EPISODE-1「この忌まわしき世界に厄災を!」1

 不吉な朱い満月の下で、林の中に一筋の閃きが迸る。

 一振りの斬撃で頚部を斬り裂かれた傭兵は、己が死んだことも気づかないまま、その場に頽れる。月下の薄明を照り返す刀身は、空を断つようにそのまま地面に叩き落とされ、傭兵の胴体を容易く両断した。


 血、臓腑、肉片――黒々とした人体の中身が、暗く冷たい夜気の中にぶちまけられる。離ればなれになった死者の視界は、死の間際に、炯々爛々とした襲撃者の眼光だけが際立っていた。体温の湯気を仄かに立ち昇らせ、右と左の人体は無残に崩壊した。


――アリス!


 剣の持ち主――アリスデッドは、頭の中に流れ込んできた思念よりも先に反応していた。彼が背後に振り返ると同時に、魔剣の鋒が地面を削り、弧を描いた刃影は土塊の濃霧を巻き上がらせる。弓技Lv2【必中射ち】の奇襲は、命中率100%の性能にもかかわらず、アリスデッドの保有スキル【ディフレクト】の発動により、濃霧の障壁で弾き飛ばされた。


「失せろッてんだよ!」

――隠れてやがるぞ、殺せッ!


「ひ……」

 木々の合間に身を潜めていた弓使いの傭兵は、殺気の圧力を間近で顔面に浴びる。アリスデッドは、弓使いのわななく瞼が一往復する僅かな合間に、彼我の距離を詰めていた。その脅威的な迅雷の脚力を前に、逃げようとする肉体と、恐怖に麻痺した直感の板挟みで、弓使いは謎の敵の接近を許してしまう。意識に打ち据えられたのは、死期を囁く眼前の気配だけだった。

 土塊を吹き飛ばして疾駆していたアリスデッドを前に、弓使いは足腰を壊れた玩具のように震わせるだけだった。


「雑魚が!」


 魔剣の錆にするまでもない――その驕恣な戦意からか、アリスデッドは左腕で弓使いの顔を鷲掴みにする。彼の肩が俄かに盛り上がり、上腕筋肉が邪悪な活性化に隆起する。格闘技Lv9【ゴッド・ハンド】で引き出された強靭な腕力が、ミシミシ、ギチギチと、弓使いの顔を圧迫していく。


「あ、がぁ……ぐ、え……ゆ、ゆっ許し……」

「何だ? 聞こえねえ!」

――無様に囀るなよ、下劣な人間風情め……懺悔なら冥界でチトの前でやるんだな!


 粗暴な思念はアリスデッドにしか聞こえない。弓使いの顔は内部から圧壊していく。骨が、神経が、脂肪が、そして脳髄が、細胞の悲鳴の交響曲を奏でながら断末魔の状態へ突き進む。アリスデッドの指先が頭皮や頬を突破し、表皮の中へめりこみ、細い出血をポンプのように噴出させる。左右の眼窩から丸い球体が押し出され、生温かい視神経の糸を垂らしながら下へと転がり、地面に落下する。


「じゃあな、低級の傭兵さんよ。恨むなら、あんたを雇った貴族を恨みやがれ!」


 漏出した眼球を嬉々とした踏鞴の動作で踏み潰し、アリスデッドは容赦なく左手を握り拳へと変えた。【ゴッド・ハンド】は弓使いの頭の粉砕を意味し、首から上が木っ端微塵に飛び散った。脳漿と骨の破片が入り混じった汚臭のする返り血を額と頬に受けたアリスデッドは、木々の狭間から微かに地上を照らす月の光に、残忍な微笑を口の端と目尻に浮かび上がらせた。返り血を舌で拭う彼の形相は、人間の血よりも赤い、猟奇に満ちた禍々しい魔人の狂喜でぎらついている。夜の暗闇を視線が素早く駆け抜け、陵慾の双眸が次なる獲物を求めて邪悪な熱を発した。


「ば、化け物……!」


 襲撃者の圧倒的な戦闘能力を前に、残存する傭兵部隊は完全に失勢している。剣術士は放心して愛剣のロング・ソードを取り落とし、魔導士はその場にへたり込んで股間を失禁に濡らし、武闘家は自慢の拳を恐怖の痙攣で小刻みに戦慄させている。その他の生き残りも概ね、アリスデッドへの戦闘意志は皆無だった。

