願いの決戦
かつて、リブライラと名乗っていた少年が暗闇で目を覚ました。
「――っく、くぅぅ」
意識が戻り、体を動かそうとしたが、凄まじい痛みがそれを拒否した。
体の中でのたうつ痛みを口から逃がすように呻く。
――何がどうなったのか。
確か自分は、オリジナルの家に居たはずだ。そして、そこでホーエンハイムと対峙し、ナルエタが助けに現れて――。
そう、おそらくは家の床が抜けたのだ。
あのホーエンハイムの無茶苦茶な攻撃で床が抜けて、自分たちはそこから落ちたのだ。
気づけば痛みは体から引いていた。
おそらくは、これが完成されたホムンクルスとしての自己再生機能なのだろう。
化け物じみた自分の体に苦笑しつつ、どうにか起き上がる。
周りを見れば、どうやらここは洞窟のような所だった。
天を仰げば、はるか頭上から弱弱しく光が差し込んでいる。家の床が抜けて、そこから落ちた距離にしては大げさすぎるものだ。
――ここは何なのか。
「良かった……」
頭の中に浮かんだ疑問を、背後からの声がかき消した。
振り返れば、そこにいたのは右腕と左足を失ったナルエタだった。
断面からは血管のように、千切れたコードがはみ出ている。
「お前――」
「おそらく、ここはマスター・ホーエンハイムが作り上げた地下空洞でしょう。先代のご主人様への接触も、ここを使ったのではないかと――どうされました?」
「もしかして、オレを庇ったのか」
「――はい」
「どうして……。オレはお前のご主人様じゃない。偽物なんだ。――オレは、違うんだ」
その言葉に、ナルエタはすぐには返さなかった。
彼女はじっと、こちらを見つめたまま、しばらく沈黙し、そしてようやく口を開いた。
「――リブライラ様は、生まれた時からお体が弱く、過行く日々の殆どをベッドの上で過ごされていました」
脳裏にその光景がよぎる。
自分はベッドの上に居て、辿りつけぬ窓の外の景色に思いをはせた日々。
傍には彼女がいて、ただただ世話を焼いてくれて、暇つぶしの相手をしてくれた。
遠い異国の地の物語を語ってくれて、時にはその土地の料理も振る舞ってくれた。
いつ消えるとも知れぬ命の灯を見つめる自分の瞳に、そっと目隠しをしてくれていたのだ。彼女と語らう時だけは、死を忘れられた。
「ワタクシは――、ワタクシは――。そんな運命の理不尽さを背負って生きる彼が――」
見つめるナルエタの瞳が淡く点滅する。
ボロボロになった唇がかすかに動く。
「きっと、好きだったのだと思うのです」
か細い声でそう言った。
「――そして、だから、それと同じくらいに、その運命に怒りを覚えたのでしょう。ベッドの上で生まれて、そこで死んでしまうだけの命であったなら――。ならば何故、生まれて来たのだ、と。何のために、生まれてきたのだろうか、と」
彼女の視線が地面に落ちる。
「ワタクシは、ただ納得できなかったのです。彼と言う、無垢な一つの命が無為に散らされた事実を、受け入れられなかった……」
「――だから、両親が作ったオレを、オリジナルだと思うようにしたのか」
「……はい。ワタクシも結局、あのマスターと同じだったということ、です。誰かの不幸な話を受け入れられなかった。それを無かったことにして、話を続けたかっただけの愚か者だったのでしょう」
「――それで、どうしてオレを助けたんだ」
「アナタに謝りたかった。アナタを騙した罪を償いたかった。――多分、そういうのです」
「――機械にしては雑な説明だな」
「心を持たずに生きるには、長すぎる時を過ごしてしまったのです」
少年は、ただ目の前の壊れかけの機械人形を見つめていた。
彼女の話を聞いて思うのは、彼女は一つ勘違いをしていることだった。
ベッドの上で死を待つだけだった少年が、果たして本当に不幸であったかどうか、という話だ。
