第4話

 海岸沿いに続く道路を白いセダンが疾走する。

 やがて道路を外れると、舗装されていない道を進み、車は高台にある寂れた建造物の元に到着した。

 後部座席のドアが開くと、そこから二十代後半くらいの、濃いグレーのスーツを着て、ネクタイを緩める男、羽島はしまかいが現れた。

 車のドアを閉じると、車は駐車スペースまで移動していく。

 それを横目に、羽島は改めて建造物を見据えた。

 元は天文台として建てられたものだが、買収され、中は研究施設として改装された。

 施設としての機能は7年前に停止し、今はただの廃墟としてあるべき場所のはずだった。

 しかし、羽島は友への手掛かり、延いては今自身の視界のそこかしこに漂う不可思議な眼、アイズが再び現れた原因に繋がる場所と考え、訪れたのだ。

 気持ちを整えると羽島は正面口から施設に入った。

 長年放置されていた建物だけあって、中は所々ほこりっぽい。

 だが、まるで道筋を示すかのように、埃が掃かれている形跡があった。

 それを辿り進んでみると、やはり研究室へと続いており、羽島の予感は確信へと変わった。

 研究室の中から光が零れているのが見える。

 誰か居る証拠を見つけ、羽島は歩調を速めてその扉を開いた。

 入り口周りや廊下とは打って変わり、丁寧に掃除の行き届いた清潔感のある室内に、羽島と同年代くらいの、白衣姿で髪を雑に結い上げた女性がいた。

「やはり君だったか、浅倉」

 落ち着き払いつつもどこか厳かに聞こえる声音で、羽島は女性、浅倉あさくら 築紫つくしを呼んだ。

 浅倉は、アイズの研究を続け、グリップやバレットを始めアイズに関わる上で必要な道具などを開発した科学者であり、その技術を提供する羽島の協力者でもある。

「久しぶりだね、羽島。一応用件を聞こうか」

 気だるげにこめかみ辺りを掻きながら浅倉が問うと、羽島は静かに息を吐き、腕を組んで答える。

「先日、大河原おおがわらからパソコンが送られ、その中のソフトでオービタルの映像を見た。君が開発した物だそうだな」

「ああ。君が使っている子たちの戦闘データから、研究は日々劇的に進んでね。オービタルの内部限定だが、アイズの視覚情報を受信できるようになった。厳密に言うと、視覚情報と言うのは語弊ごへいがあるが、もっと分かりやすい理屈で言うと……」

「君の素晴らしい技術とその能書きは置いておいてくれ。私が聞きたいのは、何故大河原からそれが送られてきたかだ」

 解説を遮るように羽島が言うと、浅倉はつまらなそうに溜め息を吐いた。

「彼から聞いてないかい?好きじゃないんだよ、どっちかに肩入れするは」

「私の目的を知っている上でか?その上で大河原にグリップとバレットを?」

「私はアイズの力をどこまで引き出せるか、使えるかが知りたい。その為に君を利用し、大河原を利用している。それだけだよ」  

「彼が綾瀬くんたちに刺客を送ったのも、それが理由か?」

「それについては、ちょうどさっき結果が出た」

 不敵な笑みを浮かべて、浅倉はUSBメモリと、半透明なカードを取り出し、それを近くの机に放った。

 遠回しに好きに見ろと言っていると察し、慎重に歩み寄って羽島はUSBメモリとカードを手にする。

「……ありがたく受け取ろう。これも大河原に?」

「もちろん」

「そうか。だがこれ以上、彼にアイズの力を持たせる訳にはいかないな……」

 怪しげな語調で羽島が言った瞬間、浅倉は机に手を着くと、勢いをつけて身体を上げ、そのままパンプスを履いた両足でドロップキックを羽島に叩き込んだ。

 突然の攻撃に羽島は目を見開き、咄嗟とっさに腕を使って防ごうとするが、踏ん張りきれず扉脇の壁際まで吹っ飛ばされた。

「まだ何もしてないんだが……」

「科学者でも持ってるんだよ、女の勘は」

 辟易とした声で言うと、浅倉は取り出したスマホを素早く操作した。

 すると、研究室の端に置かれた突起のある機器が動作し、その突起の先がバチバチと音を立てて光の球を形成した。

 そこへ、アイズたちが吸い込まれるように引き寄せられ、近くにいた1体が光りの球に呑まれた。

 直後、光の球は弾けてなくなり、そこから放り出されたアイズは、その目を虚ろにし、暗い煙を纏い始めた。

「何っ⁉」

 異常をきたし始めたアイズに羽島は驚愕する。

「おかげさまで、人為的に変異体を作る事に成功した。いつも通り命名は君に一任するよ、羽島」

 浅倉が呑気に言っている間に、アイズはバキバキと結晶を伸ばし、それが人型になると結晶は砕け、中から歪に捻った扉と瑞々しい葉菜類を人の形に無理やり積み上げたような異形の存在、クリーチャーが現れた。

「ついでにある程度なら操作も出来る。このようにね」

 抑揚のない声で言いながら、浅倉は再度スマホを操作し、それに反応して、クリーチャーが羽島に襲いかかった。

 野菜の葉っぱでできたような拳を、真っ直ぐと羽島の顔面に伸ばす。

 だが、その拳は羽島に当たる前に止まった。

 手首にあたる部位を掴まれ、そのまま止められたのだ。

「待たせた感じですか?」

 つつしんで聞いたのは、研究室の出入り口から腕を伸ばし、クリーチャーの手を掴んだ、白い皮ジャンに厚みのあるジーンズを履いたガタイの良い男だった。  

「見ての通り、グッドタイミングだ。片付けてくれ」

「了解」

 羽島に命じられると、男はクリーチャーを強引に引っ張り、研究室から出した。

 それを横目にした後、羽島は浅倉に目を向けようとするが、すでにその姿はなかった。

「オービタルに逃げたか」

 微かに忌々しさを含んだ声で呟くと、羽島はふところにあるスマホの振動に気付いた。

 浅倉からのメッセージが来ていた。

『引き続き研究成果は送らせてもらう』

『君と、彼にね』

 一方的な物言いに、羽島は軽く嘆息し、そのままスマホを懐に仕舞った。

 そして研究室を抜け、施設を出ると、クリーチャーを片付けた男が戻って来た。

「どうでしたか?」

「得る物はあった。今日の所は、それで良しとしよう」

 質問に対し羽島は素っ気なく答えると、二人は停めてある車に乗り込んだ。

 羽島が後部座席、男が運転席と、来た時と同じだ。

「ご自宅でよろしいですか?」

「ああ。まずは贈り物について、調べなければね」

 目的地を確認すると、男は車を発進させた。

 再び海沿いを走り、その景色に、羽島は鬱屈うっくつしかけた心をほぐされる。

 そして、おもむろに浅倉からの贈り物を眺め、その顔を険しく固めた。

 爽快さを感じるような走りを見せる車を、道路の道筋に沿って流れるアイズたちが、無邪気に見つめていた。




 早いもので、転校してもう2週間が過ぎた。

 そろそろ新しい環境に慣れ始めてもいい頃合いなのだろうが、高2にしては老け顔な少年、綾瀬情は、憂鬱ゆううつそうに表情を歪ませ、そこそこ整っている顔を台無しにしていた。

 やりたい事。やらなければならない事。それら二つを両立していた気がしていたのだが、それに対する動機が自身の中で不透明になり、情は思い悩んでいた。

 先日、オービタルで普段より大きな戦いがあった。

 よく一緒に戦うあらし正彦まさひこに加え、マスターでありクラスメイトの本庄ほんじょう唯莉ゆいりみなみ由子ゆこ。そして、新たに遭遇した一つ年下の後輩でありマスターである少女、小野坂おのさか桐奈きりな

 5人もの人間が参加した戦いの最中、情は古くからの友人である高尾たかお隆成りゅうせいの登場に驚いた。

 7年前、アイズについての話を信用しなかった隆成は、見えていなかったアイズが見えるようになり、その世界に入り込み、情と同じくグリップを使ってアイズの力を手に入れ、情に襲いかかった。

 その事について後に情が羽島に相談したところ、高確率で羽島の友人、大河原という男が隆成に接触し、グリップを託したのだと言う。

 どうにか隆成から大河原について聞き出せないかと羽島に問われ、締め上げてみるかと正彦が提案したが、そんな事で口を割るような奴ではないと情は却下した。羽島も、そう簡単に大河原が自身の接点となる人間を差し向ける事は無いと納得し、隆成の介入について調べると返されたのを最後に、羽島からはしばらく連絡が来ていない。

 隆成の意図も殆ど分からなかったが、長い付き合いから知るその性格上、交渉の余地はないと判断し、情は応戦した。結果は情の惨敗だった。

 その戦いの中、隆成に問われた。

 何がしたいのかと。

 似たような問いを由子にも投げられ、情は答えを出せずにここ数日、悶々としていた。

 情がアイズと関わる理由としては、7年前関わった事で、現在アイズに狙われるようになり、その問題解決の糸口となるマスターの捜索を依頼されたから。

 それともう一つ、情自身が、7年前にアイズと関わった際、一緒に出会った少女に会いたいと思ったからだ。

 だが、情は7年前に会った可能性のあるマスターである少女たちに、その是非を問う事が出来ていない。寸での所で情の中の躊躇ためらいが勝ってしまうのだ。

 その理由を情はなんとなく理解していた。

 思い出の少女に会ったとして、どうしたいのかが情の中で定まっていないからだ。それを決められない内は、情自身が思い出の少女を特定する事を本能的に拒んでしまう。

 それでは何の為にアイズと関わり、戦っているのかという疑問が胸の内で堂々巡りし、その答えに情は思い悩んでいた。

 そんな自分を心底情けないと思いつつも、思い出の少女の存在が諦めきれず、煮え切らない気持ちのまま情は戦いに身を投じ続けている。

 アイズの問題は二の次だった。

 朝の青空とは対照的な曇り顔で情は教室に入り、自身の席に着く。

 あの戦いから、執拗に由子との仲を取り持とうとした正彦も来なくなった。気を遣っているのか気まずいのか分からなかったが、情としてはありがたかった。今の自分は、あまり人と話せるような顔をしていないと考えるからだ。

