第3話 視線

私は死んでいることを忘れていた。

普通に歩けるし、物にも触れられるから。

樹海では方向も、時間間隔も失っていた。

連れられるがまま歩き、公道に出ると太陽が出ていた。

していたはずの左の腕時計が見当たらず、時間もわからない。


「……今、何時? 」


「あ? 」


ヴィクトールは返事をした後、鼻をくんと鳴らす。


「……大体、7時か8時くらいだな」


ならば登校時間だ。

……日常とは怖い。悪夢のような日々であっても、身体が忘れない。自分の向かうべき場所。

あ、カバンがない。取りに帰らねば。

……足取りは重かった。どんな形にせよ、朝帰りだ。

身体中が痛み出す。しかしそれは幻想で。

記憶が痛みを一瞬再現しただけ。

両親を亡くした私には叔父しかいない。お母さんの弟。

四六時中、一緒にいる。学校では担任でもあった。

学校側は無闇に口外しないことを理由に、同校であることを黙認している。


帰宅すると、時間もあってか、叔父はいない。……安堵する。


この間、ヴィクトールは一言も発しなかった。だが、じっと私を見ている感覚は消えない。

でも何故だろう、怖くないし、嫌ではない。

むしろ、……安心する不思議な感覚。

ドラゴンなんて、アニメや映画にいる空想の産物であり、畏怖の対象だ。いるだけで恐怖を感じるもの、そう描かれてきた。

しかし背後に感じる彼の気配はそれとは明らかに違う。雑魚感はない。

見た目とは裏腹な何か。私くらいの女性なら大半が知っていそうなその包まれ感。


……私は知っていた。ずっと誰かが見ていたことを。今まで振り返っても誰もいなかった。

最初は時折で、勘違いだと思っていた。

いつの頃か、最近ではずっと。

振り向けば霧散する。


おなじ感覚に思わず振り返る。


「な、なんだよ? 」


そこにはヴィクトールがいた。消えない。

当たり前だ。契約した以上、一緒にいるはずで。


「あなた、もしかして……? 」


━━キーンコーン、ジジジ、カーンコーン、ジジジ、キーンコーンカーンコーン、ジジジ……


遮るように近くの学校のデジタル音声が響く。

予鈴だろうか? 本鈴だろうか?


「あ」


「ほ、ほら! 時間ねえんだろ? 早くしろよ! 」


瞳を逸らし、慌てる。


……ずっと私を見てたの?


普通なら、気味悪く感じるのかもしれない。

けれど私にはそれが、……救いに感じた。


今日が何曜日かわからないまま、自分の部屋に入り、カバンだけ掴んで戻る。


「……いこう」


遅刻確定。

でも、今までとは違う何かを感じ、足取りは軽い。

歩き、早歩きになり、次第に駆け足になる。


いつもなら、朝帰りに遅刻なんて、後が地獄だ。……分かりきったことだから。


「てめぇは俺が……」


ヴィクトールが何か呟いたことにも気がつかなかった。


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自殺から始まる契約改革(プロトコルカタストロフィ) 姫宮未調 @idumi34

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