彼がどういう感情を抱いていたかは、そのコピーである自分は知っている。
けれど死んだ者はもう戻ってこない。その思いも本当の所では、知ることは出来ない。
そして、自分は彼ではない。
「さぁ、ワタクシを置いてお逃げください。今のワタクシはただの動けないガラクタです。危険度は相変わらずですが、まずは一刻も早く、ここから逃げられた方がまだマシです」
確かに今のナルエタは破損状態もひどく、自立も出来ないだろう。
彼女を置いて自分一人逃げて、誰かに助けてもらうほうが得策だろう。
そんなことは知っているのだ。
けれど。
「え……?」
気づけば彼女の肩を担いでいた。
ずしりと彼女の命の重さが肩にのしかかる。
「どうして、ですか」
「――オレは、リブライラじゃない」
一歩、彼女を担いで歩き出す。
「でも、この心も記憶も全部リブライラのものだった。――そんなにすぐ、他人にはなれない」
◆◆◆
ナルエタを担いで地下空洞を歩く。
彼女が言っていた、ホーエンハイムがここを根城にしている、というのは本当らしい。道の端々に転がっている樹の化け物を見て、それを確信する。
どれもこれも枯れたように朽ち果てていて、ごみのように打ち捨てられていた。
「戦争です」
ナルエタがポツリとこぼした。
「マスターがいた時代は、戦乱の世であったと記録しています。この地下空洞も、おそらくは戦時中に使用されたものだと思われます」
「食料とかを運んでたのか」
「いえ、おそらくは――」
「ホムンクルスだ」
その声は真正面から聞こえた。
進行方向、数歩先の地面が隆起し、円筒状の物体が現われる。そしてそれが崩れ落ちると、中からはフードをかぶった一人の老人が現われた。
「マスター・ホーエンハイム」
ナルエタが、その老人の名を呼んだ。
「当時の戦争では、トワリスからも兵を出せと中央からの指令があった。ホムンクルスたちには、その肩代わりをしてもらったのだ。無論、表向きはそういった神への冒涜ともいえる新たな命の想像は禁止されていたため、地下に研究室を構え、地下通路を使って都市の外に運び出していたのだがね」
そう語るホーエンハイムの姿は、先ほどの暴走しているようなものとは掛け離れ、平時のものに戻っているようだった。
その姿をじっと少年が見つめていると、ホーエンハイムが「あぁ」と漏らした。
「すまないね。先ほどは慣れていなくて体が暴走してしまったようだ。しかし、今はもう賢者の石も支配下に置くことが出来た。――全てはキミのおかげだ、感謝しているぞ『リブライラ』」
「違う」
静かに、けれどはっきりと、その言葉は少年の口から出た。
彼は担いでいたナルエタをそっと地面に寝かせると、彼女から離れるように一歩前に出た。背後では彼を心配するナルエタの声が響くが、少年は一切のそれ無視した。
「キミはリブライラではない、と」
「あぁ。でも、そっちよりも違うものがある」
思い返せば。
気に食わないこととは、ソレだったのだ。
自分が怒っていたことは、ソレだったのだ。
「オレはアンタのために生きてるんじゃない」
少年の体が沈む。
ホムンクルスとしての自分を受け止め、その力の一端を引き出した彼は、それを使うことを躊躇しなかった。
それは刹那だった。
彼の体が宙を飛び、その足が鞭のようにしなり、ホーエンハイムの首めがけて振りぬかれた。
「――」
だが、それは届かない。ホーエンハイムがとっさに、右腕でそれを防御したからだ。
しかし、その表情は険しいものだった。
足をはじかれ、少年はホーエンハイムと距離をとる。
「アンタは完璧になろうとした。一人ぼっちでも生きられる、ただそれだけの生命になろうとした。そのなり方を確立して、他人にもそれを分け与えようとした」
「不老不死の技術確立だ」
少年の次の動きを警戒しつつ、ホーエンハイムが語る。
「キミは、人の生きる意味というものを考えたことはあるか。人間はいつか死ぬ。それは覆らない、絶対だ。そして、その絶対の先にあるのは『無』だ。自分も死に、自分を知る者も死に、やがて自分という存在がこの世から消えてなくなる」
ぴゅう、と。
洞窟の中を風が通った。少年はその風を頬で受けながら、老人の話を聞いていた。
「だから人は何かを残す。世界に対して爪痕を残そうとするのだ。――だが、それも為せぬものもいる。例えばキミのオリジナルなどだ。彼は何を残した。何が残った。――彼の命に意味はあったのか」
少年は――。少年の耳には、もはやその老人の言葉は届いていなかった。
なぜなら、その考えをこそ、彼は今まさに嫌悪していたからだ。
「何も」
だから、はっきりと答えた。
「何も残らなかったさ。当たり前だ。ベッドの上で、明日になれば死ぬかもしれないと、怯えていたヤツなんだ。何を残せるはずもない」
「そうだろう」
「――でもだから」
今度は予備動作は無かった。
ただ重力に身を任せるようにして、おもむろに重心を前に傾けるようにして、そのまま少年は飛び出した。
地面と水平に滑るようにして、矢のように右の拳を振り絞って。
バツン!
という音と共に、疾走する少年は、その右手で老人の胸を打ち抜いていた。
「それが何だって言うんだよ」
がくがくとホーエンハイムの体が痙攣して、やがて動かなくなった。
◆◆◆
それは都市の教義に反することだ。
人はなぜ生きるのか。その答えは生きた証を残すこと。生の意味をつかみ取る事。
トワリスの教えとはそうだった。実際、自分もそれに納得していた。
しかしだ。
ならば、やはりオリジナルの命は無価値だったのだろうか、と考える。
――いや、それは絶対に違うのだ。
少年は知っている。
リブライラが、ナルエタに対してかつて抱いていた想いを。
彼の心が、決して死への恐怖だけに支配されてはいなかったことを。
命に意味などない。
ただ尊く、そこにあるだけなのだ。
記録を求めて努力した人々がいた。しかし、彼、彼女らが欲したのは、記録だったのだろうか。永遠になりたいだけだったのだろうか。
その答えは知る由もない。
ただ、今少年が言える答えらしきものは、一つだけなのだ。
〝オレの人生を、他人が勝手に評価してんじゃねぇよ〟
「――」
ホーエンハイムの体に拳を撃ち込んだまま、少年はただぼうとしていた。
ようやく腑に落ちたのだ。自分が怒る理由。ずっと引っかかっていたもの。
「意味が、ないなど」
ゴホゴホと口から血を垂れ流しながら、ホーエンハイムがぐぐもった声で喋る。
「あぁ、人生に意味なんて無いのさ。ただ、そこにあり、当然のように終わるだけ。そしてそれは、そういうものだし、それで良いんだ」
「――認めない」
血を吐きながらも、ホーエンハイムはそう言った。
「ならば、キミのオリジナルはアレで良かったと言うのかね。私の妹は、あれでよかったと言うのかね」
それは底冷えするような声だった。
達観した、賢者のようなホーエンハイムの、人としての怒りの声だった。
とっさに危機を察した少年は、腕を引き抜こうとしたが、それは叶わない。捻じ込んだ腕が、食われたように動かないのだ。
「言っただろう。収穫の時だと。――だから私の体は、そういう風に出来ているのだ」
何かが体から抜けていくのが分かる。
ホーエンハイムを貫いた自分の腕から、力が吸い取られているのだ。
「私は運命を恨む。消えゆく人々を恨む。誰も寝てはならない。誰も忘れられてはならない。永遠であるために意味は必要だ。しかし、一生のうちに意味を獲得できる人間は多くない。なれば、やはり正攻法で永遠になるしかないのだ。この、誰にどう訪れるか分からない、この不条理な死に抗うには」
◆◆◆
例えば。
ある所に独りの少女がいて。
そして、その少女には兄がいて。
彼女は兄を慕っていて、いずれは両親の後を継いで、村でパン屋を開こうと言っていて。
そこはのどかな村で。平和な村だったとして。
あぁ、そんな、ありきたりな平和な日々が戦争などというもので侵されたなら、どうだろうか。
両親は死に、兄は行方知れずとなり、妹は――、妹は辱められて死んだとすれば。
――それは、どうなのだろうか。
そしてそれが現実の話で、もうどうしようもないほどに、そこで終わりの話だとすれば。
失意のうちに、その妹が命潰えたとしたなら、それはどうなのだろうか。
全ては、そこから始まったのだ。
かつて、そうやって大切な誰かを失った男がいた。
その不条理な話に納得が出来ず、怒りにまみれて、その顛末を書き換えようとしたのだ。
こんな終わりは認められない。せめて彼女は何か意味のある生を全うすべきだったのだ、などと。
そして、作り始めた。
死なぬ人を。人が死なぬ術を。
終わるからダメなのだ。終わらなければ良いのだ。
納得できぬ結末を拒否し続けるだけの、永遠があればよいのだ。
そうして、男は作り続けた。
フラスコの中の小人を、ホムンクルスを。
そして、男が最初に作ったのは、だから捨てきれなかった妹の現身だったのだ。
◆◆◆
痛みも感じぬ間に、銀の刃がするりと通った。
少年はややあって、自分の腕が刀で斬られたことに気づいた。引き抜こうとしていた力の勢いで、そのまま尻餅をつく。
「――なるほど、お前か」
刺さったままの腕を引き抜いて、ホーエンハイムが呟いた。
その視線の先には、イヴがいた。
彼女は刀についた血を払って、少年に一瞥もせず、ただホーエンハイムだけを見つめていた。
「イヴ」
ただ、意味もなく、少年は彼女の名を呼んだ。
「――それがお前の名前なのか」
ホーエンハイムが言う。妙なセリフだ、と少年は思った。
「そーよ。アタシがつけたの、自分自身に。――アンタは、アタシに名前をくれなかったからね」
「使い捨ての試作品に、名などつけるかね」
「――それはアンタが決めたアタシの人生の意味でしょう。アタシから見れば、アタシの人生はそんなんじゃないのよ」
「狙いは、賢者の石か」
「――」
ホーエンハイムの問いにイヴは答えない。
手に力を込める。しかし、それはするりと逃げていく。その理由を彼女は知っている。
決断し、行動するのならば、急ぎ行わなくてはならない。
一歩踏み込んで刀を振るう。左肩から心臓にかけて、刃を振り下ろす。
それに対してホーエンハイムは、地中から生やした木の根で迎撃する。
しかし、イヴはそれごと切り伏せる。刃がホーエンハイムの体に入り、そしてそのまま何の苦もなく過ぎ去っていった。それはまるで水を斬ったかのようだった。
「切れ味の良い刀だ。アーティファクトだな。どこで見つけた」
歯牙にもかけない風に語るホーエンハイムを、イヴは観察する。
確かに攻撃は通ったはずだ。しかし、問題があった。
こいつはすでに、不死身の怪物になってしまっているのだ。コピー・リブライラの力を吸収し、不死身というか、凄まじい自然回復力を手にしている。
刀は確かにこいつを斬りはしたが、こいつは斬られながらも、その傷を再生し続けているのだ。
一撃で殺しきるか、あるいはもっと別のアプローチを考える必要がありそうだ。
と、不意に膝から力が抜けた。
――ダメだ。
イヴは自分の呼吸が荒くなっているのを感じた。今一度力を振り絞り、立ち上がろうとするが、中々それがかなわない。
「――寿命か」
