#ツイッターの人と会ってはいけません

大澤めぐみ

#ツイッターの人に会ってはいけません

 かなり慎重な性格のはずのわたしがツイッターの人に会ってみることにしたのは、なんとなく、いろいろとなにもかもが嫌になってしまったからだった。

 長い長いこの夏休みはまるで砂漠の旅のよう。

 まかり間違って都内でも有数の進学校に受かってしまったものだから、ついこのあいだ、ながいながい地獄のトンネルのような高校受験を終えたばかりの気がするのに、もうすでに大学受験に向けた追い込みが始まっている。十七歳で、女子高生で、二度とはこない二年生の夏休みで、表層的なステータスだけを見ればまさにキラキラとした青春の真っ只中にいるはずなのに、わたしの頭の中にあるのは青春っぽい恋や友情の悲喜こもごもじゃなくて、わけもわからないまま丸暗記しただけの方程式と、日本語で喋っていたってそうそう使う機会のなさそうな意味の英単語ばかり。

 夏休みと言っても名ばかりで、最初の二週間は毎日、学校で午前中に希望者を対象とした特別補講が行われている。本当はぜんぜん希望なんてしていないのだけれど、お母さん相手にそんなことを言えるはずもないし、知られてしまった以上は行くしかない。わたしはわたしの自らの意志で、学校の先生が善意でやってくださっている特別補講を、ありがたく受けさせていただく。

「いいかー、ここは重要だぞー」と、先生が苛立たしそうに声を張り上げながら黒板を叩いている。パラパラと細かいチョークの粉が落ちる。なぜ重要なのかも分からないまま、わたしは労働みたいにその文字列をノートに書き写す。

 特別補講は一コマが九十分で、普段の授業の倍ちかく。大学に行ったらこれが当たり前になるんだぞ、と先生は言うけれど、その言葉に納得するよりもまず、自分が大学にいけるのかが不安になってしまう。

 普段とタイムテーブルが違うから、この特別補講の期間中は学校のチャイムは鳴らないようになっていて、時計の針の進みがやけに遅く感じられる。この教室だけがなんらかの磁場の捉えられて、時空の歪みに落っこちてしまったんじゃないかと思う。ようやく終わりの時間になっても、チャイムが鳴らないから先生はなかなか終わりの時間を過ぎていることに気が付かなくて、まだ熱心になにかを喋っている。生徒たちがだんだんそわそわとしだして、その気配を察した先生がようやく背後の時計を振り返り「ああ、もう時間だな」と言って、やっと補講が終わる。そのほんの2~3分のロスタイムが無限のようにも思えてしまう。先生がいなくなると、多少は教室の中も騒がしくなる。けれど、それもところどころで数人がグループになってぽつぽつと言葉を交わしている程度で、一年生の頃に比べればずっと静かだ。三年生になるころには、もっと静かになってしまうのだろう。難しい言葉もたくさん覚えたはずなのに、わたしたちが日常で使う言葉は減っていく一方だ。わたしたちはほぼLINEスタンプと、LINEスタンプてきな定型文だけで日々の生活を回している。特別補講は普段のクラス別じゃなく成績順で割り振られた臨時の組ごとに行われるから、周囲にいるのもいつもの子たちじゃない。いつも仲良くしている子たちは、みんな揃って上のクラスに行ってしまった。わたしがいるのは一番下のクラスで、見知った子はひとりもいない。

 自分では、自分がもっと勉強ができるものだと思っていた。自分も当然のように大学生になるのだと、漠然と信じていた。

 たとえば中学生の頃、あるいは去年まだ一年生だった頃でも、誰かと大学の話をするときにわたしが想定していたのは、ぜんぶ大学に入ってからのことばかりだった。キャンパス、ゼミ、サークル。まだ実態なんてなにも分かっていないのに、それでも言葉の響きだけはとても素敵で、いくらでも想像を広げることができた。

 でももちろん、大学に通うためには受験を勝ち抜かなければいけなくて、ところが今のわたしは全然、自分が大学に合格しているイメージが持てないでいる。

 将来の夢とか、やりたい仕事とか、そういうのはまだ分からないけれど、とりあえず大学にいって、もっといろいろと見識とかを広げて、それからゆっくり見つけていけばいいやくらいに考えていた。侮っていたと言えば、きっとそうなのだろう。大学は、わたしみたいに不出来な子供が、とりあえずで入れるようなところではなかったのだ。