 しかし、毎日変わらず夜が明けるように、太陽のような活気が決まって情の元に訪れる。

「おはよう、綾瀬くん」

 今の情には眩しい程に明るい顔をして唯莉は朝の挨拶を投げてくる。

「ああ、おはよう」

 なんとかそれを受け取ると、情は少し悪いと感じるくらい淡泊な返事を投げ返す。

 それを唯莉は、いつも通りと思えるようになった微笑みで受け取った。

 情や正彦がアイズに狙われるようになってから、唯莉たちマスターはクリーチャーとの戦闘の頻度が大きく下がったと言う。

 アイズの為に戦おうと考えている唯莉は、そのアイズが狙う情となるべく行動を共にする事で、クリーチャーとの戦闘を共に行えるようにしていた。

 そうして、朝の挨拶から始まり、移動教室や昼休みの昼食、帰り道が分かれるまで一緒に下校するようになっていた。

 目論見もくろみ通り、ほぼ毎日のようにアイズに狙われる情といる事で、唯莉は戦闘に参加して、情と共にクリーチャーを撃破していった。

 隆成にボロ負けした直後から付きまとわれ、最初こそ戸惑った情だったが、唯莉と共闘する事で、クリーチャーは早急に撃破出来るようになった。

 マスターを誘き出す為の囮役を担っている情だったが、今は新しくマスターと遭遇する事は、なんとなく気が乗らないため都合がよかった。

 また、唯莉は転校生である情に、今の学校の事を何かと教えてくれて、アイズの問題を抱えたまま入り込んだ新しい環境に、大なり小なり不便や問題を感じていた情は大いに助けられていた。

 なにより、隆成との事や必要以上にアイズ関連の事を追及してこないのが、情の気を楽にしていた。

 さすがに隆成にやられた直後とその翌日は心配されたが、その後は少し吃驚するくらい何も聞いて来ない。

 優しさなのか同情なのかハッキリしないその心情を微かに不気味に思いつつも、今はこれで都合がいいと勝手な解釈をし、情はその現状に甘えていた。

「そろそろテストだね。綾瀬くんは、もうこっちの授業に追いつけてる感じ?」

「まあ、そうだな」

 いつも通り、唯莉は他愛ない話を切り出し、それに合わせて情は淡々と答える。

「あ、でも綾瀬くんの前の学校だと、偏差値的にこっちの授業は簡単だったりする?」

「何とも言えんな。2年になってから……色々あって、あんまり勉強に身は入ってないからな」

「え、そうなの?」

「まあ、テストの方はなんとか……」

 情が何気なく答えようとすると、突然唯莉は表情を固くし、情に顔を寄せた。

「アイちゃんズだ」

 真面目な声で唯莉が耳打ちする。

 マスターである人間は、離れた位置のアイズの異常を感知する事が出来る。

 心の問題もあるが、当面の問題を放っておく事は出来ない。情も表情を固くし、教室に掛けられた時計を確認する。

「始業までまだあるな、行くか」

「うん」

 情が静かに言うと、唯莉は嬉しそうに了解する。

 そうして二人はそそくさと教室を抜けると、唯莉の先導で移動し、ひと気のない校舎の隅からオービタルに侵入した。

 その先は壁に隔たれていない教室と廊下で、天井が存在しないのに所々の床に証明が埋まっている。

 そして、すでに正彦と由子が、机や椅子、黒板に黒板消しや掃除道具をごちゃ混ぜにして人の形を無理矢理形成したクリーチャー4体と戦っていた。

 どこか活気と余裕のある正彦の動きと表情から、強いクリーチャーはいないものと情が読みとると、正彦と由子が情と唯莉の存在に気付いた。

「おお、おまえらおはよっ、おっと」

 明るい挨拶を投げ掛けながら、正彦は襲いかかるクリーチャーをさばく。

「おはよー。じゃあ私たちも行こっか」

「そうだな」

 言って、二人はそれぞれ戦闘態勢に入る。

 情は手にしたグリップにバレットを装填し、撃鉄を上げ、引き金を引くことで下ろし、撃鉄に叩かれる事によって起動したバレットが情の身体に戦う力を与え、グリップの先に複数のアイズが集まると、その姿を剣に変えて、情の武器となった。

 その隣で、唯理はその瞳に紫の光を宿し、それに反応して多くのアイズが唯莉を包み込むように渦を巻き、その中心で唯理の着ていたセーラー服が消失すると、その滑らかな体躯にピッタリフィットするスーツと機械的な装甲を身に着け、右腕に沿うようにして大剣が装着された。 

「時間がないからね、ぱっぱと済ませちゃうよ!」

 高らかに宣言すると、唯莉は装着された大剣を腕に持って掲げると大剣は淡い輝きを放ち、

 そこへ数体のアイズが集まると、明るい光を大剣に注いだ。

 それに続くように、情もグリップのボタンを押し、底面から突出したマガジンパーツを押し戻す。

 必殺の一撃を放つ準備を整えると、二人は正彦と由子がそれぞれ2体ずつ吹っ飛ばしたクリーチャー目がけて駆けだした。 

 地面に落下し、よろよろと立ち上がるクリーチャーに迫り、二人はその勢いのまま手にした得物を鋭く振るうと、各々2体ずつ続けて斬撃を見舞った。

 刃の通った軌跡から生じるエネルギーがクリーチャーの身体を破壊し、4体のクリーチャーは一気に爆散し、そこから目を×マークにしたアイズがフラフラと飛んでいった。

「ちょ、お前ら来ていきなりいいとこ取りかよ」

「悪いな」

 口を尖らせる正彦に、横取りにちょっとした文句を付けてきたのだと思った情は軽く謝る。

 だが実際は、もっと由子と二人でいる時間を堪能していたかったが故の正彦の文句だった。

 しかし、それをあからさまに態度に出すほど正彦も短気ではなく、まあ仕方がないと表すような顔を作って溜め息をこぼす。

 そんな正彦から少し離れた位置で、由子もきつい目をして情を睨んでいた。

 自身の存在を不服に思っていそうな様子に、情は気まずい気持ちを覚える。

 もう事態は解決したのだから長居は無用だろうと、情はグリップの機能を解除しようとする。

 だが、その前にアイズたちが集結し、出入り口であるゲートを形成する。

 そこから二人の人影が続けて出てきた。

 隆成と桐奈だ。

「あー遅れた感じだな」

「みたいですね、それじゃ私はこれで……」

 状況が終わっている事を確認し、残念がる隆成の隣で桐奈がこそこそとゲートに戻ろうとする。

 それを、隆成は肩を掴んで引き止めた。

「まあ待てよ。むしろ俺の用事はこれからだ」

 不敵な笑みを浮かべ、隆成は取り出したグリップにバレットを装填し、撃鉄を落として起動させると、その身に戦う力を纏った。

 その手に持ったグリップの先にアイズが集まり、半月を思わせる重厚な刃を持った戦斧を形成すると、隆成はグリップと戦斧の接合部を触り、銃形態へと変形させた。

 攻めの範囲が一気に増したと、情は警戒し、いつ自分に弾が飛んできてもいいように身構える。

 しかし、隆成が銃を向けた相手は、情にとっては意外すぎる人間だった。

 数回ほど引き金を引き、その度に隆成の構える銃から光弾が放たれ、それは真っ直ぐに唯莉へと向かった。

 突然迫り来る自身への攻撃に唯莉は狼狽ろうばいし、動きが遅れて防御も回避もままならない。

「くっ!」

 隆成の動きに集中していた情は、その不可解な行動に驚きつつも、素早く身体を動かし、唯莉の前に飛び出した。

 手に携えた剣とその身を盾とし、迫り来る光弾から唯莉を守った。

「綾瀬くん!」

 自身を庇う情に気を掛けるも、情は唯莉に構わず、撃たれた個所からくる痛みを堪えながら訝しげな視線を隆成に注いだ。

「何のつもりだ、高尾⁉」

 怒気の込められた声に隆成は小さく肩を竦め、その意図を口にする。

「正直俺も本意じゃないんだけどさ。武器これをくれたおっさんがやれって言うんだ、マスターの子と戦えってさ」

 淡々と語られた話の内容に、情と正彦は息を呑み、由子と桐奈は戦慄せんりつした。

「お前、俺とやり合うために、そこまでするのか?」

「そうしないとヤバい理由もあるらしいぜ。詳しくは知らないけど」

 険しい顔で問い詰める情に、隆成も少しだけ真面目な顔つきになって答える。

「あ、あの……先輩」

 緊迫する二人の間に、桐奈が恐る恐る割って入る。

「マスターって言うのが私たちみたいな子って聞きましたけど、もしかして、私も?」

「あー、イヤイヤ。俺はクリーチャーが出て来るの分かんないから、桐奈にはそれやってもらわないとな。だからお前は例外」

「そ、そうですか」

 一応安堵するように息を吐くが、次いで桐奈は申し訳なさそうに唯莉と由子の方を見た。

 詰まるところ、今後隆成は唯莉や由子といったマスターである人間に戦いを挑み、桐奈はその手伝いをさせられるという事だ。

「という訳で」

 気を取り直し、隆成は武器を向ける。

「悪いが相手してもらう。邪魔していいぜ、情」

 明らかな挑発に、情はグリップを握る手に力を込める。

「綾瀬くん」

「コイツの相手は俺がする」

 心配そうに声を掛ける唯莉に情は冷淡な声で返し、憤然ふんぜんとした足取り前に出た。

 対する隆成も、嬉しそうな顔になり、武器を変形させて歩き出す。

 そうして、両者は睨み合いながらゆっくりと接近し、間合いに入るとそれぞれ武器を振るった。

 戦端せんたんが開き、続けてお互いに攻撃をぶつけ合う。

 その様子を、正彦たちは戸惑いながら見守った。

「さすがに前よりはマシな感じだな」

「うるさい。何を考えてるんだお前は⁉」

「言ったろ、遊びたいだけだよ」

「……その割に、しばらくは大人しかったな」

「まあ色々筋っつうか、身内にちゃんと相談しないとな、やる事が出来たって。そこそこ時間かかったけど、安心しろ。今日から本格的に首突っ込むから」

「いい迷惑だ」

「けどもっと頑張らないと、お前を押しのけてあの子の方に行っちゃうぜ?」

「調子に乗るな!」

 打ち合う中で言葉を交わすと、ついに情はいきどおりを露わにし、隆成を押し返し鋭い横一閃を振るった。

 だが隆成はそれを読んでいたかのように身体を曲げ、器用に受ける衝撃を最小限にとどめると、痛みに耐えながら情に肉薄し、肩からぶつけると流れるような動きで拳、斧を続けて叩きつける。

