木製の悪意
ナルエタは記録城の屋根の上を走っていた。
眼下では、そこかしこから火の手が上がり、衛兵たちの声が飛び交っている。
探知機能を起動させる。
リブライラの体には、有事の際のためにすぐに居場所を特定できるように小型の機械をつけていた。それを頼りに、彼の位置を割り出す。
位置を特定し、追跡を開始する。
足を動かして、一秒でも早く、彼のもとに辿りつこうと駆ける。
一刻も早く追いついて、追いついて……。
――自分はどうしたいのだろうか。
リブライラが死んで、彼と出会った時、自分は何を思っただろうか。
『彼はリブライラ』だと、そう思い込もうとしたのではないのか。
記憶も記録も容姿も何もかもを引き継いだ彼は、まさにリブライラではないのか、と。
いや、何もかもを引き継いだ彼は、生物学的にもリブライラであると、自分の中の演算機もそう答えを出している。
もちろん、他都市への対応の問題という側面もあった。
賢者の石によって、不老不死のホムンクルスを作ったと悪戯に公表しては、面倒にもなっただろう。ある程度の準備をしてから、公表は行う必要があった。
だから、あれは正しい判断だったはずなのだ。
――正しい判断だったはずなのだ。
◆◆◆
彼がいたのは、あの中庭だった。
「ご主人様!」
今まさにそこから飛び立とうとする、彼の背に叫ぶ。
そこで彼は動きを止めて、ゆっくりとこちらを振り返った。
「――何?」
その瞳にあるのは、明らかな敵対心だった。
自分を今まで騙し続けた者に対する、明確な感情だった。
「戻りましょう。皆様、心配しておられます」
「戻る? 戻るって、どこに? オレは……偽物だから必要ないだろ」
「いいえ……」
ナルエタの声は知らずのうちに震えていた。
言うべきか言うまいか、どちらかで自分の中に迷いがあるのだと分かった。
「それでも、アナタはこの都市の統治者なのです」
「お守り」ぽつりと彼が言う。「あれ、首輪なんだろ」
「……」
「何で、あのタイミングでナルエタが、あの島に来れたのか、考えたんだ。どうしていつも、お守りのことを言うのかも。――あれは、首輪だったんだ。賢者の石で作られた、オレという不老不死のホムンクルスを管理するための……!」
彼の瞳が、かっと開かれる。
「――よくも騙したな」
それが最後で、彼女は背を向けて屋根に向かって飛び上がった。
ナルエタも追いかけようとしたところで、横合いから樹の化け物が突っ込んできて、阻まれる。周りを見渡せば、すでにすっかり化け物に囲まれていたようだった。
――こうなるまで、気づかなかったのは何故なのか。
ひとまずナルエタは、その問題を先送りにして、戦いの構えをとった。
今はただ、苛立たしいというノイズのような感情が渦巻いていた。
◆◆◆
今はただ、全てから逃げたかった。
かつてリブライラと呼ばれていた少年は、一人トワリスの街を駆けていた。
どこに行くかは決めていない。ただ、あの城以外のどこかに行きたかったのだ。
頭の中をめぐるのは『自分』と言うものについての疑問だった。
一体、どこからどこまでが自分なのだろうか。
何をどこまでが、コピーされているのだろうか。
――いいや、きっと、全てなのだ。
リブライラの頬を何かが伝った。
それは涙だったが、だからこそ、彼はそれを嫌悪した。
なぜならその涙には、ナルエタを想う気持ちが嘘だと思いたくない、という願いが詰まっていたからだ。
ナルエタが好きだ。
体の弱い自分に、外の世界をたどたどしくも教えてくれた彼女が好きだ。
ベッドの上で物語を読んでくれた彼女が好きだ。
明けない夜は無いと励まし続けてくれた彼女が好きだ。
でもそれは、自分の感情じゃない。
かつて死んだ『彼』の思いなのだ。
全部、全部嘘っぱちなのだ。
不意に足が止まる。
目の前には『家』があった。『彼』の家だ。
「は……はは……」
