旅立ちの朝
晩年。ホーエンハイムは、不老不死の研究に没頭していたらしい。
ただ、それが晩年だったからとか、戦争が始まったから、とかというのは、あまり関係のない話だったのかもしれない。
彼の頭の中には常に、戦争に巻き込まれて粗雑に殺された者たちの姿がこびりついていた。敵国に殺された自分の家族や友人。あるいは、自分の兵器で殺した敵国の兵士たち。
どちらにも愛する者がいて、愛される者たちであった。
だが死んだ。
当然だ。戦争だからだ。世界とはそういうものだし、残酷なのは当たり前の話だ。ハッピーエンドというものは、人が神の立場で創作した話の最後にあるもので、それはそういう風に作っているからそうなるだけの話だ。この世界にそういう神はいない。
だから、何の罪のない人間が、どうしようもない悪意にさらされて死ぬことは、普通の事なのだ。そういう終わりも用意されていることは、当たり前なのだ。
故郷の村を滅ぼされたその日から、きっとホーエンハイムはそんなものが許せなかったのだろう。その許せぬ思いが、ずっと心の中にあって、抗う術を定めたのがその時だっただけの話なのだ。
――懐かしい。
ナルエタから奪い取った爆弾を手に、イヴは一人地下洞窟を歩いていた。
イヴが生まれたのは、彼の秘密研究室の培養管の中だった。
ホーエンハイムが出兵したものの戻らず、研究室の電力が静かに止まり、息が苦しくなって目覚めたのだった。生まれた時から、死の間際にいて、どうにか培養管を蹴破って外に出たのだった。
目覚めたばかりのころは、自分自身に困惑するばかりだった。
ホーエンハイムは、自分の妹に似たホムンクルスを作るために、自分の血を使っていたらしい。そのせいか、イヴの記憶には断片的に彼の記憶と感情が、生まれた時から刷り込まれていたのだ。
だから彼の苦悩も分かるし、悲しみも怒りも分かる。
生まれた後は、とにかくそこには救いがなかったので、外に出た。
自分自身を見つけるために旅に出た。
旅先でアーティファクトを見つけて自分のものにした時は、世界が自分を認めてくれたかのようで嬉しかった。祝福してくれたようだった。
そうして世界を巡り、様々なものを見て、自分というものを作り上げていくために行動していった。その過程で都市のアーティファクトを壊すこともあったし、捨てられた子供を拾うこともあった。
果たして、イヴはそのように出来上がったのだ。
「やっぱ、そうよね」
疲れのせいか、独り言が漏れてしまう。
イヴは洞窟の壁や地面が、見覚えのある人工的なものに変わっていく様を見て、一人納得していた。
頭の中にはおおよその地図があった。それでいくと、自分はリブライラの家から、都市から離れるように移動していることになっていた。
具体的には、あの名前のない島に向かっている形だ。
最初に、あの島の地下施設に訪れた時は、別の施設になっていたために、もうあの場所は無いものと思い込んでいた。
しかし、そうではなかったのだ。ひどく単純な話で、自分が生まれた場所は、あれよりもさらに下にあっただけの話だったのだ。
「何百年も昔の事だし、はっきり覚えてないのも、仕方ないわよね」
自分自身を慰めるように苦笑しながらイヴが言う。
目の前には壊れた扉があった。扉の奥には、自分が生まれた研究施設があり、あの培養管があった。壊れた器具と、暗闇だけがそこにあった。
そして、その奥にうごめく肉塊がいた。
「イシ……。ケンジャ、ノ、イ、シ……」
もはや人型ですらない、それはグネグネと動きながら何かを探しているようだった。それが何であるか。その答えは、今となってはソレの口らしく物から漏れ出る鳴き声のようなものしかなかった。
愚かな男だ、とイヴは思った。
お前も外に出て、もっと色々なものを見れば考えが変わったのだろうか。
あるいは、そのままだったのだろうか。
永遠を望むことなく、刹那に希望を託せただろうか。
――あぁ、でもとにかく。
小さく息を吐いて、イヴは静かに爆弾の起動ボタンを押した。
手に持ったそれが振動して、光を放つ。
肉塊は目があるのかは分からないが、まるでその光が逃げるように部屋の隅へと移動していった。
――さよならだ、ホーエンハイム。
爆弾を放り投げる。弧を描いて、それは肉塊の傍に落ちる。
光が大きくなり、部屋全体を照らした。
「さよならだ、私よ」
そして光が全てを飲み込んだ。
◆◆◆
少年が目を覚ますと、見覚えのある天井が視界に飛び込んだ。
起き上がって辺りを見わたす。どうやらそこは、記録城のベッドの上らしかった。
窓から差し込む陽の光を見るに、今はどうやら朝らしい。
痛む頭を抱えて、何があったのか、どうにか思い出す。
ホーエンハイムと戦っていたところは覚えている。そして、その後確か、あれを殺すための爆弾をナルエタが取り出して――。
「ナルエタ」
少年がポツリとつぶやいたのと、部屋の扉が開いたのは同時だった。
入ってきたのは、ロックウッドだった。
「目が覚めたようだね――キミ」
何と呼ぶべきか迷った果てに、ロックウッドは何者とも定めずに、そう呼んだ。
「あれから、何がありましたか」
「例の孤島が沈没した。――ホーエンハイムとイヴもろとも。キミとナルエタは、外で待機していたイヴの連れの少年に助けられたんだ」