「ぐっ……」

 苦悶の声を上げながら情は後退する。それを目で追うと、隆成は落胆したように息を吐き、追撃すべく地を蹴った。

 距離が詰まると二人は武器を持つ手に力を込めた。するとそこへ、音を立てて無数の銃弾が炸裂した。 

 何発かが情と隆成を襲い、二人は動きを止めて攻撃の飛んできた方向を見た。

 回転する砲身に腰の装甲まで弾帯が伸びるガトリング砲を腕に装着し、それを突き付けるように構えた由子が険悪な顔つきで睨んでいた。

「いいかげんにしろお前ら……、やり合うなら、ここから出ていけ!」

 低く唸るように言ってから徐々に言葉に怒気どきを含みだし、最後には荒々しく吠える。そんな由子に隆成は不機嫌そうな笑みを作った。

「……いいぜ、相手したいんなら」

 怪しげに言うと、情を押し退けて隆成は駆け出し、真っ直ぐ由子の元まで向かった。

 由子に矛先が変わった事を理解した正彦は隆成を止めるべく動きだし、情も同じく隆成を追いかける。

 迎撃するべく由子もガトリング砲を構えるが、突如由子と隆成の間に大剣が放り投げられた。

「ちょっ、みんなストップ!そろそろチャイム鳴っちゃうよ!」 

 甲高い声で唯莉が叫ぶと、一同は動きを止め、唯一戦闘態勢に入っていなかった桐奈がスマホで時間を確認した。

「あ、ホントです、そろそろヤバいですって!」

 唯莉に続くようにして桐奈も叫ぶと、きょうめた隆成は武器を降ろした。

「まあ遅刻はまずいわな、戻るか」

 そう言って、何事も無かったかのように武装を解除し、グリップを操作してアイズにゲートを形成させると、そのまま隆成はオービタルを抜け出した。

「あーえっと……私も失礼します!」

 場の空気を重く感じた桐奈は挨拶だけ残すと、逃げるようにしてオービタルを出た。

 それに続き、残りのメンバーも戦闘形態を解除してオービタルを抜ける。

 ひと気のない廊下に、情と正彦、唯莉と由子が揃って出てくる。

 直後、由子は血相を変えて情に掴みかかった。

「おい、あの男子、お前とやり合う為とかどうとか話してたよな⁉」

「っ……ああ、多分アイツは、俺を狙ってアイズと関わり始めた」

 荒々しく問い詰める由子に、情は正直に話した。

「ならアイツは、お前があっちに行かなけりゃ、もう来ない訳だよな⁉」

 由子の言う理屈に、情は息を呑んだ。

「だったら、もうお前はこっちに来んな!じゃないと、アタシらがアイツに襲われて迷惑するんだ!」

「由子ちゃんそれは……」

 由子をなだめようと唯莉は声を掛けるが、由子の言う事も尤もであり、強く異論を言う事が出来ない。

「眼の事はアタシらの問題だ。最悪コイツも使ってやる」

 そう言いながら由子は正彦を一瞥した。

「あ、嵐正彦な!」

 咄嗟に名前を名乗る声は、由子に指された事で嬉しさが滲んでいた。

 だが、その場の雰囲気に呑まれ誰も正彦の気持ちには気付かず、由子も正彦を無視して続ける。 

「だからお前は、もうアタシたちに関わるな、わかったな!」

 一方的に告げると、由子は足早に教室へ戻っていった。

「綾瀬」

「綾瀬くん……」 

 気を遣うような視線を唯莉と正彦に向けられるも、情は何も言う事は無く、由子を追うようにして弱々しい足取りで歩き出した。




 停車されたセダンの後部座席で、羽島は膝元のパソコンを眺めながら額を抑えた。

 受信した映像を録画し、仕事の休憩時間に朝方のオービタルでの戦闘を見ていたのだが、その様子に羽島は大きく溜め息を吐いた。

 そんな様子をミラー越しに見て、運転席でのんびりとくつろいでいた男が声を掛ける。

「少年たちに何かありましたか?」

「まあそれもあるが、色々と問題というか、予定が前倒しになってしまったというか」

 パソコンの画面に映る数値とテキスト、そして浅倉から送られたメッセージによる解説を読みながら、羽島は曖昧な言葉を並べる。

「どうやら大河原も、アイズの活性化を抑えようとはしているようだ。私と同じように、子ども達を利用してね。やり様が過激なのは人選故なのか……」

「確か、片方の友達とかだったそうですね」

「彼らの因縁どうこうは置いておく。問題なのは、やられるままでは、大河原の足取りを掴めない。そして何より……」

 そっと手を組んで、羽島は不機嫌そうな目つきになる。

「私も面白くない」

 その言葉に、運転席の男は小さく笑いを零した。

「……そろそろ仕事に戻る。後の事は頼んだよ」

「お任せを」

 パソコンを片付け、羽島はスマホで準備していたメッセージを情と正彦に一斉に送ると、車から出ながら男に言い残し、男は妙に気取った態度で了解した。

 窓越しに羽島を見送ると、男は羽島が浅倉から受け取った半透明のカードを取り出した。

「さて、どっちにするか……綾瀬情と嵐正彦」

 一人呟きながら、男は二人の顔を知るため、羽島から送られていた情と正彦の画像をスマホで確認する。

 オービタルで戦う二人の姿を見ると、男はなんとなく情の方に見覚えがある気がした。

 すると、男はスマホを操作し、画像フォルダを遡る。

 そこには、情が転校する前の高校の制服を着て、校門前で如何にも緊張して直立する新入生然とした姿の画像があった。

「あっ、ああ~コイツか~、へぇ~マジかぁ~」

 思わぬ発見に男はワザとらしい驚き方をして、ニヤニヤと笑みを零しながら車のエンジンを掛けた。

「それじゃ、お届けに参りますか」

 どことなく機嫌良さそうにして男はアクセルを踏み、車を発進させた。




 昼休み。

 学校に設置されている売店から少し離れたベンチで、隆成は桐奈と並んで座り、買ってきた焼きそばパンを頬張り、それを桐奈が物欲しそうにしながら眺めていた。

「だから譲ってやるって言ったのに」

 ソースの味を堪能しながら、隆成が呆れたように言った。

「い、いいんですよ。もうこっち買っちゃってましたし」

 遠慮がちに言って、桐奈は手に持ったホットドッグを啄ばむように食べ始める。

 だが、その目は未だチラチラと隆成の口元を覗いていた。

 その視線が気になり、口の中のパンを飲み下した隆成はパンを包むラップを全て剥き取る。

「ほら、口つけてない所ならいいだろ」

「え、でも悪いですし……」

「チラチラ見といてそう言うなよ、ほら」

 そう言って突き出される焼きそばパンの片端を前に桐奈は喉を鳴らし、花に誘われる虫のように引き寄せられると、控えめに開いた口でかぶりついた。

 パンと麺を食いちぎり、丁寧な口の動きで噛みしめる。

 そうして感じるパンと麺の食感。舌の上から広がっていくソースの味わいに、桐奈は感悦して頬を緩めていた。

 近場のパン屋から直送される数量限定パンの一つであるこの焼きそばパンは、桐奈が入学してから、否、人生で食してきたパンの中でも至高の一品であった。その特性ソースの絶妙な辛みや、丁寧にまぶされて絡み付く鰹節かつおぶしと青のり独特の風味、そして程よい噛みごたえのパンが、桐奈の舌に奇跡的な衝撃をもたらし、その心を痺れさせた。

 毎週欠かさず一食、多い時では週3で桐奈はこの焼きそばパンを食べる。今日に関しては桐奈の中で昼は焼きそばパンだった。

 だが、そこそこ急いで訪れた売店には既に焼きそばパンの姿はなかった。売り切れに絶望していた桐奈を、たまたま売店を利用していた隆成が捕まえ、そのまま昼食を共にする事になった。

 今はその偶然に、桐奈は心から感謝していた。

「あ、あの先輩……もう一口だけ」

「そんなにかよ、まあいいけど」

 思った以上に喜びを見せる後輩に若干引きつつ、隆成はパンを差し出し、すぐさま桐奈は噛み付き、二口目を堪能した。

 そんな横顔を見ながら、隆成はそこまで美味いかと残りを口に詰め込み咀嚼する。

 美味い事は美味いが、唸りを上げる程ではないと思った。

「も、もう一口……て、あっ」

 隆成がパンを食べきった事に気付くと、桐奈はあからさまに残念そうな顔になる。

「だから最初からもらっとけばよかったのに」

「で、ですけど……いいですよ、少しでも食べられましたから」

 そう言いつつ、桐奈は未練たらたらな顔でホットドッグを食べ、隆成も別に買ってあったサンドイッチを食べ始める。

 ふと、桐奈は今しがたのやり取りを意識し始め、客観的な感想を想像した。

「もしかして私、餌付えづけされてたんですか?」

 口に出して言うと、かなり恥ずかしい気がして桐奈は頬を紅潮させた。

 さらによく考えてみれば、隣に座る先輩は自身の能力を利用するべく近くにいる。そのような意図があっても不思議ではないと、警戒心も持ち始めた。

「別にそんなつもり無いけどな。焼きそばもなんとなくで買ったし」

「でも、先輩は私の……マスターの能力が必要だとか、朝言ってましたよね?」

 情や正彦と違い、隆成はアイズに狙われる事は無い。だから戦闘に参加するには、依頼主から連絡を受けるか、今朝のようにクリーチャーの出現を感知した桐奈に付いて行くなどしなければならない。

 そう言う事なので、隆成は桐奈を頼りにする事にした。

「ああ、それな。これからもよろしく」

「……へ?」

「だから、クリーチャーが出たら教えてくれな」

「……クリーチャー、あの怪物ですよね?眼……アイズから出てくる。あの、確かにこの子たちは私にしつこく来ますけど」

 周囲を漂うアイズのいくつかをチラ見しながら、桐奈はおずおずと問うた。

「あの、やっぱり私、手伝わないとダメな感じですか?」

「そんな感じだな、頼む」

 あっさりとした隆成の申し出に、桐奈は渋面を浮かべる。

 別に断ってもいいような気がするのだが、そうすれば、恐らく自身が狙われる事になる。一種の脅しのようにも取れ、桐奈はどう答えればいいのかと悩み、喉元辺りがずっしりとする感じに苛まれた。

