大人コーラ

フカイ

掌編(読み切り)



   いつか声をかけてくれるかしら

   あなたの隣に座りたい

   それだけ

   きっと邪魔をしないようにするわ

   話を聞かせて欲しいだけ

   一緒に


   同じテーブルの端で

   横顔

   見つめてるの


  [横顔/大貫妙子]





 鮎川君とは、中学の頃からいっしょだった。

 あの頃から変わらず、物静かで思慮深げなまま十七歳になった。

 わたしも変わらずヤンチャでガキンチョな十七歳だ。

 すっかり大人びた雰囲気の彼と並ぶと、とても同い年に見えない気がする。


 彼のことが好きになったのは、きょ年の夏からだ。

 ママと一緒に旧市街の坂道の繁華街を歩いていた時、彼が制服のまま、メインストリートをスケートボードで駆け下りていったのだ。坂道だから勢いがついてしまいそうなものだけど、彼はその妙に長いボードの後端を時折地面にこすらせて、上手いこと減速しながらその坂道を下っていった。


 ブティック、靴屋、花屋、家具屋。


 旧市街の細々とした小売店ばかりが並ぶその坂道を、いつもはすまし顔ばかりの彼が、涼しげに笑いながら滑り降りてく。白いシャツの裾を軽やかにひるがえしながら。誰のためにでもなく。少年の彼が歳相応の笑顔でほほ笑んで。

 その横顔がスローモーションで、あたしの視界をナナメに横切っていった時、あ、あたしこの人のことがずっと好きだったんだって気づいたんだ。


 とかく群れたがるあたしたちのなかにあって、鮎川君はいつもひとりだった。イジメでシカトされてるってわけでもなく、かといって気難しくて人を近づけないって感じでもない。話しかければちゃんと答えてくれるし、仲の良さそうな友だちだっている。

 けど彼は、群れることに興味がないんだと思う。たぶん、そういうスタイルなんだな。彼って。


 あたしの生活サイクルは朝起きて、ママの焼いてくれたパンを食べて学校に来て、授業出てそのあと部活して、そんで家に帰ってまた夕ご飯食べてテレビ見て寝るって感じ。たぶんそのサイクルの中心、一日のハイライトは学校生活ってコトになるんだろうけど、鮎川君の場合はちょっと違うんだな。

 学校には遅刻にならないギリギリで来て、授業が終わるとさっさと帰っちゃう。朝イチ、髪が濡れてるときもある。なんとなく、あたしみたいに、学校が一日のメイン・イベントってワケじゃなさそうなんだ。学校なんか、一応来てるだけっていうか。どうでもいいっていうか。

 でもお母さんが大学の准教授かなんかで、彼自身も特に勉強熱心ってふうでもないのに、成績は妙にいいし。


 謎めいてるっていうわけでもないけど、やっぱ、知りたかったんだな。もっと。彼のこと。学校で知られる彼のことは、あまりに少なすぎるんだもん。それである時、あたしは彼のことをつけてみたの。放課後。

 チャリで学校を出て、彼はすいすいと街を抜けてく。そして、港のほうへ向かってった。新市街から大隈川を渡る橋を越えて、旧市街に入って。貨物列車の引込み線。トラックやベイスの濃緑色のジープ。

