アンプリファイ

フカイ

掌編(読み切り)




 another pageというレコードがある。

 1983年にリリースされた、アメリカの男性歌手のアルバムだ。

 透き通った高い声で歌われる、乾いた叙情。

 洗練ソフィスティケートされた知的なトーンを持つ、不世出のアーティスト。



 ―――このアルバムを聞きながら、何時間空を眺めたことだろう。



 まだ質素で単純なオーディオ機械だった頃の話だ。大きなスピーカーは、叔父に譲ってもらったものだ。高校生のぼくはそれにブルーのペンキを塗り、とても奇妙な装いを施した。増幅器アンプリファイアは真空管式で、これも確か、親類の誰かから譲ってもらったものだったはず。十分に時代遅れな機械たちだったけれど、その非常に洗練された音楽の、クールでスマートな雰囲気は17歳のぼくの心の中でキチンと再生され、本来のあるべき形に増幅アンプリファイされた。


 田舎の高校生だった。山を造成して作られた新興住宅地に、ぼくの家はあった。

 この音楽を聴くぼくの部屋の窓の向うには、見下ろす港町と、広大な湾が見えている。湾の向こうには対岸の半島が見えている。

 湾の奥行きは約80マイル。幅は50マイル。

 昼間の暑さを落ち着かせるような夕凪が吹いて、港の明かりがひとつ、またひとつ、灯り始める。


 この山の手の家は、急な坂を上がって帰ってこなくてはならないから、今日みたいに暑い日は本当に辛い。この頃はビールを飲むなんて習慣もなかったし。

 けれど、汗のひいた夕凪の時間、窓を開け放って風を迎え入れて。見下ろす港とその向うの湾の風景は、いつも見飽きることはない。

 港にはすっかり夜のとばりが下りてきているものの、港の向うの湾、湾の向うの半島、半島の上の空にはまだ、夕焼けの残照が残っている。


 空は、濃紺から薄いブルー、そしてピンクと濃いオレンジの無段階のグラデーションがまるで何かを暗示する抽象画のように広がっている。

 時間とともに、刻々と姿を変えてゆくそのは、すこしも見飽きることがない。


 レコードのA面が終わり、ターンテーブルに行って、面を裏返し、もう一度レコード針を盤面に落とす。それはアナログ時代の音楽との向き合い方だ。


 B面はシングルカットされた佳曲から始まり、やがてもっとマイナーな、ギターのアルペジオだけで奏でられる静かな楽曲に移り変わってゆく。歌い手は、けっしてシャウトなどすることはなく、ただクールにスマートに音楽を奏でる。


 窓のむこうでは、残照がどんどん消えてゆき、空から暖色系の色がなくなる。

 湾と半島は黒い闇につつまれ、空は上に行けば行くほど、深みのある美しい濃紺に染めあげられる。呼吸することを忘れるほど、時間とともに移り変わる美しいグラデーション。その中に、すこしずつ星がきらめき始める。


 その闇のなか、湾の上を積乱雲の塊が移動してくる。グレイにぼんやりと光る積乱雲は、まるで墨色の湾にそびえる巨大な綿菓子のようだ。

 見るともなく、その縦に伸びた綿菓子の塊を見ていると、いつしか雲がぎらりと光る。


 ぎらり。


 時をおいてまた、ぎらりと。


 音もなく、ただ、積乱雲の中が、一瞬、きらめく。

 背筋がうすら寒くなるような、ただならぬ気配。

 しかし、見つめていると、答えはすぐにわかる。



 雷雲。



 アコースティック・ギターを爪弾き、その静かな旋律にのってたゆたうような歌声が、明かりを落とした部屋の中に満ちる。湖の、寄せては返すちいさな波のように穏やかな音楽。

 雲も同じく、音もなく広大な湾の上をゆっくり移動してゆく。時折、白く輝く稲光をその身のなかでぜさせがら。

 きっとあの雲の近くでは、腹に響くような雷鳴がとどろいているのだろう。あの雲の真下では、強烈な土砂降りが始まっていることだろう。

 しかしそこから数十マイル以上離れたこの高台の部屋からは、そのエネルギーは届かず、ただ光だけが見えている。

 背中には、高揚しないギターと、ソフィスティケートされたメロディをなぞる、美しいヴォーカルが寄り添って。



 その奇妙な同時性シンクロニシティー



 片や強烈なエネルギーの放射現象。片や極めて洗練された知的なロック音楽。

 本来なら寄り添うはずのないそのふたつが、夕凪のその時間、17歳の少年の心の中で静かに共鳴する。


another pageもうひとつのページ」というアルバムタイトルが、極めて暗示的に響く。

 そこには、『可能性』という未来への扉が現れていた。の存在が、その瞬間、確信できた。


 どこへでも行ける、何にでもなれる。

 いつか、夢はかなう。

 自分は世界の主人公であり、世界はそのために存在する。


 その時自分はそう、信じて疑わなかった。


 夜の中を音もなく移動する雷雲と、静かな音楽の調和はそうして、少年の空想をした。

 想像はいくらでもふくらみ、夜の海の上をしずしずと移動する雷雲とともに、胸が高まる。

 可能性には果てがなく、またそこに一点の疑いの染みも見当たらなかった。


 音楽は続き、宵風は流れる。


 あれから三〇年。ぼくの冒険は、まだ終わらない。

 終わらないけれど、あの頃のような自由な空想力は年々失われつつある。あんなふうに、音楽が想像力を増幅することは、もうない。

 あるのは年相応な分別といくつかの諦念、そして地に足の着いた現実認識。

 それは良いことなのか、残念なことなのかは分からない。分かっているのは、自分なりに生きてきた結果として今の自分がある、というシンプルな事実だけだ。


 地下鉄銀座線の社内で、iPhoneでこの古い楽曲を聴きながら、そんなことに思い至る。


 これから三〇年。

 ぼくがまだ存命であれば、皺寄った年寄りの一人になって、若い人たちの稼ぎで生き長らえさせてもらっている。

 その時ぼくの想像力はどうなっているのだろうか?


 音楽は色あせない。ただ、聴くものの感受性が色あせるだけだ。だが、感受性が枯れ果てたその先に何があるのか。このレコードを聴きながら、そんなことを思う。



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アンプリファイ フカイ @fukai

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