 そうして沈黙した桐奈に、隆成は陽気な顔をして言葉を掛けた。

「お前って、やっぱ真面目だよな」

 突然の評価に桐奈は面食らい、何か言い返さなければと慌てて言葉を選ぶ。

「な、何でそうなるんですか?」

「だってさ、別にバカ正直に考えなくても、いくらでも誤魔化しようはあると思うぜ?ここで悩んでなくても、適当な理由をつけてここから離れてもいい。俺に襲われそうになっても、お前なら余裕で逃げ切れるだろ?そもそも向こうじゃなきゃ、俺は手ぇ出せないし」

 のんびりと語られる隆成自身への対処法に、桐奈は目を丸くする。

 この先輩は自分を利用したいのか、そうでないのか。そんな疑問に支配され、桐奈は動けなくなっていた。

 そんな桐奈を解放してやろうと、隆成は話を続けた。

「本気で嫌なら、無理に付き合わなくてもいいぞ。けどそうなったら、お前の事も狙わなきゃだけどな。じゃなきゃ、アイズの問題は解決しないらしいし」

「っ、どう言う事ですか?」

 聞き捨てならない内容に、桐奈は食付く。

 ちょうど食事を終えた隆成はゴミをまとめて立ち上がり、高くなった目線から桐奈を見下ろして答える。

「さあ?詳しい事はまだよく解らん。そこまで聞いてないからな」

 おどけるようにして返された答えに、桐奈は脱力し大きく息を吐いた。

 なんとなく、この先輩はこんな感じの人間だから仕方がないと、桐奈は胸の内で納得してしまい、それ以上の追及に意味を見出せなかった。

「ま、そういう事だから。悩みの種をなんとかしたかったら、俺に協力するのが手っ取り早いかもしれないぞ。あと、そうしてくれると、俺も嬉しい」

 爽やかな笑顔と共にそう告げると、隆成はヒラヒラと手を振って桐奈と別れた。

 その様子を、複雑そうな顔をした桐奈とアイズたちが見送った。

 その姿が見えなくなると、桐奈は寂しげに残ったホットドッグを食べ切った。




 コンビニで買った弁当の容器をまとめた袋をゴミ箱に放り込み、由子はスマホを取り出して時刻を確認する。

 色々と考え事をしながらの食事だったので、いつもより時間が掛かった。

 けれど時間は思っていたほど進んでいない。次の授業まではまだ余裕があった。

 それが分かると、由子は壁に背を預け、静かにスマホを眺める。そんなポーズを取りながら、スマホを持つ手の人差し指を立てる。

 すると、その指先に数体のアイズが集まってきた。

 由子は伸ばした指を軽やかに振ると、それに従うようにアイズたちは宙を踊った。

 まるで餌に群がる魚のように、指先で戯れるアイズを、由子は朗らかな表情で眺める。

 傍から見れば、スマホの画面を見て機嫌を良くしているような絵面だ。

 暇な時間、ささやかな由子の楽しみの一つだ。気分が高まり、由子はもっと面白くしようと指の動きを激しくする。

 そこでふと、由子はアイズとは別の気配を感じ、おもむろに視線を移す。そこには、声を掛けるのを躊躇っている正彦がいた。

「へ?うあっ」

「わ、悪いっ、その……」

「な、何だよ」

 アイズが見えている相手だと分かると、由子は自身のしていた事を見られていたのだと察し、羞恥に顔を赤くしながら警戒して身構える。

「そのな、話があるんだよ。朝のアイツ、高尾についての」

「朝……転校生を狙ってるって言う?」

「そう、そいつ。俺らの依頼主から連絡があってさ、なんでアイツが本庄を攻撃したのかを教えてくれたんだ」

「……別にそんなの、転校生が向こうに行かなけりゃいい話だろ」

 うんざりしたような口ぶりで由子が言うが、正彦は困ったように肩を落として続ける。

「どうもそういう訳にもいかないっぽいんだ。それだと、特に俺とか……ゆくゆくはそっちも大変な事になるとかどうとか」

「は?」

「ああ、まあ順を追って話す。聞いた事だけど」

 どこか緊張した様子で言うと、正彦は由子に向かって歩み寄り、まだ少しだけ距離感を置いて語り始めた。

「最近アイズから出来る怪物、俺らはクリーチャーて呼んでるだけどさ」

「知ってる。その辺は前に聞いた」

「ああ、そうなのな。で、そのクリーチャーが、最近増えたり強くなってたりするのは知ってるよな?」

 慎重に問い掛けると、由子は黙って首肯した。

「俺らの依頼主、羽島って言うんだけど、その羽島さんによれば、アイズが日に日に活性化するせいで、クリーチャーの質や量が増してるって話だ。だからクリーチャーを倒して、それを抑えなきゃならないらしい」

 正彦の言う事に、由子も内心で納得する。

 実際、由子自身もアイズたちの要望であるクリーチャー撃退が、アイズの活性化を抑えるための行動であると、漠然とした感覚で理解していた。

 そしてそれが、アイズのためである事だと由子は信じている。

「ただ、クリーチャーを倒すだけじゃ、その活性化は抑えきれないらしい」

「えっ⁉」

「なんか、マスターや俺らが戦ってアイズの力を多く使えば、それだけ活性化が抑えられるそうだ。だから高尾は、アイツの依頼主の指示でマスターとも戦う事になってるらしい」

「てことは……」

「ああ。つまりアイツもアイツで、アイズのために動いてるって事だそうだ。ただ、高尾の場合、綾瀬を狙う事が本命っぽいけどな。それが何でかまでは聞いてないけど……」

 そこまで言って一呼吸置き、正彦は真剣な顔になって、由子にその考えを告げる。

「綾瀬が戦わなくなったら、そのうちクリーチャーを相手しきれなくなるかもしれないんだ。だから、アイツや俺が向こうで戦う事を認めて欲しい」

 少々長い前置きを経てやっと要求を告げる事ができ、正彦は密かに息を吐いた。

 羽島から隆成の行動について連絡を受け、それをマスターに広めて理解を得るよう情と共に依頼され、正彦は問答無用の即決で由子へ報告と申し入れに行く事になった。

 純粋に自身が話したいという気持ちと、自分たちの事を良く思っていない由子に、取り敢えずでも認めてもらうためだ。

 言うべき事を言い終え、由子の反応を待って、正彦は気を引き締める。

「言いたい事は、わかった……」

「ならっ……」

「けど、やっぱりアイツ等は迷惑だ。理由があるにしろ、アタシらも攻撃するとか」

「それは高尾だけの話だし、アイツの目的は綾瀬だ。あと、次もしアイツが襲ってきたら……」

 言いながら一歩踏み出し、少しだけ由子との距離を縮めると、正彦は勇ましい顔つきで告げた。

「俺が守る。何があっても、絶対に!」

 くさい、もしくは痛いセリフだと自覚していた。

 けれど確かな本音でもあり、戦う力を持つ正彦が、心からやりたい事でもあった。

 力強く告げられたその言葉に由子は一瞬たじろぎ、目を泳がせた後、正彦に聞き返した。

「お前……お前は、何がしたいんだ?」

「何って……え、何って?」

「何で、コイツ等に関わるんだ」

 言いながら由子は周囲を漂うアイズを見て回した。

「まあ、それは……自分の身を守る為ってのがあるな。コイツ等に狙われてる訳だし」

 本当の事を言えない正彦だが、嘘ではない無難な答えを返す。

 それに対し由子は訝しげな顔を作るが、一応納得し、続けて問いを投げる。

「ならあの転校生は?怪物に狙われるより、朝の男子に狙われる方がキツいんじゃないか?」

「あー確かに……て言われても、綾瀬が関わる理由か、今度聞いとくか?」

 情に興味を抱いているのかと不安を覚えつつ、由子の気を引くために提案するが、それに対して由子は答えを出さなかった。

「じゃあ、その……一応俺たちの都合とか諸々は伝えたから。認めるとかは、またゆっくり考えといてくれ。またな」

 最終的に自分さえ認められればいい。そんな考えを胸の奥深く、自身にもハッキリしない心の底で抱きつつ、正彦は言葉を残して立ち去った。

 考え込むようにして立ち尽くす由子をチラチラと覗き、見えなくなった所で少し歩調を速くする。

 そこから徐々に勢いがついて、無意味に拳を掌に打ち付けると、正彦は愉快そうに足取りを軽くし、小躍りしながら進んで行った。

 ほんの僅か、由子と会話で来た時間が、正彦の心を沸騰させたのだ。

 そうして一人舞い上がる正彦だったが、その名前を由子はまだ覚えていなかった。




 気持ちのいい空を広く見上げられる質素な丘の上。そこで情は黄昏たそがれるようにして街並みと漂うアイズたちを眺めていた。

 放課後になり、いつも通り一緒に下校しようと声を掛けて来た唯莉に、用事があると言って逃げるように訪れたのだが、やっている事は変わらず、情はただ思い悩み続けているだけであった。

 先刻、羽島から連絡を受け、隆成が唯莉を狙った理由が判明した。

 マスターや情たち、つまり人間同士で戦い、アイズの力を行使する事でアイズの活性化を抑える事が出来る。

 これについて羽島は、まだ推奨する段階ではなく、情たちからマスターに危害が加えられる事は避けて欲しいと要望された。

 羽島は情たちがマスターに手を出すとは思っておらず、もちろん情もそんな気は全くない。

 たとえ、そうする事でクリーチャーの質や量を抑えられ、自身の平穏な暮らしが長引くのだとしても、唯莉たちに手を出す選択肢など、情の中には無かった。

 しかし隆成は、人間同士の戦闘による活性化抑制をマスターと情の相手を並行して行おうとしている。

 マスターとの戦闘に関しては、グリップを渡した羽島の友人、大河原からの指示であり、隆成は力を与えられた事に対する義理を通そうとしているのだ。

 もっとも、自身の邪魔を勧めてくる辺り、情と戦う為の口実にしているふしも見受けられる。

 だが、その真意がハッキリしなくとも、情にとっては大きな悩みの種である事に変わりはなかった。

 今の自分では隆成に勝てない。悔しい気持ちを抱えたまま、情はそう確信していた。

 腕っ節の強さの問題ではなく、情自身の心の問題だ。

 元よりあった、何のためにアイズと関わっているかという自問。

 これが胸にこびり付いている内は、どうあっても情の中で迷いが生まれ、戦いに集中できない。

 その答えを無理やりにでも出そうと密かに躍起やっきにもなったが、心の中にある蓋がどうしても開かない。

 こんな中途半端な気持ちならば、いっそ由子の言う通りアイズの件から身を引けばいいとも考えたが、それはそれで不安が残る。

 情がアイズの件から離れれば、きっと隆成も興味を失くして手を引くだろう。そうした場合、大河原が隆成の替え玉を用意する可能性が高い。隆成のようにアイズが見えなかった人間にアイズの力を与えられるのだから、代わりはいくらでも選べるだろう。