ホーエンハイムの声には、何の感情も籠ってはいなかった。ただ、淡々と事実を確認するようなソレだった。
手首に巻いていた布が剥がれて落ちる。
「――その腕……」
困惑する少年の声が耳に届く。
イヴはその腕を見ない。
それがどのようになっているのかなど、もうとっくにわかり切っているからだ。
そこにあるのは、人の肌ではない。
目の前の老人と同じ木の肌だ。そして、その木は、すでに枯れた色をしている。
「お前は、私が作った最初の不老不死のホムンクルスだったな。まさか今日まで生きているとは思わなかったぞ」
「――あんたと違って、健康に気を使って生きてんのよ、こっちは。こうして、運動もしてるしね」
刀を杖代わりにして、どうにか立ち上がる。
どうすべきかを思案しつつ、視線を走らせる。
と、そこで視界の端で何かが動くのを見た。それは白い布だった。それは、片腕を亡くした一人の少年だった。
さっきまでイヴの背後に居た彼は、その前に躍り出て、あろうことかホーエンハイムに向かって走り出していたのだ。
◆◆◆
その考えが頭の中に浮かんだ時、気が付けば、少年は既に動いていた。
腕を引き絞り、ホーエンハイムの顔面目掛けて拳を放つ。
案の定、その攻撃は通らず、彼の腕に食われる形で受け止められてしまった。
そして、さっきも味わった力の吸収が行われる。
「――愚かなものだ。それはさっきやっただろう」
ホーエンハイムの嘲笑が耳に届く。
しかし、少年もまた薄く笑っていたのだ。
「あぁ、だからやってないところまで、やってみようと思うのさ」
さっきは怯えるだけだったが、今度は違う。
接合されている腕に力を込める。
力の流れをイメージする。ホーエンハイムと接続している、この腕からアレの中に入り込むような、流れのイメージ。
力を吸収される、というよりも、こちらの力を無理やり向こうに送り込むような感覚である。
「な――!」
さっきまで、さして変化のなかったホーエンハイムの顔に、明らかな動揺が浮かび上がる。
そう。こいつは、あの家の中で自分の力の一部を吸収した時、確かに暴走したのだ。
今しがた、その力は制御したなどと言っていたが、それはどのくらい本当のことなのだろうか。
制御したというのは、あの時家の中で吸収した分の力だけではないのだろうか。
なら、制御できなくなるほどの、大きな力を相手に送り込むと、どうなるのだろうか。
――なんなら、内部で爆発するイメージも添えて、だ。
ボンッ、という音と共に辺りに、ホーエンハイムの背中が爆発し、そこから何かが飛び出した。――血だった。
そう。これが答えだったのだ。
少年は確信した。
「ガァッ――!」
ホーエンハイムが、その手を無理やり引き抜こうと、空いているもう片方の手で掴む。
そして、そのまま引き抜かれ、壁に向かって投げ飛ばされる。
背中に鈍い痛みを感じながら、立ち上がりホーエンハイムを見る。
赤い筋を体に何本も浮き上がらせて、苦しそうに腰をまげて、獣のように呻く。
瞳は赤く染まり、口から漏れ出るのは、もはや人の言葉ではなかった。
「ガ――、グ――、ガ……!」
体をかきむしって、どうにか中の熱を逃がそうとしているようだったが、それが叶わずに、その怪物は呻いていた。
ふと、金属の「チャキ」という音が聞こえ、そちらに視線を向かると、イヴが刀を構え、今にも踏み込んで斬ろうとしている状態だった。
しかし、ホーエンハイムはその行動の先を許しはしなかった。
またも地中から木の根を生えさせて、イヴを刺し貫こうとする。
難なく、それを切り裂いたものの、ホーエンハイムはその隙をついて、すでにこの場から走り去ろうとしていた。もう遠くなり、小さくなってしまった背中を見つつ、少年とイヴは苦々しく舌打ちをするだけだった。
◆◆◆
