第4話 人間ってなんだろう

著者:天才です。



 わたしは天才です。

 自明なことではあるのですが、自己紹介をするなら外せない特徴なので、仕方がありません。

 天才とは何かと言いますと、端的に言えば、ひと一倍素直なことなんだと思っています。馬鹿正直に、色んなことを考えること。だって、普通の人って、映画みたいな話を現実だと思わないそうじゃないですか。ちゃんと考えると疲れちゃうから? でもそんな現実はどこにでもあって、本当にただそれを見るか見ないかだけなんですよね。


 例えば、昨日の夜に出会ったのは、魔界から来たというピンク色の可愛らしい女の子でした。その子は人間界に遊びに来たそうです。どこか面白いところはないですか、って聞かれたので、あそこのベンチが日当たりがいいですよって教えてあげました。あんまり遠くのことは知らないから。

 その子はちょっと不思議そうな顔をした後お礼を言ってくれて、不思議な日記帳を渡してくれました。これは交換日記なんですって。でも、特定の人たちの間で交換するんじゃなくて、次々と新しい人に回していくらしくて。それって、バトン日記とか、遺伝子日記って、呼ぶ方が正しいんじゃないかなって思います。

 でもそんなことを言っても、はじめに生んだお母さんがそう名付けたなら、交換日記に違いないことでしょう。だから私も、これを交換日記と呼ぶことにしました。


 わたしはそんな、現実じゃないような現実たちが大好きです。そして、その中心にはいつしか、あの人が住むようになりました。だから、私の世界を書くとすれば、彼――雪だるま君のことを書くということになります。なんの変哲もないことばかりですけど、私にとっては大切なことなのです。よろしければ、読んでいってね。


 わたしの行動範囲は、この大学の構内くらい。だから、このお話の舞台もそれくらい。寒い寒い冬の、でもクリスマスにはまだ早い、そんな辺りのお話です。



「少し悪いことをしてみよう」

 雪だるま君はセリフに似合う顔をして見せて、言いました。

「悪いことってなに?」

「善の反対。誰にとっても、悲しむべき行い」

 彼は私の真似をしているつもりのようです。それは、変な感じでした。

「またその話をするの?」

「いやあ、これはちょっとした冒険心さ。賽子を振りなおすような、ね」

「神様は賽子を持っていたけど、もう持っていないかも」

 私はよく、彼を困らせるようなことを言ってみます。どういう返事が返ってくるのか、どうしてその言葉を使ったのか、聞くと分かるから楽しいのです。

「それを今持っているのは、たぶん君なんだ」

「雪だるま君かもよ?」

「その呼び方はよしてくれよ」

 頭の後ろをかく手は、どういう訳か愛おしいです。


 雪だるま君と彼を私が呼ぶのは、はじめて見た姿がそうだったからです。雪の降る夜に坂から転がり落ちた、急ごしらえの雪だるま。それはやっぱり現実じゃないような現実で、……だからかな。


