最終話
ハルのアンドロイド化を知ってから、私はアンドロイドになった家族や恋人を持った人のプライベートソーシャル記事を探し続けた。しかし、見つかったのは、いかにアンドロイド化が素晴らしいかと賞賛している記事ばかりだった。
アンドロイド化に否定的な意見が出回らないよう、人工知能がネットワーク上を監視している。
家族や恋人がアンドロイドになってしまった人は、いったいどんな心境なのだろう?
どれだけ調べても、具体的な内容が見つけられないでいた。
しかし、ふと、以前登録しているニュースサイトで、メカナイゼーション手術の失敗記事を見たことを思い出した。
ローカルネットワークで運営されている、人工知能による干渉を受けないあのニュースサイトなら――。
すぐにニュースサイトを立ち上げ、検索窓に『メカナイゼージョン 失敗』とキーワードを入力する。匿名の政府非承認サイトにもかかわらず、検索結果は3件しか表示されなかった。
それほど、アンドロイド化の悪い印象を取り上げるのは、リスクなのだろう。
私は、一番気になった見出しを選択する。
『メカナイゼーションの死亡事例』
そこには、普通のネットワークであれば、絶対に人の目に触れることのない内容が記述されていた。
『絶対に失敗しないとされているメカナイゼーションだが、何万分の一という確率で、術後すぐに死亡するケースが確認されている。
その場合、遺族には緘口令が敷かれ、そのことを漏らそうとすると隔離施設に入所させられるケースもある』
自分が目にした記事が信じられなかった。
ハルが死ぬかもしれない?
そんなのは絶対に嫌だ。
W.E.Tで、このことをハルに伝えようと画面を起動したが、途中で手を止めた。
電子機器を使って、こんなこと伝えられる訳がない。
間違いなく、ハルにメッセージが届く前に、削除されてしまう。
それに、もう遅いんだ。
ハルは、すでに体の一部をアンドロイド化している。今、そのことを教えたところで、ハルを不安にさせるだけだ。
結局、その日は一睡もできなかった。
♢ ♢ ♢
「え、彼氏がアンドロイドに選ばれた?」
いつもは冷静なルイが、明らかに動揺していた。
「私、どうしたらいいんだろう……」
解決策がないことは分かってる。
メカナイゼーションに選ばれてしまった以上、受け入れなくてはいけない事実だから。
それでも、なにか奇跡が起きて、ハルのアンドロイド化がなくなってほしいという、ありえない幻想を抱いている自分がいた。
「来週からしばらく会社を休むね。人としての表情があるうちにすこしでも長い時間をハルと過ごしたいから」
「そう……。その方がいいわね」
「部長にはもう休むって伝えてるから。メカナイゼーション前の、体調管理をサポートしなきゃいけないし」
メカナイゼーションは、表向きには、安全で失敗することのない手術だと公表されている。だけど、体に負担のßかかる手術であることは、誰しもが理解していることだった。
「ユキ、あまり思い詰めないでね。ごめんね、励ましの言葉さえ出てこなくて」
「ううん。ありがとう」
こんな気持ちを打ち明けられるのは、ルイしかいない。
「最初は、無理にでもハルを連れて、国外に逃げようかと思った。けど、体の一部がアンドロイド化している状態で、セキュリティを掻い潜って国外に逃げるなんて、絶対に不可能だから」
アンドロイド化を国家プロジェクトとしておこなっている国は、まだ少ない。
国外では、私のように倫理的ではないという理由から、自らの意思で表明しない限りは、メカナイゼーション手術は実施されない。また、他の国では、技術的にもまだ未完成な部分も多いとされている。
この国でも、メカナイゼーションは安全とされながらも、体の部位ごとに数回に分けておこなわれている。
たとえ一部分だとしても、メカナイゼーション手術をした人間が、国外に逃げるということは、先進国であるこの国の技術を国外に渡すということにも繋がる。
近い将来、技術が発展途上な国に、アンドロイド化技術を売り渡す計画があると、あのニュースサイトに書いてあった。
そのせいなのか、アンドロイド化した人間が国外に出ることは、そう簡単ではなかった。
メカナイゼーション手術は、一人に対しての費用がものすごくかかるため、体調管理や職場のスケジュールまでを把握して、日程が決められている。
そんな人間が国外に出るための審査に通過するなんて、まずありえないことだ。
♢ ♢ ♢
会社に事情を説明すると、すぐに休職という形で、長期休暇をもらえる手はずがついた。
同僚の人たちは「大事な時期だから、仕事のことは気にせずサポートしてあげて」なんて言ってくれたけど、特に私が必要な業務でもないため、休んだところで問題はないのだろう。