 ひょっとして、この中でわたしだけが大学に行けないんじゃないだろうか? とか考えてしまう。こうして見知った子がいない教室でひとりぽつんとしていると、なんだか無性に孤独で、自分だけが2センチくらい世界からズレてしまっているように感じられて、際限なく悪い方向にばかり想像が膨らんでいく。

 英語担当の先生が教室に入ってきて、立っていた子たちもあわただしく席に戻り、2コマめの特別補講がはじまる。わたしはとにかくノートを開いて、黒板の文字列を書き写す作業に戻る。

 わたしのお母さんは不幸な人生を送ってきた人で、少なくとも、本人の認識としてはそういうことになっていて、その不幸の根本的な原因は彼女に学歴がないせいなのだった。彼女の認識では、それはこの世の基底原理として厳に定められたことなのだ。

 そんな不幸な人生を送ってきた彼女が、自分の娘に立派な学歴を求めるのは当然のことだろう。けれど、わたしは学歴のない彼女の娘なのだ。わたしがお母さんに似て不出来であるのも、当然のことだろうと思う。

 小学生の頃はそれでも問題はなかった。テストで百点以外をとる子たちの意味が分からなかった。わたしは校内で一番頭のいい子供で、クラスメイトたちの愚かさを鼻で笑っていた。中学校の途中くらいでも、まだ努力をすればどうにかなった。やや苦しくなってきてはいたけれど、高校受験もなんとか切り抜けることはできた。でも、そこまでだった。高校に入って以降、今もわたしの成績は面白いほど順調に下がり続けている。

 お母さんは下がり続けるわたしの成績を見て、あなたには真剣さが感じられないと言い、このままではわたしのこの先の人生がどれほど不幸なことになってしまうかということを繰り返し説明した。けれど、どうすれば二項定理を理解できるのかとか、そういう具体的な説明は彼女の口からは一向に出てはこなかった。とにかく、今なんとかしなければとんでもなく不幸な人生を歩むことになるということだけを彼女は知っていて、それはわたしの気力しだいでどうにかできる問題なのだ。彼女の中では。

 わたしだって、どうにかしたいとは思っている。けれど、本当に分からないのだ。それでも、分からなくてもなにもしないわけにはいかないし、真剣さは見せないとお母さんや先生が納得しないから、わたしは輝かしいものであるべきの、人生でたった一度しかやってこない十七歳の高校二年の夏休みを、黒板のさっぱり意味のわからない文字列を機械的にノートに書き写す作業で埋めている。ひとりだけ成績が低いせいで、一年の頃に仲良くしていた子たちともどんどん疎遠になる。わたしはどんどん無口になり、そのぶんツイートだけが増えていく。王様の耳はロバの耳。誰に向けるでもない、純然たる独り言。

 そしたら、いつの間にか相互フォローになっていたフォロワーのひとりがわたしの呟きを見て、その断片的な情報から、ひょっとして学校近いんじゃない? みたいなことを言ってきて、DMで何度かちょっとした会話をして、え~あそこの高校なんだすごいね~頭いいんだね~みたいなことを言われて、暇なら会おうよ~って話になって、待ち合わせをすることになった。

 ひょっとすると、誰かが見てくれていたということに、ただそれだけのことにちょっと救われてしまったのかもしれない。

 いちおう、相手は本人が申告するところによれば、同い年の女子高生らしい。高校のランクてきにはかなり下のほうだけれど、立地じたいは近いと言えば近い。普段なら、たぶん絶対にそんな話には応じなかっただろうと思うのだけれど、すっかり砂漠でスタックしてしまっていたわたしはもうなにもかもが嫌になっていて、なにか普通じゃないことをしてみたい気分で、それで、その子に会ってみることにしたのだった。

 永遠みたいな特別補講を終え、乗り換え駅で途中下車をして、約束していたお店に入ってアイスラテを注文し、席についてツイッターでDMを送った。もう約束の時間は間近だけれどDMに反応はない。わたしは画面が見えるようにスマホをテーブルの上に置いて、鞄からノートを取り出し、今日の補講の復習をしながら待つことにした。

 下がり続ける成績をなんとかしたかった。心から、三角関数や微積分を理解したいと思っていた。それなのに、黒板の文字列を精確に書き写したはずのノートをどれだけ見つめてみても、わたしにはそこに書いてあることの意味がまるで理解できなかった。わからないということに、胸が押しつぶされそうになる。じっとノートを見つめているだけで、手にいやな汗がにじんでくる。

「あれ? やっぱそうだよね?」と、不意に声を掛けられて顔を上げると、知らない女の子がイヤホンを片方外しながら、アイフォンを持った手をわたしにひらひらと振っていた。

「え……?」と、見つめ返すと、その女の子はテーブルの上のわたしのスマホを指差しながら「DM、いま送ったけど」と、こたえる。見てみると、たしかに画面には「ついたよー」というメッセージが表示されている。

「あ、ごめん。気付かなかった」

 わたしがそう返事をすると、女の子は「よかったー、これでもし全然違う子だったらどうしようかと思った。でも、その制服このへんじゃ滅多に見ないし、間違いないよねーって感じで」と、へにゃりと笑って、するりと滑らかにわたしの向かいに座る。「めっちゃ手を振ってたんだけど全然気付かないしさ」

「ちょっと、ノート見てて」

 急に喋りかけられて、わたしはびっくりしてしまっていた。もちろん、ちゃんと事前に待ち合わせの約束をしていたのだから、彼女がわたしに喋りかけてくるのは当たり前のことなのだけれど、それでもなんだか、まるでテレビの中の人が画面を突き破ってニュッと出てきたみたいな、変な感じがした。ツイッターの人と会うって、こういう感じなんだなと思った。

「うん、そうだろうなーって感じ。めっちゃ真剣にノート見てたもん。ていうかすごいよね。やっぱちゃんと勉強してるんだ。偉いなー。わたし、いまだかつてそんなに真剣な顔で勉強したことなんか、たぶんないよ?」

 全体的に、思っていたよりもぜんぜん普通の子だった。髪色も普通だし、派手な感じでもないし、でも適度にかわいくてファッションも今風な、清潔で整った感じの女の子だ。わたしだって、べつにそこまで能天気で馬鹿なわけじゃないから、最悪へんなおじさんが登場する可能性とかも想定してはいたのだけれど、あまりにも普通に普通っぽい女の子がきて、すこし拍子抜けをしてしまう。

「偉くないよ。わかんないから見直してるんだもの」

 わたしはそんな返事をしながらも、もう早くもまんざらでもない気分になってしまっている。こんな風に、ただ勉強しているだけで、勉強することそのものを素直に褒められたのなんか、いつ以来のことだろうかと考える。

 勉強するのなんて当たり前のことで、そこに結果が伴わないことには、まだ足りないと怒られる。それが普通だった。どれだけやっても、どんなに頑張っても、叱られる機会が増えるばかりで、褒められることなんてついぞなかった。

「ていうか制服なんだね」と、彼女が言って、わたしは自分の胸元あたりを見下ろし、なんとなくリボンを触りながら「うん。補講の帰りだから」と、返事をする。

「言ってたねー。えー夏休みまで補講とかしんどくない? ていうか、それならわたしも制服で来ればよかったかなー」

「え、どうして? 今日は別にないんでしょう? 学校」

「ないけど、ひとりが制服でひとりが私服だと、なんだかバランスが悪いじゃん? 別の学校の子と制服で遊びにいく機会とかなかなかないし、どうせなら制服デートがよかったなーと思って。うちバカ校だけど、制服だけはかわいいしね」

 彼女の服装はわりとコンサバティブで高校生っぽくはなく、制服のわたしよりはいくらか大人っぽく見える。それなのに、初対面のわたしにもいきなり妙になれなれしくて、子供っぽい雰囲気があって、そういうギャップにすこし戸惑う。かといって親密な感じかというというとそういうわけでもなくて、ちゃんと「他人」として扱われている感触はどこかであって、そっけない。ちょっとどういう距離感で接するのが正解なのか、分からなくなる。

「え、ていうか超かわいくない? わたし、もっと変な岩みたいな子とか来ちゃうのかなーって心配してたんだけど。なんか、あんまり友達いないっぽいよーなツイばっかりしてたし、暗い子なのかなって」

「あ、うん。友達は今、あんまりいないかも」

「うっそ。じゃあよっぽど見る目がない人ばっかりなんだねー周り。でもよかったなー。わたしもほら、こういう感じだから、あんまり友達とかいなくってさー。あ、そうそう。はじめまして、よろしくね?」

 どういう感じなのだろう? と、わたしは思う。今のところ、むしろものすごく友達が多そうなタイプの子に見える。なんというか、全体的に陽のオーラを発していて、すごくさらさらとしている。うちの学校にはあまりいないタイプというか、世間的にも珍しい種類の人のような気がする。

「わたしだけ成績が悪くて、成績でクラス分けされちゃうから今まで仲良かった子たちとも別々になっちゃって、疎遠になった感じで」

「あーわかるー。高校の友達って行ったらいるから喋るって程度で、いなかったらわざわざ連絡取ろうとかまで思わないもんね。わたしも理系になってから一年のときの子たちとほとんどクラス別れちゃって。みんな文系にいっちゃったから」

「うん。そういうのもあって、なんとか成績上げたいんだけど、でも本当にもう、全然分からなくて」

 どうして初対面の子にいきなりこんな話をしているんだろうな? と、わたしの中の冷静な部分がすこし思う。でも話してみると、ああ、わたしはずっと誰かにこういう話を聞いてもらいたかったんだなと自分で分かる。どこかに、弱音を吐きたかったんだなってことに気付く。

「えーでもさー、それって飽くまでその学校の中での話じゃんね。大丈夫だいじょーぶ入学できてる時点で完全に選ばれし民なんだから。うちの学校だったら絶対に余裕の余裕でトップレベルだよ」

「そうかな……?」

「だってさ、高校から大学に向けての勉強なんて全員で勝ち抜きトーナメントをやっているようなもんなんだから、みんなして勝つつもりでやってるんだから、勝ち進めば勝ち進むほど勝負がキツくなっていくのは当たり前で、みんながみんな勝てるわけじゃないのは当然じゃん。でも、あなたはちゃんと成績を上げようと思って、こうやってツイの人との待ち合わせの時間までノートを開いて勉強してるんだから、それはとても偉いことだよ」

 べつになにが解決したわけでもないけれど、彼女にそう言ってもらえて、なにかがフッと軽くなったような気がした。それで、わたしは自分のお母さんが掛けてくるプレッシャーのことだとか、お母さんが抱いているらしい学歴信仰なんかの話をした。

「お、ちょっとごめんね」

 わたしが話をしている途中で不意に彼女がそう言って、片手でアイフォンを触りはじめた。「あ、いいよ。喋ってて、聞いてるから」と言うので、せわしなくフリック入力をしている彼女に向かって、わたしは喋り続けた。お母さんのこと。学校のこと。ぜんぜん分からない試験のこと。彼女は俯いてスマホを触りながら「うん」「へえ」「そうなんだ」と、返事をしつつ聞いてくれていた。

 不意に彼女が顔をあげて「なんかね、いま会ってるって話をしたら合流したいって言ってるんだけど」と、わたしと共通のフォロワーの名前をあげた。

「あなたは、会ったことあるの?」

 わたしが訊くと、彼女は「前に一度だけね。あ、男の子だけど、わりとまともっぽい子だよー。カラオケ行こうって言ってる」と、健やかに笑う。

「そうなんだ」

「なんか、このお店の場所がよく分かんないって言ってるから、わたし迎えに行ってくるね。ここでちょっと待ってて」

 そう言うと、彼女はやってきた時と同じように、するりと滑らかに立ち上がって店を出ていってしまった。

 なんだ。友達、いるんじゃない。

 ちょっとそう思った。

 知らない人が、それも男の子が増えるのはすこし嫌だったけれど、それを口に出しては言えなかった。わたしはもとから拒絶の意志表示をするのが苦手だし、そもそも彼女はわたしに意志の確認もしなかった。ひょっとすると、本人曰く友達が少ないらしいのは、そういうところに原因があるのかなとすこし思った。表面的な人当たりはとてもフレンドリーなのに、人に合せることは全然しないみたいな変なちぐはぐさがあって、ちょっと自分勝手な印象はあった。ずっと一緒にいると、ちょっと疲れるタイプかもしれない。でも、今のところはそれがあんまり嫌な感じでもなくて、とても不思議な子だ。