乾いた笑いが喉から漏れた。
ここも自分の場所ではないというのに。
外は雨が降り始めた。
ため息を一つついて、静かに家に入る。
◆◆◆
家に入ってから込み上げる、この懐かしさに似た感情が憎かった。
これも自分のじゃない。
静かに歩くが、それでも床はギシリと鳴る。それを無視して、リビングへと向かう。
別に何かを求めているわけではない。けれど、体は勝手にそこに向かっていたのだ。
廊下を抜けて、リビングへの扉を開けると――。
そこにはあの『フードの男』が居た。
とっさに後ろに下がろうとするが、それよりも早く、地面から生えた樹々に足をからめとられる。続いて足から腰にかけて、急速に生えた木の根によって捕縛される。
ホムンクルスとしての力に覚醒した今ならばと、力を込めたが、それでも樹々はびくともしない。
「やはり来るとすればここだったな」
フードの男が言った。いや、その声はすでに老人のソレだった。
「ここはお前の帰るべき家ではない。しかし、お前にはここしかないのだ。他人の記憶を寄る辺とするお前はな」
「くっ……! 誰だ、お前は。どうして、どうして……!」
父さんと母さんを殺したのだ、と言おうとして喉に詰まった。
その怒りは、自分自身のものなのだろうか。
「――お前は何も言えないのだ。その記憶も感情も、他人のものなのだから」
ゆっくりと老人がこちらへと歩いてくる。
「来るな!」
そう叫んで、絡みつく木の根を掴む。
どうにかして、ここから逃げ出そうとするも、しかし体は樹に捕まったまま、どうにも動かない。
「だが、それでいい。お前が生きた意味は、ただ生まれただけで満たされたのだから」
今まさに、老人の手が体に触れようとした、その刹那。
天井が割れ、誰かが老人と自分との間に割って入った。
ちょうどフードの老人の真上の天井が壊れて落ちる。
老人は済んでのところで後ろに下がって、それを回避していた。
「――ナルエタ」
その誰かの名を、知らずのうちに呼んでいた。
「外敵を排除します」
ナルエタが自分の前に立ち、老人と相対する。
こちらからは彼女の表情は見えなかった。
しかし、ただいつもの様な背中が目の前にあって、自分がホッとしたのは事実だ。
老人が体制を立て直す。
「やはり」
ナルエタが言った。
フードがはらりとめくれる。老人の顔が露になる。
険しい顔をして、イヴと同じような赤い髪を長く伸ばし、髭を蓄えた老人の顔がそこにはあった。
――額からは歪な角のような樹が生えていることを除けば、それは、そう言えた。
そして、その顔は、リブライラにも見覚えのあるものだった。
会ったことは無い。
しかし、資料では知っている顔だ。
「アナタだったのですね――ホーエンハイム」
◆◆◆
「――つまり、ホーンエンハイムが賢者の石を作ってたって話よ」
助手席でしたり顔で語るイヴの講釈を聞きながら、ノーレッジは乗っている車のハンドルを切る。車体が滑るように曲がり角を曲がっていく。
アクセルとブレーキのペダルには足が届かないので、代わりにハンドル部分にボタンが取り付けられている。
記録城である程度化け物共を片付けた後、彼女らもまたこうしてノーレッジの車でリブライラを追いかけているのである。
「で。賢者の石はホーエンハイムが作ったって? そりゃ、そうだったんだろうけど」
「そーじゃないわよ。ホーエンハイムは、今日も今日とて賢者の石を作ってんのよ」
「――死んだんじゃないの?」
「それが死んでなかった」
ホラ、と何やら横で資料を自慢げに掲げられたが、こちらは運転中である。
「……何それ」
「例の名無しの島でくすねて来た記録よ。ほかの研究成果とかは、多分、ナルエタたちが焼却したんだろうけど、まぁ、誰だってミスはするもんよ」
「何が書いてるの? それ」