 あたし、ちょっとビビってたかも。ひとりぼっちで旧市街になんて行くことってそうそうないから。

 でもそしたら彼、旧市街の町のほうには行かなくて、波止場のほうへ曲がって行ったの。そして彼が自転車を止めたのは、小さなカフェの脇だった。

 自転車のかごからカバンを取り出して、そのカフェのドアを開けようとして、彼は何気なくこちらを向いたの。

 で、あたしと目が合ったってワケ。

 あたしはドキマギして何にも言えなくなって、とにかく逃げよう、と。そう思って自転車の向きを変えたんだけど、彼が声をかけてくれたのね。

「寄ってきなよ」って。

 あたし、一瞬なんのことかわかんなくて、彼のこと、馬鹿みたいに見つめちゃった。したら彼、そのカフェのドアを親指で指して、

「店」って。

 あたし、どうすることもできなくって。自転車を引いて彼のトコまで行くと、「ゴメンね」って謝ったの。

 彼は「?」って顔したけど、まさかつけてたなんて言えるわけないから、あたし真っ赤な顔してうつむいて。

 そしたら彼、黙ってお店の中にあたしを入れてくれた。


 バイトしてたのね。彼。そこで。

 そして驚くべきことだけど、その店のマスターは、黒人だったの。すごい太っちょの、いい年のオジサン。「こんにちは」って流暢な日本語で声かけられたから、あたしまたまたびっくりで、返事も出来なかったわ。ベイスのある町だから、いろんな外国人を見ることに慣れてたけど、話すことなんてほとんどなかったし、ましてやキレイな日本語なんて!

 その狭くて薄暗い店のカウンターにあたしを座らせて、彼は店の奥に消えた。

 黒人のオジサンは「何を差し上げましょうか?」ってメニューを出してくれたんだけど、なんだか聞きなれないお酒の名前ばっかりで。あたしはドキドキして、

「ココココーヒー」

 とか言ってどもっちゃったの。

 ホントはコーヒーってニガくて苦手だったんだけど、なんだか大人な雰囲気の店だったし、そういうのサラリと言わないと格好つかないかな、とか思って。ま、どもってれば世話ないんだけどね。

「ゴメンね、ここ、バァだから、コーヒーって置いてないんだ」って言いながら、着替えた彼が奥から出てきた。ボウタイをして、制服の黒いスラックスはそのままで、白いシンプルなドレス・シャツを着て、黒いエプロンを着けてる。細い身体にシックに巻きついたそのエプロンは、本当に本当に彼に似合ってた。


 それであたし、合点したのね。

 彼にはこの世界があるんだって。

 だから学校なんてどうでもいいんだ、って。

 もちろんバイトしてる子はたくさんいたし、あたしだって夏休みとかにはスーパーのレジ打ちとかしてる。普段の時にバイトしてる人もいっぱいいたけど、みんな所詮はバイト。お金のために一時的にそこにいるだけ、って感じだった。

 けど、ここにいる鮎川君は全然違う。

 もうすっかり店になじんで、黒人のマスターと息もぴったり合って。なんかもうわかんないけど、すっごくすっごく大人に見えた。


「炭酸は平気?」と彼。

 馬鹿にして。

「炭酸ぐらい飲めますわよ」

 ツンって顔して、あたし言ってやったの。

 したら彼、しなやかな手つきでグラスに氷を入れて、カウンターに座るあたしのまえに白いコースターを置いて、そこにそのグラスを置いたの。

 奥の冷蔵庫に入ってる瓶のコーラを一本抜き出して、カウンターの脇についてる栓抜きに瓶の口をあてがうと、そっと王冠を外して。

 それからあたしの前のグラスに、その瓶を傾げて。そっと、コーラを注いでくれた。最後に瓶をキュっと斜めに回転させて、最後のひと雫をカウンターに垂らさないようにする手際も、超手慣れてる感じ。

 半透明の白い氷のキューブにかかる、黒い炭酸の液体。はじける小さな泡たち。窓から差し込む午後の陽射しに、その赤黒いコーラの泡がパチパチとはぜる。鮎川君は冷蔵庫からレモンを取り出すと、片端をぺティーナイフで切り落とし、そこからスライスを切り出して、あたしのグラスに添えてくれた。最後にストローを差して、

