第13話 1-12 二重予約

 食事に時間を取られてしまい、ふたりが定刻の30分前に搭乗ゲートへ到着すると、オールアメリカンの担当者が、「ボランティア プリーズ」と、ゲート前に集まっている乗客に声をかけている。


 広志が元春に「ボランティアって何をするのかな?」と質問すると「オーバーブッキングにじゅうよやくで座席が足りないから、ここで降りてくれる人を募集してるんだよ」と教えてくれた。


 そして、「まずいな、もうオールアメリカン航空が提示できる上限金額の千ドルバウチャーが提示されているから、次は無作為の抽選で強制的に何人かが降ろされることになるぞ。」と説明を続ける。


 ボランティアの募集人員は3人。


 何故上限金額を知っていたか元春に尋ねると、オールアメリカンのホームページに明記されているとの回答を得る。頻繁に仕事で海外に出る元春にとって、利用する航空会社の規約に目を通しておくことは社会人としての常識だというのだが、元春の矜持きょうじみたいなものに触れた気がして、元春が少し誇らしげに見える。

 もちろん、本人に対しては、そんなことは言わないのだが。


 そろそろ抽選に入ると見られる直前、広志の目の前で南米人らしい男女ふたりがオールアメリカンの担当者と何やら交渉を始めた。


 年配の男性が白いカウボーイハットにオーバーオール姿で、年配の女性はオランダの民族衣装に近い服装をしているので、広志は最初彼らがヨーロッパ人だと考えていたのだが、片言の英語でスペイン語が話せる担当官を呼び出しスペイン語で交渉し始めた。


 そして、周りを見渡すと、他にも似たような服装の男女や子供が見受けられる。宗教的な理由か民族的な理由かは判らないが、伝統に基づいたものだと感じたので、南米のどこかの国の人だろうと考えたのだ。


 そして、スペイン語で交渉するメキシコ系の顔をした男性社員の横で、無線機を使用してどこかへ連絡を入れているストレートのプラチナブロンドの白人女性の英語を聞いて、断片的に聞こえてきた内容から、オールアメリカン航空で利用できる千ドルのバウチャーの他、四星クラスのホテル、無料の朝食、ホテルまでの送迎と翌日の代替便を得たようだと理解する。


 広志が元春にそれとなく「あの人達ってヨーロッパ風の衣装をまとっているけど、南米の人達だよね。どこの国の人か判る?」と尋ねると、元春は「ボリビアにオランダから移民してきた人達が伝統的にあの衣装を着ているというのをボリビア移民史で読んだことがある」と返事する。


 更に元春は続ける。ボリビアにもブラジルと同様、第二次大戦前から日本の移民がいて、大戦中には迫害を受けたこと。大戦後には、沖縄県から米軍基地建設で追い出された多くの移民が、コロニアオキナワという開拓地に住んでいて今でも日本語を喋る人達がいること。


 広志は感心するというより少し呆れて質問した。

「親父、どうしてそんなに詳しいんだよ?」と


「お前、俺が国家公務員だということを忘れていないか?まして俺は海外担当だぞ。中学や高校の教科書に載っているような事柄について知らなくてどうする」

 と返事する元春。


 広志は、そう言われると、確かにブラジルの移民百周年で天皇陛下がブラジルを訪問されましたというようなニュースを見た?ような気がしてきたが、元春にかつがれているような気もする。


『よし、今度、親父の友人の農水省の人が遊びに来たら、質問してやろう。国家公務員なら常識らしいからな。』


 農水省時代の元春の友人は酒が大好きで、土日になると時々家に遊びに来て翌日まで深酒をして帰って行く。

『酒を飲んでもむっつりな親父とは対照的に陽気な人が多いから、思いっきり質問してやろう。』

 そう、心に誓う広志だった。


 他の誰もボランティアに応募しないのを確認すると担当者はスマホのような機械をいじっていると、即座に「ミスター モトハル イナダ」、つまり、広志の父親の名前が読み上げられた。