 でも、なかなか興味深い子だなとも思った。

 お店にひとり取り残されたわたしは、仕方がないからまたノートを開く。呪文のような意味不明な文字列を、とにかく頭から順番に目で追ってみる。参考書を開いて、教師に言われるままにラインマーカーを引いた箇所を中心に見直してみる。授業で使った練習問題のプリントを、もう一度自分でやってみる。

 やっぱり、どれだけしっかり読んでみても、うんうんと頭を捻って考えてみても、さっぱり理解ができなかった。根本的に理解していないから、これでは練習問題に取り組むこともできない。夏だというのになんだか寒気までしてきて、それなのに手からはじっとりとした嫌な汗が滲み出て、だんだんと指先が痺れてくる。

 いや、そうだ。彼女も言っていたじゃないか。全員で勝ち抜きトーナメントをやっているようなものなのだから、だんだんとキツくなってくるのは当たり前のことなのだ。これは、ここまで勝ち進んできた証なのだから、なにも恐れることはない。きっと、ちゃんと一歩ずつこなしていけば、いつかは壁を突破できるはず。基本をちゃんと理解できれば、あとは練習問題を繰り返すことで精度をあげていくことができるはずだ。

 大丈夫。大丈夫。

 自分にそう言い聞かせながら、アイスラテに手を伸ばす。ぎっしりと詰まっていた氷はもうすっかり溶けて、コーヒーの匂いがすこしするだけのただの水になってしまっている。そこで、わたしははたと気付く。

 彼女が友達を迎えにいくといって店を出てから、もうどれだけの時間が過ぎた?

 スマホの画面を確認する。もうかれこれ、一時間ちかくは過ぎている。ちょっと迎えに行ってくるねと言ったままにしては、ずいぶんと遅い。

 すっぽかされたのだ。

 その事実に気が付くのに、とても時間がかかった。

 え? いやでも、そんな素振りはどこにもなかったよね、と、わたしは思う。そんな、ちょっと行ってくると言って、そのままどこかに消えてしまうなんていうことがあるだろうか? ひょっとして、なにか想定外のことがあったのだろうか。なにか事件とか事故にでも巻き込まれたのだろうかと思って、わたしは彼女のアカウントにDMを送る。反応はない。

 どうしよう。もうちょっとだけ待ってみようか。そんな風にすこし考えるけれど、わたしの中の冷静な部分が「なにをまだ期待しているの?」と、言ってくる。どう考えても、すっぽかされたのだ。わたしが気付かなかっただけで、彼女はきっと嫌な思いをしていたか、耐えられないくらいの退屈を感じていたのだろう。

 拒絶の意志表示をするのが苦手なのは、なにもわたしだけじゃない。誰にとっても、それはあまりやりたくない部類のことのはずだ。相手は所詮、電波の回線で繋がっているだけの薄い関係に過ぎないのだから、わざわざそんな労力をかける必要もない。フッと目の前から消えて、あとは知らないふりをしていればそれで済む話だ。

 というか、どうしてここまで明白なノーを突きつけられるまで、わたしはなにも気付かなかったのだろう。思い返してみれば、最初からわたしの態度は失礼極まりなかった。初対面の人に対して、もてなそうとか楽しませようなんてつもりがひとつもなくて、勝手に自分の悩みを一方的に喋って、慰めてもらって褒めてもらって、それでいい気分になって、ますます一方的に自分の話をしていただけじゃないか。彼女はちゃんと、それとなく、途中で「その話には興味がない」というメッセージを発していたじゃないか。それなのに、すっかり舞い上がってしまったわたしはまったく気付かずに、彼女に負の感情を一方的に吐き出すことで気持ちよくなっていただけじゃないか。