「どうぞ」と。

 ドギマギしてるあたしに、

「それ、奢るよ」って言ってくれた。

「じゃ、タスク、五五〇円、いまの自給から引いとくな」と黒人のオジサンが冗談顔でいう。

「あ、払う。なによ、払うってば」ってあたし焦って言っちゃった。

 いいよ、払うよ、大丈夫だよ、こっちこそ、、、の押し問答を鮎川君とあたしがはじめると、オジサンが言ったの。

「じゃそれ、クーガーの奢りね。ここに可愛い高校生、滅多に来ないから、今日はサービス」って。

 あたしは赤い顔して、「ああああ、ありがとうございます」って。

「俺も一応、現役高校生なんだけどな」

「タスクは可愛くないだろ? 生意気だし、それに…」

「それに?」あたしは、言いよどんだオジサンに続きをうながした。

「可愛いというより、年寄り臭いからな」

 あたしとオジサンは、声を出して笑った。

 その憎まれ口を片耳で聞きながら、鮎川君はあっという間に小さいグラスに何かのお酒と、砕いた氷を入れて、オジサンに渡してた。

 自分もちゃっかりと、さっきの瓶コーラの残りをもって。

「乾杯しようよ」って。

 何に?ってあたしが聞いたら、彼、

「このケチなマスターの、初めての奢りに」って答えた。

 クーガーというその黒人のマスターは、目を細めて笑ってた。

 あたしのグラスと、鮎川君の瓶と、マスターのちっちゃなグラスが触れ合って、小さな音を立てた。

 それであたしは、そのコーラを飲んだの。その、印象的だけどちいさな乾杯のあとに。


 コーラを飲みながら、あたしはそのマスターと、鮎川君といろんな話をした。

 鮎川君のバーテンダーとしての働きっぷりとか。店に来る変なお客達とか。

 それからあたし自身のつまんない生活のことや、クーガーさんというこの不思議なマスターのこととか。

 でも、鮎川君のことやクーガーさんの細かい暮らしぶりや生い立ちみたいなことは、上手にはぐらかされて、結局たいしたことはわかんなかった。それでも、すっごく楽しい時間だったけど。


 それから鮎川君とあたしは学校でも親しく口をきくようになった。

 彼は相変わらず口数は少なく、彼から話しかけてくれることはなかったけど。

 でも、あのバァに行く前に比べれば確かに、彼のバリアは薄まったと思う。

 あたしは学校ではバァのことは一切言わず、そして時々、土曜の夕方とかに、鮎川君のお店に行った。バスと路面電車を使って。まだビールがおいしいなんて全然思えなかったけど、お店が大人の人で込みだす前の夕暮れ前の時間、クーガーさんと、鮎川君と三人で、すこしだけお喋りしながら過ごすあの時間が、あたしにとっての何よりも大切な時間になっていった。

 学校の友だちには誰にも、クーガーズのことは言わなかった。言って、友だちの子たちがあの親密な空気に入ってくるのが嫌だった。


 でも結局、あたしと鮎川君にはなにも起こらなかった。

 あたしたちは、クーガーズのカウンターを挟んだ時だけ、心を開ける親友になった。お店を一歩出れば、ちょこっと口をきく、異性の友人って間柄になった。それでよかったんだと思う。あたしたちは、そういうのがいちばん居心地が良かったんだ。

 あたしには、熱心にアプローチしてきてくれる上級生の人がいて、彼とお付き合いすることになった。映画を見て、ボーリングとかして、カラオケしたり、スマホで下らないおしゃべりしたりしながら、最初のエッチも経験した。


 鮎川君にはどうも、好きな人がいたみたいだった。

 これは女の勘だけど、たぶん年上の人だったじゃないかと思う。もしかしたら、鮎川君の片想いだったのかもしれないけど。

 ホントはそういうの、相談に乗ってあげたかったけど、どう考えてもあたしはそんなお姉さんぶったことするようなタイプじゃないし、彼の重い口をひらかせることなんかあの頃のあたしには出来なかった。


 でもね。

 彼氏が出来ても、何があっても、あの夏の土曜の夕方、“クーガーズ”で過ごしたひとときはあたしにとって忘れられない時間だった。

 大人の世界に片足の爪先だけ突っ込んで、大きな声を立てずに静かに笑って、コーラを飲むこと。

 それは悪いけどたったひとつだけ年上の彼氏になんて、とても作ってもらえない雰囲気だった。


 大人コーラの味は、ずいぶん年を経たいまでも忘れられない。

 それは甘酸っぱくて、けど、どこかほろ苦い、あのバァの味なんだ。







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大人コーラ フカイ @fukai

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