「やるじゃない」
肩で息をする少年に、イヴはそう言った。
「正直、あれをどうやって倒すのか、ひらめき待ちだったし」
「出来そうなことをしただけさ。それよりもアイツ逃げちゃったぜ。急いで追いかけないと」
「そーね」
などと返事をしながら、イヴはしかし、その言葉通りには思っていなかった。
追いかけていったところで、どうにかなるものなのだろうか。
確かに賢者の石の力を許容量以上に流し込む策は有効だっただろう。しかし、二度も通用するだろうか。
こんな策に、アレがもう一度嵌ってくれるだろうか。
「皆さん」
背後に寝かされたナルエタが口を開く。
ふと振り返れば、彼女の胸がぱっくりと開いて、中から筒状の何かが取り出されていた。
ナルエタが、それを握りしめて立ち上がる。脚部が破損していたが、それでも危なげなく、彼女はするりと直立する。
「ありがとうございました。ここから先は、ワタクシのほうで『ケリ』をつけます」
手にした筒を二人に見せる。
「何よ、それは?」
「爆弾です」
こともなげに、ナルエタがそんなことを言った。
「ワタクシの各種兵装の動力源、エネルギーのようなものです」
「――闘技場で言ってたアレ……⁉ ってことは、それを――」
「はい。ホーエンハイムの傍で爆発させます」
「確かに、それならアレも殺しきれそうだけど……。でも、作動させた人間はどうなるのよ」
「――ワタクシが起動させます。自己修復機能のおかげで、移動と起爆くらいは出来そうなので」
ケリをつける、ということはそういうことなのだ。
本当の所は分かってはいたが、しかしイヴは聞いたのだった。
「待てよ」
少年が言った。
「なら、オレがやる。オレの体は不死なんだろ。だったら、オレが持って行って起爆させたら、それでいいはずなんだ」
「その不死を殺せるかもって、爆弾なのよ。アンタだって、無事じゃすまないわよ」
「それでも、ナルエタよりは可能性はある」
「可能性、ねぇ」
――トン、と。
イヴが不意に少年の首を叩いた。
それで彼の意識は闇に消えて、力を失ったその場に倒れ込んだ。
「なにを……?」
機械だというのに。
ナルエタの声には困惑の色が混じっていた。
「それ、アタシが持ってくわよ」
「ですが、それではアナタが」
「死ぬかもね」
何事も無いように、イヴはひょいとナルエタの手から爆弾を奪い取った。
「――まぁ、でも精いっぱいやってみるわよ」
代わりに自分の刀をナルエタに渡す。
「これはもういらない。ソイツにでもあげて」
「――アナタは、どうして……」
「人には向かうべき運命があって、そこに向かうのだ、とか。意味を残すために生きているのだ、とか。――これは、そういうのでは、ない」
イヴは思う。
「そういうのは弱い者の考え方だから。自分の人生を他に委ねる、ズルい生き方なのよ」
――人の命に意味はあるのだろうか。
「自分の人生は、生き方は、命は、自分自身で決めなければならない。そしてそれは、自分が何をしたいかで決まる」
――否、意味を求めることは誤りなのだ。人生の本質とは、それとはまた別の所にあるのだ。
「どう思い、何を欲し、どうするのか。自分の頭で考えて、意思でもって決定する。アタシはただ、そこのガキに生きてて欲しいだけのよ。そんで、そのガキが命を賭けようとしてるのを、ただ黙ってみているだけの大人になりたくなかったのよ。――本当に、それだけの理由よ、これは」
――そして、その本質とは永遠ではないし、それもやはり他者に拠る所ではないのだ。
「想いを捨てるな。――人が生きる意味を強いてあげるなら、何かを想うために生きてるのよ」
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