第4話 おはよう、鮎喰くん!

 遠くで小鳥が鳴いている。冷気がじわじわと体の端を侵食し、意識が眠りの淵から引き上げられる。謎の寝苦しさを感じて、シーツを被りなおしながら軽く寝返りを打つ。なんだか視線を感じる。誰かに見られている気がする。

「うぅ……」

 目の前に広がるのがいつも通りの部屋であることを祈ってまぶたを開くと、そこには爽やかなイケメンの顔面があった。

「おはよう、鮎喰くん!」

「ひゅっ」

 あまりの顔面偏差値の暴力に、俺は一瞬で気を失った。



「鮎喰くん起きて、起ーきーて!」

 胸の上で何かが跳ねている。ボールよりは柔らかいが、鈍い痛みを感じるぐらいには固い物体だ。唸りながらそれでも目を開かないと、物体は動きを止めて甘い声で囁いてきた。

「起きないと唇にキスしちゃうぞ?」

「はひぃ!」

 低いイケメンボイスが鼓膜をくすぐり、俺は慌てて飛び起きる。胸の上に乗っていた物体が足元に転がっていく。生首だ。

「夢ならいいのに……」

 顔を覆って嘆いていると、シーツの上を生首がポンポンと跳ねて近づいてきた。ここまでくるとホラーというより軽いコメディだ。

「もう、僕の顔見て気絶するだなんて、鮎喰くんったらそんなに僕のこと好き?」

 なんて前向きな生首なんだ。

 どんな反応をすればいいかわからずに渋い顔をしていると、生首はシーツを浮かせて俺から剥ぎ取った。

「ほらシャワー浴びておいで! 朝ごはん用意しておくからさ!」

 キッチンへと消えていく生首を追いかけて、俺はのろのろと立ち上がって風呂場へと向かった。

 台所の隣にあるドアを開け、もたもたと服を脱ぐ。叩き起こされたばかりで頭がうまく回っていない。ぼんやりしたまま蛇口をひねると当たり前だが冷水が降り注いだ。

「つっ、めたっ……!」

 ちょっぴりみじめな気分になりながら、髪にしみこんでいく水が温かくなっていくのに任せる。だんだん意識が覚醒してきて、昨夜あったことを思い出していった。

「ごめんな大須賀……」

 怯えながら夕食を食べ終えた後、ようやく目を覚ました大須賀には、適当なことを言ってお帰りいただいた。

 夕飯を作ったのは自分だった。無言電話はうっかりミスだ。倒れたのは何もないところで足を滑らせただけだ。

 いまいち納得していないようだったが、彼はそれで帰ってくれた。俺を心配してわざわざ来てくれたのに少し申し訳ない。

 だけどその隣で生首が恐ろしい顔でにらみつけてきていたのだから仕方がない。ごめんな、大須賀。

 適当に髪と体を洗って、湯船にはつからないまま脱衣所に戻る。

 視線を落とすと、下着がしっかりと用意してある。至れり尽くせりだ。相手が生首でさえなければ素直に喜べるのに。

 服を着て風呂場のドアを開けると、ちょうど朝飯を作り終えたところらしい生首がこちらを振り返った。

「あ、早かったね! 惜しいなあ、あとちょっと遅ければ鮎喰くんの裸が見られたのに!」

 突然の変態発言に思わず後ずさってしまう。そんな俺に気付いているのか気付いていないのか、生首はタオルを浮かせて俺の頭に降らせてきた。

「はい、タオル! ちゃんと拭かないと風邪引いちゃうよー」

 のろのろと少し癖のある黒髪を拭う。髪からはあっという間に冷えてしまった水が滴ってきていた。

「ねぇ、ドライヤーってどこにある? 探したんだけどなくてさぁ」

「え、ないけど……」

 タオルの合間から目をのぞかせながら答えると、生首は一瞬固まった後、大声で詰め寄ってきた。

「ドライヤーないの!? 今までどうやって髪乾かしてたの!?」

「自然乾燥で……」

「信じられない! 自然乾燥であんなに可愛い髪形を作ってたっていうの!?」

 そうやって言葉の端々で褒めてくるのはやめてほしい。そんなところを褒められても嬉しくない。

「今日は仕方ないかあ」

 視界の端で生首が大きくため息をつく。一体どこから息を吸い込んでいるんだろう。怖い。

「ほら座って食べて食べて!」

 着なおした部屋着姿で部屋へと戻っていくと、ちゃぶ台の上に次々と朝食が運ばれてきた。立ち尽くしたままそれを眺めていると、箸が飛んできて俺の目の前で止まった。

「ねぇ、食べないの?」

「ひっ……」

 近づいてきた生首は不思議そうな顔で俺をのぞき込んできていた。その表情に何故か責められているような気分になった俺は、小さく悲鳴を上げて、ちゃぶ台の前に座った。

「いただきます……」

 震える声であいさつをし、俺は恐る恐る朝食に手を付け始める。

