第3話

お店で喧嘩した日から、半年ほどが経った。

 

 あの日以来、二人の間で「アンドロイド」や「メカナイゼーション」という言葉が出ることはなくなった。


 もう一つ大きく変わったことといえば、ハルの仕事が急に忙しくなり、海外出張が増えたため、私たちは会う時間をつくれないでいた。


 二、三日連絡が取れないこともあり、以前よりも、距離ができてしまったように感じてしまう。


 しかし今日は、久々にハルと顔を会わせることができる日だ。


 私がかねてより行きたかった、スノーアイランドに行くことになっている。


 約束の時間ちょうどに、私が待ち合わせ場所に到着すると、思わず目を疑った。

 ハルが私より先に来ていたのだ。


「珍しいこともあるのね」


 私が感心したように言うと、

「僕だってやればできるんだよ。そのうち、ユキちゃんのほうが遅れて来るのがあたり前になったりして」


「そうなったらどれだけ嬉しいことか」


 どうせ一回限りよ、と心の中で思った。


「早く行こうか。今日はユキちゃんが行きたがってたスノーアイランドだもんね」

 心なしか、今日のハルはいつもと違って見えた。


 単に遅刻しなかったからというだけではない。並んで歩くときも、私の左側でなく右側を歩いている。


 私たちは、二人乗りのオートメーションタクシーに乗り込み、ナビに目的地を入力した。


 ナビに到着予定の時刻が表示される。目的地までは四十分ほどだった。車内の冷んやりとした空調が心地いい。


「最近仕事忙しいの?」


「うん……、ちょっとね。任されることが多くて」


「へぇ、よかったじゃない。私と違って、ハルのお仕事は人間にしかできないんだから、忙しくても誇りに思わなきゃ」


「うん、そうだね」


 私が珍しく褒めてあげたというのに、ハルは車外を見つめたまま、何かを考えていた。



  ♢ ♢ ♢



 スノーアイランドは、文字通り雪や氷をモチーフにしたテーマパークだ。


 100年ほど前までは、この国でも雪が降ったらしいが、今となっては雪が降るなんてとてもじゃないが考えられない。世界的に見ても、雪が降る地域なんて片手で数えられるほどしかないのだから。


 自分の名前と同じ自然現象が、希少なものだというのは嬉しくもあり、本物を見れない悲しさが胸をかすめた。


 ドーム内では、人工的に作られた雪が降っている。いくつかのエリアに分かれて、各エリアにはテーマに沿ったアトラクションが設置されている。


 入り口でレンタルしたジャケットを羽織い、靴を履き替えた私たちは、メインエリアに足を踏み入れた。


「うぅ、寒いね」


 私は手をこすり合わせながら、ハルを見る。


「僕、初めて雪を見たよ」


 ハルは口元をほころばせながら、小さな声で呟いた。


 呼吸をするだけで、口から白い霧が吐き出されるのは、どうにも不思議な気持ちになる。


 胸がすぅっとし、肺の中にまで冷たい空気が入り込む。


 しばらく歩くと、ハルが声を弾ませて言った。


「ユキちゃん! 見てよあれ、すごい綺麗だよ!」


 私たちの目の前に広がったのは、煙突の付いた赤いレンガ造りの家々。空にはオーロラが優雅に揺らめき、おとぎ話でしか知らない町の景色が、再現されていた。


 家の中を覗くと、仲の良さそうな家族が、毛布のような分厚い服を着て、楽しそうに会話をしている。家の中や家族の様子はホログラムで再現されているのだが、この距離で見ると本当の人間にしか見えない。


「楽しそうだね。何を話しているんだろう」


 先ほどまでは、どことなく元気がなさそうに見えたハルだったが、今では目をキラキラさせながら辺りを見ている。


「ユキちゃん、不思議だと思わない? 昔の人たちは、ありもしない仮想の世界に憧れてテーマパークを作っていたそうだけど、今では昔の風景を体感できるテーマパークが作られているんだよ」


「本当ね。この時代の人たちは考えもしなかったでしょうね。自分たちが暮らしている当たり前の日常が、数百年後ではおとぎ話の世界だなんて」


 そんな話をしながらも、冷気で顔がどんどん冷たくなっていくのがわかる。


 私はハルの左手をそっと掴んだ。そういえば、この立ち位置で手を繋ぐのは初めてかもしれない。いつもハルは私の左側にいたから。でも、たまには立ち位置を変えるのも悪くない。現実離れした光景も相まって、なんだか新鮮な気がした。



 そのまま二人で、ゆっくりと歩き続ける。


 奥に進むにつれ町はなくなり、足元は氷が張ったような地面になった。


 靴を履き替えたとはいえ、氷の上は歩きにくい。


「ハル、滑らないように気をつけてよ」


「大丈夫――、ってうわっ!」


「きゃっ!」


 言ったそばからハルが転倒し、手を繋いでいた私も必然的に倒れこんだ。


「ごめん。ユキちゃん、大丈夫?」


「もう、だから言ったのに」


 私はお尻を押さえながら立ち上がる。


 そしてハルの右手を掴んだ。


「ほら、早く立って――」


 その瞬間、違和感を感じた。


 ハルの右手を引き寄せ、袖をまくり上げる。


 見た目ではわからないが、肌の質感が微妙におかしい。


「嘘、どうして?」


 理解が追いつかない。


 でも間違いない。ハルの右手はアンドロイドのものだった。


「ねぇ、ハル? これどういうこと……」


 質問しながらも、私は朝から感じていた違和感の正体に気がついた。


 ハルがいつものように私の左側を歩かなかったのも、右手を触られたくなかったからだ。


 さっきまで繋いでいた、ハルの左手を確認する。


 しかし、左手は紛れもなく、人間の手だった。


「本当は、後できちんと言うつもりだったんだ……。僕がメカナイゼーション手術に選ばれたってこと。すでに、右手に手術を施したことも」


 私の耳に、なんとか届く程度の声で呟いた。


 ハルがアンドロイドに……?


 訳が分からない。頭がおかしくなりそうだ。


「……どうして、もっと早く言ってくれなかったの?」


 ハルは俯いたまま言った。


「機械化されているのは、まだ右手だけだけどね。前にレストランで、ユキちゃんが怒って帰った日のこと覚えてる? あの数日前に、僕のアンドロイド化が決まったんだ。レストランでそのことを言おうと思ったんだけど、やっぱりユキちゃんはアンドロドの話をしたら怒って帰っちゃって。それからどうしても言い出せなかったんだ……。本当にごめん」


 あの日のことは、今でも鮮明に覚えている。


 ハルはあの時、アンドロイドに選ばれたことを、私に言うつもりだったんだ。


 私が、アンドロイド化のことを悪く言ってしまったせいだ。


 アンドロイドになることが決まったハルに、私はなんてことを言ってしまったのだろう。


「……嫌だよ。ハルがアンドロイドになるなんて。睡眠の時間が減って、活動できる時間が増えるのかもしれない。でも、食べ物の味だって、脳に電気信号で送ってるだけだし、表情だって人間みたいに豊かじゃないんだよ!」


「ユキちゃん」


 私とは対照的に、落ち着いた声。


「アンドロイドに選ばれた人は、拒否できないんだよ。受け入れなきゃいけない運命なんだ」


 優しく笑いながらそう言った。


「なんでハルが選ばれちゃったの……。どうして!」


 私は、またレストランの時のように、声を荒げてしまう。


 ハルが私を落ち着かせようと、優しく抱きしめてきた。


 流れ出る涙が、ハルの服に染み込んでいった。

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