 それが隆成よりマシな人間か、それともさらに質の悪い人間か、どちらにせよ、マスターが狙われ続ける事は同じだ。

 そんな役回りを引き受ける人間は、知らない誰かより、古くからよく知る隆成の方がまだ安心だと情は思う。

 勝手な性格をしているが、人として超えてはならない一線はわきまえている。危害を加える形になるのだろうが、万が一の事態は、隆成ならば起こらないだろうという信頼が情の中にはあった。

 だが、そうなると結局、情自身が隆成を抑えなければならないのだが、今の情ではそれが出来ない。

 障害を押し退けた隆成が向かう先はマスターだ。万が一の事態が無くとも、マスターたちにとってはかなり迷惑な話であり、由子が文句を言うのも当然だと、情は大きく嘆息する。

 やはり自分の心をどうにかしなくては、そこに思考が戻ると、情は縋るような視線を近くで漂うアイズに注いだ。

 それを受けて反応した様に、アイズはその場で制止する。

 しかし、答えを示してくれる事も無く、ただジッと情と目を合わせるだけだった。

 段々と自身を惨めに感じ、情は弱々しい足取りでベンチに腰を落とし項垂れた。

 そんな情の視界に、心配そうに集まるアイズたちが映る。

 だが、アイズたちはすぐに視界の外、ある一方向に飛び去った。

 それがなんとなく気になり、情は顔を上げると、そこにはカバンを担ぎ、両手に飲料缶を持った唯莉がいた。

「来ちゃった」

 いつものような可愛げのある声音ではなく、どこか落ち着き払った態度に情は一瞬だけ戸惑いを覚えた。

「本庄?」

「うん。あ、これ、ココアだけど、いる?」

 そう言って、唯莉は片方の缶ココアを差し出した。

 なんとなく、今はほどこし等を受けたくない気分なのだが、厚意を無下にもしたくないと思い、情はのっそりとココアを受け取った。

 ホットを選んだのか、缶は少し温かい。

「悪い」

 ほっそりと言うと、情は缶を開けて中のココアを一口飲んだ。

 ちょうどいいくらいの温もりが、喉から胃の方へと広がり、情の心を微かに落ち着かせた。

「いいよね、ホットって。温かいのは身体に心にもいいんだ」

 言いながら、自然に情の隣に座ると、唯莉もココアを飲み始めた。

 それからしばらく、二人はちょっとずつ缶に口を付けて、半分くらいまで飲んだ情が切り出した。  

「どうしてここに来たんだ?」

「んー、まあ正直に言うと、綾瀬くんの事が気になったから、アイちゃんズに教えてもらいました」

「なるほどな」

 コイツの前で逃げ隠れするのは至難の業だと思いつつ、情は続けて問うた。

「なんで俺の事が気になるんだ?」

「朝からずっとブルーになってたらね。お昼に、高尾くんの事について話してた時も、すごい暗かったし」

 どこか呆れているように唯莉に言われ、顔に出ていたのかと情も自分自身に呆れた。

「情けないよな。ずっと、うじうじとさ」

「何とも言えないよ。なんでそうなってるか、わかんないもん」

 慰めるでも同情するでもなく、唯莉の言葉は淡々としていた。

 そんな態度が、今の情にとっては居心地がよく、それに甘えそうになる自分に、情は改めて情けなさを感じ、溜め息を吐いた。

 今すぐこの場を離れたい気分が湧いてくるが、これ以上自分を堕としたくはないと、情は妙な意地を張り、ふっと出て来た問いを思わず唯莉に投げる。

「本庄は、なんでアイズのために戦ってるんだ?」

「うーんまあ、好きだからだよ、アイちゃんズが」

 瞬く間に打ち返して示された答えは、それ以上の追及の必要性を感じさせないほど清々しく、情は額に手を当てて軽く頭を掻いた。

「そりゃ好きでやってるんだよな。言ってみれば、俺もそんな感じだし」

 自嘲じちょう気味に言うが、直後に情は冷めたような表情になった。

 やりたいからやっている。その先に何があるのか。何がしたいのか。

 ふと、求めている答えの根本的な問題を思い出した。

 思い出の少女に会ってどうするか。それ以前に、思い出の少女を見つけなければ始まらない。

 そして今、可能性のある人間がすぐ隣にいる。

 問い質そうと、喉元まで言葉がのぼり、やがて胸の奥底に沈んだ。

 仮に唯莉が思い出の少女だったとして、どうしたいのかという疑問が情を支配し、問い質す事を許さなかった。

 悔しさといたたまれなさに情は思わず組んだ手を握り潰そうとする。こんな小さな一歩すら踏み出せない自分に何ができるのかと、密かに自分を責めた。

「なあ、今すぐに出来る、簡単な事すら出来ない奴は、何なら出来るんだろうな?」

 どこか投げやりな情の問い掛けに、唯莉は小さく首を傾げ、キョトンとした顔で答える。

「ん~その簡単な事が出来るように頑張ればいいんじゃないかな?」

 その答えに、情の中でスッと何かが溶けた。

「出来ない事を出来るように、それがまだ出来なかったら、それも出来るようにするの。そしたら、いつかはやりたい事、出来るんじゃないかな」

 言いながら唯莉は声に活気を乗せていき、最後には晴れやかな笑顔になって結論付けた。

「……そのやりたい事が、まだちゃんと決まらないんだ」

「それって、今決めないといけないの?」

 言い訳じみた情の言葉に、唯莉は率直な疑問を投げる。

「じゃないと、何でやりたいのが、分からなくなって……」

「でも、やりたいんだよね?」

 弱い所を突くように、唯莉が言い寄ると、その通り過ぎて情は言葉を失った。

 ぶつくさと理屈や弱音を並べつつも、結局情は思い出の少女を諦めきれないのだ。

 だがそこへ至る勇気が無い事から、みっともなく言い訳を出して自分を縛っていた。

 そこまで気付くが、どの道今すぐ唯莉に昔の事を聞く事は出来ない。

 ならば、どうすれば聞けるようになるのか、どうすれば答えを見つけられるのか。

 不意に目の前をアイズが通り過ぎ、情は思った。

 何もかも、全部この不可思議な眼から始まり、この眼に繋がっている。

 唐突に湧いて出て来た答えは情の身体を熱くさせ、次いでもう一つの答えを導き出した。

 自分の欲しい答えがアイズにあるのなら、関わっていく他に道は無い。

 その為には、戦い続けるしかない。

 その為には、と情は拳を強く握り、静かに言葉を零す。

高尾あいつ)に負けっぱなしじゃ、いられない」

 何日も胸の中に渦巻いていた迷いがあっさりと消し飛んでいく。そんな感覚に密かに悶えながら、情はベンチから立ち上がると、視線を合わせないまま唯莉に問うた。

「なあ、やりたい事って、本当に今決めなくてもいいのか?」

「……それって、今出来る事なの?」

「……出来るかもしれないし、出来ないかもしれない」

「だったら、出来るって分かるまででいいんじゃないかな。その時までにちゃんと決められたら、たぶん綾瀬くんも、納得できるんじゃない?」

 その言葉が、答えを出すまでの時間を、悩み続ける事を許してくれると言ってくれているようで、情は無意識に安堵し、肩の力が抜けていった。

 振り返るとそこには、もう見慣れてきた明るい顔があり、何でも受け止めてくれそうな柔らかな雰囲気が漂っている。

 初めてクリーチャーに襲われた時のように、また助けられてしまった。

 なんとなく、この子はそういう人間なのだろうと腑に落ち、助けられてばかりの軟弱な自分に情は嫌気を感じる。

 だが、もううじうじはしたくないと、情は取り敢えず、簡単に出来る事からしてみようと思った。

「ありがとな、本庄」

 素直な想いを告げると、少しばかり間を置いてから、唯莉も立ち上がった。

「ねえ、美味しいもの食べに行こうよ。学校近くの商店街にいろんなお店があるんだ。ここからだと少し遠いけど、そんなでもないし」

 唐突な提案に情はやや戸惑うも、その眩しい笑顔に従おうと、ココアを飲み干して了解した。

 今にも飛び出しそうなエネルギーを抑えながら歩く唯莉の足取りは軽やかで、それに合わせて歩く情の足は、憑き物が取れたようにゆったりとしていた。

 そうして丘を降りる二人を、アイズたちが嬉しそうに眺めていた。




 丘からそれなりにとも大分とも言える距離を歩いた場所に、唯莉の言う商店街はあった。

 ストリートに趣のある老舗しにせから出来たばかりと思わしき真新しい店が立ち並ぶ、そこそこの活気もある場所だ。

 学校からちょうどいい距離だからか、同じ制服の生徒たちもちらほら見える。

「綾瀬くんは、ここ初めて?」

「そうだな。学校の方面は、あまり来た事ないから」

「ならオススメの一つがあるんだ、行こう」

 元気な犬にリードを引かれる飼い主のように、情は唯莉に連れられて商店街を進んだ。

 やがて二人は、文字を若干傾けた小洒落こじゃれた看板を掲げる店に着いた。窓から見える内装から、そこがパン屋なのだと情は察する。

 唯莉が扉を開けると、扉に付けられたドアベルが軽快に鳴り、それに気付いた店員が爽やかな出迎えの声を上げる。

「どうもでーす……あれ?」

 入り口から数歩入った所で、唯莉はある者に気付き、近付いて行った。

「あ、やっぱり桐奈ちゃんだ」

「へ?あ、本庄先輩」

 どうも、とどこか固い挨拶をするのは、トレイに焼きそばパンを乗せた桐奈だった。

「偶然だね。桐奈ちゃんもパン食べに来たの?」

「ええ、まあ……そういう気分だったので」

 にこやかに尋ねる唯莉に、桐奈は作り笑いで返すと、次いで情の存在にも気付いた。

「あ、えっと……ジョウ先輩、でしたっけ」

