第14話 1-13 ボリビアに到着

 広志はトイレに立つことをできるだけ避けるため、機内食の前後で飲み物を勧められても「ノーサンキュー」で押し通した。この路線では飲み物を紙コップではなく缶ごと手渡しているので勿体ない気がするが、両隣の人はどうやらスペイン語しか話せないみたいなので、出来るだけじっとしていようと考える。


 食事が終わるとすぐに機内が消灯して睡眠時間となったが、身体を少しでも動かすと隣の人に触れてしまうので眠ることができない。両隣はイビキをかいて寝ている。理不尽な状況に、自らの怒りの心境をスマホに書き綴る。そして、バッテリーが切れた後で、スマホ無しでは元春の電話番号が判らないことに気づく。


 『なにかあったときに、親父に連絡してくれって頼めないじゃないかぁ』

 再度、自分の愚かさに気づくが、後の祭りである。


 オールアメリカンのボリビア行きは、まずボリビアの首都ラパスのエルアルト空港

に寄ってから、ボリビア第二の都市、サンタクルスのビルビル空港へと到着する。広志の目的地はサンタクルス市だ。


 ラパスに着く直前、全粒粉パンにハムとチーズを挟んだサンドウィッチが朝食として出される。広志は不安で食欲がなかったはずなのだが、一口食べると一気に全部食べてしまう。

 「ハムもチーズも美味しいな。」

 普段は小心者の広志だが、食欲が絡む時は別らしい。


 ラパスに到着すると、サンタクルス行きの人を機内に残したまま清掃が始まる。

 暇をもてあました機内に残っている乗客が広志に話しかけるがスペイン語だ。少し離れた席に座っていた背の高い白人系の男性が英語で通訳してくれて、広志も彼らと会話できるようになった。


 広志が日本人だというと、口々に日本製品は素晴らしいとか日本に一度は言ってみたいという話をする。

 広志は地球の裏側にいる人々に日本人や日本製品の評判が良いことを知って嬉しくなる。清掃が終わりラパスからマイアミに向かう乗客を乗せ始めたので楽しい会話はそこで打ち切りとなったが、英語が喋られない人が多くいたことには驚いた。


 同時に小学校から英語教育がある日本でも、英会話ができる人が殆どいない事実を思い出す。

『何故、英語さえ喋れれば、世界で通用するなんて思い込みをしていたんだろう。』



 ラパスからサンタクルスまでは1時間の飛行距離しかない。やがて、30分ほどで、サンタクルスに到着するというアナウンスが流れ、入国審査と税関の紙が渡された。

 入国審査は白と青い紙の2種類があったが、日本人だというと青い方を渡された。両方ともスペイン語と英語が併記されている。


 税関に申告が必要なものは全て元春が持っているので税関への申告書は読んで理解するのに時間はかかったが、すぐに書くことができた。

 入国審査書類も大方は予想が付くので、埋められるところから埋めていくが、判らないところがあって少し毒づく。


『ミドルネームって何だよ』

 そう、名前を書く欄には、ファミリーネームとファーストネームの間にミドルネームというものがある。つい最近、どこかで見たのは間違いないのだが、緊張すると何も思い出せなくなる。


 実は、ミドルネームはアメリカの入国審査書類にも記載場所がある。記入欄の大きさが小さいうえ、記入してもしなくても良い場所だったので広志は忘れていたのである。

 日本の小中学校の英語教育では、宗教上の理由か生徒を混乱させないためか、ミドルネームの説明をしない。文化的背景や宗教的背景に日本との違いがあることを認識していないと異言語でのコミュニケーションは図れないのだが・・・。


 宿泊予定のホテル名と住所はすぐ判る。元春は情報共有ということで、事前に現地時刻、便名、ホテル名等が記入された旅行計画書を作ってくれており、パスポートカバーにそれを挟んでいたからだ。


 広志がもう少し慎重で先のことを読みながら進める性格だったら、こんな状況に追い込まれることはなかった。彼にとっては、非常事態でもこの程度のことは日常生活では良くある話だ、結局、サンタクルスに飛行機が着いても、記入に手間取り降機したのは最後の方だ。入国審査の列の後ろに並ぶと取りあえず枠を埋めることに専念する。


 ようやく書き終わって初めて、入国審査がスペイン語で行われていることに気づく。広志より前の人が何を質問されているか聞き取ろうとするがスペイン語では判るはずも無い。


 広志の番が近づくに従って、彼は、既に書き終わっていた税関申告書と入国審査書を何度も読み返す。間違っていないか急に不安になってきたのだ。

 完全にパニック状態に陥った状態で広志の順番が回ってきた。


 最後から2人目。書類作成に手間取り列の後ろの方に並んだのだが、とうとう広志の順番が来た。

シギエンテつぎ」薄いカーキ色の半袖の制服を着てカーキ色のベレー帽を被った黒い口ひげを貯えた海賊映画にでも出てきそうな男性が、ギヌロとでも表現したくなる大きな目をこちらに向けて、手招きしている。


 少し深呼吸して心を落ち着かせようとしていたら、不自然に立ち止まっている広志を訝しく思ったのだろう。

 進行方向の奥にいたレイバン風のサングラスをかけた若い男性がゆっくりとこちらに向かって歩き出した。目の前の口ひげの男性との違いは、近づいてくる若い男性が長袖の制服を着ているということと、首から提げた自動小銃の引き金に手をかけていることだ。

 コツッ、コツッとコンクリートで囲まれた部屋に響く靴音。


 広志の心音は一気に跳ね上がってしまった。

 慌てて停止線から3歩前に進むと回れ右をし、ポリカーボネイト製の窓の中を見る。

 口ひげの男性は少し苛立った口調で声をかける。

パサポルテパスポート ポルファボールプリーズ

ケ プロポシト デ ビシタりょこうもくてきは?」


 広志の精神状態は既に末期症状だ。『落ち着け。落ち着け。さっきまで散々練習したろぉ。「英語で」、「エイゴで」とお願いするんだ。「エイゴ、エイ・・・」って、日本語?』


エスタ ビアハンド ソロひとりたび?」

 広志は、相変わらず何を言っているのか理解できない。


 とうとう自動小銃を持ったお兄さんに左肩を捕まれてしまった。

「ゴメンナサイ」「ユルシテクダサイ」「イノチダケハ」

 相手に伝わるはずのない日本語で命乞いをする。


 ◇ ◇ ◇

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アイシティ高特ボリビア編 したとせみ @zenhar1k

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