ナルエタが生きていると知り、胸のざわつきだけは収まる。
――しかし、どうやら胸には別の穴が開いたらしい。
「――ナルエタは、今どこに?」
「墓地だよ」
◆◆◆
破損した箇所は既に修復されているようだった。
リブライラの墓前に立つ彼女は、いつも通りのメイド姿に戻っていた。
ロックウッドと少しばかり話をした後、少年はナルエタがいると言われた墓地へと足を運んだ。
墓地についた少年は、ナルエタを見つけて彼女の元へと歩き出す。
「リブライラ様が殺された事を納得できる日が来るとは、ワタクシは思えません」
こちらを見ないままに、ナルエタが口を開いた。
「ですが」彼女の声が震える。「これでようやく、あの方の名前をここに刻めるのですね」
スカートが汚れることも厭わず、彼女はそこにしゃがみこんだ。
冷たい指先で、二人分の名前しかない墓石を撫でる。
「彼は生きた。その結末は確かに納得できなかったかもしれないが、それで彼の全てが台無しになったわけじゃない。だから後から意味なんかつけて、安心する必要なんてないんだ。――そんなこと、誰もしなくていいんだよ」
「……はい」
ナルエタが立ち上がって向き直る。
そこにいたのは、いつもの彼女だった。
ただ一点、いつもと違う所は、その手に刀が握られていた所か。
「それは……」
見覚えのある刀だったので、少年は問うた。
「イヴ様より渡されたものです。アナタに渡してほしいと」
ナルエタに差し出された刀を手に取る。
ズシリとした重みが手のひらに落ちる。これを彼女は振るっていたのか。
「――重いな」
「聞いているかもしれませんが、それはアーティファクトであり、アーティファクトさえ斬れる刀です。――すさまじい力です」
「あぁ、イヴから聞いたよ」
「それと意思さえあれば、アナタは何にだって立ち向かえるでしょう」
「……どうだろうな。まだ使いこなせない」
振るえば伝わる重みは、まだ自分には重すぎるものだった。
苦笑しながら返事をすると、目の前のナルエタは悲しげな表情をしたまま、こちらを見ていた。
「――旅に出られるのですね」
それは自分がここに来る前にロックウッドに言った事だった。
まだ彼にしか言っていない事で、ナルエタには伝えていないことだ。
しかし、彼女は確信したように、そう言い切っていた。
それはそうだ、と少年は納得する。
彼女はリブライラをずっと見て来たのだ。だから、リブライラが思いそうなことは、思いつくのだ。
「――うん。オレは、自分がどういうヤツなのかを知りたい。世界を見て回って、自分自身を作っていきたい」
風が吹いた。頬をそれが撫でた。
二人の間に、しばらく会話は無かった、
ただ見つめあい、目を合わせるだけだった。
やがてナルエタが、スカートを握りしめて、頭を下げてこう言った。
「どうか、お元気で。――そしていつの日か、アナタさえよければ、帰ってきて、ください……」
「――自己紹介が出来るようになったら、きっと帰って来る。その時は『はじめまして』からやり直そう」
◆◆◆
都市の門を出たところで少年は伸びをした。目指すは、とりあえず隣の都市だろうか。
目の前には果てのない草原が広がっている。
旅に必要なものはロックウッドがある程度用意してくれたものの、それなりに厳しい旅にはなるだろう。
「ねぇ」
などと考えていると、不意に声をかけられた。
それは自分の背後から聞こえていて、振り返ると門の傍で座っている、眼鏡をかけた自分と同じくらいの子供がいた。
「キミ、それ、イヴからもらったの?」
眼鏡の彼は、少年が腰に差している刀を指さす。
セリフから察するに、彼がイヴの協力者なのだろう。
「あぁ……」
「そっか」
と、眼鏡の彼が立ち上がる。パンパンとズボンについた土を払って、こちらを見やる。
「なら、キミについてこっかな」
そして手を差し出す。
「ボクはノーレッジ」
差し出された手を握り返す。
「えっと、オレは――」
とそこで、少年は自分にまだ名前が無いことに気づいた。いや、知ってはいたのだが、こうして困ったことは初めてだったので、どうすべきか迷ってしまう。
「リブライラ、じゃあダメなんだよね」
ふむ、とノーレッジが考え込む。どうやら彼は、こちらの事情を知っているらしい。
どうしようかと考えて、ふとある事を思い出す。
「なぁ、そういえばこの刀って確か名前あったよな」
「あるよ。『クオンタム・ブレイド』って言うんだけど――。え、もしかして」
どうせつけるなら、彼女の何かを拝借したかったのだが、と少年は苦笑する。
そのままいただくには、どうにも呼びづらい名前だった。
「まぁ、意思を継ぐって意味なら、それもアリなんだろうけど」
「ちょっと呼びづらいな」
あ、とノーレッジが言葉を漏らした。
「そういえば、イヴもそう言ってたよ。呼びづらいからイニシャルで呼んでた」
――イニシャル。
手にした刀をちらと見る。
――それなら、まだ呼びやすそうだ。
「で、どうするの? ボクの自己紹介からやり直す?」
「いや、オレからでいいよ」
「あっそう。――じゃあ……キミの名前は?」
「『qb』で頼む」
都市巡りのキュウビ ガイシユウ @sampleman
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます