二日酔いの朝だけは。

@tara-reba

二日酔いの朝だけは。

 強い光と頭の痛みで目が覚める。薄目でその光の元を探れば、遮光カーテンの下から燦々と日差しが入り込んでいるだけではなく、開け放した窓のせいで風が吹く度ふわりとそれは持ち上がり、何度も枕元を照らしていた。

「最悪……」

 これでは遮光カーテンの意味がない。でも、その最悪の言葉はカーテンより、顔のべたつきより、二日酔いから来る頭の痛さから出たものだった。

 その今にも破裂しそうな頭を気遣いながら、体を起こし、冷蔵庫までおぼつかない足取りで向かう。一番上の観音扉を開ければ、ヒヤリとした空気が流れてきて、まだアルコールが抜けきってない火照る体に、それはとても心地よかった。

「あーもう……」

 そんな心地よさも束の間、冷蔵庫には飲み物が無かった。いや、あるにはあるけれど、晩酌用のアルコール飲料しかない。今はそんな迎え酒を飲める状態ではないと、しょうがなく水道に向かい、友達の結婚式の引き出物でもらった執拗にキラキラした使いにくいグラスへ水を注ぎ飲み干す。

「はぁ……」

 美味しすぎる。

 水道水がここまで美味しく感じるのは体に水分が足りてない証拠だ。この頭の痛みもそうだけれど、やはり昨日は飲み過ぎた。そんなことを思いながら、もう二杯水を飲み干して、再びベッドに横になる。頭が痛まないよう慎重に。

 そして、隣で同じように転がっているスマートフォンを見れば時刻はすでに正午を回っていた。何件かの着信も入っている。それはすべて昨日、いや時刻でいえば今日の朝まで飲んでいた彩からのものだった。

「もしもし?望、大丈夫?」

「あーもしもし、ごめん。今起きた。」

 彩はたった二回のコールで出た。

 それほど心配するのような飲み方だったかなと、不安になった。

「途中から芋焼酎を水割りじゃなくて、ロックで飲み出したから、これはやばいと思ったけど、まぁ生きてるならいいわ。」

「え、そうだったんだ。ごめん、あんまり覚えてないんだよね。私、どうやって帰った?」

「もう一人昨日の合コンでベロベロになってた男とタクシーに乗って帰ったからどうなったのかと思ったけど、まぁ持ち帰りはされないだろうって残りのメンバーで話してた。」

「あぁーそうだっけ?」

「そうよ。」

「そっかぁ。」

「家にいるんでしょ?」

「いる。」

「なら、大丈夫」

「二日酔いがひどいけどね。」

「自業自得。来週の合コンはもうちょっと大人しく飲んでよね。」

「はーい。」

「じゃ、お大事にね。」

「うん、ありがとう。」

「また連絡するわ。」

「はーい。」

 ぷつり、と電話が切れて、はぁっとため息をついた。

 一応SNSを確認するも連絡先は増えてはいない。今回も不発だった。割りと押していったつもりだったけれど、こんだけベロベロになる女を誰が好きになってくれるのだろうか。天井にある壁紙のシミを見ながら一人反省会を繰り広げる。


 伊香いこう望、今年で29才になる。独り郊外のワンルームに暮らしている。郊外でもやはり駅に近いために家賃はそれほど安くはないし、土日は飲み代いや、交際費に消えるために貯金はほとんど出来てない。

 最近は、母から電話で誰かいい人おらんね?と聞かれることが多くなったから、機嫌の良い日にしか電話に出ないようになった。そう、女で29ともなればそのピークだ。結婚式ばかり呼ばれて、出費はかさみ、合コンでも初対面の人に奢ってもらうのは気が引けて、男側が払うよと言ってくれても頑なに割り勘にしてもらい、またお金は飛んでいく。

 なら、払ってもらえばいいのでは?と思うかもしれないが、もはやそれは、アラサーオンナの見栄だ。

 男が多く払うことでよく見せようとするのだとしたら、29にもなる望も"私、バリバリ働いてますからお金はありますよ。"という見栄なのだ。もう若さでは戦いには勝てないのだから。



────ボーン。


 突然に何か鈍い音がした。

 それは反響して、ぼわんぼわんとエコーのように広がった。窓の外から聞こえる。ただ、覗く元気はない。

 それから、再び重厚な音が聞こえて、それが鐘の音だとようやく気がついた。近くの桜の木が立派な寺の鐘だ。

 何故なのか?遠くの壁に貼られたカレンダーを目を細めて見れば今日は九月二十三日。

「お彼岸か……」

 よく母が彼岸には墓参りに行くぞ、と皆を引きずって実家からほど近くのお墓まで歩いていった。お米とヤカンに入れた水と線香。そして、風が強いと着かないからと、ライターではなくチャッカマンを持って。そんなことをまた天井のシミを見ながら思い馳せる。昔は良かった。若いうちは実家にいても何も言われない。遊び呆けても、遊べるうちが花だと言われたし、金も貯めずに使っても何の心配もなかった。

 それが今や、誰もが手のひらをくるりと返して、後ろ指まで差してくるのだから、驚くしかなかった。


 鐘の音は、今も鳴り響いている。

 それは、ぐわんぐわんと二日酔いの頭痛によく似ていた。

 カチリ、足元の扇風機のスイッチを器用に足の指で入れる。14時に近づくにつれて、外からの風は生暖かくなる。耐えきれずに扇風機を回す。ここ最近は涼しかったのに、何で今日に限って。すべてに悪態を付きたくなる。すべてに当たりたくなる。


 でもと、痛む頭で考える。

 どうして、こんなに飲んでしまったのだろう。

 どうして、一次会で帰らなかったんだろう。

 どうして、連絡先聞かれないんだろう。

 どうして、二人で今度遊ぼうと言われないんだろう。

 どうして、好きと言われないんだろう。

 と、ぐるぐるとまだ酔った頭で考えれば。突然に頭が冴えて冷静になる。


「馬鹿馬鹿しい」


 "私は、婚活をしている"

 好きな人を探しているわけでも、一夜の思い出が欲しいわけでもないし、結婚というその過程で彼氏がいるから彼氏を募集している。その矛盾に唐突に気がついてしまった。

 ただ漠然と、結婚してくれる人が顔もよくて、高収入で、性格も良かったら尚いいな。と、大切な何かを逆転させてしまっているのだ。


 いつの間にか、鐘の音は止んでいた。

 好きな人いたの、いつだっけ?

 その問いも考えるのを止めた。


 スマートフォンがふいに鳴る。

 開けば昨日の記憶にない写真がわんさか送られてきて嫌気が差した。もう二度と会わない人達との写真ほど不毛なものはない。保存したところできっと、名前も思い出せなくなるし、街中で会っても分からない気がする。

 そのうちの何枚か女性陣で撮ったものだけをピックアップして、保存する。まるで、合コンは無かったかのように。でも、1枚、望が一人で人差し指を立てている写真があった。

「最悪……」

 望にとって、本日二度目の最低なことが起きた。

 伊香望は、"いこう"という名前のせいでIKKOのモノマネを宴会芸でやらされる。もちろん、似てなどいないけれど、女性陣の中で誰かが必ず言うのだ。

 "この子、伊香だから、あだ名がIKKO何ですよー"と。

 そのせいで、飲み会の中では常にオチに回されて、どんだけぇ~と人差し指を立ててる瞬間が何度となくある。昨日はやった覚えがなく安心していたけれどそれは単に、酒のせいで記憶が無かっただけなのだった。

 それを見て、また結婚のために自分の何かを磨り減らした気がした。写真を閉じて、スマートフォンを自分の横に投げる。

 馬鹿みたいなキャラを演じて、酒が強い子が好きと言われればカクテルを焼酎に変えて、たくさん食べる子が好きといえば〆のラーメンにも付き合う。

 望は、ふと思う。

 私は、いったい何になりたいんだろう。

 これで果たして、花嫁になれるのだろうか?

 幸せって何なのだろうか?

 私が思う幸せは?

 ようやく、水分が回って落ち着いてきた頭の痛みの中で、天井のシミを見るのをやめ、目を瞑り、もう少し自分を大切にしようと思った。

 一人で旅行に行くのも良い、一度婚活から離れよう。

 遠くなくてもいい、夕方に二日酔いが無くなっていたらさっきの寺にでも散歩にいこう。そして、母にも電話してみよう。そうだ、十月の三連休には実家に帰ってみよう。


 やりたいことは他にもある。

 微睡みに落ちそうになる中で手当たり次第に思い浮かべる。

 昼寝から覚めたら、部屋も掃除しよう。寝ているだけの休みがじゃ勿体ない。一時間だけ寝て、起きたらやりたいことをノートに書こう。あと、本屋に行って遠いところを旅するような小説を買おう。空想の世界でもいい。それと、しばらく、お酒は控えよう。来週の合コンは断る、のは申し訳ないからソフトドリンクにしよう。それで、ちゃんと駅から歩いて帰って、化粧を落として、シャワーも浴びて、次の日の朝に飲むようにお茶も作ってから眠ろう。



 ───その後、望が起きたのは夜の九時を回っていた。

 中途半端すぎて夕食を取るべきかも、迷うほどで。

 のそりと、とりあえず布団から起き上がり、冷蔵庫を開けて、晩酌用にと買っておいた油揚げを取り出し、トースターで焼く。そして、その間に望はもうひとつ、刺身こんにゃくのプラスチックトレーのラップを剥ぎ、その中に入っていたカラシ味噌を小皿に絞り出す。

 トースターの小窓から赤く光るその中をぼうっとした頭で覗く。二日酔いの痛みはまるで無くなっていた。

 ガタンっと一度扉を開けて油揚げを箸でひっくり返す、カサッと乾燥した音で、それの水分が飛んでいることがわかる。まるで、朝の自分だな等と思いながらもう一度扉を閉める。

 テレビのリモコンに手を伸ばし、電源を入れれば今日あったことを話すニュースキャスターの声。事件、事故、それを端で聞きながらチンッと鳴ったトースターから油揚げを取り出し皿に乗せ、その上に生姜を乗せて、しょうゆをひとさしかけ回した。


「いただきます。」


 テーブルに無造作に置いたそれらに手を合わせて、ただ入れるだけの行為を繰り返す。美味しくも不味くもない食事。テレビでは動物の子供が生まれたと喜ぶキャスターの声、それも嬉しくも悲しくもない。

 それにしても、飲み物を持ってき忘れた。

 めんどくさいながらに立ち上がって、再び冷蔵庫を開ければ、そうだった、お酒しかなかった。と、すぐに視線を外す。しかし、これはツマミなのだから飲むなら酒しかないだろう、と。少し強引にまるで仕方なく飲むのだと誰かに許可を得るようにビールを手に取り、テーブルまでの道すがらプシュッとプルタブを開けた。


 ゴクゴクと喉を潤す。

 特別うまいとも感じない。

 それでも、それが日常なのだ。


 右手で箸を持ちながら、左手でスマートフォンを操作し、来週合コンで来ていく服を物色する。あす楽で頼めばきっと間に合うと。


 望がおかしいわけではない。

 人が思い浮かべる理想と目の前にある現実はいつも程遠く、ほとんどが乖離かいりしている。ただその朝だけは。酔いに酔って迎えた朝だけはその二つの境界が無くなるのだ。自分を労れて、すべて自分中心に考えれて、馬鹿なことをしたと自分を見つめ直す時間に出来る。だから、それが終わってしまえば元通り。あの朝のことは、一瞬の気の迷いだったとすら思うほどに。

 唐突に、スマートフォンが鳴る。画面には母の文字。

 少しだけ考えて、それが鳴り止むまでテーブルに寝かす。あの反省はちっとも生かされてはいない。きっと、生かされる日なんてこない。

 そうして、また次の飲み会で、望は同じように人差し指を立て、自分の何かを削りながら、結婚という名の安定を手にするため、すべてに後悔するのだろう。


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