 その中の誰かが常軌を逸した奇声を発しながら、敵前逃亡を始める。一人の行動が緊張の糸を断ち切り、堰を切ったように、他の傭兵たちも三々五々に駆け出す。アリスデッドの標的となるのを逃れるように、暗中の林間を掻い潜り、死に物狂いで逃走を図る。生存本能に取り憑かれた烏合の衆と化した彼らの陣形には、既に十六体に及ぶ、先ほどまで生きた人間だったモノの残骸があちこちに散乱し、流血と生戦い臓腑の沼を形成していた。

 アリスデッドは餓えた猛獣を宿す眼球を、雑魚の群れから、皓々たる朱い満月を背後に置く丘の上の屋敷へ向ける。その瞬後、頭を痛打してくるのは自身に憑依している破壊神・ライクレアからの思念言語だった。


――ボサっとしてんじゃねェぞ、アリス! 逃すな! 皆殺しだァ!

「うるせえんだよ! どっちが先決だ!」

――あァ!? テメエこそオレの言うことを聞いてりゃアいいんだ! テメエが殺されてェなら、今ここで願い通りにしてやるがよッ!

「はっ、承知だあ! 一人残らず冥府に叩き落としてやるぜ!」


 スキル【異感覚】の感知を意識していたアリスデッドだったが、己のうちなる殺戮の渇望に従い、魔剣の柄を両手で月夜へと振り翳す。剣技Lv4【烈風斬】の発動が、魔剣イヴィルブリンガーの阿鼻叫喚に悦楽を覚える刃に沿って、鋭利な大気の塊を錬成していく。巻き上がる広域範囲攻撃の前兆は、アリスデッドの周辺を、激しい噴煙と、惨劇の一幕を告げる凶風で包み込む。弓術士の胴体が地面から離れると、強烈な気圧変化の中で跡形もなく霧消する。他の既に魔剣の錆となって転がっていた戦士の成れの果ても、一つ一つがふわりと浮上し、そして乱気流に激しく翻弄されながら粉々に引き千切られていった。

 高らかに掲げられたイヴィルブリンガーに集う魔風の只中で、アリスデッドのマントが逆巻き、彼の頭髪が乱雑に躍動する。必殺の確信に歪む唇の狭間から、悚然とした糸切り歯が覗いた。


「全員、仲間と一緒に冥府への旅路に送り届けてやる! あばよ!」


 破壊神の甲高い哄笑を音波にしたかのごとく、【烈風斬】はアリスデッドの手で放たれる。彼は一度、風圧を纏う魔剣を後ろ手に回し、全力で横薙ぎに振り払った。そうして発射された斬撃特性の烈風が、猛然と効果範囲の木々を薙ぎ倒し、大地を抉り、敵の全滅を目指して扇状に波及していく。地響きと強風の雄叫びに眠りの世界が震撼する。

 脇目も振らずに退散していた傭兵たちだが、【烈風斬】の速度に敵わず、背後からの追撃をまともに喰らった。およそ人間の発声とは思われない悲鳴を上げながら、傭兵たちは烈風の形をなした遠距離斬撃の餌食となり、血肉の分解に遭う。剣術士の鎧が、魔導師の衣が、エルフの長髪が、猪突な風圧に斬り裂かれ、赤黒い霧散となって壊滅の林を彩る。小さな嵐の過ぎ去った跡地には、細切れとなった傭兵たちの細胞の塊としか形状しえない惨たらしい無数の物体が、折り重なって倒れた木々の上に零れ落ち、夜空を見上げる枝に突き刺さり、月明かりを受ける葉を血液で染め上げた。


――雑魚どもは蹴散らした! 一気に決めるぜ!

「へっ――」


 アリスデッドは丘の方角へ跳躍していた。首から断裂し、鼻から後頭部を細い木枝に貫通させた傭兵の死した眼球は、満月の逆光の中で遠ざかっていく人影を何も映さない視界に貼り付けた。

 ライクレアが唱えた風術Lv3【フライ・ハイ】で空中を突っ切り、魔力の推進を受けて目標の本陣へアリスデッドが飛来する。屋敷の近辺を警備していた騎士の面々は、予測できなかった上空からの襲来に当惑を広げる。ついでとばかりに詠唱された炎術Lv2【ファイア・アロー】の乱射によって、屋外の守護者たちは一網打尽に急所を射貫かれていった。

 急降下で屋上に穴を空けたアリスデッドは、三階の長廊に着地する。スキル【異感覚】は俄然、彼に異質なものを忌み嫌う心拍を強く与えた。


「あ、ぁ……」

「邪魔だ、女」


 不運にもアリスデッドの視界に映った若い女の使用人が、イヴィルブリンガーによる剣技Lv2【十文字斬り】で絶命する。白いエプロンが噴出した血で汚れ、縦の裂傷が排卵の絶叫のように肉体の朱殷を露呈させる。使用人の死体を無感情に吹き抜けの階下へ蹴り飛ばし、魔剣の使い手は超速の影と化す。


「こんな感覚、初めてだぞ?」

――フン、その目で正体を確かめな


【異感覚】の強まりに導かれるままに辿り着いたのは、寝室とおぼしき扉の前だった。アリスデッドは遮蔽物の先に敵意を感じ取り、剣風で互いを隔てる木扉を破壊する。


「お館様! 奥様!」


 侵入してきた黒い疾風から繰り出される袈裟斬りを、切迫した叫びの主が受け止めた。辛うじて騎士剣を構えていた男は、アリスデッドの先制攻撃から室内の被害を最小限に抑え込んだ。

 右手の膂力を撓め、アリスデッドは騎士剣を破壊しようとイヴィルブリンガーを押し込む。斜に交わる刃の隙間から、両手に渾身を込めている騎士の焦燥とした相貌が見える。徐々に騎士剣の刀身に罅が入っていくよそで、アリスデッドは横目に室内の光景を一瞥する。片方には天蓋付きのベッド、壁側には三人の騎士に庇われた壮年の貴族男性。


 領主の館の寝室は、剣と剣の金属質の音とは別に、侵入者を苛立たせる音があった。怪訝そうに眉根をひそめるアリスデッドは、再度、天蓋の幕が垂れるベッドへと視線を向ける。


「赤ん坊……?」


 産褥として使用していたベッドの近くで、産婆がけたたましい産声を上げている赤児を抱き締めている。顔面を蒼白にさせながらも、祝福すべき新たな生命の温もりを守ろうと、産婆は無意識に後ずさる。


「そうか、そういうことか!」

「あれは……あれは、伝説の魔剣! 破壊神の復活は、やはり……!」


 領主の男が半ば独白めいて言った。騎士剣がスキル【ウェポン・ブレイク】の発動で破砕される。その勢いで魔剣を唸らせたアリスデッドは、果敢だった騎士を一撃のもとに斬り殺す。ほとんど強大な打撃と変わらない魔剣の直撃は、騎士の頭を粉砕し、血飛沫とともに割れた騎士剣の刀身を天井に突き刺さらせる。


――チトめがァァァ!


 憑依の邪神が瞋恚の叫びを上げる。


「婆っ! そいつを寄越せよ! その"転生者"をな!」

「いかん!」


 領主が悲痛な声で喉を膨らませた。怯え竦んでいた騎士三人だったが、鞘に手を当てる前に、イヴィルブリンガーの鍔の中央に嵌め込まれている宝玉が閃光を放つ。ライクレアの魔法詠唱、熱術Lv4【フレイム・ウォール】が壁側の敵勢へ炎熱の波動として襲いかかり、魔法耐性の防具を持たない標的は高熱の衝撃に吹き飛ばされ、領主を巻き込みながら壁に叩き付けられる。床から火の手が上がり、それは壁や調度品にも延焼を起こす。

 ベッドで横になっている領主の妻が、出産で力尽きた弱々しい瞳で、室内の惨劇を目の当たりにしていた。そして、突然の襲撃者が使用人を次々に屠っていくのを、ただ茫然自失として見せ付けられる。布団が血に汚れ、吐き気を催す死の臭気と熱気が綯い交ぜとなる。


