アンプリファイ
フカイ
掌編(読み切り)
another pageというレコードがある。
1983年にリリースされた、アメリカの男性歌手のアルバムだ。
透き通った高い声で歌われる、乾いた叙情。
―――このアルバムを聞きながら、何時間空を眺めたことだろう。
まだ質素で単純なオーディオ機械だった頃の話だ。大きなスピーカーは、叔父に譲ってもらったものだ。高校生のぼくはそれにブルーのペンキを塗り、とても奇妙な装いを施した。
田舎の高校生だった。山を造成して作られた新興住宅地に、ぼくの家はあった。
この音楽を聴くぼくの部屋の窓の向うには、見下ろす港町と、広大な湾が見えている。湾の向こうには対岸の半島が見えている。
湾の奥行きは約80マイル。幅は50マイル。
昼間の暑さを落ち着かせるような夕凪が吹いて、港の明かりがひとつ、またひとつ、灯り始める。
この山の手の家は、急な坂を上がって帰ってこなくてはならないから、今日みたいに暑い日は本当に辛い。この頃はビールを飲むなんて習慣もなかったし。
けれど、汗のひいた夕凪の時間、窓を開け放って風を迎え入れて。見下ろす港とその向うの湾の風景は、いつも見飽きることはない。
港にはすっかり夜の
空は、濃紺から薄いブルー、そしてピンクと濃いオレンジの無段階のグラデーションがまるで何かを暗示する抽象画のように広がっている。
時間とともに、刻々と姿を変えてゆくそのさまは、すこしも見飽きることがない。
レコードのA面が終わり、ターンテーブルに行って、面を裏返し、もう一度レコード針を盤面に落とす。それはアナログ時代の音楽との向き合い方だ。
B面はシングルカットされた佳曲から始まり、やがてもっとマイナーな、ギターのアルペジオだけで奏でられる静かな楽曲に移り変わってゆく。歌い手は、けっしてシャウトなどすることはなく、ただクールにスマートに音楽を奏でる。
窓のむこうでは、残照がどんどん消えてゆき、空から暖色系の色がなくなる。
湾と半島は黒い闇につつまれ、空は上に行けば行くほど、深みのある美しい濃紺に染めあげられる。呼吸することを忘れるほど、時間とともに移り変わる美しいグラデーション。その中に、すこしずつ星がきらめき始める。
その闇のなか、湾の上を積乱雲の塊が移動してくる。グレイにぼんやりと光る積乱雲は、まるで墨色の湾にそびえる巨大な綿菓子のようだ。
見るともなく、その縦に伸びた綿菓子の塊を見ていると、いつしか雲がぎらりと光る。
ぎらり。
時をおいてまた、ぎらりと。
音もなく、ただ、積乱雲の中が、一瞬、きらめく。
背筋がうすら寒くなるような、ただならぬ気配。
しかし、見つめていると、答えはすぐにわかる。
雷雲。
アコースティック・ギターを爪弾き、その静かな旋律にのってたゆたうような歌声が、明かりを落とした部屋の中に満ちる。湖の、寄せては返すちいさな波のように穏やかな音楽。
雲も同じく、音もなく広大な湾の上をゆっくり移動してゆく。時折、白く輝く稲光をその身のなかで
きっとあの雲の近くでは、腹に響くような雷鳴がとどろいているのだろう。あの雲の真下では、強烈な土砂降りが始まっていることだろう。
しかしそこから数十マイル以上離れたこの高台の部屋からは、そのエネルギーは届かず、ただ光だけが見えている。
背中には、高揚しないギターと、ソフィスティケートされたメロディをなぞる、美しいヴォーカルが寄り添って。
その
片や強烈なエネルギーの放射現象。片や極めて洗練された知的なロック音楽。
本来なら寄り添うはずのないそのふたつが、夕凪のその時間、17歳の少年の心の中で静かに共鳴する。
「
そこには、『可能性』という未来への扉が現れていた。ここでないどこかの存在が、その瞬間、確信できた。
どこへでも行ける、何にでもなれる。
いつか、夢はかなう。
自分は世界の主人公であり、世界はそのために存在する。
その時自分はそう、信じて疑わなかった。
夜の中を音もなく移動する雷雲と、静かな音楽の調和はそうして、少年の空想をアンプリファイした。
想像はいくらでもふくらみ、夜の海の上をしずしずと移動する雷雲とともに、胸が高まる。
可能性には果てがなく、またそこに一点の疑いの染みも見当たらなかった。
音楽は続き、宵風は流れる。
あれから三〇年。ぼくの冒険は、まだ終わらない。
終わらないけれど、あの頃のような自由な空想力は年々失われつつある。あんなふうに、音楽が想像力を増幅することは、もうない。
あるのは年相応な分別といくつかの諦念、そして地に足の着いた現実認識。
それは良いことなのか、残念なことなのかは分からない。分かっているのは、自分なりに生きてきた結果として今の自分がある、というシンプルな事実だけだ。
地下鉄銀座線の社内で、iPhoneでこの古い楽曲を聴きながら、そんなことに思い至る。
これから三〇年。
ぼくがまだ存命であれば、皺寄った年寄りの一人になって、若い人たちの稼ぎで生き長らえさせてもらっている。
その時ぼくの想像力はどうなっているのだろうか?
音楽は色あせない。ただ、聴くものの感受性が色あせるだけだ。だが、感受性が枯れ果てたその先に何があるのか。このレコードを聴きながら、そんなことを思う。
アンプリファイ フカイ @fukai
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