ユリと煙草

フカイ

掌編(読み切り)









 窓の外には、古い森が見える




 森は、国立公園に指定されている




 森の景観を崩さぬよう、半分を地階に埋めて建築された、不思議な美術館だ




 「夏にはヤマユリが咲いて、冬は雪に閉じ込められるのよ」




 けれども採光窓が大きく取られているせいで、広々としたガラス張りの廊下には自然の光があふれる




 「ここで、煙草が吸えたらいいのにね」




 「ダメだよ、そんなことをしたら」




 「どうして?」




 「煙草の煙がキライな人も多いから」




 「つまらない理由ね」




 そういって彼女は、廊下に据えられたベンチを立った




 木目のフロアに、彼女の革靴の足音が響き、高い天井に反響する




 長いラベンダー色のスカートがわずかに風をはらみ、歩みにつれて揺れる




 肌触りの良さそうな生地の、白いシャツ




 窓辺に近づいていくと、ガラスに彼女の白い姿が映し出される




 グリーンの森と、白い彼女




 「美味しいのよ。キレイな景色を見ながら吸う煙草は」




 「それはよく知ってる」




 「あなたも喫煙者だったものね。裏切り者」といって、振り向いた顔は、笑っていた










 ―――高校生の頃、付き合っていた人が喫煙者だった




 親御さんが離婚の瀬戸際にあり、彼女自身もずいぶんグレていたのだ、と後日聞かされた




 喫煙者の女性と喫煙者ではない自分、という関係は、その彼女以来、20年近くなかった




 自分自身が煙草喫みのみだったからだ




 つまらない理由で煙草をやめることになって最初に付き合った人が煙草喫みだったのは、なんという偶然か




 彼女と一番最初にくちづけた時に思い出したのは、あの高校生の頃のガールフレンドとのちょっと苦いキスの味




 けど、あの頃苦いと思った煙草の匂いも、今では懐かしく、香ばしいかおり




 彼女のコロンと、ヴァニラ味の煙草のやわらかい残り香










 「日のよく当たる山の斜面に、ヤマユリはよく咲くのよ」




 「そうなんだ」




 「ひとつの茎に、多い時は10個ほどの大ぶりの花が咲いて、風がふくと、ゆらりゆらりと揺れるのよ」




 「うん」




 「すごく強い香りで」




 「うん」




 「球根は食用にするのよ」




 歩きながら、彼女は話す




 なんてことのない季節の、なんてことのない日に休みを取ってここへ来た




 昨日のうちに近くのホテルに泊まり、今朝早くからここに入った




 観光バスが来る前に、ゆっくり見たいから、というのが彼女の主張だった




 結局観光バスは、この観光シーズンを外れた季節には訪れもせず、のんびりとふたりだけで館内を歩き回ったのだった




 東京を離れてみるこの人は、東京の時よりも自由で、しなやかに見えた




 「―――ホントはつまらない理由でいいの」




 ふらふらと通路を歩いていた人が、不意にぼくの座っているベンチの隣へ戻ってきて、小さい声で言った




 「煙草のこと?」




 「うん」




 「どうして?」




 「根なし草のあたしを、つなぎとめて欲しいから」




 「つまらない理由で?」




 彼女は笑って、




 「そう」




 と言った。




 きみに根があろうとなかろうと、そんなことはどうでもよろしい




 大輪の花を咲かせて、そうして笑うきみを、捕まえておけるなら




 ヴァニラ煙草の香りをふんわりと漂わせるきみを、つなぎとめておけるのなら




 どんなつまらぬ理由も総動員するさ




 どんなつまらぬ理由も総動員するのさ




 そういう風に力強く言ってあげられると素敵なのだけど、




 実際のトコは、そっと手をつないで、肩を引き寄せただけだった




 音のない美術館の、火曜日午前の光の中で









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ユリと煙草 フカイ @fukai

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