 なにが、なかなか興味深い子だな、だ。自分が当然、もてなしてもらえるものだと思っていて、拒絶されることがあるだなんてちっとも想像もしていない。やたらとビクビクとしているくせに、すこし受け入れてもらえただけで一気につけあがる。人間に対する当たり前の敬意に欠けていて、他人を自分の感情のゴミ箱として扱っている。そんなことをしていたら、そりゃあ嫌われるし、すっぽかされもするに決まっているじゃないか。

 愕然として完全に固まっていたわたしは、それでもなんとか気を取り直してノートと参考書を鞄に戻し、立ち上がって店を出た。外は溶けそうなほどに暑く、身体が信じられないくらいに重くて、靴底を引き摺りながらゾンビみたいに歩いた。

 なんとか、気分を切り替えようと思った。せっかく街まで出てきたのだから、書店にでも寄っていこうと考えた。けれど、本屋に入ってずらっと並ぶ背表紙を見ても、そこに書いてある文字列がまったく認識できなくて、まるで全部が三角関数とか微積分になってしまったようだった。

 わたしはたぶん、いまのままの自分でも無条件に肯定してくれる、自分よりも程度の低い人間を求めていたのだ。学校の中で最底辺にいるわたしは、学校の中では永久に自己肯定感を得ることができないから、それで外の人に褒めてもらって、慰めてもらって、気持ちよくなりたかったのだ。最初に学校名を聞いた時点で「ランクとしては下のほうだけど」とか考えていたことを思い出す。

 なんて惨めでみすぼらしいのだろうと、自分で自分が最高に嫌になる。

 彼女が聡い子なのは、ちょっと喋っただけでもすぐに分かった。彼女はきっと、わたしのこの醜さをあっという間に見抜いていたのに違いない。

 本屋はもうダメだった。早く家に帰りたかった。家も嫌だけど、心から恥ずかしくて、ここにはもういられないと思った。たくさんの他人が周囲を行き交っていることに、耐えられそうになかった。すこし歩く速度をあげて通りに出ると、どこからか歌が聴こえてきた。ビルの高い位置に取り付けられた大きなスクリーンに流れる、当たり前のコマーシャルソングだ。わたしはなるべくなんでもないようなふりをして、その場を離れようとして、それに失敗した。つまらないポップソングに殴られて、動けなくなってしまった。

 泣きそうになっていた。逃げようとしても、歌はどこまでも追いかけてきた。スクランブル交差点で赤信号につかまって、結局まるまる一曲ぶんを聴かされる羽目になってしまった。わたしはこんなどうでもいいようなポップソングの安っぽい歌詞にも粉々に打ち砕かれてしまうくらいに、すっかり弱りきっていた。どうしても顔を上げることができなくて、曲が終わるまで、ただジッと自分のつま先だけをみつめて耐えていた。身体の芯から疲れ切っていた。

 周囲の人が動き始め、一拍遅れて信号が青になったことを伝えるとおりゃんせが流れてきて、わたしはようやく顔をあげた。めまいがするほどたくさんの人たちが、右に左に斜めに、一斉に歩き始めていた。

 その行き交う人波の向こう、反対側の歩道に少し背伸びをしてキョロキョロとあたりを眺めまわしている女の子がいた。この炎天下を歩き回ったのか、額には汗がたまになって浮かんでいる。眉尻を下げ、泣き出しそうな顔で誰かを探している様子だったその女の子がこちらを向いて、わたしを認識して、雲がぱあっと晴れるみたいに清々しく笑って、手をあげて大きくぶんぶんと振った。

 その手に、なにをどうしたらそんなことになってしまうのか、バキバキに画面が割れた、かつてアイフォンだったものの残骸が握られている。

 ああ、わたしはあの子と友達になりたいな。

 不意にそんな気持ちがわいてきて、わたしも口の端をくいっとあげて、大きく手を振りかえした。もっと、彼女の話が聞きたいと思った。とりあえず、お店を出てからのこの短い時間で、アイフォンがそこまですっかりバキバキになってしまった、その経緯から。

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#ツイッターの人と会ってはいけません 大澤めぐみ @kinky12x08

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