「ああ、綾瀬情だ」

「あ、綾瀬先輩。すみません」

 いきなり名前呼びした事に恐縮し、桐奈は小さく謝る。

 そんな生真面目な態度にこそばゆさを感じつつ、情は桐奈からある連想をして、なんとなくそれを問うた。

「高尾は、一緒じゃないのか?」

「え?ええ、まあ。今の所は……」

 どこか疲れたように桐奈は目を逸らし、その口ぶりから、情は渋面を浮かべてさらに尋ねる。

「もしかしてアイツ、結構付きまとってくる感じか?」

「まあ……ちょくちょく声は掛けられますね、はい」

「……なんか、すまん」

 自身を狙うための手段の一環として、隆成は桐奈を必要としている。そのせいで桐奈が迷惑を被っているのではと思い、情は罪悪感に呑まれ、巻き込まれた後輩に謝罪を送った。

「いえ、そんな。別にそういう感じじゃないですし、それより綾瀬先輩の方が大変そうじゃないですか。高尾先輩の事」

「あー前も吹っ飛ばされてたもんね、綾瀬くん」

 桐奈の言葉から、唯莉はなんとなく隆成と情の戦闘を思いだし、あまり触れたくない事を掘り返された情は顔をしかめた。

「まあ、アイツが俺に突っかかるのはいい。それが平常運転だからな」

「そう、なんですか……」

「仲がいい、んだよね?」

 複雑そうな顔になる二人に、気を遣わせて悪いと思いながら情は続ける。

「それより、アイツが迷惑かけてないか。あ、いや、もう本庄たちに掛けるって宣言してたが……」

 バツの悪そうに言う情の心情を桐奈はなんとなく察すると、どこか諦観ていかんしたような目になって、近くを漂うアイズを見た。

「別に、先輩がいてもいなくても、私はこの子たちに引っ張りまわされてますから、あまり変わらないですけどね」

「あれ?桐奈ちゃん、アイちゃんズによくよばれてるの?」

 桐奈の言葉が気になり、唯莉は素朴な問いを投げる。

「最近はなんか減りましたけど、え、でもたまに来ませんか?」

「前よりは大分減ったよ~。みんな綾瀬くん達の所に行っちゃうもん」

 少し困惑した桐奈に、唯莉は口を尖らせ愚痴を零すように言う。

 そんなアイズに対しどこか対照的な意見を出し合う二人に、情は安堵するべきか申し訳なく思うべきかと反応に悩んだ。

「ホント、なんなんですかね、この子たちは。高尾先輩もよく知らないからって教えてくれませんし」

「あー、一応知り合いの友達が作ったって聞いてるけど」

「え?」 

 何気なく情が零した言葉に、桐奈は食付いた。

「え、あの……この子たちって、人工的なそんな感じのヤツなんですか?」

「まあ、聞いた感じだとそうらしい。今も何で出て来たのか調べてるそうだ」

「なんかね。綾瀬くんの知り合いのお友達さんが私たちみたいな子と知り合いで、アイちゃんズがまたいっぱい出て来た秘密を知ってるかもだから、綾瀬くんたちはその子を探してるんだって」

 補足を言うように、唯莉は聞いていた情の目的をすらすらと説明し、何とかそれを理解した桐奈は驚愕を顔に出していた。

「あー、この際だから聞くが、小野坂は誰かコイツらについて大人と話したりしてないか?」

「いや、無いですそんな!だってこの子たち、子どもにしか見えないとか、そんな感じなヤツだと思ってましたし!」

「……なんか、夢を壊したみたいで悪いな」

「あ、いえ、別にそんな事は……」

「別に生まれ方とかは関係ないよ。アイちゃんズはアイちゃんズだもんね~」

 清々しい声音で、情の胸元あたりにいたアイズに唯莉は笑顔を向ける。

 すると、桐奈は少し考え込むような顔になると、意を決した様に情に尋ねた。

「あの、この子たちの事、もっと詳しく教えてくれませんか」

「詳しく、か……俺もまだ言うほど分かってる訳じゃないからな。羽島さん、俺にアイズの事を教えてくれた人なら、もっと色々聞けるかもしれん」

「その人に、直接聞くって事ですか?」

「ああ。すぐには難しいだろうけど、多分頼めば時間作ってくれると思う」

 自信あり気に情が言い終えると、桐奈は少し躊躇うような顔になった。

「あの、申し訳ついでみたいで、ホント申し訳ないんですけど。私一人なのは……」

「あー、分かってる。ちゃんと俺も一緒に、あ、どうせなら本庄も一緒にいた方がいいか?」

「え?私も?」

 目を丸くして、唯莉は自身の顔を指した。

「まあ一応、その方が小野坂も安心じゃないか?」

「あ、はい。ホントすみません」

 情の気遣いに桐奈は小さく安堵しながら、素直な礼を言って軽く頭を下げた。

「それじゃあ、俺の方から連絡しとくから、日が決まったら教える」

「わかりました」

「オッケーだよ」

 情の提案を二人は承諾し、話は決まった。

「それじゃあ話も済んだ事だし、パン買おっか。もう匂いだけでお腹が空いちゃったよ~」

「……そうだな」

 割と真面目な話をしていた直後だと言うのに、なんとも呑気な奴だと思いつつ、情も店内に漂う香ばしい空気に鼻腔をくすぐられていたのは同じだった。

「じゃあ、私はお先です」

「私チョコクロワッサーン」

 持っていた焼きそばパンをレジに持っていく桐奈に続くように、唯莉も即座にトレイを手にし、目当てのパンを乗せてレジへ向かった。

「……これにするか」

 なんとなく二人に置いて行かれそうな感じがした情は、目に付いたパンにしようと即決し、トレイにあんパンを乗せて、レジへ向かった。

 それぞれ会計を済ませ、3人は店を出る。

「それじゃあ、私はこれで……」

 別れの挨拶を告げようと桐奈が畏まると、そこへ軽薄な声が掛けられた。 

「よお、なんだ皆さんお揃いじゃんか」

 機嫌良さそうな顔で、隆成が近付いてきた。

「高尾先輩⁉なんでここに⁉」

「まー勘だったんだけど、ここ、学校の売店に出してるパンの店だろ?昼の時のを見たら、なんかいそうな気がしてさ」

 昼休み、焼きそばパンを分けてもらった事を思い返し、桐奈は気恥ずかしくなって赤面する。

 すると、情が険しい顔つきになって前に出た。

「何の用だ?」

「ちょっと桐奈に用事でな。俺の依頼主が、アイズについて話がしたいんだと。後々都合のいい日を決めて、連れて来いってさ」

 淡々と語られる隆成の話に、情は微かに吃驚する。

 自身の依頼主である羽島が探し求める相手の元へ、桐奈を連れてこうと隆成は言っているのだ。

「悪いが、そういう話なら俺たちもさっきしててな。こっちが先約だ」

 別に都合が悪い訳ではない。むしろ、僅かでも大河原との接点が出来るかもしれない機会だ。

 羽島の要求を尊重そんちょうするならば、情がここで引き止める必要は無い。

 だが、情は羽島に服従している訳ではなく、羽島に対し全く猜疑心を持っていない訳でも無い。情にとって羽島は戦う理由の一端でしかないのだ。

 単純に、隆成の思う通りに事が運ぶのが気に食わない。それが理由で、情は隆成の持ちかけた話を突っぱねた。

 そんな情に、隆成は嬉しそうに口角を吊り上げた。

「へえ、言うじゃんか、情」

「え、あの、先輩方?」

 情と隆成の間に生まれた緊迫感に、話の中心たる桐奈がオロオロと困惑する。

 直後、桐奈と唯莉が何かの気配を感じたように、表情を強張らせた。

 情と隆成の間に割って入るように、暗い煙を纏った虚ろ目のアイズが現れた。

「ちょうどいい。桐奈を賭けて、一勝負と行こうぜ」

 上機嫌且つ低い声音で隆成が告げると、情は首肯した。

 隆成が先に動き、情がそれに付いて行くと、二人は店と店の間の狭い路地裏に入った。

 唯莉と桐奈もそれを追うと、そこへ大量のアイズが流れ込むようにして入り込み、その場の四人を呑み込んだ。

 オービタルに入ると、商店街の舗装された道に、パン屋にあった棚や、少し遠くに店を構えていた八百屋の野菜を詰めた段ボール箱、魚屋にあった水槽が無作為に転がる光景が四人を迎えた。

 虚ろ目のアイズが更に2体増え、計3体の虚ろ目がそれぞれ結晶を伸ばし、人の形になって砕け、クリーチャーへと変貌した。

 カリカリなパン、つややかな生魚、瑞々みずみずしい野菜をそれぞれ人型に無理やり積み上げたような異形を前に、隆成はグリップを取り出しバレットを装填して起動、斧を携え戦う力を身に着けた。情もそれに続いてバレットを起動し、剣を構える。

 後ろで見ていた唯莉と桐奈はなんとなく空気を読んで、そのまま二人を見守っていた。

「えっと、多く倒した方が勝ち……みたいな感じですかね?」

「う~ん、と言うより……」

 クリーチャーが飛び出し、それに合わせて情と隆成も地を蹴る。

 そこから先、唯莉と桐奈は、まるで演武を見ているような錯覚を覚えた。

 迫りくるクリーチャーの1体を、まずは情が剣先で突きを放ち、次いで隆成が斧による攻撃で押し返すと、左後方にいた別のクリーチャーに向けて押し飛ばす。2体のクリーチャーがぶつかっている間に、情は右側の3体目を斬り、直後に隆成がその3体目を蹴飛ばして間合いを広げた。

 体勢を戻した2体のクリーチャーを情と隆成が交互に武器、拳、蹴りをぶつけて圧倒し、片方を同時に殴って吹っ飛ばすと、残った方を情が腕を掴んで引っ張る。そこへ、先に離しておいたクリーチャーが迫るが、隆成がこれを押し返し、二人はそれぞれクリーチャーを滅多切りにする。その動きは、驚くほどシンクロしていた。

 そして、情は回し蹴り、隆成は裏拳で、互いに攻撃していたクリーチャーを同じ方向へ押し飛ばすと、二人はグリップのボタンを押し、マガジンパーツを押し戻して、止めの準備を整える。