私の代わりなんていくらでもいる。そもそもミスなど起こり得るはずもない機械の監視に、本当に人間が必要なのだろうか。
自分の席で休職時に必要な書類をまとめていると、
「先輩、聞きましたよ! 彼氏さんがアンドロイドに選ばれたそうじゃないですか!」
ミユが駆け寄ってきた。
「すごいですね。選ばれた人間って感じですねー」
メカナイゼージョンは、まだ適正のある一部の人にしか、おこなうことができない手術だ。
政府はそれを、人類が進化するために選ばれた特別な人間だと周知している。私はそのことに、ある種の洗脳に近い感覚を覚えていた。
ミユに悪気はないのは分かっていたけど、彼女を無視して席を立ち、その場を離れようとする。
「ちょっと待ってくださいよ先輩、いろいろお話聞かせてくださいよ。身近な人がアンドロイドに選ばれるってどんな感じなんですか?」
キラキラとした目で、問いかける彼女に強い言葉で否めようとしたその時、ルイが近づいてきて、ミユの前で足を止めた。
そして、ミユの頬を力強く叩いた。
乾いた音が響く。ミユの頬が赤く腫れる。
「すこし黙っていなさい」
ルイの声がその場を支配した。どうしてぶたれたのかわからないという顔をするミユ。
それでも口答えすることなく、ミユは「はい」とだけ呟いて、自分の席に戻っていく。
私は慌ててルイの手を掴み、その場を離れた。
「何やってるの、アンドロイド化の祝福の言葉をもらっている最中に、あんなことするなんて。まるで自分から非機械化主義者だって言ってるようなものじゃない」
「ユキの気持ちを知ってるから我慢できなかったのよ」
ルイは自分のお父さんがアンドロイド化した過去を持つ。6歳の頃、大好きだった父親が突如いなくなり、数ヶ月後に、笑わない人形になって帰ってきたのが怖かったと話してくれたことがあった。
「ルイ、ありがとう」
ルイに抱きついて、しばしの別れを告げた。
♢ ♢ ♢
仕事を休職してから、私とハルは一緒に住むことにした。
私と違って仕事人間のハルは、家で仕事がしづらくなるからと、初めは一緒に住むことを嫌がった。しかし、自分の部屋を解約し、無理やり押しかけた私を渋々迎え入れてくれた。
そして、ハルの家に居候することになって、三ヶ月ほどが経った。ハルの両手両足はすでにメカナイゼーション手術により、人間のものではなくなった。
いよいよ明日が、ハルの最後のメカナイゼーション手術になる。
体と顔を同時におこなう、一番体の負担が大きい手術だ。
人間としてのハルは今日で終わる。
私の脳裏には、ニュースサイトで見た、メカナイゼーション手術の失敗という悪い言葉がちらつく。
術後に死亡するケースは、最後のメカナイゼーション後だと記述されていた。
今でも、心のどこかではハルのアンドロイド化が間違いで、明日には無かったことになってたらなんて考えてしまう。この三ヶ月で心構えは十分にできていたはずなのに――。
「ユキちゃん、料理の方はどう?」
リビングからハルが問いかけてくる。
「もうちょっと待ってて」
一緒に暮らし始めてから、毎日私が食事を作ることになった。
――この家に住まわせる条件として、ユキちゃんが毎日料理を作ること。
ハルはきっと、そのルールを作ることで、料理なんてしない私がすぐに逃げ出すと思ったのだろう。
だが私は、そこまで一緒に住みたくないのかと、かえって躍起になり、
――分かったわ。朝、昼、晩どんなことがあろうと、毎食私が作るわ。
と、啖呵を切ってしまった。
どんなことがあっても、ハルのそばにいると決めたから。料理くらい作ってやる。
最初の一週間ほどは、ひどい有様だった。
これが食べ物なのかと、疑うようなものを二人で食べたりした。
ハルも見かねて、そのうち二人で一緒に料理を作るようになった。
失敗しても面白かったし、美味しい料理が作れたら二人で素直に喜んだ。
今まで家で食べる食事なんてレーションなどで効率的に摂取したほうが、時間が有効化できると思っていた。だけど、一緒に暮らすようになってから、誰かのために手間暇かけて作るということが、これほどまでにやりがいのある楽しいことだということに、気づくことができた。
メカナイゼーション手術をした後も、味などを感じることができると言われている。
でも今までみたいに、私が作った料理の本当の味がハルに伝わるかが分からない。
アンドロイドになると、味覚が著しく低下するので、代わりに脳に味の信号を送信するという。それで私が作ったものを、本当に食べてもらったことになるのだろうか。