 そして、犠牲者が決まると有無を言わさず、直ちに搭乗が始まった。


 元春と充分に話し合う時間も貰えないまま、初めての海外旅行で、いきなりのひとり旅をする羽目になった広志。

 元春は観念した表情を見せると広志に「リーナちゃんがサンタクルスのビルビル空港に迎えに来ているはずだから、お前だけでも行って事情を話しなさい。お父さんは、必ず、明日の便で、ブラジル経由かもしれないが、必ず行くから。」と広志に告げると、担当者と翌日の便の交渉に入る。


 広志の座るシート列が搭乗手続きに入るようアナウンスがあったので、ボーディングパスを入れる。

 搭乗口を入った所に立つ赤い制服を着たアテンダントの女性が広志を呼び止め、広志のシート番号が記載されたチケットを受け取り、赤のマジックで番号を書き換えた。

「席が変わっているので間違えないでね」


 広志は気が動転していてアテンダントの顔まで見る余裕が無かったのだが、もし、視線を合わせていたら彼女の挙動が不審だったことに気づいたかもしれない。

 元春が顔を上げると、不安に押しつぶされそうな顔をしている広志と視線が合ったが、何もしてあげられない。左手の拳を前に突き出して頑張れと念を送ったが、広志には理解できなかったようだ。


 妻、姫子に広志のことを任せっきりで、きちんと話し合いをしてこなかった報いだと、自分を責めるが、何もかもが後の祭りだ。

 ボリビアについたら、広志に自分の過去を話そうと静かに決意する。

『今晩、姫子にも了解取っておかないといけないな』

 エコノミークラスの座席だが、明日の空席が確保できたという担当官の話を聞きながら、今、日本では何時かなとぼんやり考える元春だった。


 ◇ ◇ ◇


 広志に渡された手書きの新しい席は3人掛けの真ん中だった。しかも、両隣がお相撲さんと呼びたくなるほど大柄な人で、広志は腕を胸の前に組んで座らざるを得ない状況だ。

『肩身の狭い思いとはまさにこの状態に違いない。』

 しかし、何もかも初めての経験である広志には、抗議の声はあげられない。


 この大柄の2人はもともと2人分の席が必要な人達で、3人掛けの両隣という配置になっていた。オーバーブッキングで座席数が足りなくなった航空会社は子供で幅の小さい広志をここに当てはめることで、大人用の席をひとつ確保した訳だ。


 あの浅黒く、眉毛のハッキリした精悍なメキシコ系30代男性は、抽選と言っていたが、誰にも抽選方法を知らしめていない。あまり文句を言わないと有名な日本人というだけで、元春は故意に外されたのだが、今の段階では元春でさえそんなことを想像もしていない。


 何も知らない子供に抗議の声を上げさせないため父親を引き離す。悪意しか感じられない手口だ。しかも子供の方はどうみても賢くは見えない。手玉に取りやすかっただろう。


 しかし、さすがに広志は、自分だけが席を変えられたことに気づいていた。席が変わっていると聞いたとき、成田できいた内容とは明らかに違う。そして、たとえオーバーブッキングでも、席が変わるという状況は説明できない。何故なら余分の人数を降ろせば済む話なのだから。


 航空会社が行った理不尽な行為に対して、無力な自分がつくづく情けないと思い、悔しさのあまり眠りにつくことが出来ず、スマホに自分の思いの丈を綴ることにした。


 後日、彼が初めての海外旅行ということで大事に保管していたこの飛行機の半券、手書きで書き換えられた座席番号が、大いに活躍することになる。

 しかし、広志はまだ気づいていない。ボリビアでの入国審査がスペイン語で行われるというこの旅行で最大の難関が待っていることを。もし気づいていれば、スマホのバッテリーを無駄に消費させず、スペイン語会話の勉強ができていただろう。


 ◇ ◇ ◇

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