「とにかく、悪いことって何なのか、教えてよ。あまり女の子を焦らすものじゃありません!」

「悪かったよ。じゃあ、こっちに来て」

 彼は自然に私に手を差し伸べて、私も自然に彼の手を握り返しました。


 もくもくもく、と。歩く軌跡は雪に残ります。

 いつもではないけど、私たちは夜になると、二人で歩きます。それはいつだって、どちらともなく引き合うような、お空の星のようなめぐり合いから始まります。


「神様は」

 唐突に彼は言いました。「神様は、物を持ったりすると思う?」

「賽子なら、持っていると思います。振るか振らないかは、また別だけど」

 降りしきる雪が私の黒髪を白く染めているでしょう。頭を振りながら答えました。

「なら、神様は、持っている物を人に与えてくれるかな?」

「君が持ってるなら、くれたってことじゃない?」

 彼はしばらく私を見ました。私も見つめ返しました。


 しん、と、心臓か雪が鳴りました。


 先に目を逸らしたのは雪だるま君で、ほっぺたの赤い雪だるまになりかけたところでした。

「まあ、それもそうだよな」

 また髪をかくから、雪だるま君は雪だるま君から遠ざかりました。でも、私とは近くなった気がします。



「悪いこととは、神様から物を貰うことだ」

「それはいけないことね」

 他愛のない会話をしながらぶらぶらと歩き続け、扉を開けた先は、いつもの小さな教会です。

 紹介し忘れましたが、雪だるま君は神学部の学生さんで、この教会も大学のキャンパス内にあります。夜でも鍵のかかっていないこの場所が、彼の秘密の場所みたいです。

「あれっ、あれはなんだろう」

 突然、雪だるま君は変な声を出します。指さした先には、少し早いクリスマスツリーがあって、そこには大きな靴下がひとつ、引っかかっていました。

「わ、クリスマスツリーですね。変。とても」

「本当だ。変だね。見てみようよ」

 彼は不自然に私の手を引こうとしました。私はちょっと手が熱くなりました。

 縞模様の靴下は、私の顔がすっぽりと入りそうな程大きかったです。けれどその中身は……

「テオブローマ」

 彼は言いました。

「神様の食べ物、ですね」

 私は、沢山のチョコレートの中のほんの一部分を、小さな手で掴んで呟きました。



「私ったら、これを食べたらワルになっちゃうかも?」

「いいや、きっと良くなる」

 こんな時に、彼はまじめな顔をします。

「……今君が何を考えているか、当てちゃおうかしら」

「いいやだめだ。僕たちは今悪いことをしている。喋ったら見つかるぞ」

 チョコの包みを開けて、形の様々なごちそうを食べます。その間、二人はほとんど喋りませんでした。言葉に出すと神様にばれるから。それなら、仕方がないですよね。

 秘密の共有は楽しいことです。人間に許されたことにしている、背徳の味です。それはきっと、このチョコレートのように甘いことでしょう。


「……もったいないかも知れない」

 けれど雪だるま君は、暫くすると包みを開く手を止めました。

「あ、しゃべった~♪」

 私はおかしくって、笑いました。

「よくよく考えたら、祈りの言葉だって世界中から沢山届くんだ。こんな包み紙の音なんて聞こえないよな?」

「相手に知られなかったら悪事じゃない、ってことかしら?」

「……それよりも大事なことがある、ってだけだ」

 彼は言い訳がましく言いました。

「けれど、悪は悪よね」

 なんだか、そう言ってみたくなりました。変です。

「それは……」

 彼は視線を落としました。



 包み紙の音はもうしないのに、しん、としました。



「もうそろそろ出ようか」

 彼は静かに立ち上がりました。



 外に出ると雪は既に止んでいて、けれど私たちの来た跡は隠されていました。

 私たちのデートはいつも大学構内一周分で、それが終わればその日はお別れです。だからどうにか長続きするように、遠回りをしています。

「なあ、やっぱり僕は――」

「そこから先は駄目ですよ」

「冷たっ」

 何か良くないことを言いかけた雪だるま君の口を、私の手が封じました。それははとても冷たかったようです。

「……あ、」

 彼の吐息が指の間を抜けます。

「ホットココア、飲む?」

 彼は先ほどの態度がうそのように、優しい目をして私に質問しました。

「……何人分、買えますか?」

「2人……いや、1人分かな。不思議だろ?」

「不思議。とっても」

 それから私たちは溶けたように、ゆっくりと笑いました。

 自動販売機のぼうっとした光まで、まるで微笑んでいるかのようでした。



 幽かな湯気がひとつ。二人の間をゆらゆら揺れます。

「間接キスは、もう慣れたの?」

「茶化さないでくれ、子供じゃないんだから」

 彼ははじめの頃とは違い、簡単にあしらうようになってきました。

「じゃあ、直接?」

「だから、そういうことじゃないだろ」

「でも、そうだとしたら?」

 実はココアの缶はもう空っぽになっていて、間接キスをする機会はもうなかったのです。それを知らない彼に質問するというのは、悪いことでしょうか?

「そうだとしたら、」そんなことを知る由もない雪だるま君はどうしたかと言うと、小さく手招きをして、耳を貸してほしいようなジェスチャーをしました。

「どうしたの?」


 私は素直に耳を貸し――ほっぺたに温もりを感じました。


「あ」

「あ」

 一つは私のもので、もう一つは彼のもの。片方はびっくりしていて、もう片方もびっくりしていました。


「私、今君が何を考えているか、分からない」

「め、珍しいな」

「分からないけど、感じるの」

「何をだ?」

「それは、」


 秘密です。


 私はその先を言わないまま、帰り道に向かって駆けだします。この想いだけは、日記帳にも書かないんです。だって私は、天才少女ですから。


 この日記帳、次は誰に渡そうかな。海を越えて遠くまで、届くといいな。

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