今の時代は、どれだけ効率がいいかということを重視しすぎている。どれほど非効率で手間がかかり見返りが少なくても、必要なことは必ずあると思う。
今日の夕飯が完成し、ハルの元へ料理を運ぶ。
作った料理はシチューだ。古いデータをたくさん調べて、海外からホワイトソースなるものまで取り寄せ、ようやく作る事ができた。
シチューを作ろうと思ったのは、スノーアイランドのホログラムで、仲の良さそうな家族がシチューを食べていたのを思い出したからだった。
「今日も美味しそうだね」
ハルのこの笑った顔も、やがては作られたものに変わってしまう。
「食べようか」
あまり考えないようにするために、私はそう告げる。
「うん、いただきます」
ハルがシチューを口へ運ぶ。
「うん、美味しい!」
「そう、よかった」
褒められて嬉しかったのに、素直になれずにそっけない返事をしてしまう。
食事をしながら、ハルとの思い出が蘇る。
この一緒に暮らした三ヶ月は、本当に楽しかった。
喧嘩は一回や二回じゃなかったけど、楽しいことのほうがずっと多かった。
いろいろなことを思い出しているうちに、私の目から涙がこぼれてしまう。ハルに悟られないよう、慌てて手で顔を覆い隠した。
ハルと一緒に住み始めてから、泣いたのはこれが初めてだ。
「ユキちゃん、泣いてるの?」
食事している手を止めて、ハルが私を覗き込む。
私は返事をすることができなかった。
今さらハルがアンドロイドになるのが嫌だなんて、言うことはできないから。
ハルは明日から長期間メカナイゼーション手術をおこなう。
そんなハルをすこしでも不安にさせたくない。
そう思って、私の不安な気持ちがハルに伝わってしまわないよう、この三ヶ月間を過ごしてきた。
「自分で作った料理がここまで美味しいなんて思わなかったから、嬉し泣きよ。嬉し泣き」
涙声というのはここまで情けないものなのか。泣いたってどうすることもできない、それが分かっているから余計に自分の無力さが嫌になる。
すっと、優しい香りがした。
ハルが後ろから抱きしめてくれた。
両手はアンドロイド化していて体温なんてないはずなのに、とても暖かく感じる。
「ごめんね、ユキちゃん。本当にごめん」
何回謝るの? なんていつもみたいに言うことはできない。
本当はハルだって気づいていたのかもしれない。私がどれだけ張り詰めた気持ちで一緒にいたのかを。
「泣かないって決めてたのに……。長期間のメカナイゼーション手術を受けるハルには、不安な思いをさせたくなかったのに……」
嗚咽交じりの声を絞り出す。
「ユキちゃん、どんなことがあっても僕は僕だから。安心して待ってて」
「……うん」
♢ ♢ ♢
「じゃあ行ってくるね」
メカナイゼーション当日、玄関の前でハルが笑顔で言う。
アンドロイド化に賛成のハルでも、本当は怖いはずだ。
それなのに、私に不安なところを見せまいとしているのが伝わってくる。
「うん、必ず帰ってきてね。この家でしっかり待ってるから」
「ユキちゃん、意外と雑なとこあるからなー。僕がしばらく留守にしただけで、部屋がめちゃくちゃにならないか心配だよ」
「失礼ね! ちゃんと綺麗に片付けるわよ」
本当に余計な心配ばかり。
「レーションばかり食べてたユキちゃんが、料理にハマったのはいいことだけど、食べ過ぎたりしないでね」
「分かってるわよ。いちいちうるさいな」
そんなやり取りをしているうちに、気持ちがすこし軽くなり、笑顔になる。
「戻ってきたら、どれだけユキちゃんの料理が上達したか楽しみだね」
「とびっきり美味しいものを作れるようになってるから、期待してなさい!」
お互いに微笑みながらも、目には涙が溜まっている。
でも、その涙がこぼれ落ちないよう、必死に我慢する。
「楽しみにしてるよ。そろそろ時間だから、もう行くね」
ドアに手をかざし、玄関を開けるとハルは家から出た。しかしドアが閉まる寸前、
「戻ってきた日はシチューが食べたいなー!」
大きな声でハルが言った。
私の返事を返事を待つことなく、ドアが閉まる。
大丈夫、きっとハルは帰ってくる。最後の言葉で私はそう確信した。
ハルが帰ってきたら、どんな話をしよう。
どんな服を着て、どんな料理を作ってあげよう。
私の料理を、また美味しいって言ってくれるかな。
喧嘩だってするかもしれない。
でも、どんなことがあっても、二人で仲良くできるはずだ。
どんな姿になろうと、ハルが生きてさえいれば。
どんなことがあっても、ずっと――。
メカナイゼーション ~ハルが消えた日~ 夢叶 える @elle_yumekana
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