 同時に駆け出し、それぞれ押し飛ばしたクリーチャーに一閃。その勢いを保ったまま、残りの1体に迫ると、二人は息を合わせて武器を振るった。

 1分と掛からず、クリーチャーは3体全て爆散、撃破され、目を×マークにしたアイズたちが流れていった。

 その光景を見おさめると、唯莉と桐奈も声を合わせて、ですよね~と呆気に取られていた。

「仲良いね、やっぱり」

「いや、そんなレベルじゃない気がするんですが……」

 微笑む唯莉の言葉に、桐奈は苦笑いを浮かべて突っ込む。

 しかし、本題はここからだ。隆成の言う勝負と言うのは、もう直接対決しか考えられなくなった。

 クリーチャーを撃破し、二人は小休止に入ると、それぞれ担いでいたカバンをその場に落とした。

 数秒後、おもむろに隆成が切り出した。

「見違えたな。どうした、急に」

「色々あってな。まあ情けないのは変わらないが」

「なんだよ、それ」

 穏やかなやり取りをしていると、二人から少し離れた空間に、アイズによるゲートが形成され、そこから由子が現れた。

「っ、お前ら!」

 先客の存在に、由子はわかりやすく機嫌悪そうな顔をする。

「転校生!お前、もう来るなって言ったろ!」

「由子ちゃん、これは……」

「本庄!」

 文句を喚く由子を止めようと唯莉が一歩でるが、情がそれを制止する。

「俺から話す。だから、大丈夫だ」

 神妙な面持ちで情が言うと、少し心配そうな顔になるも、唯莉は黙って見守る事にした。

 隆成も静かになり、情は訝しげな表情になる由子を見据え、気持ちを整えると真剣な顔で切り出した。

「まずは、謝っとく。俺はこれからもアイズに関わるし、それを狙って多分高尾がお前らにも迷惑を掛ける。すまん」

 固い声音で情が言うと、由子は不快そうに顔を歪めた。

「ふざけんな!謝ればいいと思ってるのか⁉」

「そんな事はない。けど、俺はどうしても、アイズの件から降りる訳にはいかない、降りたくない!」

 気持ちの籠った声に気圧され、由子は微かに身じろぎするが、すぐに言い返した。

「だったら言え!お前は何がしたいんだ⁉何の為に、コイツらと関わるんだ⁉」

 核心を突いて来る由子の言葉に、情は息を呑んだ。

 そして、手にした剣を胸元に上げて眺めると、そこからピョンとアイズが飛び出し、目が合った。

 すると、情は覚悟を決めたように、由子と目を合わせ、その答えを告げた。

「まだ、分からん!」

「はあ⁉」

 それっぽい理屈が来ると構えていた由子だが、その思わぬ返答につい声を上げてしまった。

 そんな由子に対し、情は言葉が足りないと、続けてその想いを吐露する。

「分からない、けど、やりたい事はある。けどそれが、どうやりたいのかが決まってない。だから、それを決めるために、その答えを見つけるために、俺はコイツらと関わり続けなきゃならない!だから俺は降りない!」

 勇ましく語るが、その内容は曖昧だ。けれど、由子はその勢いがただの虚勢だとは思えず、情の言葉を聞き続ける。

「納得できないならそれでもいい。文句はいくらでも聞くし、邪魔だと思うならまた撃ってきてもいい。けど、俺は諦めない。答えを見つけるまで、アイズと関わってく。多分それが今の、俺のやりたい事だ」

 厳かな声音で締めくくると、情は由子の反応を伺う。

 どこか納得いかないような顔をしているが、言い返す言葉にきゅうし、悔しげに黙り込んでいた。

「とりあえずは、話が済んだみたいだな」

 大人しくしていた隆成が軽い拍手のように斧を叩き、鈍い音を奏でながら情に近付いた。

「……待たせたな」

「別に、まあなんて言うか……思った事を言うぞ?」

 斧の刃を撫で、隆成はニヤニヤと気味悪く嘲笑う。

「ホント、へタレだよな、お前」

「……同感だ」

 友人の抱いた感想が胸に刺さりつつも、情の心に雲は掛からなかった。

「ま、お前にしては良かったと思うぜ、それに……」

 言いながら隆成は鋭く斧を振るい、情は剣で受け止める。

「そういうお前が、大好きだぜ、情!」

「キモい!」

 ご機嫌に言う隆成の言葉を、剣で押し返すと共に情は一蹴する。

 そうして、桐奈を賭けた戦いの戦端が開かれた。

 再び武器をぶつけ合い、組み合いになって二人は移動し、それを呆然ぼうぜんと佇みながら、由子は見送った。

 そこへ、唯莉と桐奈が駆け寄る。

「由子ちゃん」

 唯莉が声を掛けると、由子は拳を握って小さく震えた。

「なんだよ、アイツ」

 唸るように呟くが、その声の中に、嫌悪やむとった感情は無かった。

 そんな様子に、唯莉はホッと胸を撫で下ろし、戦いに身を投じる情に視線を向けた。




 組み合いながら、辺りに転がる段ボールや水槽を蹴散らしていく。

 そして、互いに相手を解放すると、武器をぶつけ、殴打を振るって攻撃する。

 何度かの打ち合いを経て、隆成の斧を躱した情がカウンターの拳をぶつけ、隆成を押し飛ばした。

「これだよ、こういうのがやりたかったんだ」

 歓喜の声を上げ、隆成は再び情に迫った。

 すると、間合いに入る直前でグリップを操作し、斧を銃形態に変形させて、近距離でそれを発砲する。

 情は身を傾けてそれを避けるが、直後に振り下ろされる斧の刃部分はかわしきれない。

 だが、それを受けると同時に情は身体を捻り、隆成の懐に潜り込んで振り上げた膝を腹部に突き刺し、続けて器用に剣を引いて隆成の背部を斬りつける。

 また距離が出来ると、情も剣を銃へと変形させ、その銃口を隆成に向けて引き金を引いた。

 それに対し隆成も応射し、互いに飛び交う光弾を避けては撃ち返す。

 射撃のセンスは隆成が少し高かったようで、情より多くの光弾が命中した。

 射撃戦は不利と見た情は、再び武器を剣に戻して突撃する。

 不意の接近に隆成は銃撃での対応が遅れ、間合いに入られてしまう。

 だが、銃の状態で隆成は振り上げる情の剣を受け止め、刃を押し付け合う中で銃を撃ち、その光弾が情の顔面を掠める。

 遅れて首をそらした情は頬の辺りに走る痛みに耐え、勢いよく首を振って隆成の顔に頭突きを見舞った。

 衝撃に怯んだ隆成の隙を逃さず、武器を持つ手での拳に、鋭い蹴りを続けざまに打ち込んで、隆成を吹っ飛ばした。

 苦悶の声を上げて、隆成はパン屋の棚に突っ込み、情は追撃を掛けようと迫った。

 しかし、倒れた状態のまま隆成は銃を斉射し、数発の光弾をボディに受けた情はその衝撃に押し返された。

 荒々しく隆成は立ち上がり、情も姿勢を整えて身構える。

 緊迫した空気が張りつめ、二人はしばし睨み合った。

 互いに相手の動きを待つ膠着状態。だが、相手が焦らされるのを嫌う人間だと知っている二人は、不敵な笑みを見せあうと、互いに駆け出そうと小さく身を屈めた。

 隆成が地を蹴る。

 それと同時に情も動こうとしたが、背後から段ボールと氷で構成されたようなクリーチャーが飛び掛かり、それを阻まれた。

「くっ」

 忌々しげに声を漏らし、クリーチャーを振り払おうとするが、その拘束は固く、中々引き剥がせない。そこへ、さらにもう1体のクリーチャーが組み付いて来た。

「情くん!」

 2体のクリーチャーに襲われる情を見て、黙っていられないと唯莉は駆け出し、その目に紫の光を宿した。

 走る唯莉を追いながら多くのアイズたちが渦を巻いて包み込み、そこからマスターの戦闘形態へと姿を変えた唯莉が飛び出した。

 腕にマウントされた大剣を抜き、情に組み付くクリーチャーに次々と叩きつけて、情の身体から引き剥がす。

「大丈夫?」

「ああ、すまん」

「この子たちは私が……」

 戦いに水を差すクリーチャーの相手を引き受けようと唯莉が名乗り出ると、その直後に、離れた空間にアイズが集結し、ゲートを形成した。

 刹那、ゲートからエンジン音が轟くと、1台の白いオープンカーが出現した。

「なっ⁉」

「ええっ⁉」

 突如現れた思わぬ車両に、由子と桐奈が声を上げ、タイヤを軋ませて急ブレーキを掛けるその正体不明の車から、隆成も警戒して距離を取った。

「車?誰だアイツ」

 同じく情も戸惑いを露わにしながら、運転席にいた白い皮ジャンの男に気付く。

 すると、男も情に目を向け、爽やかそうな顔で声を掛ける。

「よう!綾瀬情だな?」

 気さくな声で問い掛ける男に、情は怪訝けげんそうな顔になって首肯する。

 それを見ると、男は半透明のカードを掲げて見せた。

「羽島さんからのお届け物だ。盛り上がってるとこ悪いが、クライアント様はお前の勝利をご所望だそうだ。受け取れ」

 言って、男は鋭い手さばきでカードを投げ、情に送った。

 真っ直ぐと飛んできたカードを情は綺麗にキャッチするも、それが何なのか分からず、ただジッと見据えた。

「何?何もらったの?」

 傍らにいた唯莉が興味深そうにカードを見る。すると、唯莉の纏う装甲から、数体のアイズが出てくると、明るい輝きを放ち、その光をカードに注いだ。

「何だ、これ?」

 思わず疑問を口にしている内に、光を受けたカードは半透明な紫色に変わり、アイズたちも唯莉の装甲へ戻った。

「そいつは……ん?」

 説明をしようと男は声を上げたが、クリーチャーが情に向かっている事に気付く。

「ええい、鬱陶うっとうしい」

 億劫そうに言うと、男は車のシフトレバーとなっているグリップのボタンを押し、飛び出したマガジンパーツを押し戻すと、そのままシフトレバーとして操作し、車を発進させた。

