おまけ3 母で姉


 文治の乱も収まった、文治4年の春。

 武士の都、鎌倉は、訪れた平和を謳歌するように、活気に満ちていた。

 武士たちが続々と居を構え、新たな組織と繋がりを持つため、貴族や商人、はたまた職人や芸人の類も集まってくる。

 港も整備され、鎌倉は十万の人を養うに足る都市機能を備えるに至っていた。


 その中枢、大倉御所は、しかし平和を謳歌していられない。

 戦が終わっても、後始末は終わらない。当たり前だが、全国規模の組織を有する寺社勢力の再編は、幕府の担当する実務だけでも十分に手に余る。


 なりふり構わず人材を調達しても、なお手が足りない。

 というか、まともな人材は真っ先に抑えているので、調達できたのはまっとうとはいい難い者たちで、そのため能率はたいして上がってない。それでも手が増えるだけマシではあるのだが。


 鎌倉の主、北条政子も、政務に忙殺されている。


 そんなある日の昼下がり。

 政務に見切りをつけ、食事がてら一休み、と簀子ろうかを渡っていた政子は、不意の襲撃を受けた。


 横合いから飛び出してきた人影は、一瞬の迷いもなく懐に飛び込んできて――



「甘いわっ!」



 政子は魔王オーラ全開で口の端を釣り上げると、たちまち襲撃者をいなし、抑え込んだ。


 抑えられたのは、男の子だ。

 年の頃は、十歳に満たない。

 顔の作りはどこか尊げだが、それ以上に気の強さが顔に出ている。

 手に持つ木刀は体に対してひどく大きく、大人でも振り回すのに難儀しそうだ。


 この少年、政子の猶子で、尊成たかひら親王という。

 安徳天皇の異母弟であり、史実においては後鳥羽天皇として即位した人物だ。



「はなせー!」


「はっはっは、精進が足りんな小僧」


「おいぃ? 仮にも親王になにぶちかましてんだぁ小娘ぇ!?」



 朗らかに笑う政子に、藤九郎が全力で突っ込む。

 相手は親王宣下を受けた皇族の中の皇族。治天の君である後白河院の孫でもある。当然だが雑に扱っていい相手ではない。


 だが、政子はどこ吹く風だ。



「わしの息子よ。なにをしようが文句はいわさん。もとより、親に顔色うかがわれて育った子など、ろくな人間に育たんぞ」


「気のせいか、おまえいまものすごい勢いでぇ自分のこと棚に上げなかったか?」



 八条院の猶子で、武家の棟梁、源頼朝の妻であり、自身二位の位を授かった北条政子に、当たり前だが親族は頭が上がらない。

 父の北条時政などその筆頭ではあるのだが。



 ――時政ちちは、欲得づくでしかわしの機嫌を取ろうとせんから、よいのだ。



 親としてどうなのかとも思うが、欲得が絡まなければ、時政は政子を娘として扱う。



「わしはよいのだ。この世に生まれ落ちたその時より、すでにわしじゃったからな」


「どこから来るんだその自信……まあ、奥方様が幼い頃より奥方様だったってことは、嫌ってぇほど知ってますよ」



 藤九郎は妙に実感のこもった溜め息をついた。



「ですがまあ、親と言っても猶子でしょう。なかなか親がするように気安くはいかねえと思いますがね」


「わしは八条院から比較にならんほど気安くいろいろされておるが」


「……その名を出されるとなんにも言えねえよ……とにかく、やりすぎるんじゃぁねえぞ」


「うむ。わかった」



 お手上げ、とばかりに藤九郎が肩をすくめると、政子はぜんぜんわかってない様子で返事をした。

 尊成親王はいまだに簀子ろうかに押さえつけられてジタバタしている。



「――わかったじゃありません」



 と、ふいに声がした。

 政子や藤九郎にとって聞き慣れた、そしていきなり聞こえてきて違和感のない声だ。



「義時、おったのか?」


「ずーっといました!」



 政子のあんまりな言いように、北条義時は全力で抗議した。

 北条政子の弟にして、鎌倉府執権、侍所別当……要するに鎌倉屈指の実力者にして実務のトップなのだが、どうにも影が薄すぎるせいか、その存在を無視スルーされがちなのだ。


 いや、「存在を知覚できない」と表現するほうがふさわしい影の薄さなので、咎めるほうが無体な話ではあるのだが。


 ともあれ、影の薄い執権は、政子に対して腹立たしげに抗議する



「姉上。なに笑い飛ばしてるんですか。木刀とはいえ当たればお怪我を負われるのに。もっと厳しく躾けるべきです」


「あー、こっちはぁこっちで逆方向に面倒くさい」



 義時の言葉に、藤九郎が頭を抱える。

 尊成親王が政子の下で「ぶれいものー!」ともがいているが、完全に無視スルーされている。



「――つーか親王殿下を匹夫扱いとか、やっぱ義時殿も奥方様の弟だよな」


「なにを言ってるんですか。姉上には、まだまだ及びもつきませんよ」


「奥方様を超える気概があるってぇんなら、義時殿もたいした器だよ。普通憧れねえぜこれに」


「これとか言うでない」



 藤九郎に顎で示されて、政子は眉をひそめる。

 だが、義時は明確な意思を示すように、ゆっくりと首を横に振る。



「憧れますよ。この天下で、姉上を無視できる存在など無い。それほどの方なのですから」


「余を無視するなーっ!」


「くっくっく、無視はしとらん。さっきから逃げようともがいてるのを、させじと抑え続けておるではないか。ほれほれ」



 政子は上機嫌で尊成親王を抑え込む。



「だいたい、さっきからずっとお主の話をしておったのだ。無視とは言えまい? ほれほれ」


「なら余と話せ! ちゃんと話せ! 政務だなんだと無視しとらんと余の話につきあえ!」


「……おやおや」



 全力で主張する少年に、藤九郎は微笑ましいものを見るように顔をほころばせる。



「なにを笑っておるか藤九郎とーくろー!」


「はっはっは、なになに。親王殿下も、結局はぁ奥方様のことが好きなんですなあ」


「ふっ、ふっ、ふざけるなぁっ!? 余は、こやつのことなどなんとも思っておらぬわ! ただ無視されるのが我慢ならぬだけで!」


「奥方様、この際だ。親王殿下とぉ飯を食いながら、ゆっくり語らってきてはぁいかがです?」



 訳知り顔の藤九郎に言われて、政子は「ふむ」とうなずく。



「よし、息子よ、参るぞ!」


「はなせー!」



 政子は尊成親王を引きずりながら、簀子ろうかを歩いていく。

 残された藤九郎と義時は、たがいに顔を見合わせた。



「まあ、血がつながらぬとはいえ、似たもの親子になりそうな……」



 藤九郎が苦笑交じりに言うと、義時は眉をひそめて返した。



「そんなもの、絶対に認めませんからね」



 ――執権殿らしくもない。子供に姉を盗られた嫉妬かな?



 藤九郎は思ったが、賢明にも口には出さなかった。


 尊成親王。

 政子が知る未来における、文武両道の英主、後鳥羽帝。


 北条義時。

 政子が知る未来において、数多の政争を経て権力を掌握した、鎌倉幕府第二代執権。


 朝廷と幕府、それぞれの指導者として相争った二人は、当世においても政子を巡って争うことになる……かもしれない。





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転生幼女 信長の下克上! 寛喜堂秀介 @kangidou

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