最後の授業
小山空
最後の授業
ガラガラっと音を立てて教室のドアが開き、担任の女性教師、
「いや〜、待たせて済まなかったね。実りのない話をする保護者に捕まったせいで遅くなっちゃったよ」
海江田先生はやれやれといった表情で言った。
いつも思うが、この人は教師なんだからもう少しオブラートに包むということを覚えた方がいい。
「さて、みんな三年間お疲れ様。この三年一組は全員が大学進学や就職などの進路を固めて、無事今日の卒業式を迎えることができた。というわけで、この最後のホームルームが終わったらそれぞれの未来を生きていく君たちに、今から最後の授業をしたいと思う」
嘘、だろ……? この期に及んで授業?
数学教師の海江田先生の言葉にクラス中で大ブーイングが巻き起こった。文系の生徒が七割を占めるこのクラスでは当然の反応だった。いや、それどころか理系の生徒までもがブーイングしている。
卒業式を終え、学友との別れを惜しむ最後のホームルームで授業をするなんて聞かされたら、文理問わずそうなるだろう。しかし、
「まあまあ、気持ちはわかるけどね。どうしても数学教師として、君たちに伝えたいことがあるんだよ」
海江田先生のかつてない程に真剣なトーンに、教室は静かになった。
「お、これは同意ということでいいのかな? じゃあみんな席に座って。あぁ、どこでもいいよ、自分の席じゃなくてもね。おいおい、筆箱なんか出さなくていいんだよ。ノートもとらなくていいんだ。君たちの心に残していってくれ」
みんなは動揺しつつも、言われるがままに手近な席に座り、話を聞く姿勢を作った。
「よし。それじゃあ、最後の授業を始めるぞ」
海江田先生はチョークを手に取ってニコッと笑った。
「私は、人っていうのは関数で、その関数を描くことが人生だと考えている」
言いながら黒板にチョークで直交座標と、その原点を通る曲線を三本描いた。
人は関数、ねぇ……。文系の俺はもう興味が半分程なくなってしまい頬杖をついた。文系勢はだいたい同じような格好になっている。
「各人の描く関数は上昇するときも下降するときもある。人生もまた
ほーん。まあ、言えてるかもな。
「そして、関数は交点を持つ。これが人と人の出会いだな。しかし、交差する関数はその交点を過ぎればまた離れ離れになってしまう。出会いと別れがセットになっていることが視覚的にもわかるだろう?」
海江田先生は黒板に描いた関数の交点、図中では原点にもなっている点をチョークでグリグリと強調した。
なるほどねぇ。出会った人とはいつか別れる。そんな当たり前のことが確かに表現されている。
「この交点が、みんなにとってはこの高校、このクラスだと考えてくれ。ところで今日、みんなはこんな風に思わなかったかな。『三年間、長いようであっという間だったなぁ』って」
あぁ、思ったな。でもこれって誰でも思う、いわゆるテンプレートな感想ってやつじゃないのか?
「みんなの反応を見る限り、図星って感じかな。まあ定番の感想ではあるからね。でもこの感想が定番になったことにも、ちゃんと説明がつくんだよ。関数の交点は関数全体で見ればほんの一点に過ぎない。つまり、人生においては、出会いというのは本当に一瞬の出来事に過ぎないんだ。だから、短いと感じるんだな」
なるほど。交点は一点、出会いは一瞬。確かにリンクしている。
気づけば俺は前のめりになって先生の授業を聞いていた。さっきまで俺と同じように頬杖をついていた連中もだ。
「さて、今日をもって君たちは、この高校という交点を離れ、それぞれの関数をまた別々に描いていくことになったわけだ。でもね、ここで一つだけ、絶対に忘れないでほしい事実がある」
海江田先生はそこで言葉を切り、教室を見渡した。クラス中が息を呑んで先生の言葉を待った。
「それはね、関数の交点っていうのは、一つとは限らないってことだ」
俺は全身に鳥肌が立ったのがわかった。
「
海江田先生は始めた時と同じように、またニコッと笑った。
「さあ、これで最後の授業はおしまいだよ。みんな卒業おめでとう。次の交点でまた会えることを楽しみにしているよ。じゃあね」
海江田先生は手を振り、やはり来た時と同じように白衣を翻し、教室を出て行った。
最後の授業 小山空 @yukiakane
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