第9話#悪魔の転生者
彼女は目覚める。
人間として。
彼女は目覚める。
深い海の底から。
彼女は目覚める。
名もない一人の少女として。
そこは、風も感じない陽の光もない地下室。
彼女は重たい瞼をゆっくりと開ける。
そしてそこには一人の男がいた。
髪は黒く目は紅黒い。
その瞳を見つめるのは、目の前にいる彼女。
だが、どこか残念そうな眼だ。
何かに期待を抱いていたのか、特に輝かせることも無く、ただ黙って彼女を見つめる。
男はそっと言葉にする。
「お前は生きたいか?」
「え....」
彼女は言葉を失う。
生きたい....それは今、彼女が死にそうなことを表しているのか。はたまた、ただ純粋に生きたいかと問うているのか。
どんな意味を持ち、聞いてきたのか。
彼女は分からない、そのまま口を閉じる。
「美しい紫色の髪をしているな、いや、お前は転生してきたのか、前の世界のことなど忘れなさい、そして今を生きろ」
男はそう言い、彼女の額にそっと手を伸ばす。
とても大きな手に彼女の額はすっぽりとおさまった。
その瞬間、スっと....彼女から何かが抜けていくような気がした。
魂でもなく心でもない。
記憶だけが彼女の元から消え去った。
彼女は何があったのかすら思い出せず、目の前にいる男を見つめる。
「お前に新しい名をやろう....そして、魔物との契約を果たし、我に忠誠を誓うのだ」
「私ニ....名ヲ....?」
「あぁ、そうだ」
彼女は名もなき一人の少女として、この世界に転生した。
そして今、新たなる悪魔の転生者として生まれ変わる。
名ヲ──アスベエル─Asb'el─
「今日からお前は我の右腕となり、我に忠誠を誓え」
「私ハ....貴方様ニ忠誠ヲ誓イマス....」
彼女は生まれ変わった。
堕天使アスベエル─Asb'el─との契約を果たし、名を新たに貰い新たな人生を歩む。
─メア─
人間にして悪魔との契約を果たし、身も心も魔王に捧げると誓ったたった一人の少女。
その少女こそ魔王軍が新たな戦争を生み出すたった一つの
彼女は魔王軍のどの幹部よりも腕が良く、特殊なスキルと属性を持つ者だった。
悪魔と契約した事により属性が強化されたのだが、元々の属性が悪魔達にとって天敵であったはずの’’光’’なのである。
だが、’’堕ちた天使’’の悪魔は光の強化など容易く、彼女の力をさらに増大させた。
それと同時に彼女の体は蝕まれていく。
本来悪魔の契約者は魔物にしか合わない、だが彼女は人間であり光属性を持つ者。
自然と死の道を歩み始めていた。
それは、魔王の策略であり罠である。
悪魔が人間の体を奪い、自分の命令にのみ従わせることが出来れば人を騙すことなど容易い。
どれほどの犠牲が出ようと、魔王は決して諦めない。
人間を殺し、魔物が統べる世界を創り、創造主となることを──
「王よ....任務は果たしました」
少女は、魔王が君臨する玉座の前に跪き、言葉を述べる。
「メア....帰ってきたのだな」
「はい」
「今は二人だけだ、そう堅苦しくするな....」
「....僕は任務を果たしたという報告をしに来ただけだよ....、もう終わったから帰るね....」
彼女は自分のすべきことを終え、そそくさと帰ろうとする。
だが、魔王はそれを止める。
「まだ行くな....お前とゆっくり話がしたい」
「.......」
彼女は黙る。
魔王は確信した。
人間は嘘を隠す時は黙る。
目を逸らし、黙り込み、不穏な空気を作る。
だが嘘を隠すことなど、魔王には出来ない。
必ず見破られることとなる。
彼女もそれを分かっていた、だが彼なら聞かないでいてくれる。
そう思っていた。
「メア....何か言えることはあるか?」
「僕は....」
魔王はそっと優しく声をかける。
彼女を始めて従わせた時から大事にしようと誓った。
決して怒ることも無い、何かをすれば褒める。
そうすることで忠誠心を高めていった。
「ありがとう、今は言えない....いつか」
「わかった....その時まで、我は待つ」
彼女は部屋を去る。
誰もいない部屋は冷たい空気が漂い、時々耳鳴りがする。
魔王は考え込む。
どうすれば彼女の心の内を覗けるか。
心の内につけこみ、二度と逆らえないようにするためにはどうすればいいか。
部屋で一人、魔王は思案する。
美しく残酷な世界 イルゼ @ilse
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