6 消えない


 畑仕事は身重には酷だ。そんなことを呟いていれば、あのひとは何かに気付いて林のほうへと駆け出した。振り返れば真っ白な影。

「ひいっ」

 思わずあたしは驚いて、腰を鍬(くわ)に打ち付けた。不思議なことに、鍬はこちらを向いて光っていて、あたしの腰は、お腹の上まで持ち上がった。





 役所仕事はなに、大したことはない。気に障る上司も、早々に切り上げてしまえば顔を合わせることはもうない。親友と飲みながら、その逞しい腕に落とされる自分を想像していれば、あいつは勢いよく立ち上がり、私を机に隠そうとした。

「うわあっ」

 目が合ったのは白い影。親友に手を引かれ、机の角に頭を打ち付けた。動揺する親友をよそに、影は私の上にのしかかった。




 孫の顔は翳(かげ)ってよく見えやしなかった。俯(うつむ)いたまま、白いベールの下で白髪を揺らして。そのままこちらに歩み寄るものだから、わたしは後ずさるための足腰も弱くて、気がつく頃にはあの子はわたしの喉を蝕んでいて。

「おばあちゃんは、全部知っているんでしょう」

 喉から溢れる吐息に、あの子は微笑んでいて。

「ふふ」

 わたしはもう、その笑みに応えるしかできない。あの子の笑みが消えたとき、わたしの視界は白く染まった。




 けっきょく。

 誰も本当のことなんて教えてくれなくて、カルダミネさんは小屋に篭って出てきてくれなくて、黒い頭のひとは林の奥からこちらを見ているだけで、やっぱりぼくはお姉ちゃんじゃあないから、まともに頭も回らなくて。部屋の中を練り歩いても、どこかに必ずお姉ちゃんを感じて。お姉ちゃんはずっとぼくのそばにいる。ぼくが九年間、お姉ちゃんのことばかり考えていたのは、お姉ちゃんがぼくにそう仕向けたんだ。あの納屋の扉の隙間から、ずっとぼくを伺っていたんだ。お姉ちゃんにはなんでもわかってしまうから、お姉ちゃんにはぼくの心の奥底だってお見通しだったんだ。

「そういうことなんでしょ、お姉ちゃん」

 薄暗い納屋の前で、ぼくは白い粉に話しかける。黒板にこすりつけた姉の残骸を指に絡めては、何度もそこへ塗りたくった。



 ぼくと姉はふたりでひとつ。ふたりが揃って、やっとひとりになる。姉がいない今、ぼくは半分を失っていて、半分死んでいる。だからきっと頭も上手く使えなくて、姉の知識を想像することも叶わない。

 父も母も祖母も、そうだろうと思っていたから、ぼくの半分をもう一度作ろうとしたんだ。けれど、姉でない姉は、もう半分のぼくが受け入れたくなかった。きっと姉もそう。そうだからぼくに呪いをかけたんだ。

「わたしがいなくなったら、きみはどうなるの」

 ぼくは。





 鍬を納屋にしまい、母を畑に埋めた。

 母は、三番目の姉をベッドの上から転がしたんだ。きっと一番目の姉が蜂蜜ミルクを作るのを見ていたんだ。それを止めることもせずに、そのまま逝ってしまえばいいと思っていた。けれどそれだけじゃあダメだったから。赤ん坊のベッドは父と母の寝室にある。祖母は膝が悪くて二階へは上がれないし、その時間に父は御役所仕事だから、母は人知れずに転がしたんだ。

 だから、お姉ちゃんを殺したのは、お母さん。



 小屋から漏れる豚の悲鳴を聞きながら、父を肥(こえ)溜(だ)めの中に埋めた。

 父は、四番目の姉を豚の餌にしたんだ。その頃には一番目の姉も、ハチミツは赤児に良くない、と気付いたんだろう。ふたりも続けていなくなったんだ、聡い姉なら幼心に自覚する。カルダミネさんはそれに怒りながらも、止めやしなかった。カルダミネさんの家畜小屋に何がいるのか、この家でそれに詳しいのは父だけだ。母はそこに近寄ろうとしないし、祖母は興味もない。

 だから、お姉ちゃんを殺したのは、お父さん。


 レモン水を掻き込んで、祖母を床の下に押し込んだ。

 祖母は、二番目の姉に蜂蜜ミルクを飲ませるように、一番目の姉に教えたんだ。家から出ることができない姉は、祖母といるしかできなくて、必死に祖母に気に入られようとしたんだと思う。姉の優しさを利用して、男児が生まれるまで何年も、何年も。決して自分ではしないところが、祖母らしいと思う。

 だから、お姉ちゃんを殺したのは、おばあちゃん。







 あとはお姉ちゃんのところへ、





 ぼくを殺せばおしまい。

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