 今日の朝食は白米に味噌汁、ハムと目玉焼きだ。茶碗を持ち上げて白米を口に運ぶ。見た目通り美味しい。これで目の前に浮かんでいるのが生首じゃなければいいのに。

「あーかわいいなあ……」

 うっとりと生首が言う。もしこいつに体があったなら俺の髪にいやらしく触れて来るんじゃないかと思うほど熱っぽい声だ。

「そんなに縮こまって、まるでまな板の上のモルモットみたいだ……」

 だからなんだよその例え。

 内心のツッコミを喉の奥にとどめ、箸を動かし続ける。

「ねぇ鮎喰くんは目玉焼きに何かける派? 僕はソース派なんだけど!」

「え、何もかけない派で……」

「へぇ珍しいね! 素材の味を楽しみたいとか?」

「多分そんな感じの……あっ」

 喋りながら目玉焼きを口に運ぼうとしたその時、とろとろとした半熟の黄身が摘んだ場所から溢れ出し、俺の部屋着のズボンを汚した。

「ああっ大丈夫!? 今拭いてあげるから……」

「もごっ、じ、自分でできます!」

 慌てて目玉焼きを口に突っ込んで、近くにあったティッシュで黄身を拭く。ティッシュ箱はこんなに取りやすいところにはなかったはずだから、きっとこれも生首の掃除のおかげだ。

「あの、生首さん」

 怯えながら朝食を食べ終わり、食器を片付けに行ってしまった生首を視線で追いかける。俺に呼ばれた生首は、食器を洗う手を止めて嬉しそうな笑顔で振り返ってきた。

「俺、あの夜に夢を見た気がしたんですけど」

 目を伏せてぼそぼそと尋ねる。あの夢の光景が脳裏をよぎった。顔の見えない男性、苦しそうな声色、手の中に残された生首。

「夢の中で誰かが俺に君を手渡してたような……」

 というか、会社にその手渡した本人がいる気がするというか……。

 顔が黒く塗りつぶされたあの男性を思い出しながら、ちらりと生首に視線を送る。しかしそこにいたのは、笑みで顔を固めた彼だった。

「鮎喰くん」

 非の打ち所のない完璧な笑顔だ。だけど名前を呼ばれただけなのに責められている気がする。きっと気のせいじゃない。きっとものすごく怒っている。俺は慌てて視線を膝に落とした。

「な、なんでもないです!」

 数秒の沈黙の後、生首は顔を伏せた俺の視界まで降りてきた。

「分かってくれたみたいで何よりだよ」

「はひぃ……!」

 甘い声で生首は言う。俺はのけぞってそれから遠ざかった。生首はそんな俺ににこりと微笑む。

「さあ服着替えて着替えて。片付けは僕がやっておくからさ」

「は、はい……」

 いつの間にかベッドの上に置いてあったスーツに歩み寄り、もたもたとそれに着替える。台所からはカチャカチャと食器を洗う音が聞こえてきた。

「うーん、朝ごはんで結構使っちゃったし、また食材盗んでこないとなあ」

 水音の中でぶつぶつとつぶやかれた言葉を聞き取れたのは奇跡だったと思う。俺はシャツのボタンを留めないまま立ち尽くした。

「え、盗んでって……どこから?」

「ほら近所にスーパーがあるでしょ? あそこから拝借してきちゃった!」

 さわやかな笑顔で生首は答える。俺は一瞬気を失いかけ、なんとか持ちこたえた。

「生首くん」

「ん?」

「万引きはだめだよ」

 数歩先の台所に歩み寄って、生首の両頬を持って引き寄せる。

「……常識的にだめ」

 言ってしまってから、まるで犬猫にしつけをしているような図になってしまっていることに気づいて、慌てて俺は生首から手を放す。

「ふふ、鮎喰くんは本当にいい子だなあ」

 生首にもし体があれば、くねくねと身もだえしていることは間違いない様子だ。

 一歩引きながらそれを見ていると、生首は急に満面の笑みで俺に向かって飛来した。

「そこが愛しい! 大好き!」

「ひぇ」

「ああん、よけないでよぉ」

 間一髪のところでそれを避けきる。生首は窓にぶつかって地面に落ちていった。

 無意識のうちにボタンを留めて、よれよれの上着を着た後、出しっぱなしになっていた水道を閉める。

「行ってきます」

「うん、行ってらっしゃい!」

 軽く振り返った先にはふわふわと生首が浮かんで幸せそうに微笑んでいた。

 バタンと扉を閉めた後、ふと違和感を覚えて首をかしげる。

 あれ。こいつ、俺が会社に行くのにごねなかったな?

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告白のプレゼントが生首って重すぎません!? 黄鱗きいろ @cradleofdragon

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