。
「ちがう、お姉ちゃんは……」
違わないよ。きみだって同じことを繰り返しただろう。
「なにを、言っているの」
ランジアが取り繕って、息を潜めたことで、物語は終息に向かったというのに。きみはその続きを無理矢理に紡いだんだ。へたくそなエチュードは、こうも不協和音すら奏でられないとはね。
「なにを、言っているの」
ああそうだね、私は詩を嗜むんだ。ついと情緒的な言い回しを好んでしまう。だからかな、美しさこそが至高であり、至宝なんだよ。特に彼女は美しかったね。幼いながらに、自らの意志を貫こうとする姿勢だとか、言動だとか、挙動のすべてが一貫していて『完成』に限りなく近かった。彼女であれば、次代の女神になり得たかもしれない。だからこそ、私はここに来たというのに、きみときたら……
「なにを、言っているのか! わからないってば!」
おやおや元気がいいね。しかしきみはか弱いままだ。何故ならきみは、両親殺しになり得ないからね。
「どういう、こと」
きみの母親は、種を摘みきってしまったんだ。もう毒素は残っていない。
「……」
いや、これはきみも気づいていたね。うーん、つまり、きみはランジアにはなれない、ということだ。
「……」
ランジアというひとは、どんな子だっただろう。
彼女は家族のひとりひとり、そのすべてと存分に会話をした。会話から会話を経て、家族というものを繋ごうとした。そこに細かなヒビが生じるものならば、内側から崩してまた創る。そういう子だったんだ。まるで執行人のようにね。この家を美しく保つために、何度も、何度も。彼女の献身さ、そして愚鈍な愛情は、家族にとってかけがえのないものだっただろう。花を摘み、そして活ける。その管理者を担ってくれていたのだから。果物水はその肥料だ。神に願いを捧げるとき、人は果物水を献上する。彼女にとっての神とは命で、新たな家族そのものだったのだろう。
「だったら」
そう、彼女はたった一人を待ち望んでいた。たった一人の家族をだ。もう誰のことかは、わかるよね。
「……」
きみはそのセオリーを壊してしまった。ひとと会話を繋げるでもなく、供物も用意せず、信奉するわけでもない。ただひたすらにワガママに頑固に意固地に、外から家を壊したんだよ。小さな巣穴は、修復するすべもなく、ただそれだけで崩壊する。それは果たして、救いだろうか。美学はあるだろうか。
「わから、ないよ……」
そうだね、きみには、わからないだろう。
黒い男のひとの言葉は、何もかもが難しくて。
けれど、不思議とぼくには何を言っているのかがわかってしまった。それはぼくが、このひとと同じ種を持っているからなのだろうか。
ぼくはこのひとと同じでも、お姉ちゃんは違う。お姉ちゃんと同じ種は、ぼくには存在しない。ぼくとお姉ちゃんは実の姉弟だけれど根本が違う。ぼくには、毒素がない。
お姉ちゃんは妖精じゃあなくて、天使でもなくて、女神様だった。女神様を失ったぼくたちは、迷子のまま納屋の周りをうろついていた。ぼくはアリヅカを思い出していた。家族という巣穴を飛び出したぼくは、女神の残した軌跡無しには、生きていくことができないんだ。判断することが、できないんだ。逃げ遅れた蟻は、ただひっそりと死んでいく。
「ねえ」
最後に縋る思いだった。
お姉ちゃんのことに詳しくて、ぼくたち家族に詳しくて、ぼくと同じ色だったひと。このひとならば、何かを教えてくれるかもしれない。女神ではなくても、女神の遣いではあるかもしれない。
「ぼくは、どうしたらお姉ちゃんになれるの」
黒いひとは目を細めて笑っていた。ぼくの頭と、身体と、服を指さして。
「ランジアとおそろいの色だね」
また笑う。
納屋の外は眩しかった。真っ白になったぼくは陽の光に溶け消えてしまわないかと恐ろしかった。けれど、ぼくはお姉ちゃんじゃあない。お姉ちゃんとは根本的に違うから、そんな心配は必要ない。
淡いパステルのワンピース。色素のない透き通る長髪。陽を嫌う真っ白な肌。骨まで透けてしまいそうなか細い手足。
お姉ちゃんを形作るものすべて、今ここにある。
淡いパステルのカーテンを引きちぎって、体に巻き付けた。石灰を被った髪は、早く伸びるといいな。石灰を塗りたくった肌は、陽の光を浴びすぎなければ溶け消えない。ろくに食べもしなければ、か細い手足は手に入る。ろくに眠りもしなければ、真っ赤な瞳は手に入る。
ぼくは畑を走り回った。
おねえちゃん! これが、外だよ!
これが土のにおい? 雨の日と似ているね。
土には水が必要なんだ! だから雨は土のにおいがするんじゃあないかな!
乾いた土はないのね。ぽろぽろと壊れてしまいそうな土は。
そんなものは土じゃあないよ! 家と同じさ!
そっか、家も果物水がないと崩れてしまうものね。
そうだよ! 意味がないんだよ!
実りのない家族はいらないわ。みんな肥料にしてしまいましょう。
そうだよね! そうするね!
少年は畑を走り回っている。
ひとりで会話を楽しみ、笑い声を上げ、転げそうになりながらも、細い手足で。
彼の選択は間違ってやしないだろう。きっと私も、彼の立場であればそうするだろう。
ひとり会話はあの骸と長く交わしていたのだろう。随分と慣れたもので、もう私のことなど目に入ってやしない。あそこには今、彼と、彼の記憶が生み出す偶像のランジア、そのふたりきりなのだ。
ともあれ私は役所仕事もあるわけで、彼ら家族にかかりきりではいられない。そろそろ家畜小屋の主人も顔を出すだろう。早めに役場を畳まねば。この場所はひとから忘れ去られなければならない。これを親心と呼ぶのだろうか、不思議な感情だ。実に愉快で、未熟なエピローグだ。
「さて、あとはふたりで生きるんだよ。きみたちならば、できるね?」
「なにを言っているの、黒いひと」
少年は私の呼びかけに初めて笑顔を向けてきた。
「ここにはぼくしかいない」
「ぼくたちはひとりぼっちだ」
「ぼくとお姉ちゃんはふたりでひとつ」
「ハイドランジアなんだから」
子殺し 高城 真言 @kR_at
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