「や、やめておくれ……」

「うるせえ! 死ね、老い耄れ」


 刺突で産婆の柔らかい腹を貫き、アリスデッドは老いた腕から赤児を奪う。耳障りな産声を上げている小さな赤児を、彼は忌々しげに観察した。


「おい、ライクレア。チトに与する神々ってのは、イチから"転生者"を生まれ変わらせることもあるのか?」

――さあな……けど、オレたちのスキルが発動している、これで間違いはない

「ふうん……」


 領主の妻にとっては、アリスデッドが返り血に染まって独り言を言っているようにしか見えない。そして、その片手には、愛しい我が子が乱暴に掴まれている。


「や、やめ、て。その、子を……その子を離してください。せめて、私を代わりに……」

「あ? 心配すんな。家族仲良く来世で逢わせてやるからよ!」


 アリスデッドは嬉々として残酷な言葉を返すと、イヴィルブリンガーの刀身の表面で領主の妻の顔面を陥没させた。大きな枕に死の花弁が咲き乱れ、ビクビクと四肢が震え、やがて動きを止める。同時に、もう一方の手は泣き止まない赤児を床に叩き付けていた。ぱたりと産声が止む。アリスデッドは退屈そうな動作で、魔剣の鋒を"転生者"である赤児に突き立てる。まだ未成熟で非力な存在が圧死によって異形の無機物に変わる。面白味のない感触だけが魔剣から伝わり、アリスデッドに【異感覚】の発動停止を告げた。

 彼が振り返ると、領主の男が燃え尽きながらも、まだその生命を保っていた。燎原と化している床を這いずりながら、決死の面貌を前へと持ち上げる。


「伝説、の、魔剣……イヴィル……ブリンガー……」


 霞む視界の先で、魔剣を携える青年が近寄ってくる。最早、領主は死の恐怖を超越する次元の心理に囚われていた。


「破壊神……ライ、ク……レア、の……封印……」

「……?」


 断末魔の譫言かと、アリスデッドは小首を傾げるだけだった。一方の領主は、朧な思考で長女のことを連想していた。偉大な魔法使いを目指し、街へ飛び出した娘。今は素性も知れない摩訶不思議な若者をリーダーにしたギルドに属し、日々のクエストに励んでいるという。

 先日、街の近況を報せにふらりと姿を見せた、名も知れぬ吟遊詩人がいた。

 その男が去り際に告げた、千年前の神々の黄昏、創世神話の伝承――


「あ、あの……詩人、の、歌は……」


 アリスデッドが領主の前で立ち止まる。瀕死で足掻いている下等なムシケラを、彼は無感情に見下ろす。しかし、その双眸は、すぐさま凶悪な瞳孔を剥き出しにして見開かれた。


「縁があったらまた逢おうぜ、おっさん。何度でもぶちのめしてやる!」


 領主が最期に見たのは、自分を亡き者にしようと魔剣を振り落とす、その黒く鋭い剣の軌道だった。

――爆轟が発生し、丘の上の屋敷を内部から一瞬にして灰燼にする。合成魔法【クリムゾン・フレア】の尋常ならざる熱核反応は、夜空の下の惨劇の終幕を禍々しい輝きで飾り立てた。

 一人の騎士が、【ファイア・アロー】を受けてもなお、まだ微々たる息を保っていた。死神のかいなに抱かれたその身で、炎上する領主の館を悄然と眺めている。

 威力を増していく巨大な焔を背景に、一つの影が中から現われる。

 悠々とした足取りで、アリスデッドは屋敷を貪る火炎の竜の体内から歩み出てきた。己の凶行を顧みる気配を一切見せず、彼は魔剣を肩に担ぎながら、その歩みを止めない。


「……悪、魔……?」


 騎士は、その一言だけを呟くのがやっとだった。そして、息絶えた。

 朱い満月は、静かに爆熱の波気を浴びていた。

 一夜の惨劇は、領主の別邸の壊滅、領主夫妻の惨殺という形で終わりを告げる。その犯行の張本人は、丘を囲繞している林に漂う闇夜の中へと姿を消した。

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リバース・ハンター~"転生者殺し"と破壊神の殺戮譚~ 文芸サークル「空がみえる」 @SoragaMieru

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