8話

出発の支度は朝食をとってすぐにやったのでこの館を去るのもそう遅くはならなかった。そしてその準備というものもそんなたいそうなものではない。前の宿と同じように最低限使ったものの後片付けや洗濯してもらった服に着替え少ない金品他の手荷物の忘れ物をチェックするといったもの。


二人して客間を出てメイドのノインの後をついて玄関まで行く。誰かこの館の者がいないとこの館は玄関すら辿り着けないようだ。玄関前でお辞儀をして去ろうとするノインを呼び止めてアルフレッドはお礼を述べた。

「ありがとうございました、ノインさん。この館で少しの間でもメイドとしてお手伝いできて楽しかったです。」

不思議そうな顔をする彼女に言葉を続ける。

「仕事が楽しいだなんて思うことないと思ってたんです。でも本当にこの館のメイドの方々は一緒に働くことが楽しくてそれでいて行動も常に非常に明敏で。私は…あなた方のような給仕になるのが目標です。」

恭しくお辞儀を返すとノインはおかしそうに笑って首を横に振った。まるでこちらがそうであると言わんばかりにアルフレッドの肩を優しくたたく。

「私たちこそだよ。私達は御館様の絶対的な僕でありその指示を待つことしかできない。けれど違うかったじゃんアルフレッドさんは。イヴリンさんをそんな立場もなく大事に想って口に出来る。私達いいなって思ってるんだよ。」

その言葉に沁み入ったのか、なかなか頭を上げない彼女をからかうようにして手を添えてこっそり耳打ちする。


「あなたの”ご主人様”じゃなくて”旦那様”にしてよねイヴリンさん。」

「はい?」


訳がわからず顔をあげると悪戯そうにノインが笑って、二人の後ろに深く深く再びお辞儀をする。そちらを振り返ってみるとこの館の主があくびをしながら柱にもたれかかっていた。どうやら見送りに来てくれたらしい。

「世話になったな。一晩とは思えない程長く感じたが。」

「私もそうだ。全く手間のかかる御一行だな。」

皮肉そうに笑うその顔が開いた扉から差し込む朝陽の光に照らされる。柔らかな光はあの夢の中で見たのと同じ。やっぱりあの廃病院はここだったのだろうか。今となってはもう知る術もないのだが…戻ろうとも思わない今だ。

「おいあんまり振り回してやるんじゃないぞ?」

イヴリンがもう一度ノインのいた方を見ると何人ものこの館の使い魔が集まってアルフレッドを囲んでいた。各々に黄色い声で話しかけているところをみると今正に別れを惜しんでいる兼旅立ちを祝っているといったところだ。彼女はとりあえずその中に飲まれてもらったいた方がいいだろう。

「昨夜のことは話したのか?」

「あなたの許可を頂いていなかったからな、話してないよ。ただその腕傷は誤魔化しが効かないだろうから私が処置したと言っておいた。」

「手間をかけるな。」

自分よりずっと年下のくせして申し訳なさげに頭を少し垂らした青年にむかって鼻で笑ってやる。エフが思うに彼はもっと甘えて生きてもいい。彼が誰かに手を貸すように他の人にも請えばいいのに。

「若造が、そんな顔するんじゃない。きっとこの先の旅だって色々と手はかかるんだろう?今だって私やレインさんに手を焼かせたんだ。そんな顔ばっかりしては元が情けない顔になる。せめて胸を張っていけ。」

「ここに来た時情けない顔していたのはあんたの方だったよ。」

思いもよらぬ反論に思わずむっとして睨むが少しもダメージはないらしく変わらずにばか真面目な顔のまま。

「思うにあんたは追い出したかったんじゃなくて、気付いてほしくて攻撃してきたんじゃないか?まるで誰かを待っているみたいだ。」

寄りかかっていた柱を指差した。

「やけに待つのに慣れている気がする。その顔に自分で気付かなかったのか?」

「はあ、よくわからんことを言うなあ。」

はぐらかすようにして目を逸らして陽の光の中へ想いを馳せた。そこから来ることがないだろう人物達をまだこの先待つように。玄関の大扉にかけてある目標なのだろう天秤の飾りを見てイヴリンはその人物達のことを考える。きっと自分はその人物にはなれないがここに訪れた客人としてはその心を想像することはできる。慰めのための嘘偽りでもなく正直な心を。

「きっと会いに来れないのだろうな、今は。これだけもてなしていてあんたの心がどれほど開けていても来ないとしたら時間の問題さ。だからあんたが気に病むことなんてないんだよ。」

疲れて床にずるずると座り込んだこの館の長を見て辛くなる。

「ずっと許しを乞うような瞳をしているんだ。」

エフがはっと顔をあげてその目を見つめた。夕でもなく夜でもない空を映したその瞳は希望を宿しこの気持ちを溶かしていくようだった。どれだけ長い時間でも待つ覚悟はできている。だけどやはりその時間は有刺鉄線が絡みつくようにきりきりと心を痛ませる。その表情をこの…勇者には誤魔化せるはずはなかった。