「あの島の地下に住んでいた、化け物の記録。曰く、それは人と樹の中間のような見た目をしており、自らをホーエンハイムと名乗った、と。そいつは自分の体をもとに作り上げた果実を我らに与えた、ってさ」
「……それが不老不死のルーツってわけ?」
「そ。もともと、あの島に住んでた連中がホーエンハイムを見つけて、賢者の石のなりそこないを手に入れたところから、あそこでそれの研究が始まったのよ。最も、ホーエンハイムがそそのかした、って説も有力だけど」
◆◆◆
記録された顔と、ほとんどが一致した。
ナルエタは目の前の、かつての主と静かに相対していた。
変わり果てた所はあるが、それでも確かに目の前の老人は、かつての自分の主人だった人間だ。
「マスター・ホーエンハイム」
だから唯一の敬称を口にした。
しかし、ホーエンハイムは微動だにしない。
温かみを失った瞳で、こちらを見つめるだけだ。
「久しぶりだな、ナルエタ」
こともなげにホーエンハイムがそう言った。
「……ホーエンハイム? ホーエンハイムって、ここの創設者の……?」
背後でリブライラの困惑する声が届く。
「どういうことだよ。何百年も前に、戦争で死んだって……」
「だが、死体は上がらなかっただろう?」
ホーエンハイムがフードを完全に降ろして額を露にする。
そこにあったのは、角のように生えた樹の枝だった。
「アンタ……」
「最後に駆り出された戦争で、人としての私は死んだ。戦火の中、聞き飽きた憎悪の悲鳴と爆発に巻き込まれて、私は瀕死の重傷を負った。本来ならば、そこで死ぬはずだったのだろう。しかし、私は生き延びた」
「――賢者の石。不老不死の、錬金術の秘奥、ですか」
「そうだ。出兵の前より研究を重ねていた賢者の石のプロトタイプを、私は持ち込んでいた。殆どお守り程度のものだったが、それでもどうにか、私の命をつなぐほどには役立ってくれた」
「そうして人を辞め、今までのような外法を身に着けたというわけですか」
「あれらは副産物に過ぎない。私の真なる目的は、本当の意味での賢者の石の完成だ」
「それをトワリスの地下で研究をされていた、ということですか」
ナルエタの問いに、ホーエンハイムは、その細い指を下に向けた。
「そうだ。ここの遥か地下にいたのだ。あの戦争の日からずっと」
「なぜ……」
ナルエタの頭の中にあるのは、単純な疑問だった。
「なら、どうして、会いに来てくださらなかったのですか……。生きていると、教えてくれなかったのですか」
拳を握る。
ただの戦闘人形であるだけの自分の中に、わずかな歪みが生じていく。
「質問ばかりだな」
ホーエンハイムが鼻で笑う。
「――全ては、全ての人々の幸福のためだ。お前に会いに行かなかったのも、私を死んだままにしておいて欲しかったからだ。私が賢者の石の研究をしていたことは、すでに奴らにはバレていたからな。中央は自分たちを脅かす都市の出現を許さない。私が生きていることが知られれば、それだけでも面倒なことになる」
「――では、リブライラを殺したのは、なぜなのですか」
「その死が必要だったからだ」
「あなたの夢は、人の命よりも重いものなのですか……⁉」
「無論だ」
全く動じずに、ホーエンハイムはそう言った。
「私の夢は、全ての人々を不老不死とする。あらゆる人間が、死を超えるのだ。これより価値のあるものが、この世にあるかね」
「彼の命は、少なくともワタクシにとっては、あなたのそれよりも重かったのです」
ふむ、と首をかしげるホーエンハイム。
「妙なことを言うものだな。彼なら、生きているだろう。そこで」
視線の先に居たのは、リブライラのコピーであるホムンクルスだった。
「記憶も感情も、元のリブライラのコピーだ。あれのどこか、本人でないと言い切れる?」
「彼とオリジナルは別人なのです」
「何をもってそう言い切れるのだ」
「――彼の死と言う事実をもって、そう言い切れるのです」