 瞬時に加速しながら、車は淡い光を宿し、男は巧みなハンドル捌きで鋭いシルエットのオープンカーをクリーチャーに向かわせて激突、クリーチャーを撥ね飛ばした。

 その豪快な一撃に、見ていた高校生たちは唖然とし、爆散するクリーチャーを背景に車は強引なブレーキで地面を擦りながら止まった。

「グリップのマガジンに、そのカードをかざせ」

 何事も無かったかのように、男はカードの説明を続けると、情は言われた通りグリップのボタンを押し、出て来たマガジンバーツにカードをかざした。

 すると、カードはマガジンパーツを包むように張り付き、マガジンパーツは紫の光を宿した。情はそれを押し戻す。 

 そうする事で、情は一瞬、紫の光に包まれると、その双眸に同じ紫色の光を宿した。

 それは、唯莉が戦闘形態へ変わる時に宿す光と、ほぼ同じだった。

「さあ、ケリをつけろ」

 澄ました顔で言う男が少し気に障るが、情は待っていたと言いたげな隆成に目を向け、戦闘を再開するべく駆け出した。

 互いに相手へと突撃し、手にした武器をぶつける。

 先程と変わらない動きだったが、結果は大きく変わった。

「重っ」 

 情が振るった剣に押し負けた隆成が思わず声を上げた。

 続けて両者は武器を振るうが、その全て、隆成が押し負ける形になった。

「これは……」

 情自身はこれと言って変わった感覚は無いのだが、隆成の様子から、自身の攻撃が重くなったのだと察する。

 カードの効果なのだと考え、打ち合いに押し負けて隙を作った隆成に、情は鋭い拳を見舞った。

「ぐあっ」

 痛みに声を漏らして、隆成は大きく後ずさる。

 やはり全体的に攻撃力が増したのだと二人は理解し、情は表情を曇らせ、隆成は血色をよくした。

 再び武器を打ち合うと、今度は隆成が情に斧による直撃を見舞った。

 情を襲うダメージは、先程と変わらなかった。

「上がったのはパワーだけみたいだな。ならワンチャンある!」

 息巻く隆成だが、それが虚勢なのだと情にはすぐ分かった。

 情と隆成の間で、どちらかが優位となれば、もう勝負は決まっている。

 グリップのボタンを押し、情は飛び出したマガジンパーツを押し戻した。

 淡い輝きを纏った剣を携え、情は突撃する。その威力に警戒し隆成は迎撃の姿勢を取った。

 間合いに入り、情は素直なほど真っ直ぐな軌跡を描いて、剣を振り下ろした。

 搦め手を用心しつつ、隆成は後方に飛び退き、情の剣は地面を叩いた。それと同時に、情はグリップの引き金を引く。

 剣先にエネルギーが集中し、それが炸裂。

 地面を穿うがつ爆発が連なって進み、隆成に向かうと、その身体を呑み込んだ。

 衝撃に吹っ飛ばされながら隆成は絶叫し、本屋の看板を掲げる無人の店にその身を叩きつけられた。

 大きな土煙が上がり、そこからヨロヨロと隆成が出てくる。

「やっぱ、すげぇな、これ。カッコいいぜ、情」

「嫌味を言うなよ」

 弱り切った笑みで隆成が情を称えるが、情は不服そうに口を尖らせた。

 すでにその瞳には、紫の光が消えていた。

 やがて隆成は膝を突き、グリップの撃鉄を上げた。

「負けたぜ」

 敗北を認め、隆成は斧の消失したグリップからバレットを外す。

 それに続き、情も武装を解除する。すると、バレットを装填していたグリップの空洞から、粒子状の紫の光が吹き上がり、紫のカードへと形を作った。

「なるほど、そういう風になるのか、そのカード。でも色はどうやって付いたんだ?」

「いや、これは俺も知らないから」

「そうか。あ~でもクソっ、桐奈は取られちまったか~」

 腰を落として胡坐をかくと、隆成は悔しそうに唸り声を上げた。

 正直情としては、フェアな勝負にならなかったから気が引ける所なのだが、それを言っても隆成は納得しないのだろうと頭を抱えた。

 そこへ、桐奈が恐る恐る近づいて来た。

「あの~、熱くなってた所に申し訳ないんですけど……」

「なんだよ、私のために争わないでってか?もう遅せーよ」

「いや、そうじゃなくてですね。そもそもの話と言いますか……」

 気まずそうにする桐奈に、情と隆成は揃って眉を寄せた。

「どっちも行くって、ダメだったんですか?」

 どこかさとすような物言いの言葉に、情と隆成は硬直した。

「その、私としてはアイズについての話が聞きたい訳で、それは正直どっちの大人さんの話でもよくて、なら別に、両方の話を聞くでもいいかな~なんて……」

 取り繕うように桐奈が語ると、情と隆成は疲れたように溜め息を吐いた。

 桐奈の事は、戦うための口実になっていた感はあったが、それ故、負けられない理由として二人の闘志を燃やしていた。

 勝者に送られるべき報酬が、実はどっちにも送られると分かると、妙なやるせなさを覚えたのだ。なんとなく、盛り上がりを返せと言いたい気持ちが芽生える程度に。あと、言い方も気になった二人だった。

「……じゃあ、俺が勝ったから、俺の方が先って事で」

「だな。そう言う事で」

 一気に熱が冷めて、情と隆成だけで適当に話がまとまった。

 桐奈は完全に蚊帳かやの外だった。

「あ、えっと……すみません。失礼しました」

 その場の空気に耐えられず、桐奈は申し訳なさそうに言葉を残すと、アイズにゲートを形成させ、逃げるようにオービタルを出た。

 それに続き、最後まで戦いを見ていた由子も鼻を鳴らしてきびすを返し、ゲートを通ってオービタルを出た。

「さて、俺も行くかな」

 ヨロヨロと立ち上がりながら、隆成はグリップを操作してアイズにゲートを形成させる。

「面白かったぜ、情。こうでなくちゃな、やっぱ」

「嬉しくはないな」

「いや、前まではあんまりだらしないから、嵐と二人掛かりも期待したけどな。あ、でもやっぱそれはキツイな」

 苦笑まじりに隆成が言うが、情はその内容に面食らった。正彦を頼るという選択肢など、情の中には無かったからだ。

 別に信頼していない訳ではないが、隆成を相手するのに誰かに手を貸してもらおうという考えが全く出なかった。

 なんとなく、隆成の相手をする事にも、アイズや思い出の少女に対する気持ちと似たようなものだと情は思え、それなりのこだわりを持っていたのだと自覚する。

 次いで、言われてようやく気付いた自分に呆れ、現在本気で戦えているのも、唯莉に言葉を掛けて貰えたからだと改めて思う。

 言ってもらわなければ分からない自分がつくづく情けなく、面倒な人間だと情は自嘲気味に思った。

「じゃ、またな」

 隆成の言葉に返事を返さないまま、情はゲートを通る隆成を見送った。

 そうして、無事隆成がオービタルを抜けた事に安堵すると、情は表情を険しくし、車の男へ視線を向けた。

「アンタは、誰ですか」

 率直な問いを投げると、男は車から身を乗り出し、落ち着いた様子で答えた。

「味方だ。お前と同じ、羽島さんの協力者。名前は……藤川ふじかわ 御琴みこと

 その名前を耳にすると、情の心臓が大きく反応した。

「また会うだろう。それじゃあな、少年!」

 快活に言葉を残すと、男、藤川は車を走らせ、彼方へと消えていった。

 普段ならば、オービタルの先がどうなっているのかが気になる所だが、情はそれ以上に、藤川の名前が引っ掛かった。

「藤川……まさか」

 小さく呟くが、すぐに偶然だろうと情は切り捨てた。

 そこへ、戦闘形態を解いた唯莉が歩み寄ってくる。

「私たちも行こう、情くん」

「……ああ」

 アイズが形成したゲートを共に進み、情と唯莉はオービタルを出た。

 その先は、入った時と同じ路地裏だ。

 暗く汚れっぽい空間を二人は抜けると、懐っこい表情の唯莉が情の顔を見上げた。

「よかった、のかな」

「まあ、これからなんだろうな。多分」

 あれこれ思い悩んだ末、導き出されたのは、戦い続けるという事だけだった。

 隆成についても、思い出の少女についてどうしたいのかも、アイズの問題も、何一つ解決していない。

 だが、情の心は確かに晴れやかだった。

 たとえ迷っても、悩んでいても、行くべき方向が決まっていて、進み方が分かっていれば、きっといつか辿り着く。ゴールの仕方さえ分かれば、情の目的は果たされる。

 果たしてゴールの仕方、自身のやりたい事を、どうやりたいのかという答えは見つかるのか。そんな不安も、目の前の笑顔が溶かしていく。

 もしかしたら、この笑顔と一緒にいれば、答えが見つかるかもしれない。

 密かにそんな事を思っていると、またしても唯莉に助けられる事になると理解し、情はなさけなさにしおれた。

 そんな情の小さな変化を、唯莉は見逃さなかった。

「あ、また暗くなった」

「なんか、助けられてばっかだなって。さっきもさ」

「それも好きでやってる事なの」

「……すごいな、本庄は」

 心からの賛辞を送ると、唯莉は素直に照れ笑いする。

「エへへ。でも、情くんだって、やりたい事のための、出来る事が決められたでしょ」

「けど、それも本庄のおかげだし」

「それでも決めたのは情くんなんだから、情くんもエライの!」

 子どもを叱るような、けれど声色から可愛げを感じられる口調で、唯莉が強く言った。

「それにね。いっぱい悩んだりするのは、それだけその事を大切にしてるからだと思うの。大切な事に一生懸命な人は、私はすごいと思うよ」

 穏やかに語る唯莉に、情はただただ圧倒された。

 頼るどうこうではなく、負けたくない。この気丈な精神を前に、これ以上情けない自分ではいられないと、情は強く思った。

「ありがとな、本庄」

 改めて礼を言うと、唯莉は柔和な笑みを浮かべ、カバンに仕舞っておいたチョコクロワッサンを出した。

「行こっか。帰り道、まだ途中だし」

「……ああ」

 唯莉の誘いに了解しながら、情もカバンから買ったあんパンを出して、歩きながら食べ始めた。

 ふと、情は思った。

 この子が、思い出のあの子だったら。

 これまでより強くハッキリと脳裏に浮かんだその憶測おくそくを、情はパンと共に飲み下した。

 並んで長い影を伸ばす二人を、漂うアイズたちが無邪気に見送った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ミエルメ とき @tokiori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