「クエストに送る前、変な質問をして悪かったな。訂正するよ。」

精悍な出で立ちを下からすうっと見上げて激励する。

「これから見つかるといいな。この旅の意味を。」

「ああ期待していてくれ。最良の答えを探してきてやる。」

「お待たせしました。」

着衣の乱れを直しながらアルフレッドが戻って来る。彼女が居ないところで賛美する声をたくさん使い魔達がしていたことを知っていた。元より給仕を職にして生まれた人形と言えばそれだけなのだが本当に手伝いを楽しんでやっているその姿に惹かれていたのだろう。今となってはこの館の憧れのアイドルだ。

「旅が終わったらまた来てくれ。歓迎するよ。」

「来方がわからない…この館は魔法で隠されているじゃないか。」

「今度は私が歩いて迎えにいくさ。街にきたらお前の変わった魔力はすぐわかるからな。ああそうだコンパスを持っているんじゃないか。それがあれば街の方向なんてすぐにわかる。」

そういえば返しそびれていたな、イヴリンはポケットからコンパスを取り出したが首を横に振られてそのまま止まった。ここにまた来たいと思ったから。ありがたくそれをもう一度ポケットに仕舞い一度深く頷く。

もう旅立たねば、ある程度余裕はあれどタイムリミットがある。ここで感傷深くいてもなにも起こりはしない。背を向けて歩き出した二人に向かってエフは少しだけ声を大きくして忠告した。

「気をつけてくれ。最近邪神の仲間が人間に危害を加えることが多くなっているらしい。あなた方は奴らにとっては格好の標的に思える。」

アルフレッドだけがそれに対して振り返る。

「仲間?」

「大体は『オズエンド旧地区』の連中らしいがそこ以外からも徐々に湧き始めている。それどころか最近は奴に感化された人間までもが変な気を起こして事件を起こしてるらしくてな。特に…アルフレッドさんは気をつけた方がいい。」

「私がですか?どうしてでしょう。」

「あなたは戦う手段はないし奴ら結構狡猾だ。マモノでありながら人間の姿をとっているしその見分けはそう簡単につかない。邪神の解放のために動いているとか言われてるが素行碌な連中じゃない。」

「会ったことあるのですか?」

「まあ…」

一瞬のことだった。それでもアルフレッドは見逃しはしなかった、その視線がまっすぐイヴリンの背中に向けられたことを。

「そんなところだな。」

「…早く行こうアルフレッド。このままここに居ちゃエフさんに迷惑だ。」

急かすようにイヴリンが引っ張ったことでその言葉の続きを聞きそびれてしまった。おかしそうにエフが笑いかけて手を振る。

「旅の無事を祈っているよ、『勇者』さん。」

大扉が閉まる音がした。少し前を歩くイヴリンは次に行く町をどこにしようか迷って尋ねてくる。一晩明かしたとはいえまだまだ満月の夜には時間がある。そこまで急ぐようにも思えないのに早足でこの場所を去ろうとしているようだった。昨日ここに降り立った時に充満していた毒の霧はすっかり晴れていた。コンパスの通りに歩いて街の入り口にようやく戻ってきた時もう一度街を振り返る。歩いてきた方向からして館があったはずの場所を。





そこからすっかり館は消え去っていた。

まるであれは夢だったのかと思えるくらいに忽然と。

けれどあれは夢ではなかったはずだ、忠告を再度呼び覚ます。


人間と全く差異ない見た目を持つマモノ。実際のところそんな存在は存在しえない。アルフレッドの関節が隠しようのない球体関節であるように、エミリアの姿が鏡に映らずその影に母という怪異を宿しているように。原罪魔法で行えば力の調整が不安定で3秒もたたず姿を維持できない、後定魔法では制限がかかって魔力不足で変化ができないことが周知されている。


「どうしたんだ?馬車捕まったぞ。」

不思議そうに荷引きの馬車の隣で呼ぶ姿に難しい考えを一蹴する。藁を積んでいる場所に座り込むとのんびりと出発した。不安でいるつもりはなかったのだが確認のためイヴリンにも相談しておくことにした。

「邪神の仲間、って話。大丈夫かな。」

それを聞いて彼はおかしそうに吹き出し笑った。今更そんなことを心配していたのかと言わんばかりにひとしきり笑った後、安心させるように二回肩をたたいた。その顔に嘘偽りはなさそうで。

「そんな話は最初から予想してたさ。でも問題があるか?俺はお前と旅が出来たらそれからなにがあっても大丈夫だ。人であること、マモノであること。見た目なんて関係ない。それにそいつらの心を知らずして否定することなんて俺はできないね。そんな不躾なことは許したくはない。」

自分と離れていた数年でこの男はどこまでも逞しく育ってしまった。逞しく、男らしく、そして…優しく。諦めない見限らないその生き方は自分を変えたなにかだったはずだ。彼が誰かの生き方を否定しないように、自分も彼の生き方を肯定し優しい世界を目に焼き付けたい。

「そうだね、きっとそうだ。君はすごい。」

いつかその優しい世界に罅が入った時、一線を越えることがあるだろう。それはきっと私の役目だ。私だけの。アルフレッドは表情ひとつ変えないままそよ風に身を預ける。それまでは許してほしい。


この優しい世界を歩んでいくことを。


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