「なるほど」
ホーエンハイムがナルエタに手のひらを向ける。
そこから無数の木々の根が、彼女に向かって放たれる。
しかし、それらが届くことは無い。
「アナタはもはや、そこには居ないのですね、マスター」
ナルエタの腕からはブレードが出ていた。
それでもって、放たれた木の根を全て切り裂いていた。
「何を言うか。私は最初からここに居たさ。それをお前が見ていなかっただけだ」
嘲笑交じりでホーエンハイムが言う。
「私はこの世にある、当たり前の死を憎む」
ホーンハイムが一歩、こちらへと近づく。
ナルエタは自分の間合いを図りつつ、ホーエンハイムがそこに入り込むのを待った。
「そして当然のようにこれを克服したいと願うのだ。今を疑って何が悪い。今を変えて何が悪い。自らの善でこの世を染めて何が悪い」
ホーエンハイムが一歩踏み込む。
もう一歩。ナルエタは静かにその時を待とうとした。
しかし、それは起こらなかった。
「え……?」
背後でリブライラの声が上がる。
ハッと振り返ると、そこに居たのは胸を木の根で貫かれたリブライラだった。貫いた木の根が、まるで養分を吸い上げるように胎動している。
自分の足元を見れば、少しだけ後ろの位置の床から。彼の胸をめがけて飛び出した木の根があった。
「ッ……!」
とっさにその木の根を切断し、リブライラを抱きかかえて、そのまま家を出ようとする。
「いただくぞ、賢者の石を」
玄関に続く廊下には、いつの間に生えたのか、木々が壁のように立ちふさがっていた。
斬って進むことも出来なくはないが、そうなると背後のホーエンハイムに追いつかれるだろう。自分一人ならまだしも、今はそうではない。
血を吐きながらも、再生する体によってかろうじて生きながらえている彼を、そっと床に寝ころばせる。
――倒す以外に道はない。
ナルエタが拳を構えたその時だった。
ホーエンハイムの動きが止まった。
「な……に……?」
ホーエンハイムが自分の体を抱きかかえて、小刻みに震えだす。
「こ、の体でも、御しきれぬというのか……⁉」
彼の瞳から、赤い涙が伝い落ちていく。木々に浸食された、その体が震え、着ているローブを突き破って、木の根、枝が乱雑に生え始める。
それらが意思を持ったように、部屋の中で暴れ回る。
「アアアアアアァァァァアアアア!」
ホーエンハイムが叫ぶ。
リブライラから吸収した力があふれ出して、だからきっとこうして吠えたのか。
背中から突き出た木の根が、暴力的な速度でこちらに叩きつけられる。
背後のリブライラを守るため、どうにかそれを受け止めようと構える。直後、腕に凄まじい衝撃が走った。
体がきしむ。全身のパーツが悲鳴を上げる。
対して木の根は無限だった。
何度も何度も、様々な方向から攻撃が飛んでくる。
――前に出ることが出来ない。
ナルエタは静かに焦り始めていた。
背後のリブライラを守っていては前には出られない。かといって、それを諦めることも出来ない。早めに行動しなければ、ジリ貧になるだけである。
――しかし。
と、倒れ込むリブライラを見やる。
ここは離れられない。それは、絶対に無理なのだ。
振り下ろされる木の根が、徐々に徐々に自分の耐久値を削っていく。
体を構成する細かなパーツが悲鳴を上げている。
そして、とどめを刺さんとする最後の一撃が振り下ろされ――。
次いで襲ったのは、腕への衝撃ではなく、浮遊感だった。
床がきしむ音が聞こえ、宙に放り出される感覚が身を包んだのだ。
落ちている。それもかなりの高さだ。
そのように事態を理解したのは、事が起こって、ややあってからだった。
視界の端で白い布がはためいている。
それはリブライラだった。
彼もまた落下していて、そして意識は無かった。
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